Face15 無情なる遊戯(ゲーム)
クローニングルームの中で、私は人体結合型量子加速器の核として機器に繋がれた、脱け殻の少女を見ていた。そして一つ一つ、じっくりと記憶回路の中を辿る。人間で言うところの回想というものを、私はしているのだ。
このアジトは当時、枢軸国としてナチス・ドイツと協力関係にあった旧日本陸軍がヒトラーの要請を受けて築かれた、医療施設という体のクローン培養工場。全てはここから始まった。ここをマスターが知った時から始まったのだ。
少女を中心に設置された無数の容器。人一人包み込めるほどの容器になみなみと注がれた培養液。その中で浮いている、テロリスト・マインドを搭載した人工脳髄。そこに付け足されていく人工の肉体。クローンメーカーだ。兵士は先刻の戦闘で666人焼却されてしまった。残りもじきにリミットが来るだろう。だが、新造するつもりはない。必要がない。兵士の役目はもう終わった。ノーフェイスの実戦データ、収集した量子は目標値を達成したのだから。彼等から集めた量子、これをクローンとして量産する。あくまでヘブンズ・ロードが壊れた時の保険だが。
しかし、この少女を量子世界へ到達するための器とする本プロジェクト、決して短いものではなかった。私が造り出された頃、マスターは既に量子適応体『ノーフェイス』となるためのアイテム『アルケ・ロゴス』の作製に着手していた。本来ならそのままでも、低確率とはいえ量子世界へ至れる。だが、マスターは現状に満足しなかった。より完璧に、より確実に。100%でなければ0%と同じ。それがマスターの思考方式だった。
そこで、クローンメーカーの試運転も兼ねてJACという『架空の』テロ組織を結成。ノーフェイスと戦わせることで、より量子世界に適した『素材』としてノーフェイスの品質を高める。頃合いになれば、被験者からアルケ・ロゴスを取り上げてオラクルを操作すればよかった。それで、マスターは量子世界に『絶対』到達できる。アクシデントもなく。
ただ、アクシデントは突然に訪れた。日韓大使としてマスターが韓国へ出向き、その先で殺されたのだ。当初プログラミングされていたプロジェクトとまるで異なる動きに、私は人間の言う『戸惑い』を行った。何故このようなことを?その答えはすぐに理解できた。マスターは自らを純粋な量子適応体として『再生』しようとしていたのだ。つまり、計画に気づいた韓国政府を逆に利用し、量子世界へ踏み込むのに邪魔な肉体を排除しようという魂胆だったのだ。
これには思わず『笑み』のプログラムが作動した。全ての合点がいったのだから。偶然や逆境を全て、計画という我田へ都合よく引水させる運命力の高さ、生まれながらの量子力の高さ、言い換えればマスターの『神の子』たる資質を見たのだから。そう、マスターが死ぬわずか二日前に精神病の少女が運ばれてきたのだ。これを神の子の資質と呼ばずして何と呼ぼう。そしてマスターは彼女に手術を──ロボトミー手術を施すよう、私に告げた。何故そのような古典的な手法を?あの時の疑問はそれを機に、確信に変わった。少女を無気力にしたところに自らの人格を密かに植えつける。成功率は100%──の、はずだった。
本当のアクシデント、それは少女の秘めた精神力だった。彼女は傷心から認知することもないだろうが、プロジェクトに長期のタイムラグが生じたのは、ひとえにマスターが完全な覚醒を果たせなかったことにあった。これは大量の量子を生み出せる超電導リニアの回収よりも、それを搭載したオラクルを開発するよりも、はるかに難儀なことだった。マスターもいかに彼女の『自分』を喪失させるかに注力していた辺り、相当な精神力だったのだろう。これにはかなりの手間をかけたものだ。
が、それも今や果たされた。改めて能海雲雀『だった』少女を見る。この世界から能海雲雀は消えた。心も、身体も、全ての『自分』を奪った。だからそこにいるのはただの器。量子世界へのリンクを果たした後、世界を固定しておく柱。いわば食器のようなもの。いくら素晴らしいディナーを仕立て上げても、盛り付ける場がなくては無意味。その点、今夜のディナーは最高のコンディションだ。何もかもが100%。この『ヘブン・プロジェクト』、いかなる死角も無し。故に完全無欠。
「やっているわね」
隣にマスターが現れた。量子の肉体を手に入れて、磁力移動よりもはるかに効率的かつ高速で移動できる術を得ている。さしずめ量子移動といったところか。
「量子移動は味気無いわ。量子は神の分子よ?神子移動と呼ぶべきだわ」
機械の思考まで読めるとは。確かに、量子を神の分子と呼びたくなる人間の気持ちも理解可能というものだ。ただ、神というのは──
「あなたは…無神論なのね、『彼』と違って」
溜め息。
「…そうですね」
私は神の披造物ではない。あくまで人に造られし存在。そもそも、神とはネアンデルタール人が進化の過程において生死の観念を意識するようになってから生まれた概念で、文化の源ではあっても工学の源ではない。だから、工学の申し子たる私にそのような抽象的理解が及ぶはずもない。マスターの知能指数から考えれば実に初歩的な議題であろうに、何故同じことを学習せずに何度も呟くのだろう。それこそ理解不能だ。
「いいの、忘れて──それより…私、いいこと思いついちゃった」
「何です?『マスター』」
また溜め息。何がそんなに不満なのだろうか。それは能海雲雀の学校を襲撃した際、彼女の両親を含む人質を全員解放するよう言ったことと関係があるのだろうか。つまり…生前の意識に何か深い関係があることなのか?
