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雌犬の仕返し、略奪女の復讐  作者: 江本マシメサ
第三章 色恋と、欲望の狭間で

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最後の晩

 シュヴァーベン公爵夫人の火傷はまだ完治していないのか、目元を覆うベール付きの帽子を被っている。

 大丈夫なのかと思った瞬間、柔和な笑みを浮かべ、わたし達母子を迎えてくれた。


「ようこそ」


 まさかこんなふうにシュヴァーベン公爵夫人から歓迎を受ける瞬間が訪れるなんて、夢にも思っていなかった。

 母も同じようなことを思っていたのだろう。

 少し戸惑う様子を見せながら、ぎこちない笑みを返していた。


「さあ、座ってください。今晩はとっておきのご馳走を用意しましたので」


 母と顔を見合わせたあと、給仕係が引いた椅子に腰掛けたのだった。

 シュヴァーベン公爵夫人がおもてなしとして用意した料理は、贅を尽くされた一級品の食材ばかり使っているらしい。

 前菜は白身魚のテリーヌ、華やかなベリーの泡ソースエキューム載せ。

 スープは香味野菜ミルポワたっぷり、おいしさがぎゅっと詰まったとっておきのコンソメ。

 メインの肉料理は子鴨のローストの揚げ焼きアロゼ甘酸っぱいガストソースを添えてリック

 お口直しにソルベを食べたあとは、魚料理。

 焼き魚ポアレ香草の束ブーケ・ガルニと共に。

 メニューを給仕係がいちいち読み上げるのだが、魔法の呪文のようで、意味はほとんどわからなかった。

 母も同じだったのだろう。怪訝な表情で料理を見つめていたので、笑いそうになってしまった。

 このように格式ばった晩餐会に招待されることはないので、マナーも大丈夫か心配になってしまう。

 こうなったら、とシュヴァーベン公爵夫人の一挙一動を盗み見しつつ、食べ進めてその場その場を凌いだ。

 正直なところ、わたし達母子のテーブルマナーはなっていないものだっただろう。

 けれどもシュヴァーベン公爵夫人は眉をひそめることなく、朗らかな様子を崩さなかった。


 デザートが運ばれる。カリカリのキャラメルがおいしい、クリームブリュレだった。

  最後に、食後酒が運ばれてきた。

 わたしは葡萄ぶどうジュースである。


「特別な晩に、とっておきワインを用意しました。最後に、乾杯しましょう」


 母もすっかり緊張が解れたようで、ワイングラスを優雅に摘まんで掲げる。


「では、あなた達二人の華やかな門出に、乾杯」


 ワイングラスを掲げるだけの乾杯のようだ。

 母はワインを飲み干したあと、シュヴァーベン公爵夫人に謝罪した。


「長年、申し訳なかったわ」

「どうかお気になさらず」


 謝ることができるなんて、母も成長したものだ。なんてしみじみ思う。

 今後はわだかまりを残すことなく暮らせそうだ。

 何事も起きることなく、和やかに終えることができてよかった。

 なんて思っていたのだが、シュヴァーベン公爵夫人は突然、くすくす笑い始めた。


「私が仕込んだ仕事をこなして、私が選んだ物件に住むことになって、私が用意したお金で生活を送るなんて――最高に惨めですね」


 いったい何を言っているのか?


