神恵の子ら 終章
<終章 嵐のあと>
「全く。どう報告すればいいのだ! 追撃してくるはずの敵部隊は全滅。おまけにそれを引き起こしたのは、今は亡き、疾病の神アルムタット。それに、そのアルムタットにたった一人で立ち向かったフェイ・パッセモント元中佐も昨日の晩の間に雲隠れ、行方知れずときている。こんな空想じみた一連の話を、頭の固い上官どもにどう説明すればいい? メリル、俺は頭が痛いぞ」
夜が明けてから、ジャン小隊長にとって、このことだけが眼の上のたん瘤だった。彼らは前線に向かったときと同じ隊列を組み、再び茫洋とした草原を歩いている。
「そう言われても、しかたありますまい。フェイ殿はシエル殿と一緒に、いなくなってしまったのです。我々が目覚めたときには、すでに二人の姿はありませんでした。二人の寝どこだけが、もぬけの殻だったのです」
ジャン小隊長とその三人の部下は、来た道を引き返し、王都に帰還するところである。五日間かけて歩いた草原を、再び五日間かけて渡りきり、さらに森林地帯も抜けて、士官学校、及び王都へ帰還せねばならない。長い旅路になるだろう。
「くそ! いなくなるにしても、一言くらいあってもいいではないか。俺は少しがっかりしたぞ。フェイとは、もう戦友だと思っていた。それがなんだ、疲労に負けて全員で眠りこんでいるうちに、寝床はもぬけの殻……」
険悪な表情になるジャン。おそらく、彼は本気で腹を立てているのだろう。それは、フェイとの絆を信じていた故に違いない。
「仕方ないよ、ジャン。僕らがフェイ中佐を見送れば、脱走兵を逃がすことになる。そうなれば、僕らだって罪にとわれる。それが分かっていたから、フェイ中佐は何も言わずに、僕達の前からいなくなったんだ。ジャンだって、それくらい分かってるだろう?」
と、クルスが自分の隊長を諭す。
「それくらい分かっている! だが、たとえジゴレイドがいなくなっても、奴は脱走兵だ。軍法会議にかけられるべきではないのか?」
だが、なおもジャンは納得がいかない顔である。
「正気でいっているのか? 敵前逃亡は、銃殺か馬裂きなんだぞ。国境をたった一人で守り抜き、疾病の神をも退けたフェイ元中佐を、そんな目に会わせたいのか?」
ケイズが意固地なジャンに呆れた。
銃殺、と聞いて、ジャンの批判が鈍り始める。もちろん、彼にもその事実は理解できていたし、そんなのは馬鹿馬鹿しいとも思っていた。だが彼は、雷の英傑との急な別れに対する感情の顕わし方が、分からないのである。
「そうは思っていないぞ、ケイズ。ただな、俺は誠意の話をしているのであって……」
「やれやれ。我らが隊長殿は、かなり強情な性格のようですな。本当は、これでよかったと隊長殿自身が一番納得しているのに、素直にそれを表現しない」
「なんだ、メリル。俺は現状に不満があるわけではないが、だが同時に納得している訳でも……」
「あー、もういいよ。耳にタコができちゃう。これから師団本隊に追いつくまで、走る限り平原しか見えないのに、こんな話ばかりされちゃ、たまらないや」
「全くだな。さっさと切り変えろ。迷惑だ。俺達には、敵軍のいなくなった西の前線に、第六師団をいち早く呼び戻すという使命があるんだぞ。フェイ元中佐が命がけで守ったあそこを、みすみす敵軍に引き渡すつもりか」
クルスもケイズ、そしてメリルも、一様に呆れたような視線を自分たちの隊長に浴びせる。
「むう。しかし――」
「――隊長殿。くどいですぞ。ケイズもいった通り、今は一刻も惜しい状況です。いち早く第六師団本隊に、追いつかねばなりません。時間との競争なのです。愚痴をいっている暇は、ありませんぞ」
メリルの一撃が決め手となった。
長距離を効率的に移動できる走法で平原を急ぐジャンは、吐き出す息にため息を混ぜた。