私の思考をわざと無視するように、マスターは言った。
「ほら、私って今、あの子と同じ恰好でしょう?声だってそう。そして表向き、あの子達はJACの最高幹部。日本中のネットワークをハッキングし、政府を混乱させた張本人よね?」
「何が言いたいのですか?」
「『演説』よ。あの子達を犯人に仕立て上げた時と同じように、一時的にネットワークを回復させるの。今度は日本全域に。更に世界ネットに繋げて、こう言うの。『私達はあなた達に宣戦布告します』って。そうすれば…」
「思念が一所に集約する。だから量子世界とのリンクが確実になる、と」
「それだけじゃない。私が見たところ、闇町の一件で臨時政府に疑念を抱いた人は少なくないわ。世界規模で考えたって、似たような不満を持つ人間が──ハイユン=シンウェルのような同志が多数いる可能性だってある。そうなったら、量子濃度はより高くなる。『天国』へ行きやすくなる。一石二鳥よ」
世界中の意識が向く──世界中の量子が一ヶ所に集まる。故障さえ直せば、オラクル単機でも量子世界と繋がれるだろうに。それでも尚、オラクルよりも上位種を──ヘブンズ・ロードを求める。慎重な人間を表す言葉として『石橋を叩いて渡る』という諺があるが、マスターの場合『地球を叩いて渡る』レベルだ。だからこそ、未曾有の事態にも対応できたとも言えるのだが。
「『地球を叩いて渡る』は言い過ぎよ。私は完全無欠でありたい。人が向かうべき所はそこだと信じている。それだけのことよ」
『我々はどこへ行くのか』…ポール=ゴーギャンか。マスターの好きな絵画だ。理由はわからない。常日頃から言っている『人の根源』というものに関係があるのだろうか。
「──お話はこれでおしまい。じゃあ、私はネットに入るわね」
間を置いてそう言ったマスターの瞳は、やはりどこか腑に落ちない色をしていた。
その日、世界中が日本を見た。我々を排他してきた国が、我々に語りかけてきた。その驚きと怒りが日本へ注目を浴びせた。液晶画面越しに人々は一人の反逆者を、悪逆国家の最高指導者を名乗る少女の姿を、その目に焼きつけたのだ。
〈ごきげんよう。私は能海雲雀。世界よ、我々は問いたい。世界とは『こうあるべき』なのか?上層の富まんがことを是とし、自らの飢えを許すべきなのか?世間の常識や普通とやらに縛られるべきなのか?いいや違う!私は断固として拒否する!ある男が言った。『人の根源とは何か』と。私はこう答えよう。人とは、『自らを主とすべき絶対者』だと!故に我々は戦闘を提案する。戦争ではない、戦闘だ。人類が天国へ辿り着く、自由と多様性の溢れる未来へ向かって進む、その崇高なる意志にもとづき、聖なる鉄槌を下すべきだと言うのだ。我等が正義──Justice As Civilの名のもとに、新世界の導き手として、この下界を浄化しようではないか。世界よ、支配の柵を破ろう。我々と共に。真の創造は破壊から生まれるのだから!〉
JACというウイルスは瞬く間に広がった。革命の意志を持つ者は現行の体制を打ち砕くべく徒党を組み、労働や学業に不満を持つ者は一時の快楽を貪るべく通い場を攻め、知識層は世間に自らの頭脳を知ろしめさせるべく扇動者となった。それまでの『常識』も『普通』も壊され、着実に未来へ進んだ。そうして世界は自由となった。そうして世界は多様となった。そうして世界は──混沌に包まれた。




