使い魔の名前はキューちゃんです。
剣を折られた男は凍りついたような表情で仲間達が少女に倒される様子を見ていたが、ギギギッと音でも立てそうな感じでウィザーに視線を移す。
「おやおや、いったい何が起きているのかしら。」
ギルドの中からヴァルガ教師が顔を出す。
「ふえええぇぇぇぇ~~~ん先生~っ、怖かった~っ。」
エマは緊張の糸が切れたようにヴァルガに抱きついて泣き始める。
「おお、おお、何が有ったか知りませんが、もう大丈夫ですよ。」
ヴァルガがエマを抱きしめる。
新米ウィザーに取ってはいいところを全部持って行かれたような気がした。
あんた、わざとやってるでしょう。
「おや、シドラ、何のことでしょう?」
シドラと呼ばれたウィザーは改めて男達を見る。
「さて、あなたはどうしましょうか?まだ続けられますか?」
男は自分の折れた剣を見ると後ずさりをする。
「ちくしょう、覚えておけ!」
伸びている男を抱えると一目散に逃げ出した。
その後ろから股間を押さえた男がヨチヨチと付いて行く。
「一体何だったんでしょうね~?あの男達は。」
「きっと唯の盗人だろ思いますよ。まあ犯罪者の取り締まりはここの人達の仕事ですから。」
ウィザーの戒律の一つに人間同士の問題には介入しないことが有る。
自らに危害が及ばない場合はその事件に介入してはならないのだ。
国同士が戦争を行ったとしてもウィザーは自らの住居、拠点を守るためにのみ防衛行動を行うことが認められているだけなのだ。
この場合も逃げていく敵を追って攻撃することは出来ない。逃げるものには攻撃の意志が無いからだ。
ウィザーの持つ能力を以ってすれば当然のことと言えた。
「丁度良かった、エマさん。このウィザーがあなたと同行する者ですよ。」
「「え?」」
ふたりはお互いを見合わせる。
「なんなのよ~っ、こんな頼りないウィザーが一緒に行くの?」
「こんな凶暴な女性に護衛の必要は無いと思いますがー?」
ふたりの言葉が重なって響く。
「私の護衛?何のこと?」
「ああ、今回あなたを同行させるに当たり、彼にはウィザーギルドから特別な指示が与えられているのです。」
「どういうことかしら?」
「はい、私の受けた指示は同行者を一人希望する場所まで運ぶ事ですが、付帯事項としてその同行者をウィザーの保護対象に含む事と有ります。」
「つまりあなたが危険な目にあったらこのウィザーがあなたを守るということです。」
通常ウィザーの保護行動はその管轄下に有る者に及ぶ、具体的に言えば孤児院の子供や学校の子供達などである。
ウィザーは目の前で人が殺されようともその者を助けたり犯人を取り押さえたりはしない。
何故ならウィザーには何の危害も加えられていないからである。
ウィザーは人間に親切であり、人々の為になる行為を行いながら人間には何一つ強制することは無い。
その代わり人間同士のいさかいに関しては驚くほど冷淡である。
「そうなるとあたしが暴漢に襲われたら直ちに私を助けるって事よね?」
「はい、その時はこの身を張ってあなたを守ることになります。」
「守るだけ?」
「はい、守るだけです。」
「あたしののど元に刀が突きつけられて動くなと言われたら?」
「あなたを守るために動きません。」
エマはがっくりと頭を垂れる。
「ヴァルガ先生こんなのなんの役にも立たないじゃない。」
「そうでもありませんよ。例えば孤児院などでは子供たちの安全を図るためには、いかなる行為も禁止事項とはなっていないのですから。」
つまりエマはウィザーの庇護下に有る孤児院の子供と同格の扱いになったというに過ぎないというのだ。
「なんか複雑な気分ね~。」
「はい、私の受けた指示によれば、あなたの安全の確保にはあなたの自律的意志を阻害しない事が前提となっています。」
「どういう意味かしら?」
