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神恵の子ら  作者: 琴原 宰
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神恵の子ら 第五章

 <第五章  リュウと巨人>





 全く予期せぬものとなっていた。

 前線基地での戦いは、これまで第六師団が経験したことのない、畏怖を感じさせるものだった。

 敵から戦意を感じないのである。

 代わりに、彼らは純粋な恐怖で、第六師団を追いこんでいた。

 グレイ准将は、じわじわと押し返される自軍の戦線を眺めながら、震えた吐息を感じた。寒い。嵐が近付き、風が強くなった者あるが、目前の光景に、彼は生物としての畏怖を、感じた。

「准将殿! 戦線が持ちません! このままでは、敵の突破を許します」

「敵は、負傷しても構わず特攻してきます!」

「第三大隊、被害拡大! 深刻です!」

「准将殿、いかがすれば」

「准将殿!」

 副官のスティング大佐をはじめ、各伝令達がそろって苦境を伝える。このままでは、敗走は濃厚だった。敵の隙をつくるどころか、逃げる余裕すらない。

(しかし、私はこの師団の長である。ここで、部下たちを犬死させるわけにはいかぬ。なんとしてでも、持ち堪えねば……)

 准将は、心得ている。こういった状況こそ、軍隊の将は沈着な態度を示さねばならない。

「静まれ!」

 准将の一喝に、騒々しかった天幕が、夜の静寂を取り戻す。

「我々は、誇り高き神の軍隊である! 冥府の亡者などに負けてなるものか。ミリア軍属の意地を見せよ! 第六師団の魂を、見せよ!」

 静寂から一転、天幕は鬨の声に包まれる。第六師団の戦意は、まだ消えていない。

「スティング! 第三大隊に増援をおくれ!

 投石機はもう射程に敵兵がおらぬ。その兵を回すのだ! おい、お前。第二大隊へ行って、第一大隊に合流するよう伝えよ。兵力を集中させて、抵抗するのだ」

「は!」

「了解であります!」

 矢継ぎ早に飛ばされる指示を、兵たちが伝えに走る。

「それと、お前! もう一度、ジゴレイドへ援護要請しに行け。この戦況を切り抜けるには、奴の力が必要である」

「は!」

 最後の伝令が走っていった。天幕には、准将と護衛だけが残される。

(頼むぞ、フェイ。お前しか、おらぬ)

 第六師団の長は、神恵の子に思いを馳せる。

(頼むぞ、候補生たちよ。一刻も早く、奴を連れてくるのだ……)

 そして、准将のところまで馬を一頭拝借しにきた、二人の若者に、思いを託す。

 第六師団の命運は、やはりカミとともにある。

(数奇なものだ。我々は、望む望まないに関わらず、常に神の意志に、翻弄されている。だが、それが我々の命運だとすれば、それは光栄なことなのか。それとも、不運なのか……)

 今にも崩壊しそうな膠着状態が続く。第六師団は、瀬戸際である。

 准将には、何度も苦境が伝えられた。敵は、こちらを逃がしてくれないだろう。そのためには、誰かが殿を務めなければならない。

 だが、その兵力を割く余裕すらないのだ。第六師団は、戦い続けるほかない。

(神恵の子よ。私は、指揮官として相応の義務を果たした。あとは、お前に託さねばなるまい)

