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さくら荘の珍住人  作者: 和泉あや子
第一章 挨拶まわりの壁
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第一章10 危険人物?

 私のなかで危険人物に指定されている老人、松岡さんが今まさに目の前に立っている。手には小ぶりの紙袋を下げていた。何か草らしいものがはみ出ている。思わず深優の腕を握った。今の私の話し、聞かれただろうか。老人はずり落ちてくる銀縁メガネを直して口を開いた。

「深優ちゃん、今年もお裾分け」

 と持っていた紙袋を渡した。彼女は受け取った袋の中身を見て、いつもありがとうございます、さっそく使わせてもらいますね、と嬉しそうに言った。

「そちらのお嬢さんは引っ越してきた方かな」

 私に視線がそそがれた。名乗らなくてはなのに言葉に詰まる。察した深優が

「ちょうど松岡さんの話しをしていたところなんです。彼女が一〇三号室の新しい住人です」

 と助けを入れてくれた。神月鈴です、と何とか言った。老輩は、今朝の方、とうなづいた。あのとき気づかれていたんだ。

「一〇一号室に住んでいます。植物研究家の松岡林太郎と申します。いかにも植物好きな感じな名前だけんども、本名なんです」

 白髪を掻きながらにやりと笑う。笑うたびに金歯がちらりと光った。


「松岡さん、この前聞いたこの花の事、もう一度聞かせていただけませんか」

 何を思ってか深優が花壇に咲く花を指さして尋ねた。

「ああ、水仙ね。水仙のなかでもこれは口紅水仙じゃな」

 おじいさんは急に顔を明るくして喜々と話し始めた。

「水仙はユリ目彼岸花科、スイセン属で学名をナルキッサスとかナルシサスと言うんじゃ。ほら、ナルシストなんて言葉があるじゃろう。あれはギリシャ神話に登場する美少年の名でな、泉に映った自分の姿に恋して来る日も来る日も見つづけていたら花になっていたって話しから来てるらしい」

 松岡さんは口ひげをなでてはっはっは、と笑った。そしてまだ語りは止まらない。

「でもこんなに綺麗な花を咲かせるんじゃが猛毒があってな。下手をすれば息の根を止めてしまうこともあるんじゃ」

 あれ、今朝の毒の話しってもしかして……。深優が私の顔をみて笑っている。

「リコリンやタゼチンなどのアルカロイドを含んでいてな、間違って食べちゃいかんぞ。ニラやタマネギに似ているのでな」

「松岡さん、もしかして今朝もそれ話していませんでした?」

 思い切ってきけば、ああこの子たちと会話していたよ、と花を撫でた。また私の勝手な思い込みだったのか、と脱力した。でも待って、花と会話?

「毎日植物に話しかけていますものね」

 深優が言うと

「話しかければ植物たちも語り掛けてくれるのだよ」

 目を細めて花を見つめる様子から植物への尽きない愛を感じた。危険人物なんかじゃなかった。こんなに植物愛に満ちた人を危険人物扱いするなんて、自分はなんて失礼で恥ずかしいんだ。そんな私の気持ちをよそに、植物学者は話しを続けている。

「ああ、それから水仙の花言葉を知っているかい。いま咲いている口紅水仙は三月四日の誕生花で花言葉は“詩人の心”だそうだ」

「詩人の心だなんて、素敵!」

 食いついたのは深優だった。さすが文学少女だ。


「ほかにも水仙には言われがあってだな。伝来したのは――」

「あ、ありがとうございます。お聞きしたいのはやまやまなのですが原稿を書かなきゃ締め切りが! また聞かせてください」

 これ以上話しを続けていたら凍えてしまいそう。松岡さんの語りも止まりそうにないのでこのあたりで遠慮しておいたほうがよさそうだった。

「私も用事がありまして……あとでご挨拶の菓子折りを持っていきますね」

「おやそうかい。じゃあまたの機会に話すとしようかのう」

 口ひげをなでて、ではまたな、と一〇一号室に帰っていった。

 深優は面白い方でしょう? と笑った。

「でも、松岡さんのお部屋に上がるときは覚悟しといたほうがいいですよ」

 眉を少しひそめて言った。え、なんで、と問えば困ったような表情を浮かべた。

「いや、お花は綺麗なんですけどね。なんていうかその、独特な植物が育てられているんですよね……」


 いったいどんな独特な花があるのかと怖くなるが、同時に好奇心も起こった。


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