47.怒涛が終わるとき
白の巣に辿り着くと、中から数人が駆け出してきて、リミと星獣を静かに引き取った。慌ただしくもどこか安堵したような空気が、場に広がる。
白の巣に入ろうとするブランカを余所に、リヒトは足を止めた。
「じゃあ、これで」
短く、そっけない言葉だった。
それがどんな別れなのか、もう上手く測れない。ただ、口に出した瞬間、ほんのわずかに胸の奥が引っかかる。
「リミに会ってからにしろ」
ブランカが言う。
「会っても意味ないよ……」
リヒトは視線を逸らしたまま答えた。
意味がない、という言葉に違和感が残る。けれど、それ以上の言葉が見つからない。
ブランカは引かなかった。真っ直ぐにリヒトを見据える。
その視線は、リミを守ろうとする意志に満ちていた。
――ああ、そうか。
そのことに気づいた瞬間、胸の奥がわずかにざらついた。
けれどそれが何なのか、名前を付けることはできなかった。
リヒトは小さく笑う。
「……わかったよ」
結局、折れたのはリヒトだった。
リミが目を覚ますまで、待つことにした。
***
リミが最初に見つけた崖の上で、リヒトは一人座っていた。
白の巣はドームの天井が崩れ、中がむき出しになっている。中では数人が慌ただしく動き回り、瓦礫をどけ、誰かが声を張り上げている。その合間に、ふと笑い声が混じった。
その光景を、リヒトはぼんやりと眺めていた。
何も感じない、というわけではない。
ただ、何を感じているのかが、はっきりしない。
「リヒト」
不意に、後ろから声がした。
リヒトはゆっくりと振り返る。
「リミ」
一瞬だけ、言いかける。
――サトミ。
喉の奥で止まり、そのまま消えた。
その名前を呼ぶことが、今はなぜか遠い。
「ブランカを助けてくれて、ありがとう」
リミは数歩の距離を保ったまま、静かに頭を下げた。
「間に合って、よかった」
それだけを返す。
それ以上の言葉は、浮かばなかった。
「ごめんね」
リミの声は、わずかに震えていた。
リヒトは黙って彼女を見た。
「私、知らないうちに選んでたんだね」
リミは隣に腰を下ろす。少し距離を空けて。
白の巣を見つめながら、ぽつりと続けた。
「仲間全員とブランカなら、仲間を選んだのに」
少しだけ言葉が詰まる。
「リヒトとブランカを天秤にかけて、ブランカを選んじゃった」
声が滲む。
リヒトは少しだけ考えてから、言った。
「いいんだ」
それは本心のはずだった。
けれど、どこか遠い。
「俺も、リミと一緒に居るより、ブランカの命を選んだ」
言葉にしてから、わずかに遅れて実感が追いつく。
「……おあいこだよ」
小さく笑う。
リミも、ほんの少しだけ笑った。
その笑みは、どこかぎこちなかった。
「私たちの気持ちってさ……」
リミが呟く。
「作られたものだったのかな」
リヒトは答えに詰まった。
否定したい。
けれど、その根拠がもう、自分の中に残っていない。
「違う、って言いたいけど……」
苦笑する。
「説得力ないよな」
沈黙が落ちる。
以前なら、気まずさなんて感じなかったはずなのに。
今は、その静けさが妙に重い。
リヒトはふと、隣にいるはずの距離を意識した。
少し手を伸ばせば触れられるはずなのに、その距離がやけに遠く感じる。
リミも同じように、どこか落ち着かない様子で視線を彷徨わせていた。
何かを言おうとして、やめる。
その繰り返し。
やがてリミは立ち上がった。
決意を固めるように、小さく息を吸う。
「私たち、ここでブランカと一緒に生きていく」
言い切る。自分に言い聞かせるように。
「うん」
リヒトは頷いた。
それでいい、と自然に思えた。
「リヒトは?」
「……とりあえず、他に困ってる人がいないか探す」
少し考えてから答える。
「そっか……」
短い相槌。
それ以上は続かない。
また、沈黙。
風が吹く。
どこかで、誰かの声がした。
リヒトはゆっくり立ち上がった。
「じゃあ、もう行くよ」
言ったあとで、わずかな間が空く。
何かを言い忘れている気がした。
けれど、それが何なのか分からない。
「うん、元気で」
リミも同じだった。
何かを伝えたかったはずなのに、言葉にならない。
ただ、それでも。
「……リヒト」
思わず、呼ぶ。
理由は分からない。
それでも呼ばずにはいられなかった。
リヒトが振り返る。
目が合う。
その瞬間、はっきりと理解してしまう。
――もう、何も残っていない。
「……なんでもない」
リミは小さく首を振った。
「そっか」
リヒトはそれ以上何も言わなかった。
ゆっくりと背を向ける。
そのまま、飛び立った。
ブランカによろしく、とは言わなかった。
吹雪はすでに止み、空には月が浮かんでいた。
歪な形をした月だった。
欠けたままのそれが、妙に目に焼き付く。
いずれは戻るのだろう。
長い時間をかけて。
元の形に。
(俺も――)
そこまで考えて、やめた。
何を失ったのかさえ、もう曖昧だった。
夜の闇に溶けるように、リヒトの姿は消えていった。




