失敗したくない、三度目の人生
ぼんやりしていたら、控えめに扉が叩かれる。
どうぞ、と返事をしたらメイドが入ってきた。
「朝食をお持ちしたのですが、よろしかったでしょうか?」
「あら、ありがとう」
そういえば子ども時代、食事は部屋で食べていたな、と思い出す。
「あなた、初めて見る顔ね」
「はい。リナと申します。本日からヴィオラお嬢様の部屋付きとなりました」
「そうなのね」
これまで複数のメイドが出入りしていたが、わたしがお世話は不要と言ったからか、専属メイドが派遣されることになったようだ。
リナはきっとこの仕事に慣れていないのだろう。先ほどからビクビクしながら話しかけてくる。
年は十五歳くらいだろうか。
わたしの生意気っぷりを先輩メイドから聞かされているので、怖がっているのかもしれない。
可哀想に、と同情的な気持ちになりながら、彼女の仕事っぷりを見守る。
子ども一人では食べきれないくらいの量がテーブルに並んでいった。
「リナ、あなたも一緒にどう?」
「いえいえいえ! とんでもないことでございます!」
「そう」
リナは配膳が終わるなり、急ぎ足で壁際に寄って気配を消していた。
そこまで怖がらなくてもいいのにと感じたものの、子ども時代のわたしの暴君ぷりが甦り、こうなるのも無理はないのかもしれない、と思い直す。
これからは心を入れ直して、子どもらしく元気に暮らしたい。
そして何がなんでも、母がここから追放される未来を阻止しなければならないだろう。
シュヴァーベン公爵家で過ごす子ども時代、朝食はいつも一人だった。
母はどうしていないのか、と何度もメイドに問いかけ、困らせていたような気がする。
今ならばその理由もわかる。
毎朝、シュヴァーベン公爵が母を独占していたのだろう。
なんてお盛んな……と思いつつ、リナが淹れてくれた紅茶を飲み干した。
「リナ」
「は、はい!」
「あなたが淹れた紅茶、とてもおいしいわ。ありがとう」
リナは驚いた顔を見せつつも、次の瞬間には嬉しそうにはにかむ。
メイドの献身も、当たり前だと思ってはいけない。
日々、感謝しなくては。
食事が終わると、リナは丁寧に片付けを始める。
その様子を見て、思わず話しかけてしまった。
「ねえ、準備が面倒だから、わたしも食堂で食べてもいいんだけれど」
「い、いえ、どうかお気になさらず。これが私のお仕事ですので」
困惑するようなリナの反応を見て気付く。
きっとわたし達親子に食堂を使わせないよう、誰かが命令しているのだ。
母をお気に召しているシュヴァーベン公爵がそんなことを取り決めるわけがない。
きっとヒルディスか、シュヴァーベン公爵夫人のどちらかが食堂に入れないよう命じているのだろう。
「今日の予定は?」
「ご予定、ですか?」
「ええ、何かしらの習い事が入っているはずなの」
「き、聞いてまいります!!」
これまで習い事をすっぽかしていたので、引き継ぎがなかったのだろう。
シュヴァーベン公爵はわたしに一通りの礼儀作法やご令嬢の嗜みを習うように用意してくれていた。
せっかくの機会である。しっかり学ばせていただこう。
十五分後――リナは大急ぎで戻ってきたようで、本日のスケジュールを教えてくれた。
「午前中は刺繍を、午後からは歴史学の授業となっております」
「わかったわ」
授業まで時間があるので、母の様子を見に行くことにした。
部屋の前には従僕がおらず、シュヴァーベン公爵が帰ったことがわかる。
ノックしたものの反応がないので、勝手に入らせてもらった。
寝室はカーテンが閉ざされたまま、使用人が入った形跡などもなく、シーツやブランケットなどが乱れた寝台に母が寝そべっていた。
もしや裸で寝ているのではないか、と思ったものの肌着は着ているようだった。
「お母様」
声をかけても反応がない。
ぐっすり熟睡しているようだった。
朝からいいご身分だ、と思ってしまう。
このときの母は二十代後半くらいか。
二十歳に満たない年齢で、わたしを生んだのだ。
まだまだきれいだが、いずれ衰えるものだ。
そうなったとき、シュヴァーベン公爵の心を繋ぎ止めるものは持っているのだろうか?
きっとなかったので、追放されてしまったのだろう。
わたし以上に性格が苛烈で、女王のような振る舞いをしていた。
この母の態度を改めさせないと、これまでの人生と同じ屈辱を味わうことになるだろう。 どうすればいいのか、というのはここで暮らしていく中で探っていきたい。
「お母様、自由気ままに過ごすことができるのも、今日だけだから!」
心を入れ替えて、愛される母子になるのだ。
◇◇◇
刺繍の授業が始まるというので、リナの案内で作業部屋に向かった。
長い廊下を歩いていると、前方から誰かやってくる様子に気付く。
複数の子ども達を引き連れた一団で、先頭を歩くのはヒルディスだった。
そういえば、と思い出す。
この頃のヒルディスは、社交性を学ぶために同じ年頃の子どもを集めて、過ごしていたな、と。
まるでお山のボス猿だわ、なんてヒルディスに言って、ブリザードのような冷たい眼差しを浴びてしまったのだ。
今日はそんな失敗はしない。壁際に避けて、ヒルディスに道を譲った。
すると、ヒルディスはわたしを一瞥もせずに通り過ぎていく。
その一団に、銀髪に紫色の瞳を持つ美少女がいるのに気付いた。
この娘については記憶に残っている。
あまりにもきれいで印象的だったので、しっかり覚えていたのだろう。
途中、ブルネットの髪をした少女がわたしを見て、くすりと笑った。
それだけで気が済まなかったのか、一言物申してくる。
「愛人の子が偉そうに廊下を歩くなんて、恥知らずもいいところね」
その発言を聞いて、記憶が甦った。
子ども時代のわたしはその発言を聞いて激怒し、取っ組み合いのケンカをしてしまったのである。
ブルネットの髪の少女は伯爵家の娘で、シュヴァーベン公爵の友人の子だった。
そのため父親を通じて密告があり、しっかり罰を受けたのだ。
地下に閉じ込められ、食事も二回ほど抜かれてしまったのである。
二度と、同じ轍は踏まない。
わたしの見た目は少女だが、中身は大人なので、そんな安っぽい挑発に乗るわけがなかった。
わざとにっこり微笑んであげると、ブルネットの髪の少女は想定外の反応だったからか、顔を真っ赤にさせていた。
怒っているんだか、困惑しているんだか、よくわからなかったが、大騒ぎに発展しなくてよかった。
「エマ、立ち止まって、何をしているのです? 行きましょう」
ヒルディスが声をかけると、ブルネットの髪の少女――エマは「はい!」と言って駆けていった。
なんとか場が治まり、ホッと胸をなで下ろしたのだった。




