(29)蘇りの輝跡
「あの方は御前ではないな」
「そうです」
「私も知らなかったのですが、御前の双子の妹です」
「で、御前は?」
「都で暮らされておりますが、お体がずいぶん弱っておられます」
「そうか。もう一度御前の舞を観たかったのだが、叶わぬ夢か」
「そんなことはありません。きっと、あなた様次第です」
あの男は弟に言われても顔色を変えなかった。
「ところで、御前の妹は今どこに」
「おぬしに教えることは、今はできぬ」
「なぜですか?」
「私は今誰も信じることが出来なくなったからだ」
あの男はしばらく黙っていたが、うつろな目で口を開いた。
弟は黙って懐から剣を抜き取ると、
「ご存知だと思いますがこれは模造品です」と、言ってからあの男の前に差し出した。
「棟梁は模造品であるかどうかも調べずにその剣を受け取られませんでした」
「本当か?」
「はい。剣はあなた様がお持ち下さいとおっしゃられました。なぜなら棟梁はあなた様に生き続けて頂きたいと思っているからです」
「私に?なぜだ」
「棟梁は、自分はいつかモノノフ達に葬り去られると思っているのです」
「しかし、棟梁は朝臣であるが、モノノフ達の殿でもある」
「そうです。だから、あなた様をずっと遠ざけていたのです」
「しかし、もはや棟梁としての運命は尽きたと悟っておられます。それにモノノフ達に利用されたとしても、白の朝臣の棟梁として皇家の元に参内できるようにまで至ったことは朝臣としての譽だと。だから、それだけで十分だと思っておられるようです」
弟は兄から聞いたとは言えなかった。
「それに、あなた様が何故、この地を安住の地に選ぼうとしたのかもご存知です。いや、ずいぶん前から知っていたのでしょう。だから、モノノフ達には分からないように、その道すがらこの地に導かれるように策を講じていたのです。そして、あわよくば、あなた様が、その地で朝臣の棟梁として蘇られんことを願っておられたのです」
「でも、棟梁の命でモノノフ達がこの地にやって来ると聞いたが」
「この地のモノノフ達も朝臣が嫌いなのでしょう。それに、棟梁の御家人であるモノノフ達はあなたを葬り去ることだけが目的ではないのです。この地のモノノフ達を一人残らず葬り去ることが真の目的なのです」
「本当か?」
「はい。なぜなら、ここはもともと白の朝臣が真の朝臣になるための出発点となった土地だからです」
それだけではないことをあの男は知っていたがそれでもあの男はゆっくりと頷いた。
「そのような土地のモノノフ達はきっと白の棟梁に従います。もし、そのような事が起これば、棟梁の御家人たちは、折角ここまで自らの世界を創り上げて来たのにまた苦役を強いられることになります」
「その事を棟梁はご存知なのか?」
「もちろんです。だから、せめて、あなた様だけでも思っておられるのです」
「棟梁ともう一度会えないのか?」
「無理だとおもいます。ただし、一つだけ方法があります。あなた様がもっておられる真の剣を蘇らせるのです。そうすれば、モノノフ達を全て葬り去ることができます」
「モノノフ達をすべて葬り去って、その後に何が残るのだ」
「タミです。タミが残ります。そして、新しい世が、朝臣が治める新しい世が始まります」
「では皇家はどうなる」
「それは……」
「タミは皇家を見捨てはしない。そうであるなら、朝臣の世など永遠に来ない」
「しかし、分からないのでは。先のことなど分からないのでは。なぜなら、白の朝臣も赤も朝臣もこのような世が来るとは思わずに今まで戦ってきたのですから」
あの男はしばらく黙っていた。
「しかし、私には家族が……」
「御前と同じように、モノノフ達に追われたらあなた様は家族を逃がそうと思うでしょう。しかし、ここは長旅の末やっとたどり着いた最北の場所です。もはや家族はこれ以上行く当てはないと悟るでしょう。そうであるなら、あなた様と運命を共にされるのではないでしょうか?そして、あなた様はモノノフの手に掛かるくらいならと……」
あの男はそれ以上言うのではないと、弟の口を閉ざすような勢いで弟を手で制した。
「おぬしの言う通りかもしれぬ、だから朝臣には家族が居なくなったのかもしれぬ」
「私が幾度も夢でみた私の父は、祖父を自らの手で殺めたと訊く。それは父が朝臣だったからその宿命に従っただけだったのかもしれない。だから私も仕方がないとあきらめていた。だから、棟梁のため、白の朝臣のため、容赦なく赤の朝臣と闘えたのだ。しかし、御前と別れ、この地で安らかに妻と子と暮らしているうちに、父の行為が許せなくなってきた。たとえ、皇家が、いや、皇家にまとわりつく貴族がさせたのかもしれないし、誰かが朝廷を守ろうと指示したのかもしれないが、そのおぞましさに吐き気すら覚えるようになったのだ。
私は朝廷というシステムの中で子が父を殺めなければならないというシステムがどうしても許せなかった。朝臣ですらそうであるであるのならタミなど誰にも葬られずに簡単に野に晒されるかもしれないと憂いた。だから私は棟梁が皇家に代わろうと考えた時にすぐに頷いたのだ」
「では……」
あの男は弟に向かって口を開きかけたが、すぐに閉じると、しばらくうつろな目でどこということはないが遠くを見ていた。
ナナモはあの男が朝臣として生きるべきかどうか苦悩しているのだろうかと慮ったが、あの男が口にしたのはそうではなかった。
「おぬしには家族がいるのか?」
「はい。兄が」
「仲が良いのか?」