「わかった。もう止める。俺は、残念だったのかもしれない。あの英傑ジゴレイドとこんなにも早く、そして二度とは出会えないはずの別れを、迎えてしまったことに……」
ジャンの言葉は、彼らの前から吹いてくる風に攫われ、部下の三人を撫でたあと、平原の彼方に消えていってしまった。
「たしかに、そうですな」
「考えてみれば、凄いことだよ。立会人に会ったんだ」
「国境をたった一人で守り抜いた、お伽噺のな」
部下三人も、神妙な面持ちで頷く。
彼らの表情に、隊長であるジャンは表情を引き締めた。
「そうだ。我々は、得がたい体験をした。そして、もう一つ決して忘れてはならぬことがある。神同士の決闘に巻き込まれ散っていった、我らが同胞たちのことだ。奴らの分まで、俺達は生き残り、出世しなければならない。俺達が無能の烙印をミリア軍でおされれば、天国の奴らの名誉も辱めることになる。だからこそ、俺達四人は出世し、ミリア軍で影響力ある軍属となるのだ」
ジャンの演説を、三人は彼と同じ気持ちで聞いていた。ジゴレイドが西の前線を守り切り、アルムタットを打破したからといって、戦争が終わる訳ではない。彼らの戦いは続くのだ。第六師団は再び西の前線に戻るだろう。脅威となる敵軍は、神々の決闘に巻き込まれ、もういない。あの戦場を立てなおす猶予は、あるはずだ。
「そのためにも、一刻も早く第六師団を西の前線に呼び戻す! そして、第二師団を抜きにして、手柄を第六師団だけで占有する。そうすれば、王国政府の第六師団に対する評価は、右肩上がりだ。逆に、真っ先に逃げ出した第二師団の信頼は、地に落ちる」
「そうですな。そのためにも、第六師団を一刻も早く西の前線に呼び戻し、逃げ帰った第二師団の本体よりも先に、『第六師団、獅子奮迅の働きにより、西の前線の敵軍を殲滅せり』という、伝令を送らねばなりますまい」
ジャンとメリルの会話を聞いたクルスが、苦手な長距離走に困憊しながら、末恐ろしい存在を目にするように、二人を眺める。
「うわあ。怖いなあ。それって、王都に逃げ帰ってきた第二師団に、『お前たちは究極の無能だ』っていう演出をお見舞いするってことだよね。高級軍閥から、毒盛られてもしらないよ、僕は」
「やることが、えぐい」
ケイズも静かに首肯する。
しかし、隊長と副隊長の表情は、実に生き生きとしていた。
「あいつらの名誉など、知るか。のこのこ敵前逃亡して、戻ってすらこない連中だ。相応の対価を払わせてやればいい。なあ、メリル」
「そうですな。私は隊長ほどそう言うものに興味はありませんが……。出世のためです。仕方ありますまい」
そう言い合って、二人は腹黒い微笑を浮かべる。
「……ケイズ。僕達はもう、修羅の道を歩んでいるかもしれないよ」
「心配するな。すでに手遅れだ」
「はあ。どうしてこう、無難に生きていけないのかなあ……。軍隊なんて、やめときゃ良かった」
「まったくだな」
そう言い合いながらも、二人がジャンとメリルから離れるつもりはない。こうなれば、一蓮托生である。
「よし! 愚図愚図している暇はないぞ! 日が暮れるまでに、何としてでも本隊か分隊を捕まえる!」
息まくジャン小隊長。部下たちも、異論は唱えない。
「急ぎましょう、隊長殿」
「仕方ないなぁ」
「行くか」
四人が速度を速めたそのとき、地平線の向こう側から、小さな影が接近してきた。
ケイズが最初に気がつく。
「おい、あれは何だ?」
次に、メリルが発言する。
「人影よりは、背が高いですな」
正体を理解したジャンが、影を指差す。
「騎兵だ! 分隊の騎兵が、今は亡き敵軍の索敵をするために、戻ってきたぞ!」
諸手を上げて、クルスが喜ぶ。
「やった! これで、本隊に現状が伝わるよ! おーい、おーい!」
四人は両手を上げて、大きな声を上げながら、その影に向かって疾走した。
(※エピローグへ続く)