Face9 私じゃ無い『私』
歌が聞こえる。画面に映るその人はとても綺麗で、その人が奏でる音は私の心を鷲掴みにした。だから、テレビの前で真似をしてみた。
「上手ね!」
「歌手になれるんじゃないか?」
パパもママも笑顔だった。私は嬉しくなって、その気になっていた。将来は歌手になろう、そんな出過ぎた夢を見た。けれど、幻想はすぐに打ち砕かれた。
「出張んなよ。音痴が」
「気取ってんの?気持ち悪っ」
「向いてないんだからさっさとやめれば?」
そうよね。私、才能ないんだもの。いくら頑張ったって無駄。
いつしか、夢は呪いになっていた。何かしようとする度にあの日々を思い出す。そうするとどうなるか。何もしなくなる。何も望まなくなる。何者であるべきか…わからなくなる。そうして、十年ぐらいは過ごした。
目の前に広がるのは荒れ地。女の子が怯えてる。身体中傷だらけで、同じ言葉をずっとリピートしている。
「すみません…すみません…」
あれは私。その後ろに広がる廃虚。あの建物にだってきっと、立派だった頃があった。ちゃんと輝いてた頃があった。けど、今はもう建物かどうかすらわからないほど朽ち果てている。あれは夢。幼い頃に抱いた、儚い割れ物。
今度はどこだろう?思い出せない。でも、何故か懐かしい。ヒマワリ畑の中で、私は話しかけられた。
「我々はどこから来たのか、我々は何者か。そして…我々はどこへ向かうのか──か。なるほど、君らしいな」
誰?どことなく、デュラハンに似てるような…
シーンが切り替わるように、また別の景色が広がる。広くてオシャレな場所だけど、周りの雰囲気はギスギスしてる。聞き慣れない言葉。叫び声。そして、銃声。私の胸を抉るこの感触は──
あら、お目覚めね。随分眠ってたじゃないの。何日経ったか?そうね、あなた達で役割分担してから丸二日。あなた、何もせずに今まで眠りこけていたのよ?とんだお荷物さんだこと。
何も言えないでしょ?当たり前よ。全部事実だもの。あなたは夢を捨てた。将来の進路も他人任せ。じゃあ、あなたは何?自分を捨てた人間が生きる意味なんてどこにあると言うの?
頭を抱えたって、うめいたって無駄よ。何も変わりやしないんだから。無様な姿。あなたにはお似合いね。
あら、アルケ・ロゴスを持ってどうする気?犬みたいに噛みちぎるの?そりゃそうよね。それさえあれば、あなたは私を遠ざけられる。いい気になれるんだから。でもね、それは逆効果。依存すればするほど、私にとっては好都合なの。つまり、あなたが影──私──を避けようとするほどに、私はあなたを呑み込む。堂々巡りってこと。決して逃げられないわ。
あら、どこへ行くの?散歩、いや放浪かしら。犠牲の上に敷かれた都会。この大地の下には多くの悲鳴が詰められている。あなたはそのことを一度でも考えた?ある訳ないわよね。あなたはあなたの世界に閉じ籠ってるだけだもの。
レコード店の前を通り過ぎる。頭が痛い。まだ未練が強いってことね。おバカさん。あなたに何ができるって言うの?努力を忘れ、ただ夢をねだるだけの無力な子供が。でも──悪くないメロディね。嫌いじゃない。
あなたは偶然にもクラシックのコーナーを通った。そこに平積みされたバッハの楽曲。彼もまた、理解されない殉教者だったわ。人間精神の根源を音楽で紐解こうとした、崇高な意志の持ち主。彼を理解しない腐敗した支配層。それでも、最期まで彼は抗った。蒙昧な世界を正すための戦いをやめることはなかった。殻に閉じ籠るだけのあなたとは真逆ね。
「君、バッハ好きなの?」
あなたは背丈の高いスーツの男に話しかけられた。思い出したわ。確か、今の都知事よね。デュラハンによると、臨時政府を率いているのも彼なんだとか。私は頷いた。すると彼、驚きつつも嬉しそうに笑ったわ。何故か心が安らいだ。
「近くに教会がある。確かそこの神父がバッハのレコードを持っていたはずだよ。よかったら来てみる?」
彼、クリスチャンなのね。よく見たら胸のアクセサリーも十字架だし、相当入れ込んでるわ。日本人のクリスチャン。新島襄や内村鑑三がいるけど、彼が同じ末路を辿らないように祈っておくわ。
お誘いに乗じて小さな教会へ入る。朝ぼらけを背にすると、本当に神の家のようだわ。『彼』の言った通り。
聖歌。それは自らとの対話。あなたは何故JACと戦うの?自分を取り戻すため。『自分』って何?それは…──答えられないなら、初めから言わないことね。だからあなたはダメなのよ。
「──どうしたの?大丈夫かい?」
都知事が言った。目が赤くなってる。もうお祈りの時間は終わったのね。そこに神父がやって来て、円盤を持ちながら言ってきた。
「綺麗な歌声でしたね。合唱団か何か、やっていらっしゃいましたか?」
有頂天になっちゃってまぁ。忘れたの?あなたには才能がないのよ。あんな風に言われたって、心の中で嘲っていたり…ともかく、浮かれないことね。そうそう、あなたには暗い顔がお似合いよ。そのまま眠りなさい。私の中で、ね。
あなたは外へ出た。教会なんて久しぶりに来たけど、やっぱりいいわね。心が安らぐ。あなたみたいな救いようのない人間でも、慰み程度は得られる。素敵じゃない?──まぁ、私はカトリックじゃないけど。外では警察官らしき男が待っていた。
「来てくださりありがとうございます、厚木警部」
「いえ。私の家は浄土宗ですが、教会だとか聖歌だとかに触れると、キリスト教もいいものだと思えますね」
