第6話「扉の向こう」
翌朝、また神殿に行った。
理由は昨日より、少しだけはっきりしていた。
街で噂が広まっていた。魔王軍が動いている。
村が一つ、すでに壊滅した。次はこの街かもしれない、と。
そして全員が同じことを言った。
「聖女様に頼るしかない」
——でも、その聖女は誰とも会わない。
俺が会いに行く理由は、もうそれだけで十分だった。
昨日と同じ入口。同じ衛兵。
でも——今日は座らなかった。
「昨日の者か」
衛兵の一人が、少し困った顔をした。
「また来たのか」
「エリス様に、一つだけ聞いてほしいことがある」
「お断りします」
「聞くだけでいい。答えはいらない」
衛兵が顔を見合わせる。
いつもの感覚が走る。
二人とも——迷っている。でも、それだけじゃない。
困っている。
エリスに対して、じゃない。
俺に対して、でもない。
何か別のものに——困っている。
「……何を聞きたいんだ」
一人が、小さな声で言った。
「外に出たいと思ったことがあるか、って」
沈黙。
「……それだけか」
「それだけだ」
衛兵はしばらく動かなかった。
それから、もう一人と目を見合わせて——
中に消えた。
五分待った。十分待った。
戻ってきた衛兵は、昨日より疲れた顔をしていた。
「……エリス様は」
一度、言葉を切った。
「『意味がない』と」
「意味がない?」
「それだけです。それ以上は」
俺は少し考えた。
「その言葉、エリス様が直接言ったのか」
「……はい」
「どんな顔で言ってたか、教えてもらえるか」
衛兵が固まった。
「顔、ですか」
「怒ってたか。悲しそうだったか。それとも——」
「……疲れていました」
ぽつりと、出てきた。
「いつも、疲れています」
衛兵はすぐに口を閉じた。
言いすぎたと思ったのかもしれない。
「ありがとう」
俺は引いた。
神殿を背にして歩き出す。
「意味がない、か」
呟く。
怒りじゃなかった。拒絶でもなかった。
疲れている。
ノアが言っていた言葉が、頭に戻ってくる。
「五年前、エリスと話したとき——彼女は一言だけ言った」
「『疲れた』と」
同じだった。
五年前と、今も——同じ言葉だった。
「……何に、疲れてるんだ」
答えは出ない。
でも——「会いたくない」じゃない気がした。
「会えない」でもない。
もっと別の何かが、あの扉の向こうにある。
神殿の白い壁を、もう一度見上げた。
「意味がなくても、来る」
誰にも聞こえない声で、言った。
夜、ノアに報告した。
「今日も追い返されたか」
「ああ。でも一個だけ分かった」
「何が」
「エリスは、拒絶してるんじゃない」
ノアが手を止めた。
「……根拠は」
「衛兵の顔」
「それは根拠にならない」
「でも外れてない気がする」
ノアは何も言わなかった。
羊皮紙に視線を落として、また上げた。
「……一つだけ教える」
「なんだ」
「五年前、鑑定に入ったとき——神殿長に言われた言葉がある」
「何を」
ノアは少し止まった。
「『エリス様は、自分で扉を開けたことがない』と」
「……どういう意味だ」
「生まれた時から、誰かが開けてきた。そういうことだ」
俺は黙った。
「参考になるかは分からない。ただのデータだ」
「……ありがとう」
「礼はいらない」
ノアは羊皮紙に戻った。
でも今日は——耳が赤くなかった。
代わりに、少しだけ、眉間に皺が寄っていた。
自分で扉を開けたことがない。
歩きながら、その言葉を繰り返す。
会いたくないんじゃない。
でも、開け方が分からないのかもしれない。
それとも——
「開けたら、何かが壊れると思ってるのか」
夜の路地に、声が吸い込まれた。
答えは、まだ向こう側にあった。