弟は一瞬答えに窮した。しかし、何かを言わなければと、「分からないです」と、答えていた。そして、「私は兄とは異なる人生を送っていたと思うのです」と、言葉を継いだ。
「母のことは?」
弟は御前妹に話した事をあの男にも話そうとしている。しかし、あの男には母との記憶は全くないはずだ。だから、「私は幼い時の記憶がないのです」と、答えた。もしかしたら、あの男は弟の言葉を信じていないのかもしれない。しかし、弟の瞳が全て嘘ではないということぐらいは分かっている。だから、「母の肌に触れたいか、父から教えを受けたいか?」と、尋ねたあの男の瞳から一粒の涙が突然頬を走った。もちろん、光ったりなどしない。むしろ、少し淀んでいる。それでも、あの男は拭おうともせず、弟を直視した。
「それは儚い夢なのだ。きっと母は愛を、父は力をおぬしに与えている。愛ある者は優しくなれるし、ヒトを愛することが出来る。力ある者はくじけないし、弱気者を助けることができる。だから、今を生きるしかないし、今を愛するしかないのだ」
「分かっています。しかし、寂しいのです」
弟の瞳には今にも堰を切りそうなくらいな涙で溢れている。それでも、こぼれ落ちなかったのは、あの男の思いが十分伝わって来たからだ。
「剣を蘇られせて頂きませんか?あなた様は皇家に伝わる真の剣をお持ちなのですよね」
弟は唐突に言った。
「なぜ、急にそのようなことを言う?」
「あの剣が私を蘇りの世界に導いてくれるからです」
「おぬしを……。だからか……」
あの男は急に弟をグッと睨み付けた。しかし、すぐにその瞳から力を抜くと穏やかな口調で言葉を継いだ。
「確かに、私は真の剣を持っている。皇家に伝わるあの剣だ。しかし、この剣を求めて皇家の争いが始まったと聞いている。だから、皇家はあの剣を封印した。ある方以外持ち出せないどころか、貴族ですら目に触れられない場所にだ。それなのに、朝臣がその剣を持ち出そうとした。それが朝臣の宿命の始まりだ。しかし、朝臣は剣を持ち出すことはできなかった。どれだけ血を血で濡らそうと、剣は姿を現さなかったのだ。それがこともあろうに、剣ではなくある方を連れ出すことを考えた。きっと、剣も持ち出せるだろうと考えたからだ。しかし、存じておろうがその策はうまくいかなかった。だから、先ほど私が言った、子が父を殺めなければならないような争いを終わらせたいと願い、朝臣が私に再び皇家に戻すように託したのだ。だから、私は皇家に最初はこっそりと返そうと思った。しかし、朝廷というシステムを考えると、どこかに封印したい、いや、なきものに出来ないかとあれこれと講じてみたのだが、なぜかあの剣は私から離れようとはしなかったのだ。だから、私は眼下に川が流れる高台に館を築き、丁重に祀ることにした。すると、私は急に穏やかな気分となり、朝臣としての宿命もモノノフ達に対する憂いも消え、家族と穏やかな日々を暮らせるようになった。しかし、そんな日は長くは続かない。朝臣は私だけではなかった。棟梁はまだあの剣に魅せられている。それは朝臣の宿命なのか、その宿命を誰かに強いられているのかわからない」
オンリョウと、弟の口だけが動いている。
「そんな時に、御前がやって来た。いや、御前の妹がやってきた。そして、私や私の家族には目もくれずに、館に入り込むと剣を持ち出した。私は御前妹がこの剣を朝臣の手に入らないどこかに葬り去ってくれるのではないだろうかとおぼろげに思ったのであえて取り返そうとは思わなかった。しかし、ある方以外、決して鞘から抜き出すことが出来ないはずだし、もし、抜く事が出来れば、無類の力を発することが出来るはずの剣なのに、御前の妹は剣をある場所に持って行くといとも簡単に鞘から抜き取りその錆びた剣を研ぎ始めたのだ。しかし、御前の妹がいくら研いでも錆は消えない。きっと、あのユイノハマの砂であるはずなのにだ」
「おぬしのためなのだな。あの剣を再生させ、無類の力を得ようとしているのではないのだな。ただ、おぬしの蘇えりのために研いでいるのだな。だから、御前妹は何も食べず何も飲まずそれどころか一睡もせずにあの剣をただ研いでいるのだな」
弟の瞳から今度は涙が溢れている。
「ユイノハマは、昔は結の浜だったようだ」
あの男の声が弟の肩にそっと置かれた。
「御前の妹がいる場所に私を連れて行ってはいただけませんか?」
「どうするのだ。それともおぬしが剣を研ぐのか?」
弟はそうしますと、いや、そうさせてくださいと言いたかった。しかし、あの剣を弟は触ることが出来ない。
「もちろん、止めさせます」
「蘇りたくはないのか?父や母に逢いたくないのか?」
弟は先ほど言われたあの男の言葉を思い出した。確かにあの男の言うとおり、全てをあきらめても今を生きたい。いや生きなければならない。
今は蘇りでも剣でもない。御前妹を救うことだ。さすれば私はこれから寂しくはないはずだ。
しかし、弟の思いだけではあの男は動かない。
「あなた様ならあの剣を研ぐことができます。そして、あの剣を永遠に封じることができます。もし、拒まれるのであれば、剣とともに御前妹をここから連れ去って行きます」
「剣をどこに持って行く。棟梁の所か?」
あの男の目から急に覇気が伝わる。返答次第ではこの場で太刀を振り御ろそうと気迫で圧倒してくる。
「いえ、あなた様の御子の所です。あなた様の御子は、御前との間に生まれた御子は、生きておられるのです」
「本当か?」
「はい」
「その事を御前も知っているのか?」