「例えばあなたが危険な崖を登って行ったとします。あなたが転げ落ちる危険があるから崖に上るのをやめさせる事は私には出来ません。あなたが崖から転げ落ちたら治療をして差し上げます。」
「それで私が死んだら?」
「仕方ありません。それがあなたの意志ですから。」
「それにしてもこんな頼りないウィザーは初めて見るわ。他のウィザーはもっと何でも知っているように見えるのに。」
「仕方ありませんよ、エマさん。彼はまだウィザーになったばかりですから。」
「いや~っ、実は私はしばらく前にウィザーになった後運搬の仕事しかした事が無いので右も左も判らないのですよ~。」
実に楽しそうに答える。
「しばらく前?ウィザーは生まれた時からウィザーなんじゃないんですか?」
「彼は遠くから旅をしてきましてね、仕事が無いのでウィザーになることにしたんですよ。」
「え…………って?ウィザーってそんなに簡単になれるの?」
「はい、だれでもとは行きませんが私には簡単でした。」
ウィザーの謎の一つに彼らがどこからやってきてどうやってウィザーになるのか?というのが有る。
「私もウィザーになれるのかしら?」
「いいえ、エマさんはヒト族ですからウィザーにはなれませんよ。」
「なんだ、残念ね。やっぱり人間だと駄目なの?」
「エマさんはウィザーになりたいのですか?」
「ううん。でもなれたら魔法も使えるし、便利だな~っと思ったりして。」
「その代わり我々のように仮面を付け、人前で食事を捕ることも出来ないのですよ。」
エマはすごく嫌そうな顔をした。
「そうね、ちょっと考えて見ただけよ。」
「とにかくこのシドラがあなたをあなたの求める場所に連れて行ってくれます。仲良くしてくださいね。」
ズイッと有無を言わせずにヴァルガがエマに迫る、「これを断ったら次は無いのです。」とでも言いたげだった。
「え、エマ・オーエンス。エマと呼んで。」エマはしぶしぶ答えた。
「これはご丁寧にエマさん、ウィザーのシドラです。あなたの目的地まで同行させて頂きます。」
胸に手を当てすごく明るい調子で答えるシドラ。
エマはこの先の旅にものすごい不安を感じる事となった。
「それではエマさん。私は荷物を下ろしてから出発しますのでしばらくお待ちください。」
シドラはそう言ってその場を離れる。
「エマさんが旅に出たらずっと寂しくなっちゃうわね~っ、今日は餞別にお菓子を持って来たんですよ~。」
ヴァルガ教師はお菓子の入った袋をエマに押し付ける。
「エマさんもすっかりウィザー語がうまくなったわね~、これでどこに行っても大丈夫ですわよ~。」
「はい、先生のお陰です。」
この国ではウィザーはウィザー独自の言葉しか話さない。
ウィザーと話しをするときはウィザー語で話しをする必要が有る訳だ。
彼らが経営するウィザーギルドは銀行、病院、孤児院、その他の販売所等多岐にわたりウィザーとの取引も多い。
つまり人々の生活はウィザーと密接な繋がりが有り、ウィザーと付き合わずに生活する事はかなりの不便を感じることになるだろう。
それ故のウィザー語教育ということになっている。
学校に通うのに学費は一切必要なく、また試験もない。学びたいものが学びに来るのだ。
「それにしてもエマちゃんは急に大きくなっちゃって、先生びっくりしましたわ~っ。」
エマは13歳頃から急に背が伸びて今では普通の男の子より大きいくらいになってしまった。
お陰で力も強くなり年を取って弱くなってきた祖母の代わりに家の事や仕事の手伝いをずっと続けてきたのだ。
やや癖のある赤い髪を後ろで三つ編みにしたエマは、少し張り出してきた肩の筋肉を気にしていた。
どう見ても女の子らしくないな~、等と考えてしまう。
もっともそれは都会の考え方であり田舎で仕事をする人間にとってはよく働く丈夫な体が好まれた。
特に誰に習った訳でもなかったが子供の頃からエマは喧嘩が強かった。
今回の強盗を撃退したのもエマにとってはただ相手が弱かったとしか感じられなかったに過ぎない。