 何度目かの苦境が伝えられる。

 第二大隊が、敗走した。

 そのときである。

 第二大隊が布陣していた戦場に、稲穂色が落雷する。














 ◆◆◆(場面転換)◆◆◆















 ジャンに前線の異常を知らされ、フェイは彼と戦場に舞い戻った。馬で戻らなかったら、多くの被害が出ていたかもしれない。

 紙一重の援軍だった。

 目の前には、総崩れとなって敗走する第二大隊の兵たちがいる。彼らは、一目散にフェイの横をすり抜け、離脱しかけた。

 しかし、最初の一撃でフェイが迫る亡者たちを吹き飛ばすと、彼らは一様に足を止め、歓声を上げる。

「ここは、ジゴレイドが引き受けた! 第二大隊の兵たちよ、撤退の準備にかかれ!」

 フェイが一喝すると、彼らは再び駆けだす。

「ジゴレイド! どうするのだ」

 馬でフェイをここまで送ったジャンが、機上から尋ねる。

「ここを引き受ける。ジャン、君は遅れてやってくる大尉達と合流して、作戦を実行しろ。時間はない。急ぐんだ」

「わかった。死ぬなよ」

 ジャンが馬を走らせる。あとには、冥府の軍隊と神恵の子だけが、取り残された。

「アニマを感じる。近くにいるぞ」

「アルムタットがか、クレメンツ。だが、先約がある」

 フェイの両腕が、発光する。

 亡者となった敵軍が、フェイの十数歩先に迫っている。

「まずは、彼らの相手をしよう」

「どれくらいもつのだ?」

 発光が激しくなる。具現は近い。

「半刻ほどだろう。全快ではない」

「それが、限度か」

「そうだ。掴まっていろ、クレメンツ!」

 溜まったエネルギーを爆散させるように、フェイは両手を突き出した。稲穂色の雷が、彼の前方に放たれる。岩が砕粉されたような轟音とともに、黄金が草原を駆け巡る。

 最初の一撃で、正面にいた敵軍の半分ほどが、土壌ごと消滅する。

「ごふっ。はあ、はー……」

 しかし、フェイの体調は芳しくなかった。すでに、彼の身体は軋み始めている。

「思ったよりも、疲労が蓄積されている。無理はするな。壊れるぞ」

「無理な忠告だな、クレメンツ。この状況で、どう体をいたわれと?」

 フェイは、自分が吹き飛ばした闇に目を向ける。雲のはった夜空の隙間から、月光が木漏れ日のように降り注ぎ、その欠片が、進軍してくる敵兵を照らす。まだ、彼の前面だけでも、相当な数がいた。この他にも、敵兵は前線基地各所で、存在するのだ。

「多勢に無勢だ。体力が持たんぞ」

「仕方ないさ。覚悟の上といったろ。それに、全軍を僕だけで吹き飛ばす訳じゃない。ジャン達が、準備を進めているはずだ」

「それまで、持ち堪えられるか」

「可能、不可能じゃない。やるのさ。僕は、神恵の子。ジゴレイドだ」

 フェイは、再び独り、敵軍へと対峙する。






















 ◆◆◆(場面転換)◆◆◆














「急げ! ジゴレイド殿が持ち堪えている間に、工作を完遂させるのだ!」

 ジラード大尉の危機迫った命令が飛び、応諾する部下たちの声が、木霊する。

 第六師団第二大隊は、前線基地からの撤退を始めていた。続いて、第三大隊もその準備に取り掛かる手筈である。最後に、准将直々に指揮する第一大隊が撤退し、第六師団の撤退は完遂する。

 大尉とジャン達の役目は、それまでに、基地を爆破する火薬装置を、各所に設置することであった。

「士官学校で、火薬と導線の扱いを倣っておいてよかったな!」

 危険物を扱う緊張から、額に油汗を浮かべながら、ケイズがジャンに話しかける。

「全くだ。優等生冥利に尽きる。おい、メリル! そっちの調子はどうだ」

「なんとか。クルスは衛生兵なので、細かい手作業が得意です。助かりますな」

「僕だって、それなりに役に立つんだよ。次席殿」

「順調なら、手を動かせ! あと十二か所もある! この天幕が終わったら、二手に分かれるぞ!」

「了解です、隊長殿。第二大隊の宿舎へ、クルスと行きます。隊長殿とケイズは、反対方向へ」

「わかった。ケイズ! 俺と来い。急ぐぞ!」

「了解した」

「では、クルス衛生兵。我々も」

「うん。急ごう」

 四人は、二手に分かれた。外に出る。

 天幕の外は、騒然としている。慌ただしく引き上げの馬車に乗る兵士、負傷兵を運ぶ担架、指令を飛ばす指揮官、工作のため暗躍する士官候補生たち……。様々な役割と階級の人間でごった返していた。

 しかし、彼らの目的は同一である。

 生き延びること。それが、彼らの至上命題だった。

 そのためには、敵軍に一矢報いなければならない。そして、相手に損害を出し、隙をつくらせるのだ。そうすれば、味方の生存率は高まる。

(何としても、成功させなければ)

 風のように、兵士たちの間を潜り抜け、基地の中でも人がいなくなった地区を、ジャンは目指す。そこに、爆破工作を仕掛けるのだ。

 戦場となっている方角では、時折、闇を刹那的に払拭する閃光が発生する。

 彼が、独り戦っているのだ。

(ジゴレイド……。いや、フェイ。お前は、何と雄々しく、優雅なのだ)