「はい」
「御子はどこにいる?」
「御前の妹は?」
あの男からは高塔と、弟からはテングだと同時に聞こえる。
「本当に私があの剣を封じることが出来るのだな」
あの男から覇気が消えていた。その代わり、御子の所には決して剣が渡らぬのだなという強い意志が痛いほど伝わってくる。
弟は静かにそして大きく頷いたが、その意志をバーンと受け止めるような鐘の音がしばらく響いていた。
「おぬしは一体何者なのだ」
「私が何者かをあなた様に説明できませんし、説明しても信じて頂けないでしょう。しかし、私はあなた様とは異なる理由で宿命を背負わされているのです。いや、誰かに操れているのかもしれません。それは、皇家でも、朝臣でも、もちろんモノノフ達でもありません。ましてやオンリョウでもありません。もっともっと大きな、私には到底及ばないような力を発する方だと思います。しかし、今私はその方を信じようと思います」
杉木立が両側から切り立った壁のようにそびえる間隙の坂を二人はゆっくりと登っていく。息が上がるほどではない、少し汗ばむ程度だ。通り過ぎると、小高い頂きには少し見上げなければならないほどの高さの塔が、明かりが漏れる周囲の屋敷を見守るように建っていた。
これは?と、ナナモが思ったのは無理もない。その建物の外観は、石ではなく木で出来ていたが嘗てナナモが観たあの塔にそっくりだったからだ。
しかし、もちろん二人にはそのような感慨はない。だから逸る弟はその塔を見上げることはなかった。
「もしかしたら後悔するかもしれないぞ。それでも構わないのだな」
あの男は弟にそう言っておきながら、なかなか扉に手を伸ばさない。
「構いません。それに、中に入らなければ剣を封印することなど出来ません」
大きいがそれでいて軽い、そして、まだ年月がそれほど経っていない木の香りが漂う大扉を開けて塔の中にあの男と弟は一緒に入った。窓がどこかにあるのか、陽が射し込んでいる。建物の外観からすると数人しか入れないように思ったが、急に膨張でもしたのか中は案外広かった。
その空間の真ん中にはまるでスポットライトを当てられたように、白拍子の後ろ姿が見える。きっと、御前としてここに来たのだろう。それともここで舞でも踊らされたのだろうか。それでも、あの男の言うようにこれまでの苦悩がその出で立ちの幾か所かでほころんでいる。
「もうよいのだ」
弟は御前妹の後ろに立つと優しく声を掛けた。しかし、御前妹は全く振り返らない。それどころか、ただれて干からびた手でただ剣に砂を掛け、そして指でこすっている。
「私だ。迎えに来たのだ」
弟はそう言うと、御前妹の右腕を持った。
「何をする」
振り返った御前妹の姿を見て、弟は思わずワーッと声を上げそうな勢いで後ずさりした。
御前妹の口角はつり上がり、瞳の奥からは邪気の権化が迫って来る。頬は今まさに冷凍室から出された氷の彫刻ように削り取られ、立て烏帽子の隙間からささくれた竹のように四方八方に髪の毛が鋭い針となって飛び出ていた。
「御前妹には何かが乗り移っているのだ。もしかしたら、砂に含まれた妬み嫉みが怨念となって、剣ではなく御前妹に乗り移ったのかもしれない」
弟はオンリ……と、言いかけて思わずその続きの言葉を飲み込んだ。
御前妹に限ってそんなことはない。しかし、私と暮らしていたのだ。そして、兄に命じられたのだと思うと、弟は一端のみ込んだ言葉をまた吐き出したくなった。
しかし、御前妹がどのような姿になったしても、どうでも良い。眼のまえに居るのは御前妹だ。そのかすかな香りは感じられる。だとしたら、助けなければならない。今すぐにだ。もはや剣などどうでも良い。
「ご存知ならどうして止めて下さらなかったのですか?」
「もちろん、何度もそうしようと試みたのだ。しかし、私にはどうすることも出来なかった」
「だから、そのままにしておいたというのか……」
弟は初めて語気を荒げてあの男を睨み付けた。すると、御前妹が奇声を上げる。そして、その奇声で剣に掛けられた砂がピカリとかすかに輝いた。
「もしかして……」
あの男は、その輝きに何かを感じたのか、二人を残して、塔から出て行った。
弟は御前妹と二人きりになる。御前妹はまた同じように剣に向かっている。
どうすれば良いのだろう。
弟は御前妹の前に回り込む。もちろん御前妹は顔を挙げない。それでも、弟は御前妹に二礼し、四拍し、「もし、私に王家の力を与えてくださるのなら、私は蘇りなど求めません。今を精一杯生きてみます」と、手を合わせた。
王家は願い事などしないのだ。誰かがナナモのこころの中で呟いている。
弟はもう一度、もう一度と、同じことを繰り返したが、御前妹はピクリともしなかった。
なす術もない弟の姿の奥にあの塔と同じような形の木板が見える。
「蘇りの輝石 横たわる ツルギの刃 研磨する されど 石砕け やがて海辺の砂になす」
ナナモはその記されている文字を声にした。
この言葉にきっと何かが隠されている。しかし、もう少しで届きそうなのに、届かない。その苛立ちの中、ナナモはつかめるはずもないのに、御前妹と同じように二礼四拍を繰り返す弟を怒鳴りつけたかった。
想いではない。その想いを遂げるには行動が必要なのだ。
ナナモが下腹に力を込めてもう一度弟に声を掛けようと思った時、あの男が戻って来た。
「何をしているんだ!」
弟がその大声でハッとする。なぜなら、もう少しで御前妹と同じ世界に引き込まれていたからだ。
王家でもか?いや王家だからか?