やがてシドラは荷物を下ろし終わるとエマに出発を促した。
「分かりましたシドラさん。」
目いっぱいの不安が有るがそれでも人の好さそうなウィザーに目いっぱいの笑顔を見せる。
なにしろこれから当分の間は世話になるのだから。
「シドラと呼んでください私たちは敬称を使いませんから。」
「きゅいっきゅいっ。」
馬車が軋るような音を出す。
「馬車もよろしくと言っております。」
「あらこの馬車も喋れるの?」
ウィザーの馬車には使い魔と呼ばれる物が取り付いていてを馬車を動かすという話はエマも以前から聞いてはいた。
彼らが何を言っているのかは分からないがウィザーにはわかるらしい。エマも実際に馬車がしゃべるのを見るのは初めてであった。
「皆さんに分かる言葉ではありませんが、私と意思疎通は出来ます。」
「きゅうっきゅいい~ん」
馬車は軽く車体を揺らせて声のようなものを出す。なんとなく嬉しそうだ。
「なにこれ?かっわいい~っ。」
大きな馬車ではあるがまるで子猫でも見るような眼でエマは馬車を見る。
「この子なんて名前なの?」
「名前は特にありません、唯の馬車です。」
シドラは不思議な事を言われた子供みたいにエマを見る。
「名前が無いなんて可愛そうじゃない。」
「そうですか?名前は個体識別をするのに必要ですがこの馬車は私の使い魔ですから個体を識別する必要が無いのです。」
どうやら主人と使い魔は通じ合うものが有るらしく特に名前など必要としないらしい。
「それじゃあ私が名前を付けていいかしら。」
シドラにとっては理解の範囲外の事ではあったが、これも人間の特性なんだろうと考えた。
「どうぞご自由に。」
「それじゃあ名前を付けてあげるわね。」
「きゅい~っきゅうう~っ」
名前をもらえると知ってかどうかわからないが反応がいいみたいな気がする。
「なんかすごく子猫みたいな鳴き方をするのね。」
「きゅきゅきゅっ」
「そうねえ、子猫みたいだから「みーちゃん」「みーたん」それとも「にゃん太」なんてのはどうかしら?あなたはどれがいい?」
「きゅうう~っ?」
何を言われているのか理解出来ないかのように鳴き声を出す。
「私の言っている事わからないのかな?」
「いいえこの子は人の言っていることは完全に理解できますよ。」
「この子そんなに頭いいの?」
「知能の事を言っているのでしたら人間とさほど変わりありません。」
「え?そんなにすごいの?」
「かなり偏った知能ですけれどね、この子とゲームをやったらエマさんは絶対に勝てないと思いますよ。」
エマはびっくりした、それ程の使い魔が馬車に取り付いているとは思ってもみなかったからだ。
「ただこの馬車は使い魔ですから自我が有りません。だから何かを決める事は出来ません。あくまでも命じられたことを実行するだけです。」
「そうなの?それじゃあ自分の意見とか好みは無いの?」
「うれしいとか、悲しいとか、感情のゆらぎはありますが明確な意志は持っていません。言ってみれば家で飼っている動物のような物だと考えれば近いでしょう。だから名前はあなたが決めて上げてください。」
「そうなんだ。」
人間に近いと言われる程に頭のいい使い魔を使役出来る、ウィザーの能力にエマは改めて感嘆する。
「きゅいいい~っ。」
「それじゃあなたの名前はキューちゃんにしよう。すっごく可愛いよ。」
なんかそのまんまだなーとも思ったがミーちゃんでは可愛すぎるだろう。
「きゅいっきゅいっきゅうう~~っ」
馬車は車体をゆすって声を上げている。
「とても喜んでいますよ。」
なに?この子まるで子供みたいな反応をしてる。
アクセスいただいてありがとうございます。
登場人物
キューちゃん シドラの乗り物の使い魔、機動馬車と呼称される。
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