 ジャンは、軍神としての彼に見惚れた。口ではフェイに反発したり、張り合っていたが、現実を目の当たりにすれば分かる。

(ものが違う。これが、神恵の子。神に、認められた存在……)

 だが、彼の反骨心は、土壇場でも頑固である。

(負けていられるか。俺は神に愛されてはいない。だが、それが、どうした。やれることはある。それを、徹底的に完遂するだけだ。恵みを受けないものには、受けないものなりの矜持がある。俺はそれを、示せばいい)

 ジャンは疾走する。自分の役割を、やり遂げるために。

「ケイズ! フェイの働きを無駄にはできない。なんとしても、準備を完遂させるぞ!」

 寡黙な同期も、彼の熱意に応えた。

「おう! ミリアに栄光あれ!」

「フェイに、加護あれ!」



























 ◆◆◆(場面転換)◆◆◆














 始めの一撃から半刻が過ぎようとしていた。

 フェイ一人だけで保つ戦線は、すでにおされぎみだ。後退を余儀なくされている。それも、一気にではない。徐々に徐々に、真綿で首をしめるような速度で、戦線は基地へと食い込んでいく。

「限界だな」

「だが、この速度で助かった。より多くの敵兵を巻きこめる。離脱のタイミングもありそうだ」

「やはりお前には、カミの加護がついているのかもしれん」

「そう思うか、クレメンツ。だが、それはアルムタットを追い払ってからいう言葉だ」

「違いない」

 フェイは、敵軍に背を向け脱兎のごとく駆けだす。目前の亡者たちは、怨嗟の声とともに彼を追った。

 その先は、前線基地である。

(大尉。ジャン。分隊の皆。うまく、やれ!)

 一度も足を止めることはできない。止めれば、ずたずたに切り苛まれてしまう。

 フェイは、決死の覚悟でもぬけの殻となった基地を、王都方面へ失踪した。

(此処が丁度、中心地だ)

 走りに走って、フェイは基地の中心地である広場に辿り着く。

 背後を振り返った。すぐそこまで、冥府の追跡者たちが迫っている。

「何があっても離れるなよ、クレメンツ。服の中へ!」

 赤毛栗鼠がマントの中へ退避した。

 フェイは、左手を天へ掲げ、合図の落雷を夜空へ打ち上げる。

 数秒後、基地は炎と爆風に蹂躙された。

 その規模は、周辺の草原が照らされるほどであり、草たちを根こそぎ風でどこかへ吹き飛ばしてしまいそうなほどだった。

 基地の中に存在したもの全てが、黒焦げの残骸とかす。

 その衝撃と熱のあとには、残り火と燃えかすが、あるだけだった。

 全ては、炎に呑まれたかに、みえた。




















 ◆◆◆(場面転換)◆◆◆















 爆発の衝撃は凄まじかった。ジャン達の脱出先である夜の草原にさえ、光と熱の余韻が届く。

「やった! 着火した!」

「馬鹿! まだ喜ぶな。敵への損害確認が先だ、クルス!」

 諸手を上げて喜色満面の頭を、ジャンがはたく。

 隣から、メリル副隊長が横やりをいれた。

「そうですな。ですが、退却の準備もしていた方がいいでしょう。この防衛戦を突破されれば、いよいよ前線の我々は、逃げるしかありません。窮地です」

「そうだろうな。が、俺はフェイ中佐が気がかりでしかたない。ご無事ならば、いいのだが……」

 ケイズが心配そうに、もうもうと煙の立ち込める前線基地をみやる。

「ケイズ。フェイが死ぬものか。あいつは、ジゴレイドだぞ。殺しても死ぬような奴じゃない」

 ジャンが、ケイズの不安を一蹴する。だが、彼の声音からも、蔭は完全に払しょくできていない。

「いずれにせよ。隊長殿。ジラード大尉と合流しましょう。今は我々四人だけですが、近くに大尉とその部下たちがいるはずです。彼らとともに森林地帯へ逃げ込み、王都へ帰還すべきです」