ナナモは弟の青ざめた顔を見て、剣の恐ろしさを改めて思い知った。
「今まではそのような事など一度もなかったのに、おぬしがこられた時、御前妹が剣を研ぐユイノ砂がかすかに輝いたのが見えて、ふと思い出したのだ。
私がこの地で朝臣への修行をしている時に、私の師が私に呟いたのだ。この地ではこれまで様々な争いがあり、そして、虐げられていた。モノノフだけではなく、タミさえも理不尽な扱いに嘆いていた。だから、師はこの地を豊かに、そして争いのない世界にするために、黄金を用いたのだと。
最初はうまくいった。朝廷から虐げられることは無くなった。それどころか、朝廷はこの地を黄金の地として誰にも入らせないようにした。師はこれでついに長年の夢が叶うと思ったのだが、幸せはいつの時代もそう長続きはしない。
ある時、ある朝臣がやって来た。黄金を渡せと脅して来た。だから、師は黄金を全て集めてある場所に隠した。そして、どのようなものも入り込むことが出来ないように、何重にも術をかけたのだ。
朝臣は師に刃を向けたが、その度に、なぜか跳ね返された。きっと、その術は、虐げられてきたタミが祀っていたヤオヨロズのカミガミが守ってくれているのだろうと、いつしか朝臣は去り、また平和な時がやってきた。
だから、私がこの地にやって来た時、この地のモノノフもタミも、私を追い出そうとした。しかし、師はそれでも私を朝臣に育て上げてくれたのだ。その時、師は私に黄金の砂を渡してくれた。きっと、この黄金の砂が私を守ってくれると言って」
「それを今使うとあなたは……」
「良いのだ。それより、剣を封じなければならない。それが朝臣の宿命であり、師の願いでもある。それに、テングに守られている我が御子への思いでもあるのだ」
弟はぐっと身体が熱くなった。しかし、それならばなおさら黄金の砂は使えない。
しかし、ある男はあらかじめ手の掌に握っていたのか、躊躇することなく御前妹に降りかけた。
「どうしてここに」
弟の気配をおぼろげにでも感じたのか、御前妹はそれまで五感を消して一心不乱に動かしていた手をぴたりと止め、乱れた髪をあたふたと整えると、ゆっくりと振り返りながら、それでも嬉しさがその声には詰まっていた。
「もちろん、君を追ってきたのだ」
御前妹は、驚いている。そして、ある日あなたの兄と名乗る男が現れて、弟が御前の御子を葬った。だから、もはや会えないと。ただ、もはや聞いておると思うが、弟はある使命を帯びている。もし、代わりにその使命が果たせたら、御子は蘇えるかもしれない。そう言ってこの地に私を導いたのです。
本当かと、あの男は話が違うとでも言いたげな鋭い眼光で弟を見つめたが、きっと、そう言うように操られているだけですと、先ほどと同じように、しかし、今度は願い事などせずに、柏手を四度だけ鳴らした。
「御君」
ここはどこなのだろう。私は何をしていたのだろうという顔を御前妹は急にした。そして、あの男がいることなど目に入らなかったのか、弟の胸に飛び込んで行く。
「御子は……」
あの男から声が漏れる。だから、大丈夫ですと、弟は言い切った。
あの男は、黙って弟と御前妹を観ている。しかし、もしかしてと、心が揺れている。
「だったら、私が錆びた剣を再生させてみせます」
弟はそう言うとその剣に手を差し伸べようとしたが、御前妹に、御命がと、泣きながら腕を掴まれた。
ナナモは先ほどみた塔内の木板の文字を思い出した。
「海辺の砂 石となる ツルギの刃 研磨され いつしか 蘇りの輝跡 立ち上がる」
ナナモは自分では全く意識していなかったが、木板の文字を逆さにして、大声であの男に届くように読んでいた。障子の振動は増幅され、塔内を何度もぶつかりながら響いている。
もしかしたら、あの男の耳に届いたのかもしれない。あの男は急に黄金の砂が混ざったユイノ砂を集めると、おにぎりを作るように両手で包みながら力いっぱい固めた。すると、それまですぐに御前妹の手の隙間から零れ落ちていた砂はあの男の手から全くこぼれなかった。それどころか、あの男は御前のことを、桜の地で別れてからの御前の苦労のことを慮ってか涙があふれ、その涙が固めた石に吸い込まれると岩のように固くなって行く。
あの男は一度大きく息を吸い、そしてゆっくりと吐くと、剣を手に取ろうとした。しかし、たとえ錆びているとはいえ、鞘から抜いた剣を手にしてよいのだろうか、いや手にすることが出来るのだろうかと、あの男でさえ手が震えて、なかなかつかめないでいる。無理はない。真の剣なら、皇家の血が流れていないと握れない。いや、それだけではない、今や皇家であっても握れない宿命の剣なのだから。それでも、あの男は顔を紅潮させ、身体全体から汗を湧きださせ、体毛を立たせて、朝臣として、手に力を入れ選ばれし者しか握れない剣を、選ばれし者として手にすると、もう一方の手で持った結の石となった砥石で剣から錆びを落とそうと研磨する。
しかし、錆は落ちない。
私は朝臣ではないのか。いや、この地に来て朝臣ではなくなったのか?
