翌日、理不尽なお説教タイム
俺が考えるお説教に対する正しい対処方法は、反省の意思をきちんと表情で示して相手の怒りが収まるまで静かにやり過ごし、最後にキチンと相手が望んでいる謝罪の言葉を紡ぐことだと思っている。
間違っても相手の怒りを煽る行為を説教中にしてはならない。火に油を注いだら余計に燃えるから。
相手の有難いご高説を拝聴し意味を理解して心に刻み感心を示す。
そう、説教とは僧侶が仏教徒に説いて聞かせる説法みたいなもんだ。ほら、説教と説法って字面ほぼ一緒だし。意味も似てるし。
だからお釈迦様の化身と言っても差し支えがないクソ真面目なうちの委員長様から説教されれば、悪人扱いされている俺でもいずれ悟りを開いて仏になれるんじゃないかと思って──いるわけ無いだろ。馬鹿か。
「君さ、自分が何をしたか分かってるの?」
現実逃避で時間を一秒でも潰そうと考えていたら、委員長様は俺に厳しくしたいのか、説教タイム開始早々に俺を責め立てる問いを投げかけてきた。
「ボクがちゃんと聞いてあげるから説明してみてよ。ほら、早く」
出たよ、説教の黄金パターン。何で怒られたか分かる? からの怒らないから話してみなよ? の二段叱責。説教を始めてる段階でもうすでに怒っているのに怒らないから話してみな、は何一つ信用出来る要素がない。もう嫌だ、開幕からすでに面倒臭い。お家帰りたい。
「早くしなよ。君が言わないと何も始まらないからさ。それとも時間が経てばボクの怒りが治るとでも思ってるの?」
漂う空気から委員長様の苛立ちがヒシヒシと伝わってくる。
「…………」
これは大人しく説教を聞いているだけじゃ終わらないパターンだな。
自分の失態を自分自身に説明させるタイプの説教って一番面倒くさいし、一番精神的にキツいやつじゃん。
その叱り方、まんま先生の真似じゃねえか。優しさの欠片も無いから違うと言えば全然違うけど。
いや、でも。とりあえず謝らないとマジで開放してくれなさそうだし。とりあえず謝罪だけでもしておくか。
「……悪かったと思ってる」
「何が? 何に対して罪悪感を覚えたの?」
「……遅刻したことと日直をサボったこと」
「それだけ?」
「……はい」
委員長様は悩ましげに深いため息を吐く。
「……君さ、自分の立場分かってるの?」
「立場? 何の?」
ピキッと委員長様の目がつり上がるのを見て俺は安易に聞き返したことを後悔する。
「はぁ……咬牙切歯とは正にこの事を言うんだろうね。ボクは君がそこまで愚か者だとは思わなかったよ。隠忍自重するこっちの身にもなってもらいたいね」
相変わらずというか、語彙力が無駄に高い悪態だ。一定の学力が無い奴が聞いたら何言ってるか全然分からないだろうに。
お前の方こそ、無駄に語彙力の高いその悪態の意味を後でネットで調べて「へぇーそうなんだ」と感心するこっちの身になれよ。
「まったく、ボクは君みたいな無知蒙昧が一緒の学校に通っている事が不愉快で仕方ないよ」
今の悪態は俺でもギリギリ分かった。無知蒙昧、つまり何も知らない愚か者って言いたいんだろう。
まぁ、そりゃそうか。学年首席である我らが委員長様に比べれば俺なんて雀の涙くらいの学力しかないと思っていても全然不思議じゃないしな。
「まったく、君は本当に不真面目でだらしがないね」
「…………」
喧嘩売ってるだろ、なめてんのか。
「はっ、博識な委員長様から見ればどうせ俺なんて大海も知らない井の中の蛙だろうよ」
「へぇ……意外だね。君が荘子を知っているとは知らなかったよ」
意外な事に俺の自嘲気味な悪態に委員長様は興味深そうに関心を示す。うん、ところで荘子って何?