 メリルの冷静沈着な声が、ジャンに決断を促す。

「わかっている。俺達は逸れた分隊を追いかけるべきだ。すぐにでも、追いかけねばならない。だが……、おや?」

全員の頬に冷たい水滴が伝う。それは天からの雨だった。

「ジャン。雨だよ!」

「ああ。嵐のようだ」

「厄介ですな。体力を奪われます」

「燃やした基地が、鎮火されてしまうぞ」

 ケイズが口にした懸念を具現化して眺めるように、全員が吉の方を見た。フェイだけが唯一残った、前線基地を。

「どうするのです、隊長殿?」

 メリルが、二度目の決断を促す。

 ジャンとて理解している。一度騒ぎが起きたとはいえ、撤退作戦が進行中なのである。徒に判断を遅らせれば、それだけ生き残った的に追撃される危険が増すのだ。逃げるのならば、早い方がいい。

 しかし。

「もう少しだけ。もう少しだけ、フェイを待つ。あいつは、必ず生きてここまで来るはずだ。ぎりぎりまで基地に接近し、様子を窺う」

 ジャンは、即時撤退しなかった。

 だが、その判断に戸惑う者はいない。

「ふう。そうだと思いました」

 軽くため息をつき、どこか安堵したようなメリル。

「置いていけないよ。もう戦友だもの」

 と、クルス。

「中佐は、必ず生きている。俺達は、彼を待つだけでいい」

 ケイズは、そう自信をもって口にする。

「よし! 全員、手頃な草むらに身を顰め、前進しろ。姿を見せられるなよ。敵と疑わしい相手に気付いたら、伏せろ。交戦しても勝ち目はほぼない。そのかわり、少人数を生かして隠密行動をとる。行くぞ!」

 ジャン小隊長が、勇んで先陣を切る。

「やれやれ。雨の中を、地面すれすれに行軍とは」

 そう言いながら、隊長の背中をメリル副隊長が追った。

「でも、真夜中の寒中水泳よりましだよ」

 クルスが、そうメリルの背中に話しかける。

「おい、クルス。俺とお前は、湖に突き落とされちゃいないんだ。初の試みなんだぞ」

 最後に、ケイズが殿を務めた。

 そうして、士官候補生の四人が進軍を開始した矢先、雨足は強くなる。ほとんど土砂降りだった。四人は、初秋の冷たい豪雨に濡れながら、基地へ接近する。

「雨が強いな」

「隊長殿。風も強くなってきました」

「厄介だぞ、メリル」

「ですが、メリットもあります。雨でこちらの痕跡は消えますし、視界も悪くなります。本隊の撤退には、一役かってくれるかもしれません」

「そうだが、問題は基地だ」

「何も見えませんね。煙も炎も、消されてしまったようです」

 小隊の先頭二人、隊長と副隊長が会話を続けているときだった。

 最初に気がついたのは、最も視力のいいケイズだった。

「おい! あれを見ろ!」

「あ!」

「なんだ?」

「あれは……」

 落雷であった。それも、ただの落雷ではない。上空へとひた走る、黄金のアニマである。

「おい! 見たかクルス」

 ケイズが、興奮した様子で声を上げる。

「あ、あれは……」

 クルスも夜空に走った光の残像を指差した。

「フェイ殿です! 隊長!」

 メリルが叫ぶ。

「やはり生きていたか、フェイ!」

 ジャンも、歓喜を滲ませる。

 しかし、不自然な事が起こった。

 黄金の雷が、もう一度、さらにもう一度、落ちたのである。

「なんだ? なぜ、短い感覚の間に二度も……?」

 ケイズが怪訝な顔をする。

「何か、伝えないのかな?」

「隊長殿。何かご存じありませんか」

 水を向けられたジャンが、硬い声音でいう。

「……退却信号だ。あれは、退却命令を周辺の兵に知らせるものだ」

 三人は、両眼を見開いた。二連続の雷が吸い込まれた虚空に、不安げな視線を注ぐ。

「他の可能性は?」

「間違いない。公式の戦闘記録で読んだんだぞ。間を開けない二度の雷。あれは、ジゴレイドの出す退却指令だ。周辺の戦場に、巨大な危機が迫っているときのみだされる、最終通告……」