あの男は、だから棟梁は私を葬ろうとしたのかと、思わずうなだれる。それでも、剣にかける様々な思いが再びある男に蘇る。
そんな時、どこからか琴の音がする。
弟は、この音はと耳をそばだてる。
これは妻と子供が奏でる音だ。
あの男から覇気が消えていく。そして、心穏やかな気持ちになる。
もう一度、研いでみよう。それも心を込めて。
あの男は、結の砥石を置くと両手で剣を持って、ゆっくりと前後に動かし始めた。
もはや私には恨みつらみはない。ただ、家族を思う気持ちだけしかない。ならば、この剣は再生しない。無類の力を発揮はしないだろう。それでも良い。それでも良いのだ。
ある男の瞳から大粒の涙が落ちていく。その涙が剣と砥石を結びつける。
すると、少しずつ錆が落ちていく。幾年、否、千年以上も錆で覆われていた剣は、母の産道から生まれ出る赤子のように、高塔に入り込む陽光に照らされて少しずつ丸裸の刃を輝かせていく。そして、すべての錆が消え去り、あの男が剣を持ち上げた時、まるで産声を上げているかのように、光輝きながらその剣は精気を四方八方に放っていた。
ナナモはその輝く剣をどこかで見たことがあるように思ったが、記憶をたどろうとすると頭痛がする。きっと、障子から目を離すと思い出すのかもしれないが、そうできないもどかしさの中で誰かのため息が聞こえる。
しかし、それもつかの間だった。まるでうたた寝のように、せっかく蘇ったはずの剣は、強大化することも、燃え滾ることも、あの男を奮い立たせることもなく、ありふれた小刀にすぎなくなっていた。それに、何にもまして、剣からは神紋が浮かびあがってこなかった。
本当にあの剣なのだろうか?
弟と同じようにあの男もそう思ったに違いない。そして、お互いが同時に、自分は、朝臣ではない、自分は王家ではないと、心の中で憂いていたに違いない。
その刹那、琴の音が鳴りやんだ。そして、塔の外から怒号が聞こえる。
「モノノフ達がやってきたのだ」
あの男は剣を握りしめ、足早に塔から出ていく。
弟はすぐにでもあの男を追わなければならないはずなのに身体が動かない。弟は神紋が見られなかったことよりも、王家ではなかったのではないかと、そのことで縛られていた。
「助けてあげて下さい」
御前妹の声がする。
弟はハッとする。そうだ、二人はあの男の黄金の砂で助けられたのだ。弟はとっさに御前妹の手を握り、そして、あの男を追って行った。
「お逃げください」
田辺はあの時よりも一回り大きくなっていた。むろん太ったわけではない。筋肉ではちきれんばかりなのだろう。
「もはや、どこに行くというのだ」
あの男の妻は泣きじゃくる子を抱きながら、覚悟の瞳をあの男に送っている。
「しかし……」
あの男がうなだれかけた時、弟と御前妹が館に入ってきた。
「御前……」と、田辺の声がする。そして、その脇で先ほどの妻の瞳が鋭くなる。
「御前ではない。御前の妹だ」
あの男がいたわるように妻に言ったが。むろん妻は信じていない。それでも、妻はあの男の瞳にいつしか和んでいく。それに妻も御前があの桜の地であの男と別れたことを知っている。辛い日々を送っていたのだろと心得ている。ただ、この地に来てからの幸せが夢の様だったので、壊されないかと妬んだだけだ。
「わかっています。それに、今更ですね」
妻はもう一度子供を懐に包んで耳を優しく塞いでからあの男を気丈な瞳で見た。あの男も覚悟を決めたのかもはや振り上げていた剣を力なく降ろしていた。
「殿、殿が生きておられる限り朝臣の血が繋がれます。この地のモノノフ達も殿に従います。だから、ここは私に任せてどうかお逃げ下さい」
田辺は最後に弟に視線を送ると館から出て行った。