「じゃあ、これも知ってるよね? 夏の虫氷を疑う」
「夏の……なんだって?」
言われた意味が理解出来ず、そう訊き返したら委員長様は落胆したのか呆れた様子で言う。
「なんだ、出典元も知らずに荘子の秋水篇を語ったのかい。井蛙大海を知らずも夏虫疑氷も意味は同じだよ。君みたいな見識の狭い者をたとえた故事成語さ」
何を言っているか全然分からないけど、馬鹿にされてることだけは俺でもハッキリと理解出来る。
ムカつくな。説教とはいえ、言われっぱなしは癪に触る。
言わせてもらうけど、と前置きを入れて俺は委員長様に言い返す。
「お前は知らないだろうけど、一応俺は学年順位120位前後の成績なんだよ。俺の学力を侮辱する行為はつまるところ、俺より下の成績である他の生徒を間接的に侮辱することに繋がるんだが、当然お前はそこんとこちゃんと理解して言っているんだよな?」
「…………」
俺の起死回生の一言にぐうの音も出ないのか、委員長様は無言になり怪訝な面持ちで俺を見やる。
「……まったく君は──そういう時だけ知恵と舌が良く回るんだから」
ポツリと呟く委員長様。心なしか口元が少し緩んでいる気がする。
あれ? もしかして今笑ったのか?
そう思っていたのもつかの間、委員長様は眉を吊り上げて「浅はかだね」と反論を始める。
「そういう事を言っている時点で君は自分より下の成績の人達を無自覚のうちに見下しているわけなんだけど、当然、君はそれを承知の上で学年順位を引き合いに出したんだよね?」
「……いや、それは……」
「そもそも学校の成績だけで人間の価値を推し量ろうという考えが間違っているよ。学力だけで優劣を決めようとする思想は自分が学力しかない低能だと認めている証拠になると思うんだけど。君は自分自身を低能だと認めているのかい? 違うだろ?」
「…………はい」
委員長様のまくし立てる様な反論にぐうの音も出ない俺。
やっぱり、コイツに口論で勝つのは無理だ。
よくよく思い返すと、口喧嘩とか舌戦で委員長様が他人に遅れをとるところを俺は見た事がない。
コイツと口論で真面に渡り合える相手なんてせいぜい姫光くらいなもんだろう。
いや、姫光の場合だとそもそも口論にすらなってなかったな。口喧嘩の時は姫光の奴が一方的にギャーギャーわめいているだけだし。
「というか、論点を逸らして煙に巻こうとしないでくれるかな? ボクは君に質問をしたんだけど?」
「…………」
話を脱線させるきっかけを作ったのはお前の方なんだけど。そう言いたい気持ちをグッと堪えて俺は再度訊き返す。
「だから立場って何のことだよ?」
俺がそう言うと委員長様は一際大きなため息を吐く。
「……そうだね。立場を分からせるためにも、まずはそこに跪いて貰おうか」
「…………」
無言の圧力で拒否の意思表示をしたのが琴線に触れたのか、委員長様は冷淡な眼差しで俺をギロリと睨む。俺も負けじと目に渾身の力を入れて睨み返す。
「その反抗的な目は何かな? 何度も言うけど君にボクの命令を拒否する権利はないよ?」
「……とりあえず跪く理由を説明して貰おうか?」
「そうだね、君に上から見下ろされるのが不愉快だから目線を下に下げさせる意味合いもあるけど。一番の理由は君にもう一度己の立場ってやつを教えるためかな」
そんな事を言いながら御立腹の委員長様は俺との距離をジリジリと詰める。反射的に身を引いて逃げそうになるのを鋼の精神力でギリギリ堪える。
「だから立場って何──っ!?」
唐突に襲う首への衝撃で俺は言葉を詰まらせる。
気が付いたら眼前に委員長様の艶やかな唇があった。
化粧っ気がない割に不思議と品のある凛々しいその顔立ちは麗人と称しても過言ではないだろう。
委員長様のご尊顔を間近で拝見したのなんて何年振りだろうか。
鼻先が触れ合いそうなほどの超至近距離。一歩間違えればそのまま接吻してもおかしくない距離で異性の顔を眺める。もしかしたら人生初の体験かもしれない。
どうやら、距離を詰めてからネクタイを力づくで引っ張って俺の顔を自分の顔の近くまで強引に引き寄せたらしい。
「君には躾が必要みたいだね」
まるで犬を躾する調教師の様にネクタイを下へ引っ張る。
「さっさと座りなよ。おすわりだよ。お、す、わ、り」
どうやら俺の反抗的な態度が委員長様の逆鱗に触れたらしい。
「早くしなよ。それとも君は犬以下の知性しかないのかな?」
「…………」