「今の言葉、洋介にも聞かせたいなぁ」
すると、楽しそうに話していた厚木警部の顔が沈む。
「あ、ええと…その件につきましては、本当にお悔やみ申し上げます」
「いいんですよ。かれこれ十年だ、そろそろ前に進まねば彼に怒られます。聖書から言葉を引用してきてね」
都知事は笑いながら言っていた。けど、何で私がこんなにも身につまされるのかしら。ますます興味をそそられる。そういえば、デュラハンがあなたに配当する予定だった役割の名刺が懐にある。チャンスだわ。
「あの。私、こういう者なんですけど。もしよければお話、聞かせてくれませんか?」
もちろん、これだけでどうにか説得できるなんて思ってない。だってそうでしょ?虚構報道や扇情的な内容を含んだゴシップ記事があちこちにバラ撒かれてる。そんな中でマスコミを信じろなんて、胡散臭いにも程がある。それでなくても、多分秘密裏に行いたい出来事でもあるでしょう。二人でいるのはそういうことに違いない。だから先手を打つ。
「JACにネットを断たれた今だからこそ、一人でも多くの国民に真実を伝える必要があると思うんです。私はその力になりたい。お願いします」
頭を下げる。頼むわよ。警察はおろか、政府に取り入る絶好の機会を逃したくはないのだから。
「…了解しました」
都知事は言った。
「まぁ、詳細を告げない前提ですがね」
警部が続く。よし、やったわ。これで盤上は大きく有利に進められる。小さくガッツポーズをした。
取材はレストランで行われた。上にラファエロの聖母子像の複製画が飾られてある。爆発的なトマト美容ブームは、イタリア料理店の繁栄という形で貢献していた訳ね。外国人規制法なんて作っておいて、文化だけ貰いっぱなしなんて勝手な話だわ──いけない、インタビューしなきゃ。この話題になるといつも我を忘れちゃってダメね。
「お二人はどういう訳で集まったんです?」
都知事が左手のフォークをテーブルに置いて答えた。
「…闇町の解放宣言文を出そうかと思っている」
私は躍起になって、
「それはいいことです!今すぐにでも皆に広めないと!」
でも、警部は言ったわ。
「だが、そうなると今度は支持派の人間が暴れかねない。ただでさえJACがいるというのに…」
「その口振り、JACが外国人で構成されているみたいですね」
警部は頷いた。この間のリニアモーターカー騒動で逮捕したJACの隊員──今は自殺した──が外国人だったこと、現在の政府に極度の不満を抱いていることから、そう考えたみたい。
私もそれには納得ね。筋道の通った理屈だもの。外国人規制法を解けば、確かにそういう人達はいい思いをするかもしれない。でも、かつて外国人によって職を奪われたり…大切な人を殺された人達は?あの恐怖が再びやってくる、そう思うに違いない。
「それに、構成員はどうやらクリスチャンの可能性が出てきたんだ。僕としては黙っていられないよ」
「人ってヤツは宗教みたいに、わかりやすいアイコンを叩きたがる。別に宗教そのものが悪くなくても、な。警察まで悪ノリしかけている。ここで食い止めないと、取り返しがつかなくなるかもしれない」
ホント、バカよね。あなたみたいに世界の狭い人間は、『自分』のない人間はそうなる。狂気にあてられ、平気で付和雷同する。腸が煮えくり返りそうよ。
とはいえ、そんな救いようのないバカ達に囲まれていたんだとしても、疑問だわ。
「どうして二人だけでそのような話を?それこそ、警察や臨時政府の方々に言えば、方法はいくらでも広がるでしょうに」
すると二人は唸った。先に口を開いたのは、都知事だ。
「そうしたいのは山々だが…厚木警部が教えてくれてね。あの三人をとらえた監視カメラ、ハッキングの痕跡が残っているんだ」
「赤外線経由でな」
警部が付け足した。
「そんな映像が警察に送られ、さも真実であるかのように喧伝されている…どう考えても、警察内に工作員がいるとしか思えない」
「政治家の中でも、外国人規制法を支持している人が多数を占めている。だから迂闊に皆を集められないんだ」
確かに厄介ね。下手にこの情報を明かせば、国内情勢が泥沼化するのは目に見えてる。でも、
「だったら、尚更これを皆に知らせるべきです」
「だが、リスクが大きすぎる」
「ならどうして取材を許可したんですか?」
「詳細を告げない前提、だろ?解放宣言文のことさえ閉じれば、普通の見回りにしか見えない。ブラフとしては十分だ」
埒が開かないわね。こうなったら博打だけど…
「相手は報道まで支配しているんですよ?ブラフなんて何の役に立ちます?もっと酷いことだって書かれるかもしれない。なら、先に手を打った方が火傷は少なくて済みます」
まぁ、そこまで彼らがお利口なのかわからないけど。最悪の想定を提示するのは、しないよりよほど信頼を得られる。たとえそれが、脳内で組み立てた『プログラム』であったとしても。
「『狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いから』か…」
長い長い時が流れ、熟考の末、都知事は言った。
「…わかった。じゃあ、頼んだよ」
それから十字を切った。店内の音楽がバッハの『マタイ受難曲』であることに、その時ようやく気がついたのだった。
次の日、インディーズの新聞紙が全国に向けて刷られた。見出しは『新井都知事 12月25日に東京闇町で解放宣言文発表予定』
目覚めの時は──近い。