館にはあの男と妻子、そして、弟と御前妹だけとなる。
「この子には朝臣ではない未来を与えてあげたいと思う。だからこの子を連れて逃げて行ってはくれないか。」
あの男は神妙な声で弟に語りかけた。
「それでよいのですか?また、この御子にも同じ運命を背負わせるのですか?」
妻が居るので弟はさりげなくあの男に声を掛ける。
「私はもはやこれ以上は……」
「私たちが、この館で食い止めます。その隙にお逃げ下さい。きっと、あなたの師はこうなることも予想されていたはずです。だから、きっと、私が知らない黄金の隠れ道があるはずだと私は信じています」
あの男は黙っている。
「あなた様が、先ほど、黄金の砂で私たちを蘇らせてくれた時に思ったのです。師はモノノフではなく、皇家でも、朝臣でも、タミなのではなく、ヒトなのではないかと、ヤオヨロズのカミガミが作られたヒトなのではないかと、だから、ままならない世界をカミの住まわれるこの地に創ったのではないかと。そうであるならば軌跡があるはずです。光り輝くまさしく黄金の軌跡があるはずです」
あの男は、なぜその事をと驚いた顔をしていたが、弟は臆することもなく言葉が出ていた。
黄金の軌跡。
ナナモはグラストンベリーから遠ざかるルーシーのことがふと蘇った。
「それでよいな」
弟は御前妹を振り返る。御前妹はゆっくりと頷く。そして、ある男と弟は桜の地以来もう一度の別れとなる。
「永遠に」
あの男はそう言うと、蘇った剣を弟に渡そうとした。
「殿は朝臣です。私はそう信じています。そうであるなら、この剣は今は眠っていますが、きっと蘇り無類の力を発揮するでしょう。だから、お持ち下さい」
弟は静かに、しかし、真実の声を絞りだしてあの男に言った。
「良いのだ。もはや、朝臣に無類の力は要らぬ。きっと、無類の力がなくとも朝臣はモノノフを従え、直接タミを治めることが出来るようになるだろう。それがきっと私と御前の願いである。きっと、棟梁も許してくれるだろう」
あの男はそう言うと剣を鞘に納め、弟ではなく、御前妹に無理やり押し付けた。御前妹がその剣を手にしてももはや御前妹は変わらない。その有り様を見届けると、では、すまぬ、と言って館を出て行った。
「我らが身代わりになろう」
弟は御前妹に言うが、御前妹はかぶりを振る。
「このままでは無念さだけが残ります」
確かにそうかもしれない。
弟は御前妹に視線を送る。すると、御前妹も視線を返す。
二人はしばし都での逢瀬を思い出していた。
きっと、あの男もこの地で家族と幸せな時間を過ごしていたのだろう。だから朝臣を捨てたのだ。自分は王家を捨てられるだろうか?
弟はもう一度御前妹と瞳を重ねた。
御前妹と別れたくないし、王家も捨てたくない。そして、何より死を選びたくはない。
欲張りかもしれないが、欲が今を変える時もある。そして何より死者は何も語れない。次世で御前妹と結ばれても仕方がない。
「ではどうすれば……」
弟は思わず口にしていた。
「この館に火を放つのです。そして、私たちも逃げるのです」
「それでは、モノノフ達は納得すまい。それに、またふりだしだ。あの男はまた追われることになる」
「いえ、あの方たちは今頃黄金が眠る場所からまだ見ぬ地へ旅立ったはずです」
「なぜそう思うのだ」
「私はあの塔で剣を研いでいる時に聞こえてきたのです。日出る塔、日入る堂に通じると。だから、あの方たちはきっといま、あの塔から直接お堂に移り、黄金の砂を身体に纏わせ、この地では、まるで長年磨き続けた水晶になったかのように、誰にも見つけられず、まさしく、黄金の道を歩いて行かれると思います」
そんなことがあるだろうか?