「つまり、フェイ殿に危機が?」

「そうとしか、考えられん」

 メリルの疑問を、ジャンが肯定する。

「まさか……現われた?」

 クルスの言葉には、主格が抜けている。

 だが、皆が同じ存在を思い浮かべた。

「アルムタットだ。奴に、違いない」

 ケイズが、四人とフェイにとっての仇敵を名指しする。

「十中八九、そうでしょうな」

「……ついに、現われたんだね」

「そうだな。恐らく、フェイは戦っている。あの化け物に、たった一人で、立ち向かっている……」

 隊長以外の三人が、嵐の吹き荒れる前線基地へ思いを馳せた。

 そのとき、ジャンが三人を激励する。

「何をしてる。行くぞ!」

 仰天したのは、ジャン以外の三人だった。

 ただし、副隊長のメリルだけは、予想がついていたらしく、静かに応じた。

「本当に、戻るおつもりですか。神同士が雌雄を決する、あの場所へ」

「そうだ。加勢に行く」

 ジャンは停止していた行軍を再開しようとした。

「待ってよ、ジャン! 無謀すぎるよ!」

「そうだ。危険すぎる。俺達にできることが、あるのか?」

 その一歩を、クルスとケイズが押しとどめた。

「わからん。ないかもしれん」

 だが、彼の眼力は爛々と輝いている。

「なら……!」

「だが、俺はフェイを助けてやりたい。できることがあるかないか、それは現場にいかなければ、分からない。なら、そこまでいって白黒つけてやる」

 全員が、ジャンの言葉をゆっくりとかみしめた。多寡はあれど、皆フェイの力になりたい思いはある。だからこそ、この無謀ともとれる提案に、ジャン以外の三人も強く反駁できない。

「それに、俺はあの化け物に、一矢報いてやりたい。士官学校の皆のためにも、ミリア士官候補生の意地を、見せてやりたい」

 この言葉を聞いたとき、メリルとクルス、ケイズの意志は揺れた。フェイに助力したい気持もあるが、それ以上に、彼らは同胞たちに対する弔いの場を求めていた。

 ジゴレイドすら、危惧を覚える戦場。そこへ行っても、彼らにできることはないかもしれない。それだけではなく、命を落とす危険もあるのだ。敵は、この世に完全な姿で具現した全知全能の存在である。生きて帰れない可能性は、大いにあった。

 全員が沈黙した。雨音だけが、時間の経過を知らせる。

「……皆。隊長命令を出す。お前たちは、引き返して、大尉たちと合流しろ。俺の勝手な判断で、お前たちを危険にさらすわけには、いかん。これまで、よく頼りない隊長を、支えてくれた。礼をいう」

 ジャンは、口をつぐんだままの三人にむかって、そう言い放つ。彼なりの優しさだった。自分の気持ちに嘘をつくことはできないが、部下である三人を巻き添えにするわけにはいかない。そう思ったからこその、退却命令である。

 踵を返し、ジャンは独り歩き出そうとした。

「お断りさせていただきましょう」

 その背中に、メリル副隊長の明瞭な意志表示が刺さる。

「そうだよ。今更、怒りっぽい隊長を独りにしておけないや」

「ああ。今更だな。いままでもそうだった。ならば、これからも、もちろんそのままだ」

 クルスとケイズも同調する。

「お前たち……」

 ジャンは、心底意外そうな顔をしている。

 メリル副隊長が、ジャンの肩に手をかけた。

「隊長殿。我ら四人は、今までも一緒でした。クルスとケイズのいうとおり、これからも、我々は生き残ったミリア軍士官候補第五十四期生として、一蓮托生です。独りで死なせるものですか。冥府の果てまで、お供させていただきます」

「そうだね」

「おう」

 三人の部下の顔を、フェイは見る。

 そして、苦笑いするように、溢れる感情を押し殺した。

「馬鹿どもめ。命令違反だぞ……」
















 ◆◆◆(場面転換)◆◆◆

















 



 フェイは、彼女と対峙していた。

 異様な光景でもある。

 激しく雨が降りしきる中、二人にはその一粒もあたることはないのだ。傘をさしているわけでも、屋内にいるわけでもない。この世の理が、神恵の子である彼らには通じないようだ。

(普段は、雨にぬれにくい、程度なのに……。あの化け物との邂逅が、それほどこの世の道理を歪めているのか……)