「あなた、なんなの? 何がおかしいの?」

「おかしいでしょう? だってあなたは、私がプロデュースした舞台で踊るだけの、みっともないお人形さんなんですもの!」

「なんですって!?」


 話から推測するに、母が職業斡旋所で請けた仕事は、シュヴァーベン公爵夫人が仕向けたものだったのだろう。

 さらに母が気に入った物件も、シュヴァーベン公爵夫人が仲介人に紹介するように言ったもの。

 お金に関してはわたしが頼んだことで、母は悪くない。

 それなのに、悪く言われて腹立たしくなる。


「あなた、私達母子をあざ笑うために、食事に誘ったの?」

「ええ! 当然ですよ! でなければ、あなた達なんて、もてなすものですか!」

「どうしてそんなことをするのよ!」

「誰のせいで、十年間も惨めな思いをしたと思っているのですか!?」

「あなた達の夫婦仲は、私がやってくるよりも前に破綻していたんでしょう?」

「そうだとしても! 愛人がいるのといないのとでは、状況が天と地ほども違う!」


 それはシュヴァーベン公爵夫人の言い分も納得できる。

 けれどもそれをこんな形で仕返しするなんて、趣味が悪いとしか言いようがない。


「ふふ……この火傷も、あなた達のせいなんです」

「それは関係ないでしょう!? 火事はマルティナ夫人が――」

「いいえ、あなた達です」


 シュヴァーベン公爵夫人は恨みがましい目で母を睨み付けながら叫んだ。


「あなたがいなければ、私は夫の隣に座れた!! 背後にいたエドウィン・フェレライを燃やす火が、私に燃え移ることはなかった!!」


 その訴えを聞いたら、母は何も言えなくなる。

 唇を噛み、俯いていた。


「さらにあなた!!」


 シュヴァーベン公爵夫人はわたしを指さしながら糾弾する。


「あなたが、マルティナ夫人にエドウィン・フェレライの居場所を暴露したそうですね!! マルティナ夫人から聞きました!!」


 まさかマルティナ夫人とシュヴァーベン公爵夫人が繋がっていたなんて……。


「あなたのせいで、私の肌は焼けただれ、醜くなりました!! あなたこそが、諸悪の根源!!」


 他人に向けた呪いが、わたしにそのまま返ってきたらしい。

 復讐なんてするものではない、こうして不幸の連鎖が生まれてしまう。

 今それを、身をもって理解した。


「シュヴァーベン公爵夫人、ごめんなさい。こんなことになるとは、思ってもいなかったの」

「許すと思いますか!? あの日は、ヒルディスの晴れ舞台でもあったのに!! あの日のために何年も前から準備してきたのに、それがすべてが台無しになってしまったんです!!」


 母は立ち上がり、その場に膝をつく。

 そのまま平伏するように頭を下げたのだった。


「謝るわ。ごめんなさい」

「言ったでしょう? 許さないと」

「私は許さなくてもいいわ。でも、この子だけは――げほっ!!」


 突然、母が吐血した。

 何度も咳き込み、床を血で染める。


「お、お母様? ねえ、どうして?」


 体に悪いところなんてなかったはず。

 なんて思っていたら、我が耳を疑うような言葉が聞こえてきた。


「マルティナ夫人の猛毒が効いたようですね」

「え?」

「とっておきの食後酒は、マルティナ夫人から贈られた、祝福付きのものだったんです」

「なっ――!?」


 母は知らずに、マルティナ夫人の〝猛毒の聖杯チャリス・オブ・ヴェナム〟が付与されたワインを飲んだようだ。


「ヴィオラ……」


 母は一言わたしの名を口にしたあと、大量の血を吐いて倒れてしまった。

 血の海に溺れるように息絶える母を前に、信じがたい気持ちになる。


「どう、して?」

「マルティナ夫人はあなたの功績に礼をしたいと言うので、〝猛毒の聖杯チャリス・オブ・ヴェナム〟のワインを譲っていただいたんです」


 マルティナ夫人は母に使うとは思わずに譲ったのだろうか?

 わからない。わからないことばかりである。


「しかし、どうしてあなたには効果が出てこないんでしょう?」

「もしかして、わたしのジュースにも入っていたの?」

「ええ」


 慌てて口を塞ぐも、母のように猛毒に脅かされることはない。

 わたしには、〝猛毒耐性トキシック・ガード〟の祝福があるから。


「耐性がある? まあ、いいでしょう」


 ここで大精霊ボルゾイが叫んだ。


『あなた様、お逃げになって!!』


 弾かれたように立ち上がり、踵を返す。一目散に逃げ去ろうとしたのだが、シュヴァーベン公爵夫人がわたしの腕を掴んだ。

 その手には、肉料理用のナイフが握られていた。

 刃先は丸くて、致命傷にはならない。なんて思ったものの、ナイフが突然輝く。

 一瞬にして、殺傷能力が高そうなナイフに変化した。


「なっ、どうして!?」

「〝武器錬金術ウェポン・アルケミー、どんな物でも瞬時に武器にする、私の祝福です」


 ここで大精霊ボルゾイがシュヴァーベン公爵夫人に体当たりした。


「ぐっ、な、なんですか!?」


 シュヴァーベン公爵夫人がふらついた隙に振り払おうとしたのだが、わたしの腕に何かが巻き付く。


「ひっ!!」


 それは鋭い牙を持つヘビだった。

 おそらくシュヴァーベン公爵夫人の守護獣なのだろう。

 ヘビに噛まれると、くらりと目眩を覚えた。


「あなたも母親と一緒に、地獄へ堕ちてください!!」


 そんな叫びと共に、シュヴァーベン公爵夫人はわたしの胸にナイフをひと突き。

 ああ、また……と思ってしまう。


『あなた様!! しっかりなさって!!』


 大精霊ボルゾイの叫びを聞きながら、わたしの意識はぶつりと途切れたのだった。


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