ナナモはもう一度黄金の軌跡という言葉を思い出した。
「ならば、我々もあの塔に戻ろう」
「黄金の砂は私たちには役に立たないのです。あの方しか用いられないのです。だから、黄金の道を私たちは歩けないのです」
「では、この館に火をつけ、我々はどこに向かえばよいのだ」
弟は、御前妹を見た。そして、ふっと、本当に御前妹なのかと脳裏を横切ったが、慌てて被りを振る。それでも、何かが違う。五感では感じらない。愛というものかもしれない。
「早くお逃げを」
弟が御前妹に何か言葉を掛けようとした時、田辺が屋敷に戻って来た。
「殿は?」
「黄金のお堂から旅立たれた」
弟は躊躇なく答えた。田辺は笑みを浮かべるかと思ったが、悲し気な瞳で、しかし、何も言わなかった。そして、あの男の物だろう甲冑を身に着け始めると、ここからお立ち下さいと、二人に言った。もちろん、ともにと弟は強い口調でとどめたが、私は黄金のお堂には行けませんからと、丁寧な言葉で笑みを返しただけだった。
「いのちだけは……」
弟は田辺にそう言うと御前妹の手を取って館を出た。すると、いたぞという甲高い声があちこちから聞こえてきて、矢が飛んでくる。
その瞬間、田辺が屋敷から飛び出して行った。しかし、多勢であることは変わらない。だから、二人は何とか矢を搔い潜ると、急いで高塔の中に身を隠すしかなかった。
高塔の中は先ほどまでいたとは思えないほど清々しかった。木製というより神木で出来ているからなのかもしれない。その内部からはほのかに温かみとは異なる神々しい香りがした。
「剣はどこだ」
「その声は?」
弟は振り返ると、暗闇の奥から兄の姿が浮き出ていた。そして、弓を持ち、矢を引きながら立っている。
「どうしてここに……、かの地から離れられないとおっしゃっておられたはず」
「そうだ。しかし、この地に来られる時があるのだ」
兄はしかし、それ以上教えてはくれない。いや、知る必要がないと思っている。
「剣はあの男が持って行きました」
「では、錆はユイノ砂で落ちたのだな」
弟は答えなかった。
「なぜ嘘をつく」
「嘘などついてはいない」
弟の口調が荒くなる。
「そんなことはない。何故なら、錆がユイノ砂で落とされた剣をあの男が手にしていたら、今頃モノノフ達は全員野に晒されているはずだからだ」
それほどの力が……。やはり無類の剣なのか。
弟は兄の平然とした声色に恐れを覚えた。
「あの男は黄金の館にいる。あの館では剣の力が抑えられるのだ」
弟は思わず口走ってしまった。しかし、あながち見当はずれの嘘をついているのではない。何故なら、黄金の砂とユイノ砂が合わされなければ錆は落ちなかったし、錆が落ちた剣をあの男が手にしても何も起こらなかった。
「もしかして、御子の事を告げたのか」
弟は黙っていた。
「そうか。だからなのか。では、あの剣はもはや蘇らない。もはや神紋は見られない」
兄はそう言ったが、構えた弓矢を降ろすことはなかった。
「使命を果たさせなかったのだな」
兄は弓矢の狙いを弟の傍にいる御前妹に変えた。
「この方は関係ない」
弟はとっさに御前妹を自分の後ろに隠した。
「その方とは一緒にはなれないのだ」
「なぜだ。理由を言え!」
弟は大声で叫んだ。この塔の内部では声は籠らなかったのに、なぜか今だけは木霊のように後を引く。
「王家を捨てても良いのか。兄と別れても良いのか」
残響はすぐに兄の声に消された。
「母の思い、父の願いはどうするのだ」
今度は兄の声が木霊する。
「私には母も父もあの男と同じで記憶にないのです」
「ならば蘇りの書を手にすればよいではないか」
「蘇りの書など手にいれても、私の記憶はもどらない。それは、そもそも記憶がないからだ。御前の御子のように……」
ナナモはその光景を胸が閉めつけられる思いで見ていた。きっと、言葉以上の感情が二人の間には行き来する。ただ、兄はいつも感情がなく、弟はいつも感情があるだけだ。
「ならば仕方がない」
兄は大きく弓を引き、そして矢を放った。その矢はまっすぐ弟に向かったのではなく。大きく曲がって弟の後ろにいる御前妹へ向かっていく。
ナナモはその時ハッとした。その矢には見覚えがあったからだ。
やめろ。それは兄が放った矢ではない。僕が放った矢だ。
ナナモは思わず叫んでいた。
しかし、時すでに遅し。その矢は弟の身体を搔い潜り御前妹の胸元に突き刺さった。
その矢はみるみる御前妹の胸にめり込んで行く。そして、御前妹は弟の身体からすり抜けるように崩れて行った。
「君!」
弟は涙さえ浮かべることも悲しみを表わすことも忘れて御前妹を抱き起こした。しかし、いくら弟が叫ぼうが喚こうが御前妹は瞳を閉じたまま全く動かなかった。
弟は目を充血させ、怒りの炎を滾らせながら、兄を睨んだ。
「兄に刃を向けるのか」
「もはや兄ではない。もはや王家でもない」
「いや、お前は王家だ。それに運命はかえられない」
「王家など要らない。蘇りもいらない。私の過去もいらない。私はこの君を愛したい。誰にも邪魔はさせない。だから私は私の命に代えてもこの君を助ける。さあ、そこをどくんだ。兄であろうと、王家であろうと容赦はしない」
弟は御前妹の懐に手を入れると剣を取り出した。
「やはり持っていたのだ」
兄は不吉な笑いを浮かべ。今度は弟に向かって矢を放った。
弟は鞘から剣を抜くと矢を真っ二つに切り落とした。
「皇家の剣に非ず」
弟は剣を手に出来たことで兄に向かって叫んでいた。
皇家の剣ではないのなら。もしかしてあの剣なのか?
