16、名探偵の憂鬱
ジフ川沿いの草原は、春の風を含んで静かに揺れていた。
穏やかであればあるほど、この場所がもうすぐ戦場になるという現実が嘘のように感じられる。
パメラ・シーヴィクセンは覗いていた愛用のM-21狙撃銃のスコープから目を離し、傍らの少女へ問いかけた。
「――クラリス君。何故ここがカウンタースナイプポイントとして適していると思う?」
クラリス・シーヴェノムは即答する。
「はい。敵狙撃兵が布陣するなら、川岸の丘ポイント32アルファ。もしくはポイント36チャーリーの森の樹上です。こちらなら両方に対応できます!」
「よろしい。君も分かってきたじゃないか……私のワトソン君」
撫でる様に言うと、クラリスがふわりと笑う。
パメラはライフルを構え、再びスコープ越しに無人の風景を眺めた。
――そこに、まだ見えぬ敵狙撃手の姿を幻視するように。
「ジュリアも、シモーヌも、テレサも強力とはいえ……666の狙撃兵は今や四名だけ。マスタング姉妹やケイティも逝ってしまったし。いやはや、肩が重いね」
「無いものねだりしても仕方ありませんよ」
「確かに。せめてナーカやタウは残ってくれると踏んでいたが……甘かった」
パメラは一転、皮肉めいた笑みを浮かべる。
「王都陥落二日目でナーカが消えて。三日目にはタウも水汲みに行ったまま帰らず――いやはや、推理小説なら『序章で消える被害者』だね」
クラリスは肩をすくめた。
「薄情な人達です」
「……だからこそ、残った義理堅い連中くらいは、私が守らなくてはと思う」
「カウンタースナイパーの矜持、ですね」
「そーいう事。義理堅いっていうか、隊長の面白信者達っていうべきかもしれないけど」
パメラは少しだけ、遠い空を見る。
川面を滑る陽射しは穏やかだ。だが内心はそうでもない。
「隊長は三万人の大軍だと聞いて珍しく慌てていたが……正直、私はこうなると踏んでいた」
「こうなるとは?」
「動員負荷による兵站崩壊。反政府軍の補給はガバガバだ。やっとこさ王都を落とした後に、七日そこらで三万人を動かせる余裕なんて――あるはずがない。バルバロッサ作戦、インパール作戦……兵站を軽視して崩壊した作戦は枚挙にいとまがない」
「勝てますかね?」
「さあね。ただ五分以上には持っていけるだろう。腐っても666大隊は『戦意と殺意と信仰心』だけは高いから」
そこで、彼女の表情が僅かに曇った。
「……ただ、三万人となれば、彼女が含まれていてもおかしくないな」
クラリスは表情を改めた。
「例の――軍学校時代の親友さん」
「読書好きでね。私が初めて推理小説を書いた時、欠点を十七個指摘してきた。射撃も上手い。私より、ほんの少し」
「どうしてそんな人が反政府軍なんです?」
パメラは吐息をふっと洩らした。
「私がいたのは田舎の軍学校でさ。私は交換留学的な転入で王都へ。だがそのうち内戦が始まり、母校も占領され――生徒ごと、反政府軍に接収された」
クラリスの顔が固まる。
「……」
「ナタリーのようなものさ。あいつも、たまたま王都の学校にいたから助かった口だし。あの時も私だけ運よく逃げれた。もし運命が違っていたら――今、私が狙っているのは、クラリス、君だったかもしれない」
指で銃の形を作り、クラリスを狙ったパメラは皮肉っぽく笑った。クラリスは小さく言う。
「事実は小説より奇なり……」
「そうとも。だが一つだけ分かっていることがある」
パメラはスコープを再び覗き――冷えていく瞳で言った。
「――遭いたくはない。願わくば、互いに気づかず通り過ぎたい」
「……でも、撃つんですよね? 遭遇したら」
「撃つさ。……私の仲間を守るために。『撃ててしまう自分』が、怖いけれどね」
川上から風が吹く。沈黙が数秒。
「……ちなみに、その方のお名前は?」
パメラは少しだけ伏し目になり。
「……カーリー。カーリー・ライラック」
クラリスの瞳が揺れた。
パメラは静かに、狙撃銃を抱え直す。
――彼女の銃口は、味方を守るためにある。
だがそれは、かつての友情を撃ち抜く可能性も孕んでいた。
そして今日もまた、名探偵は戦場で引き金を握る。




