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神恵の子ら  作者: 琴原 宰
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神恵の子ら 第四章

 <第四章  撤退作戦>







 太陽が半分ほど顔を出した頃、五人の馬車は野営地を発った。

 今朝は、明朝から風が強い。夜の冷気を残した風が、馬車の中に吹き込む。

 クルスが、寒そうに震える。

「うわ。なんだか、寒いですね」

「でも、湿度はありそうだ。風が湿気ている」

 フェイが相槌を打つ。

「身体に悪そうだなあ」

時間がたったことで、クルスの両目の腫れは、ようやく治まりつつある。風に反応できることも、回復の兆しなのだろう。

「それにしても、平原の天気は落ち着いた者だと思っていたが……」

 ケイズが、馬車の窓から、外気に触れる。予想以上に風があったのか、すぐに手を引っ込めて、窓を閉めた。

「ジャンは、大丈夫なのか?」

 馬車の手綱は、昨日と同じくジャン小隊長が握っている。つまり、彼だけ屋外にいるということだ。

「平気です。私の外套を貸しましたから。二人分あれば、なんとか暖はとれるでしょう」

 そういうメリル副隊長は、確かに一人だけ外套を羽織っていない。代わりに、毛布をはおっている。

「クレメンツ殿。これは、嵐の前兆では?」

 右肩で転寝をしている栗鼠のかわりに、フェイが答えた。

「ああ、嵐だ。この地方には、秋口から冬の手前にかけて、何回か嵐がやってくる。暴風と豪雨をともなった嵐だ。今夜は、かなり荒れるかもしれない」

「そうでしたか。助かりましたな。一日でも旅程が遅れていれば、かなり困難な旅路になっていたかもしれません」

「不幸中の、幸いか」

 メリルの言葉をきいて、ケイズがぽつりと感想を呟く。

「まあ、我々にも僅かなツキは残されていたということです。一先ず、前線には無事に突くことができそうなのです。それで、良しとしましょう」

「いまのところは、ね。生きているだけ、幸福だと思わなきゃ。嵐くらいでうだうだいっても、士官学校の皆にどやされるよ」

「そうですとも。こう言われてしまいますぞ。『馬鹿者! 俺達の本来の目的は、前線の敵軍を蹴散らすことだ! 不抜けるな!』とね」

「メリル、その人はまだ存命だよ」

 副隊長が真似た人物が、自分たちの隊長だと分かった三人は、噴き出して笑った。冗談をいう元気が出てきたようだ。

(よかった。皆、辛いだろうに……)

 フェイは、その様子で少しだけ安堵する。

 そのとき、ジャンが吠えた。

「おい! 聞えてるぞ!」

 一人手綱を操るジャン隊長が、馬車の外から怒号を飛ばす。中にいる四人は、一斉に馬鹿笑いをした。

「馬鹿者どもめ。今度つまらんことをいってみろ。貴様ら全員、馬車から叩き落としてやる。絶対に執行してやるからな!」

「おやおや、隊長殿。気炎を吐かれておられますな。たいそうよいことと存じます」

「何故だ」

「寒い野外で、身体が温まりますゆえ」

 この冗談で、ジャン隊長の小言はさらに勢いを増した。メリル副隊長は、いつも通り冷静に相手をする。クルスとケイズは、二人の舌戦でゲラゲラ笑っていた。

(つらい別れを撥ね返そうと、彼らは苦悩している)

 右肩で、フェイにだけ聞える声がした。

(クレメンツ。起きていたのか)

(目が覚めただけだ。またすぐに、眠るだろう。……彼らは強い)

(僕も、そう思う)

(誰もが、彼らのように強いわけではない。だが、お前にも向き合うべき瞬間が、訪れるだろう)

 シエルのことをいっているらしい。

 フェイは、浮かない表情をした。顔に影が差す。

(心するのだ。神恵の子よ。これは、定めである)