 土砂降りの中、渇いた髪の隙間から、フェイは十数メートル先にいる彼女を凝視する。

 漆黒の髪に、碧眼。そして、見間違えようのない顔。姿。彼と対峙するのは、間違いなくシエルだ。

「刮目しておけ。奴の力は強まっている」

 クレメンツが右肩から警告する。

「わかってるさ。それより、怪我はなかったかい、クレメンツ」

 フェイはクレメンツをむんずと掴み、焼け焦げすすけたマントを体からはぎ取った。仮面は爆風で何処かに飛ばされてしまった。だが、それ以外に外傷はない。

「火薬などという事物よりも、それを防ぐための落雷の方が、脅威であった」

「そうかい。なら、いいのさ」

 爆発の直前、フェイは雷で全身を覆ったのだ。それがアニマの膜となって、一人と一匹を灼熱と暴風から庇護していた。

 問題は、うまく雷を全身に満遍なく晴れるかという部分だったが、これも被害状況を見る限り、大きな欠陥はなかったようだ。

「全く、直前で無茶をする。肝を冷やしたぞ」

「悪かったよ。でも、これからだ」

「そうだな」

 クレメンツの思慮深い返答を聞いて、フェイは対峙する相手を凝視する。

 シエルは無言だ。だが、その眼光は真冬の吹雪のようだった。初秋の大雨が、温かく感じられるだろう。

「生きていたのね。驚いたわ」

 表情筋をつゆとも動かさず、彼女は遺憾の意を表明する。

「……いったはずだ。君に帰ってきてほしい」

「理解できないわ。もう、それができるとも思っていないでしょう。あなたは知っている。私とあなたの時間は、もう戻らないもの。それは過去よ。過ぎ去ったものを、呼び戻すことはできない。例え、魂の失せた肉体だけを動かすことはできても、個人の魂は再び具現できない。そんなことは、アルムタットにすら、不可能だわ。私の意志ですら、それはできないのよ」

 やり直しの利かない失態。唐突な喪失。建設的な何かに結び付けることのできない後悔。それらが、フェイの胸を刺す。

「そうだよ、シエル。もう、僕も君も、あのころに戻る術なんて、もっていやしないんだ。そんなこと、とっくに知ってた」

 フェイは、静かに語りかける。

「でも、これ以上、君を損ないたくないんだ。残りの君に、帰ってきてほしい。それは、今の僕にもできることだ。だから、僕は、君を支配する存在と闘う。それが、カミであろうと。誰に共感されなくとも。独りでも。僕は、君の背後にいる化け物を、追い払う」

 シエルの背後には、巨大な影が控えている。巨大な鎌首。無秩序かつ濃密に生えた牙。白目だけの巨大な眼。夜空のような四枚の翼。二股に分かれた異様に長い尾。それら全てが、欠けることなくこの世に具現する存在。

 疾病のカミ、アルムタット。太古の皇帝であり、生命の管理者。カミの中でも、最も力をもった存在の一つ。

 その絶対者は、こちらの匂いを嗅ぐように、漆黒の鼻孔を引くつかせている。まるで、餌を感知した大蛇のような動きだ。

「例えるならば、こちらは蛙だ。フェイ、本当に、この闘いを望むのか。不完全なジゴレイドと共に挑むだけでは、勝ち目はゼロだ。そして、現状を改善する要素はない。例え一個師団が戻ってきたところで、奴の前では小蟻の大群に過ぎまい」

 クレメンツの四肢が、震えている。シエルの背後にいる存在を、フェイよりも感じるのだろう。よりアニマに精通した赤毛栗鼠の教授だからこそ、危険を承知しているようだった。

「僕が怖がってないとでも? 死ぬほど怖いさ。でも、僕はもう決めた。一度固めた志は、死んでも捨てるわけにはいかない。まして、目の前に醜悪な雑巾蜥蜴がいるだけで、ぶれてたまるか。逃げるのなら、いつでも逃げて構わないよ、クレメンツ」

 この世で最も崇高な存在を、フェイはあえて軽んじた。

 その瞬間、アルムタットからの圧力が、急激に強まる。フェイは、片膝をつかずにはいられなかった。絶対者の移行には、跪かずにはいられない。

 だが、その状況でも、彼の相棒は強気に嗤った。

「……ほう、これは可笑しい。いうようになったではないか、小僧め。ならば、このクレメンツと知性の具現者メティスが、見届けてやろう。せいぜい、最高位のカミ相手に足掻いてみるがいい、青二才」

「いわれずとも!」

 フェイの両腕が帯電する。黄金の閃光が、膨張した。

「僕は!」

 帯電の光が更に激しくなる。膨張の速度が増す。

「あのリュウを!」

 帯電が臨界に達した。膨張が弾ける。

「打ち倒す!」

 黄金の落雷は水平に奔り、シエルの真上を直撃した。つまり、アルムタットの腹部を貫いた。その勢いは猶も止まらず、漆黒の体躯を通過した後、背後の平原で嵐よりも強烈な爆風と地響きを引き起こした。

