#7甘辛な先輩
「蒼真先輩、起きて!」
「んー」
シーツを掴んで離さない。
意外だったな。
蒼真先輩って朝が弱いんだ。
仕事も大変そうだし、本当は寝かせてあげたいけど。
「あと5分」
「さっきも、あと5分って言ってたのに!」
いつも完璧でシュッとしているから、こんな駄々っ子みたいな姿、想像がつかなかった。
「今日は野外ライブのリハですよ!」
心を鬼にしてシーツを奪おうと、先輩の胸元に手を伸ばした。
そのときだ――。
「うわっ!」
腕を強く引かれ、オレはシーツの海へと倒れ込んでしまった。
「おはよ、ツバサ」
「お、おはようございます」
「いいにおいがする」
「コーヒー淹れました」
「そうじゃなくて」
――え、ちょっと!
気がつけば、蒼真先輩の腕にすっぽりと抱きしめられていた。
耳元にかかる熱い吐息と、髪にそっと落とされるキス。
寝ぼけているにもほどがある!
「ツバサ、いいにおい」
「もう、先輩!」
一緒に暮らし始めて1週間。
オレの心臓は毎日爆発寸前だった。
◆◆◆
8月になった。
まるで倉庫みたいなスタジオで、野外ライブのリハーサルが行われた。
室内は汗と熱気に包まれていた。
「次の曲、構成を確認するから全員出て」
ライブ監督の音声がスピーカー越しに響く。
いいポジションをもらって、目立つことができれば、デビューへの道が開けるかもしれない。
そのため、みんなの目はいつになく真剣で、張り詰めた空気がピリピリと肌を刺した。
メインステージの前方に〈TOMARIGI〉の3人が出る。
センターに立つのは、もちろん蒼真先輩だ。
圧倒的なオーラを放つその後ろ姿は、朝の駄々っ子な姿とは完全に別人だった。
その少し斜め後方、バックダンサーとしては、まずまずの立ち位置に、オレとカイリは着いた。
「音出して!」
眩いスポットライトが、一瞬で蒼真先輩を鮮やかに照らし出す。
いつか、自分もあの光の真ん中に立ちたい。
誰もがそう思っているんだろう。
「ツバサ、行くぞ!」
隣のカイリが視線だけで熱い合図を送る。
オレは、強く頷いた。
イントロが流れた瞬間、オレたちの身体は自然に動いた。息はぴったりだった。
カイリとはまだ出会って数ヶ月だけど、理解しあえる最高のパートナーだった。
オレたちのシンメは、間違いなくこの場で一番輝いている。そう、自信があった。
「はい、おっけー!」
ライブ監督の満足そうな声が響いた。
「よっしゃ!」
カイリの弾けた笑顔に、思わずオレも笑う。
終わった瞬間、2人で軽く抱き合い、互いの健闘を称えるように息を整える。
そのときだ。
マイクを通した、冷たく低い蒼真先輩の声がスタジオに響き渡った。
「今の曲、立ち位置を変更したい」
会場全体がシンと静まり返った。
「蒼真、どこを変える?」
伊勢さんの声。
「カイリは、伊勢の後ろに回って、2列目――そう、そこと交代」
あまりにも唐突で、理不尽な指示。
カイリは目を丸くする。
「え、なんで……?」
さっきのパフォーマンスに、不備なんて絶対になかったはずだ。
見上げた先、ステージの中心に立つ蒼真先輩と目があった。
そこに朝の優しさの欠片もない。
カイリは唇を噛み締めながら、大きくポジションの下がる端へと移動していく。
「カイリ……」
カイリは気まずそうに、小さくうつむくだけだった。
胸が引き裂かれるように痛む。
すぐに次の曲がかかる。
気持ちを切り替えるしかなかった。
胸の奥のモヤモヤを振り払うように、音楽に合わせてステップを踏む。
「よし、今日はここまで!」
曲が終わると同時に、蒼真先輩が歩み寄ってきた。
他の候補生に聞こえないよう、小声ささやく。
「このあと、別の仕事があるから、ツバサは先に帰って」
「はい……」
肩にそっと手が置かれた。
カイリの視線を感じ、オレは先輩の手を避けるように、1歩下がった。
「おつかれさまでした」
頭を下げて、そのまま背を向ける。
カイリだけじゃない。
周囲の候補生たちの、嫉妬と不信感が混ざった冷ややかな視線が、オレに集まるのがわかった。
喉の奥がカラカラに乾いていた。
その日、カイリとは話をできないまま帰宅した。




