最後の晩
シュヴァーベン公爵夫人の火傷はまだ完治していないのか、目元を覆うベール付きの帽子を被っている。
大丈夫なのかと思った瞬間、柔和な笑みを浮かべ、わたし達母子を迎えてくれた。
「ようこそ」
まさかこんなふうにシュヴァーベン公爵夫人から歓迎を受ける瞬間が訪れるなんて、夢にも思っていなかった。
母も同じようなことを思っていたのだろう。
少し戸惑う様子を見せながら、ぎこちない笑みを返していた。
「さあ、座ってください。今晩はとっておきのご馳走を用意しましたので」
母と顔を見合わせたあと、給仕係が引いた椅子に腰掛けたのだった。
シュヴァーベン公爵夫人がおもてなしとして用意した料理は、贅を尽くされた一級品の食材ばかり使っているらしい。
前菜は白身魚のテリーヌ、華やかなベリーの泡ソース載せ。
スープは香味野菜たっぷり、おいしさがぎゅっと詰まったとっておきのコンソメ。
メインの肉料理は子鴨のローストの揚げ焼き、甘酸っぱいソースを添えて。
お口直しにソルベを食べたあとは、魚料理。
焼き魚、香草の束と共に。
メニューを給仕係がいちいち読み上げるのだが、魔法の呪文のようで、意味はほとんどわからなかった。
母も同じだったのだろう。怪訝な表情で料理を見つめていたので、笑いそうになってしまった。
このように格式ばった晩餐会に招待されることはないので、マナーも大丈夫か心配になってしまう。
こうなったら、とシュヴァーベン公爵夫人の一挙一動を盗み見しつつ、食べ進めてその場その場を凌いだ。
正直なところ、わたし達母子のテーブルマナーはなっていないものだっただろう。
けれどもシュヴァーベン公爵夫人は眉を顰めることなく、朗らかな様子を崩さなかった。
デザートが運ばれる。カリカリのキャラメルがおいしい、クリームブリュレだった。
最後に、食後酒が運ばれてきた。
わたしは葡萄ジュースである。
「特別な晩に、とっておきワインを用意しました。最後に、乾杯しましょう」
母もすっかり緊張が解れたようで、ワイングラスを優雅に摘まんで掲げる。
「では、あなた達二人の華やかな門出に、乾杯」
ワイングラスを掲げるだけの乾杯のようだ。
母はワインを飲み干したあと、シュヴァーベン公爵夫人に謝罪した。
「長年、申し訳なかったわ」
「どうかお気になさらず」
謝ることができるなんて、母も成長したものだ。なんてしみじみ思う。
今後はわだかまりを残すことなく暮らせそうだ。
何事も起きることなく、和やかに終えることができてよかった。
なんて思っていたのだが、シュヴァーベン公爵夫人は突然、くすくす笑い始めた。
「私が仕込んだ仕事をこなして、私が選んだ物件に住むことになって、私が用意したお金で生活を送るなんて――最高に惨めですね」
いったい何を言っているのか?
「あなた、なんなの? 何がおかしいの?」
「おかしいでしょう? だってあなたは、私がプロデュースした舞台で踊るだけの、みっともないお人形さんなんですもの!」
「なんですって!?」
話から推測するに、母が職業斡旋所で請けた仕事は、シュヴァーベン公爵夫人が仕向けたものだったのだろう。
さらに母が気に入った物件も、シュヴァーベン公爵夫人が仲介人に紹介するように言ったもの。
お金に関してはわたしが頼んだことで、母は悪くない。
それなのに、悪く言われて腹立たしくなる。
「あなた、私達母子をあざ笑うために、食事に誘ったの?」
「ええ! 当然ですよ! でなければ、あなた達なんて、もてなすものですか!」
「どうしてそんなことをするのよ!」
「誰のせいで、十年間も惨めな思いをしたと思っているのですか!?」
「あなた達の夫婦仲は、私がやってくるよりも前に破綻していたんでしょう?」
「そうだとしても! 愛人がいるのといないのとでは、状況が天と地ほども違う!」
それはシュヴァーベン公爵夫人の言い分も納得できる。
けれどもそれをこんな形で仕返しするなんて、趣味が悪いとしか言いようがない。
「ふふ……この火傷も、あなた達のせいなんです」