 土ぼこりで視界が奪われる。

 クレメンツが平淡な口調でいう。

「あれくらいで倒せるとは思っていまいな」

 同じく、フェイも落ち着いて応える。

「挨拶代わりさ。準備運動だよ」

「ふん。世界への逆賊となる覚悟はあるようだな。命を惜しんでいては、カミには勝てんぞ」

「この体朽ちるまで――挑む」

「死力を尽くすがいい。それでこそ、神恵の子たる生涯を、実感できる」

 フェイの繰り出す雷は、常にその生命を削るほどの一撃である。だが、彼に逡巡はない。もとより、彼女を追いかけだしたときから、この瞬間に対する覚悟はしていたつもりだった。

「どの道、手加減が即こちらの敗北に繋がる相手だ。手を緩める余裕は、アルムタットにはあっても、我々にはないぞ」

「承知してるさ!」

 フェイはすぐさま、第二波の帯電を始めた。土煙で視界は限られているが、クレメンツがアニマを読んで方向を指示してくれる。

「七十七度左だ!」

「――喰らえ!」

 フェイが初撃と同規模の雷を放つ。精密な狙いはつけられないが、稲穂色の紫電と標的の大きさならば、大きく外れることはないはずだ。

 しかし、今度は向こうからも反撃がやってきた。

 闇夜を凝縮したような瘴気が、煙と雨の向こう側から、フェイへ牙をむく。その敵意に、稲穂色の電撃が応戦した。

 二つの勢力は、絡みあい、互いを制そうとたたみかける。結果、それは引き分けに終わり、周囲の雨や泥を消滅させて、この世から退出する。

 闘いはそれで終わったわけではなかった。さっきのは、衝突の一部に過ぎない。この後も、リュウと巨人の力比べは続くのだ。

(だか、流石に分が悪いな……。あのリュウは、きっと全力ではない。じゃれている程度だろう。まだ、それくらいしか権能を使っていない……。さすがは、完全態のカミだ。桁が違う)

 苦渋の皺を早くも浮かべるフェイを、クレメンツが激励する。

「アニマの総量では、こちらに勝ち目などない。一点突破しかなかろう。全てを込めた一撃を、奴にぶつけるしかあるまい」

 瘴気が雨粒を掻い潜り、蛇のようにフェイへ襲いかかる。

 それを危ういところでかわしながら、フェイが疑問をぶつける。

「だが、どうすればいい? 隙を与えてくれるほど悠長な相手じゃないし、一撃で全てのアニマを使いきるなんて、とても……」

「頭を使え。そして、状況を味方につけるのだ。アルムタット以外全てを味方につけなければ、勝利どころかまともな決闘すら不可能だぞ」

「でも、この状況がどう有利になるんだい!」

「天を良く見ろ。今夜は、嵐だ」

「嵐だって?」

 今までとは、桁違いの瘴気が襲ってきた。それは津波のようであり、周囲の空間ごとフェイを呑みこもうとしてきた。

 フェイは、両腕をその巨大な壁に向けて突き出し、雷撃で空洞を開ける。その脱出口へとびこみ、九死に一生を得た。

 荒い息を整えながら、フェイは上空を仰ぎ見る。

 黒い雲が、夜空を塗りつぶしている。雷雲のようだった。ごろごろという岩同士を乱暴に擦り付けるような音も聞える。上空で雷が生成されているのだ。

 そのとき、フェイはクレメンツの意図する内容を理解できた。

「そういうことか。やってみる価値はありそうだ、クレメンツ」

「合図は私がしよう。あとは、できるだけ対象に近付くことだ」

「一縷の光に気がついたんだ。それくらい、なんとかするさ」

 言下、フェイは駆けだす。シエルへ一直線に。

「呼び水を撃て!」

 その合図で、フェイは上空の雷雲へ黄金のアニマを放った。膨大なエネルギーを湛えた稲穂色の力は、上空を広く厚く覆う雷雲へ着弾し、夜空全体を金色に輝かせる。

 意図に気がついたアルムタットが、上空へ首を曲げた。だが、それは願ってもない隙だった。

 咆哮しながら、フェイは最後の一撃を準備する。この後には、もう雷は呼び出せないだろう。それどころか、体もまともに動かないはずだ。

(だが、勝機はこの一撃だけにしかない。おそらく、この一回分だけで、雷雲は消滅してしまう。だからこそ、この一撃に全神経を注ぐ!)

