四回目の人生のはじまり
ハッと目が覚める――というよりは我に返ったと言ったほうがいいのか。
過去二回は寝台の上で意識が戻ったが、今回は見覚えのある場所に立っていた。
そこは下町の古い家で、洗面所にある上半身しか見ることができない鏡にわたしの顔が映っている。
身に纏う真っ赤なドレスを見てハッと気付く。これは母がわたしを貴族と結婚させるために、借金をしてまで仕立てた一着だった。
このドレスを着ていけば、会場で目立つ。
すべての男が放っておくわけがない。
そんな母の口車に乗ってのこのこ夜会に出かけた結果、愛人の娘だと蔑むような眼差しを浴びてしまうのだ。
そのあとにナイトの野郎と出会い、わたしは恋に落ちてしまったのである。
どうやら今回は、十八歳になったばかりの頃に生き返ったようだ。
「ボルゾイ、いる?」
『はい、こちらに』
「見て、夜会に行く前の、十八歳のわたしみたい」
『ええ……。その、どうなさるのですか?』
「どうもこうもないわ。夜会になんて行くわけないし、他の男に見初められてもらう予定もない」
もちろん、ナイトの野郎との出会いなんてもってのほか。全力で回避させていただく。
こっそり母の様子を見に行こう。
そう思って足音が鳴らないよう、慎重に一歩踏み出したのに、床がギイイイ……と大きな音を鳴らす。そういえばこういう家だった、と思い出す。
大精霊ボルゾイが歩くと、爪の音がカチャカチャ鳴るのだが、こちらは他の人には聞こえない仕様らしい。
そっと母がいるリビングを覗き込むと、空の酒瓶を胸に抱いて椅子にもたれかかった状態で眠っていた。
その様子を見て、はあ、とため息を零す。
このときの母は多額の借金に加え、酒浸りな上に気性が荒くなっているという、手がつけられない状態にまでなっていたのだ。
母の言いなりにならないと、手を挙げることもあった。
一度目の人生ではそんな母に嫌気が差し、ナイトの野郎と出会ったのをきっかけに、縁を切ってしまった。
母を起こさないように小さくため息を吐いたのだが、起こしてしまった。
胡乱げな眼差しを向けた母は、わたしの存在に気付くと怒鳴ってくる。
「こんなところでぼんやりしてないで、さっさと夜会に出かけて、金持ちの男と結婚の約束を取り付けてくるのよ!!」
そう言って酒瓶をわたしに投げつけてくるも、壁に当たってパリン! と高い音を鳴らすだけだった。
「ねえ、聞こえなかったの!? 早く行けって言っているの!!」
改めて、この状態の母を前にすると、見捨ててしまったのも無理はない、と思ってしまう。
シュヴァーベン公爵邸を出る前ならばまだしも、こうなってしまった母は都合のいい話以外で、誰の説得も耳にしないだろう。
変わり果てた母を前に、胸がきゅっと痛くなる。
だからと言って、このまま見捨てたら一回目のわたしと同じ道を辿ることになるだろう。
けれども二回目や、三回目の人生と同じように、母のために奔走したら身を滅ぼすこととなる。
ならば、どうすればいいのか。
そのヒントを、わたしはヒルディスから得ていたのだ。
「ねえ、お母様。もう少しいいところに引っ越さない?」
「もう男を釣ったの?」
「まあ、そんなところ。食事が出てきて、暖かい布団があって、お風呂にも入れるかも」
今の生活は、三食なんて食べていないし、暖炉にくべる薪もないので寒い夜を過ごしている。お風呂なんて、一週間に一回入ればいいほうだった。
そんな極限の暮らしをしながら、母はわたしが金持ちの男と結婚し、贅沢な暮らしができることを夢みていたのである。
「今から少し話をしてくるわ」
母の機嫌はあっという間によくなり、お祝いのワインを開けるとか言っていたものの、酒瓶はすべて空だった。
「ねえヴィオラ、帰りにお酒を買ってきなさいよ」
「わかったわ」
そんな物わかりのいい返事をしてから家を出る。
辺りはすっかり真っ暗で、キンと冷えている。ドレスのままで出歩くような気温ではなかった。
そんな中、わたしが向かったのは中央街にある救貧院。
ここは以前、大人の孤児院みたいな場所だとヒルディスが教えてくれたのだ。
『あなた様、こちらはなんですの?』
「救貧院よ。理由があって働けない大人を支援してくれる施設みたい」
『これからあなた様は、こちらに身を寄せる、ということですの?』
「いいえ、違うわ。ここでお世話になるのは、お母様のほうよ」
母を見捨てずに、自分の人生をまっとうするためには、この方法しかない。
そう思ってやってきたわけである。
中に入ると四十代くらいの、恰幅がよく身なりが整った男性が迎えてくれた。
フォルカー・キュプスと名乗る男性は、ここ、パッパード救貧院の院長らしい。
夜遅かったので、どうかしたのかと心配そうな顔で聞いてきてくれる。
その声を聞いて、奥から女性の職員も数名出てきた。
「あらあら、こんな寒い夜に、そんな薄着で」
「上着をお貸ししましょうか?」
「さあさあ、暖炉のある部屋へどうぞ」
暖かい部屋へ案内され、わたしのためにブランケットとホットミルクが用意される。
外観が古びていたものの、中は清潔で、働く人も感じがいい。
少なくとも、今暮らしている下町の家よりは環境は整っているように見えた。
これならば、母を預けても問題ない。
「何か助けが必要でしょうか?」
「ええ。わたしの母が」
「お母様が、ですか?」
「そうなの。酒浸りになって、借金まみれになって、手が付けられなくて」
こういう場所は生活を支える家族がいる場合、受け入れてもらえない。
けれども例外もある。
「母から暴力を受けているの。見えないところは痣だらけで……」
「まあ、なんてことでしょう!」
もちろん、無償で引き取れとは言わない。
首にかけていた金のチェーンがついたルビーのネックレスを差しだす。
これは母がシュヴァーベン公爵邸から持ち出していた、最後の宝飾品なのだ。
母のために使うのだ、文句は言わせない。
「これを寄付するから、お母様の面倒を見ていただける?」
「よろしいのですか?」
「ええ」
救貧院で働く人達はわたしに同情し、母を受け入れてくれるという。
ここには同じように酒浸りや賭博癖が酷い人達がいて、社会復帰を目指して療養しているようだ。
母はきっとよくなる。元気になって、独立もできるはずだ。そんなふうに励ましてもらう。
その後、酒に酔って眠る母は救貧院の人達の手によって運び出され、住処を移すこととなった。
驚くほどスムーズに、事を進めることができたのだ。
あとのことは、救貧院の人達に任せよう。
ここからがわたしの人生の始まりだ。
そう思いながら新しい一歩を踏み出したのだった。