「それは関係ないでしょう!? 火事はマルティナ夫人が――」
「いいえ、あなた達です」
シュヴァーベン公爵夫人は恨みがましい目で母を睨み付けながら叫んだ。
「あなたがいなければ、私は夫の隣に座れた!! 背後にいたエドウィン・フェレライを燃やす火が、私に燃え移ることはなかった!!」
その訴えを聞いたら、母は何も言えなくなる。
唇を噛み、俯いていた。
「さらにあなた!!」
シュヴァーベン公爵夫人はわたしを指さしながら糾弾する。
「あなたが、マルティナ夫人にエドウィン・フェレライの居場所を暴露したそうですね!! マルティナ夫人から聞きました!!」
まさかマルティナ夫人とシュヴァーベン公爵夫人が繋がっていたなんて……。
「あなたのせいで、私の肌は焼けただれ、醜くなりました!! あなたこそが、諸悪の根源!!」
他人に向けた呪いが、わたしにそのまま返ってきたらしい。
復讐なんてするものではない、こうして不幸の連鎖が生まれてしまう。
今それを、身をもって理解した。
「シュヴァーベン公爵夫人、ごめんなさい。こんなことになるとは、思ってもいなかったの」
「許すと思いますか!? あの日は、ヒルディスの晴れ舞台でもあったのに!! あの日のために何年も前から準備してきたのに、それがすべてが台無しになってしまったんです!!」
母は立ち上がり、その場に膝をつく。
そのまま平伏するように頭を下げたのだった。
「謝るわ。ごめんなさい」
「言ったでしょう? 許さないと」
「私は許さなくてもいいわ。でも、この子だけは――げほっ!!」
突然、母が吐血した。
何度も咳き込み、床を血で染める。
「お、お母様? ねえ、どうして?」
体に悪いところなんてなかったはず。
なんて思っていたら、我が耳を疑うような言葉が聞こえてきた。
「マルティナ夫人の猛毒が効いたようですね」
「え?」
「とっておきの食後酒は、マルティナ夫人から贈られた、祝福付きのものだったんです」
「なっ――!?」
母は知らずに、マルティナ夫人の〝猛毒の聖杯〟が付与されたワインを飲んだようだ。
「ヴィオラ……」
母は一言わたしの名を口にしたあと、大量の血を吐いて倒れてしまった。
血の海に溺れるように息絶える母を前に、信じがたい気持ちになる。
「どう、して?」
「マルティナ夫人はあなたの功績に礼をしたいと言うので、〝猛毒の聖杯〟のワインを譲っていただいたんです」
マルティナ夫人は母に使うとは思わずに譲ったのだろうか?
わからない。わからないことばかりである。
「しかし、どうしてあなたには効果が出てこないんでしょう?」
「もしかして、わたしのジュースにも入っていたの?」
「ええ」
慌てて口を塞ぐも、母のように猛毒に脅かされることはない。
わたしには、〝猛毒耐性〟の祝福があるから。
「耐性がある? まあ、いいでしょう」
ここで大精霊ボルゾイが叫んだ。
『あなた様、お逃げになって!!』
弾かれたように立ち上がり、踵を返す。一目散に逃げ去ろうとしたのだが、シュヴァーベン公爵夫人がわたしの腕を掴んだ。
その手には、肉料理用のナイフが握られていた。
刃先は丸くて、致命傷にはならない。なんて思ったものの、ナイフが突然輝く。
一瞬にして、殺傷能力が高そうなナイフに変化した。
「なっ、どうして!?」
「〝武器錬金術、どんな物でも瞬時に武器にする、私の祝福です」
ここで大精霊ボルゾイがシュヴァーベン公爵夫人に体当たりした。
「ぐっ、な、なんですか!?」
シュヴァーベン公爵夫人がふらついた隙に振り払おうとしたのだが、わたしの腕に何かが巻き付く。
「ひっ!!」
それは鋭い牙を持つヘビだった。
おそらくシュヴァーベン公爵夫人の守護獣なのだろう。
ヘビに噛まれると、くらりと目眩を覚えた。
「あなたも母親と一緒に、地獄へ堕ちてください!!」
そんな叫びと共に、シュヴァーベン公爵夫人はわたしの胸にナイフをひと突き。
ああ、また……と思ってしまう。
『あなた様!! しっかりなさって!!』
大精霊ボルゾイの叫びを聞きながら、わたしの意識はぶつりと途切れたのだった。