 フェイは足を止めない。途中で、彼の突撃を阻もうとする瘴気が、数回、腹や足に到達した。彼の内臓は病み、呼吸器官は空気を吸えず、四肢は虚脱感に満たされる。だが、彼はそれでも止まらなかった。

 そして、アルムタットへあと数メートルのところまで、彼は肉薄する。

「今だ! 放て!」

 クレメンツの最後の合図があった。

 その瞬間、黄金に帯電する雷雲が光り、巨人の全身が浮かび上がる。

 その姿を瞳に移したシエルが、驚愕する。

「まさか、完全態を――――」

 フェイは、皆まで言わせない。

 全身が危篤のような病状でも、彼の眼光だけは少女の後ろにいるリュウへ、注がれていた。

 激しい敵意と、強固な意志による、雷鳴のような輝きを、湛えて。

「――震撼せよ!」

 フェイの両手が、再び天へ、捧げられた。

 その刹那。

 上空から、巨人渾身の一撃が、リュウへ降った。草原は、閃光で塗りつぶされる。

 完全態となった稲穂の巨人は、その全力を疾病のカミへ注ぎ込む。莫大な量のアニマが、疾病のリュウを焼いた。その槍はリュウの腹部を貫き、そこから存在を消滅させてゆく。

「消えされ、アルムタット!」

 両腕から壮絶な雷光を放出しながら、フェイは絶叫する。彼の意志が燃え上がるのと共に、雷光が強まった。黄金光の柱が、成長する。

 悲痛の鳴き声を、リュウはあげた。だが、カミは嘆くだけの存在ではない。その白い眼が、雷の巨人へ向けられ、反撃が開始される。禍々しい口蓋があらわになり、そこから濃縮された瘴気が、巨人の顔を狙った。その闇は巨人に直撃し、彫刻のような巨人の輪郭を崩していく。その瘴気は、全てを吸い込む暗黒のように、徐々に巨人を溶かし始めた。

「フェイ。ここが天王山だ! 先に相手を消滅させた方が、勝者だ!」

 クレメンツが叫ぶ。

 だが、それに返事をしている余裕はなかった。フェイは、全神経を雷光へ注いでいる。この一撃で、疾病のリュウを現世ではないどこかへ送り還すために、彼は自分の生涯をかけていた。

 先に消滅を始めたのは、アルムタットの方だった。その点では、フェイの方に利があった。だが、消滅のペースはジゴレイドの方が速い。総合すれば、若干アルムタットの方に分があるだろう。

(諦めるものか)

 フェイは、すでに感覚を失くした四肢を気力だけで持たせていた。

(戻ってこい、シエル)

 何度目かの喀血が、彼の気孔を塞ぐ。しかし、それすら障害ではない。

(帰ってきてくれ、シエル!)

 閃光に焼かれた両眼が、滲む。まともな五感など、一つもない。

(頼む! お願いだ!)

 だが、フェイはアニマを絞り出す。かけがえない存在のため。それを庇護するため。

 たとえ、相手がカミであっても、獅子奮迅の働きをするのだ。

(君の居場所は、そこじゃない!)

 リュウの消滅が速まった。両者とも、もうほぼ体の一部しか残っていない。

 フェイは、枯れて潰れた喉で、最後の咆哮を絞り出した。

「此処だ! シエル――此処だ!」

 黄金の雷光が最後のうねりを呼び起こした。その波は、最後まで残っていたリュウの頭部を焼き尽くし、蛍のような淡い欠片に変貌させる。

 同時に、草原を覆っていた雷鳴が消えうせる。雷雲が消滅していた。巨人の影も、ない。

 闇と静寂が、草原に戻った。

 最後に一度だけ発生した雷鳴が、胸を貫かれたリュウと、頭を砕かれた巨人の残像を、洞窟壁画のように夜空へ移しだす。

 そして、それっきり、何も訪れなかった。具現しているのは、この世のものだけだった。

「シエル…………」

 青年が、血と傷に塗れた指先を、少女の身体に伸ばす。そして、そっと触れた。

 その懐かしく、どこまでも優しい温もりに、そっと、触れた。













(※第六章「神恵の子ら」に続く)


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