というか、顔が近すぎる。委員長様の吐息が顔にかかってとてもくすぐったい。何だこれ。気不味過ぎてまともに目どころか顔すら見れない。
「……おかしいな、お前に犬扱いされる立場になった覚えはないんだが?」
反抗の言葉と共に全力で首を横に捻る俺。
首輪から抜け出そうとする我が家の愛犬の気持ちが少しわかった気がする。首を引っ張られる行為がここまで不快だとは知らなかった。
言っておくが、断じて恥ずかしがっているわけではない。
「ボクから顔を逸らさないでくれるかな? 君は人の目を見て話せないほど礼儀知らずになったのかな?」
無茶言うな。
正面向いたままだとうっかりキスする可能性が微粒子レベルで存在しているかもしれないだろ。
「お前に無礼を働いた覚えは無いんだけどな」
「……惚けるのもいい加減にしなよ」
「…………っ」
「本当は分かってるんだろ? 自分の立場も怒られる理由も」
「…………」
別に惚けているわけじゃない。ただ認めたくないだけだ。自分の立場も背負わされた無実の罪も。
理不尽な現実を受け入れられない自分の心の弱さも。
「ねぇ、都合が悪くなると黙るその癖どうにか出来ないのかな? 見ているこっちが苛々するんだけど」
「……分かった。跪くから──手、離せよ」
俺が膝を折るのを確認してから委員長様は掴んでいたネクタイを投げ捨てる様に放す。
「……ほんと、不愉快極まりないね」
腕を組んで仁王立ちする委員長様は俺に軽蔑の眼差しを向ける。
その蔑む目を見たくないから、俺はリノリウム色の床に視線を落とす。
「どうして君は同じ過ちを繰り返そうとしているんだ? 君には学習能力が無いのか? 違うだろ?」
「……分かってるよ」
「分かってないからこうして怒っているんじゃないか! 君は『ひめちゃん』だけじゃなくて“美夜子まで”不幸な目に遭わせる気なのか!」
「…………っ」
「どうなんだよ! 答えろ!」
激昂して怒鳴り散らす委員長様に俺は言葉を返す。
「声の音量下げろよ。周りに聞こえるだろ」
「……っ!!!」
ガッと。
荒々しく、乱暴に、今度はネクタイではなくワイシャツの襟元あたりを強引に掴む委員長様。興奮しているのか呼吸も少々荒い。
「少しは落ち着けよ。この程度でキレる様じゃ人の上には立てないぞ?」
理解力が高く自制心が強い委員長様は掴んでいた手を離し、指摘された通り声量を下げる。
「……分かったよ。確かにボクは冷静さを欠いていた。それは認める」
でもね、と委員長様は言う。
「君の態度にも原因はあるからね」
「ああ、悪かったな」
委員長様の怒りの炎が鎮まるのを場の雰囲気で感じた。
一瞬だけ和解する空気感を覚えた。
けど、やっぱり。
怒りの炎は消えても深まった溝はどうやっても埋まらないのだろう。
今度は俺が怒りの炎に身を焦がす番だから。
「ボクには君を更生する責任がある。クラスの委員長として、警察官の娘として、そして一人の仲間として」
「……もう仲間じゃないだろ」
「そうかもね。ボク達から離反した君はもう仲間とは呼べない。でも知人には変わりないだろ?」
「…………」
白々しいな。結局のところお前も我が身可愛さに自己保身に走っているだけだろうに。
俺を更生するという免罪符で罪悪感から解放されたいだけだろ。
「はっ、離反じゃなくて追放の間違いだろ。何自分達の都合の良い様に解釈してるんだよ?」
ああいう行いこそ世間では村八分と呼ぶんだろうな。
「……何言ってるの? 追放なんて人聞きの悪い事を言わないでくれるかな? 君が勝手にそう思い込んでいるだけじゃないか。被害妄想もはなはだしいね」
被害妄想、ね。
善と悪の境界線が曖昧な様に、加害者と被害者の境界線もまた立場の違いや見解の相違で簡単に変わるのだろう。
「……うるせえな。偽善者面も大概にしろよ」
俺は立ち上がり、偉ぶってる委員長様を見下ろす。今度は俺が責める番だ。
「偽善者? ボクの何が犠牲者だって言うんだい?」
「偽善者だろ。お前だってあの時姫光を『見捨てた側』だろうが」
委員長様はハッと嘲笑う。
「何を言うかと思えば──諸悪の根源が良くもまぁ、ぬけぬけと。君が過去に犯した過ちを簡単に忘れられる都合の良い頭をしていたなんて知らなかったよ」
「…………」
ああ、そうか。
やっぱりコイツも『向こう側』の人間だったんだ。
「……だから、俺じゃないって言ってるだろ」
「証拠は? 君が無実だという証拠はあるのかい? 無いだろ?」
腹の底からグラグラと怒りが込み上げてくるのが自分でも分かった。