ナナモに一瞬記憶が蘇る。
あの格子の迷宮に消えて行った朝臣の剣なのか。いや、そうではないはずだ。きっと、あの社の剣。タタラノ里で手にした救世主の剣が蘇ったのだ。
しかし、皇家の剣はもともと王家の……。
兄の言葉が聞こえてきてナナモは頭痛がしたが、瞳だけは閉じなかった。
「いや、やはり皇家の剣だ」
兄の声だけが聞こえて来る。そして、やはり私は王家ではないのだとかすれ声が弟から漏れて来る。
王家でも、皇家でもない。だったら、私は一体。
弟は剣を持ったまま。兄を見つめた。
兄は三本目の矢を放とうとしていた。今度は間違いなく弟を射抜こうとしている。
何故だ。なぜ兄は私を葬ろうとするのだ。そして、王家への未来を自ら閉ざそうとしている私の行く手を遮ろうとするのだ。
弟はせっかく剣を手にすることができたのに、相変わらず伏せて動かない御前妹を観て瞳からとめどもなく涙が溢れて来た。
ほんの一滴の涙の粒が、剣に触れる。その刹那、剣は急に巨大化する。そして剣を持った弟の腕は拍動し激しく波打っていた。まるで、剣の刃と同じように鋼と化しているようだ。きっと、一振りしただけで、目の前に居る兄など真っ二つに引き裂くことが出来るだろう。そんな覇気が伝わって来る。そして、その剣はまるで真夏の砂浜に降り注ぐ太陽のように輝いた。
「私は私の未来のために兄を打つ」
弟がそう叫んで剣を振り上げた時、まるで、弟の怒りが乗り移ったかのように、剣は黄金色に輝いた。
イナズマではない。剣から爆風が沸き起こる。そして、神木の高塔は吹っ飛んだ。
陽が沈み、月夜の中、夏草だけが輝くことはないにしろ不気味にどこからか吹き寄せて来る風にあおられて絨毯のようにたなびいている。
兄はにやりとする。そして、弟が剣を振り下ろす前に、矢を射った。
今度の矢も弟には向かわない。しかし、曲がることなくまっすぐ剣に向かっている。
その矢はもはや兄が放った矢ではなかった。なぜなら、不死鳥に変態していたからだ。大きな翼を広げ、まるで何かの意志を持ったかのようにまっすぐ弟の持つ剣に向かっている。ただし、その雄姿は真っ赤ではなく、銀色だった。
「ユイノ浜で我が御子が生きていると聞かされた時、その想いを込めたカガミがこの銀色の衣となって乗り移っているのです。皇家でも、王家でも、モノノフでも、タミでも、家族を思わないものなどいないのです。ただ、ままならぬものが皆を弱くするのです。それなのに、ままならぬものはカミとなる。だから我々はヤオヨロズのカミガミとともに生きるのです」
弟はその声を聞いて、ハッとする。怒りが剣を蘇らせたのだと、自責の念に駆られる。
剣は二度と蘇ってはいけないのだ。蘇りはきっと穢れを生む。だから、この剣を葬るにはこの怒りを抑え清水で身を清めたように穢れを祓わないといけない。でもどうすれば……。
弟は、ほんの一瞬だけその思いで体が動かなくなった。ただ体が動かなかったのは、王家に対してではなく、両親からの愛を感じたからだ。
弟はそれだけで十分だと思ったのか、穏やかになった瞳で迫ってくる矢を気にすることなく、自らの胸にその剣を突き刺そうとする。
「ミナイザ」
御前妹、いやまだ見ぬ母の声がする。それは恨みや穢れではない。願いや祓いを祈る言葉のようにナナモには聞こえた。
弟にもその声が聞こえたのかどうかは分からない。ただ、弟はその剣を掲げた腕を降ろせなかった。だからか、先ほどの銀色に輝く矢が急に上昇し、空中でバーンという音を立てて炸裂すると、空中に浮かんでいたその矢から鏡の粉が急に舞い降りて剣を覆った。
その刹那、稲妻が鳴り、剣にあたる。すると、まるでスターダストのようにキラキラと舞いながら散らばる世界が広がり、そして、しばらくするとその世界を小さなひとつの箱にかき集めるかのように兄と御前妹は忽然と姿を消した。
「夢だったのか。それとも、イタズラだったのか?」
一人残された弟は途方に暮れたのか、現実を直視できないようだ。もちろん、手にしていた剣は消えていた。
弟は在るはずもない高塔を見上げた。すると、日出る塔から出た銀色の粒と日入る堂から出た金色の粒がまるで虹のように合わさった。
その交差された頂きには、神紋が……。
その瞬間、弟は全ての世界を消し去ってしまいたいほどの勢いで大きく息を吸いこみ、そして、ナナモの方をじっと見つめると口をとがらせて思いっきり吹いた。
蝋燭の炎が吹き消されたのか、ナナモの瞳には暗幕が引かれる。しかし、ナナモはしばらく障子から離れなかった。それでも、もはや、映写機の音すら鳴らない現実に、僕の蘇りの旅で僕の何がわかったんだろうと、何時しか何事もなかったかのように、イズミの部屋でまた空中に浮いていた自分自身に問いかけていた。ただ、ナナモが観た世界は幻ではなかったのか目の前にある障子には三か所だけ穴が開いている。
「見たのだな」
その穴の奥から声がする。
「はい」
ナナモはどの穴からだと迷うことなくすぐに返事をした。
「どのような模様だったのだ」
ナナモは、すぐに答えようと思ったが、口から出た答えは意外なものだった。
「早く貼り直さないと、お父さんと母さんに怒られる」
ナナモはその瞬間気を失っていた。