「じゃあ聞くけど、俺が犯人だっていう証拠はあるのかよ!?」
「あるよ、雪雄が君の不審な行動を目撃したという証言がね」
「お前は!」
俺は。
気付いたら大声を出していた。人に大声を出すなと注意したのにも関わらず。嫌な奴の名前が出た瞬間に負け犬みたいに吠えた。
「お前は俺よりも雪雄の方を信じるのかよ!」
俺の問いに委員長であり旧知の間柄であった彼女、帯織伊織は──。
「信じるよ」
そう無慈悲な答えを返してきた。
理不尽なほど冷淡な眼差しだった。
「少なくとも君よりかは雪雄の方が信頼に値する」
「…………っ」
「いい加減認めたらどうなの? 自分の信頼性の無さってヤツをさ」
「……うるさい」
「朋友有信とは良く言ったものだね。信頼を築くのは一生、壊すのは一瞬。ほんと、君を見ていると正にその通りだと感心すら覚えるよ」
「黙れよ!」
湧き上がった怒りを抑え切れず俺は委員長様の胸ぐらを強引に掴む。
胸ぐらを掴まれているのにも関わらず委員長様は平然とした態度で俺に接する。
「……やれやれだよ。結局、君は自戒の念を込めて作った『家訓』すら守れない様だね」
「…………っ」
男の子は女の子に優しくしましょう。
嫌な記憶が脳裏をよぎり頭から爪先まで帯びていた熱がみるみると冷めていく。
俺はまた。
──俺はまたコイツに手を上げようとしていたのか。
「……悪い、ついカッとなった。ごめん」
「……どうやら少しは反省したみたいだね」
ところでさ、と委員長様は言う。
「そろそろ手を離してくれないかな? ブラウスにシワが出来そうなんだけど?」
言われて気が付く。自分の右手が委員長様の胸ぐらを掴んだままだという事実に。しかもブラウスの胸元がわずかに開いてチラリと下着が見えている。清楚な感じの淡い水色だった。
「悪い! ごめん伊織!」
俺は飛び跳ねる様に委員長様から離れて地面に正座する。もはや土下座しそうな勢いだった。
「べつにいいよ。意趣返しで煽ったボクにも非はあるからね」
いそいそと着衣の乱れを直しながら委員長様はポツリと呟く。
「お互いのためにもガス抜きは必要だからね」
「…………?」
ガス抜き? ガス抜きって何だ?
「なんていうか、君も存外に煽り耐性が無いみたいだね。まっ、ボクも人の事言えた義理じゃないけど」
「……その、ほんと申し訳ない」
「悪いと思うならもう少し誠意を見せて欲しいかな」
「誠意? 土下座でもしろと?」
「……君はボクを何だと思っているのかな?」
「……女王気質の委員長様」
「……っ!!」
恨めしそうな視線を向け無言で俺の両頬をつねる委員長様。
シャイニングフィンガーの刑が執行された瞬間である。
「君は本当に恨めしいやつだね! ボクが何のために今まで悪役を買って出ているか分かってないのか! この! この!」
「痛いって! 頰が千切れる!」
「この程度で千切れる頰ならとっくの昔に千切れてるよ!」
「一旦落ち着け! 冷静になるんだ!」
俺の言葉が耳に届いたのか委員長様はハッと我に返りそっと手を離す。
コホン、と。
一つ咳払いして委員長様は言う。
「とにかくだ、ボクが言いたい事は今のままだとまた同じ過ちを繰り返すから誠心誠意を持って信頼の回復に努めるよう気持ちを引き締めて行動しろ、という事なんだよ。言わばこれは君に対する忠告であり警告みたいなものだ」
「……警告、ね」
どうやら、今までのクソ長い問答をまとめるとそういう事らしい。
いや、それを最初に言えば済んだだろ。何で無意味に引き伸ばした。
「…………」
ああ、なるほど。ガス抜きってそういう事か。
「お前の言い分は分かったよ」
委員長様も委員長様で面倒臭い一面があるからなぁ……
「本当に分かってるの?」
「分かっていても認めるかは別問題だけどな」
「そうかい……まぁ、今日はこのあたりで手打ちにしてあげるよ」
クルリと振り返り委員長様は教室の出口に向かう。
「日誌はボクが出しておくよ。君はもう用済みだからさっさと帰ればいいよ」
さっきまで腹を割って口論していた間柄とは思えないほど委員長様の去り際はあっさりとしていた。
「しっかりしてよね。君がだらしないと同郷のボクまでだらしないと思われるから」
そんな捨て台詞を残し委員長様は教室から去って行く。
自分以外誰も居ない教室に取り残された俺は思う。
やっぱり委員長様とは仲良くなれそうにない。和解するには時間が足りない。
少なくとも今は。