(わかってる。僕は、彼らより弱い。でも、向き合うことからは、逃げたりしない)

(ならばいい。寝かせてもらう)

(ああ、おやすみ)

 右肩から寝息がきこえる。クレメンツは再び睡魔に負けたようだ。

「だいたい、貴様らも馬の扱い方くらい、士官学校で学んだはずだろう! なぜ、ずっと俺一人が手綱係なんだ!」

「扱えるとはいえ、我々はかじった程度です。隊長殿の腕に遠く及ばないことは、ご存じのはずでは?」

「そうだよ。名門軍閥の出身者とは違って、僕らは庶民なんだ」

「物心ついたときから自分専用の馬がいた環境で、育っていない」

 四人が、まだ言い合いを続けている。

(こういう年頃の若者は、一度火がつくといつまでも盛り上がるな……)

 二つかそこらしか歳は変わらないはずだが、フェイは世代間のギャップを感じた。

(というよりも。ジャンは名門軍閥の出身だったのか。あの赤い髪の色をした名家があったはずだが……)

 どこだっただろうか、とフェイが一人思案に暮れそうになったとき、野外のジャン隊長の今までとは違う、鋭い警告が響いた。

「前方に騎手! 三人編成が三隊だ。全員騎兵。おそらく、数は九。それ以外はいない。正面から、こちらを目指してやってくるぞ!」

 談笑の空気が吹き飛ぶ。此処はもう、前線の近辺なのだ。敵軍がいても不思議ではない。

「敵ですか、味方ですか」

 メリル副隊長が尋ねる。

「わからないな。遠すぎる。だが、こちらに用があるようだ。まっすぐ向かってくる」

 馬車の窓から顔をだしたケイズが、そうメリルに伝える。

「俺は馬車の上に行く。戦闘になるかも知れない」

 フェイはそう言い残し、巨躯を身軽に馬車の屋根へ運んだ。

「メリル! お前も屋根に登れ。クルスとケイズは中で待機しろ」

 ジャン小隊長が指示を飛ばす。フェイに続いて、メリル副隊長が屋根に上ってきた。こちらも、身軽である。

「どう思う?」

「彼らですか。襲うには、人数が少ないですが……」

 馬車の上は、冷たい風が横行していた。お互いの声が聞きとりやすいように、二人は身を寄せ合って意見を述べ合う。

 しばらく、五人は地平線からやってくる黒影を凝視した。彼らの正体が明らかになった瞬間、行動を起こさなければならない。

 敵ならば、交戦。味方ならば、状況の説明だ。

(どちらにしても厄介だが、やはり味方のほうがいいな。前線から離れて、二カ月。敵軍の規模もわからないことだし)

 フェイは、生まれつき目がいい。五人の中では、最もいいかもしれない。

 しかし、彼よりも優れた視力が、右肩にいた。

「全員、深緑の制服だ。帽子のシンボルは、稲妻のような形をしている」

 クレメンツだった。

 フェイはすぐさまジャンに叫ぶ。

「第六師団の兵たちだ!」

「味方なのだな!」

「保証しよう。顔なじみもいるかもしれない。悪いが、俺は馬車の中に戻る」

「なぜだ! 勝手なことは――」

「――それと、僕の本名も、口にするな。呼ぶときは、ジゴレイドという言葉だけ使え」

 一方的に言い切り、フェイは身をひるがえす。馬車の中へ戻った。

「ケイズ、すまない。代わってくれるか」

「了解」

 代わりにケイズが、屋根の上に登る。

「フェ……違った。ジゴレイド。どうして、本名を呼んではいけないのです?」

 馬車に残っていたクルス衛生兵が、鮮やかな交代劇に驚いている。

「軍事機密だからだ。君達はもう知ってしまったので仕方ないが、あの九人の中で、僕のことを知っているのは、せいぜい隊長くらいだろう」

「そうなのか、ジゴレイド」

 壁ごしに聞いていたジャンが口をはさむ。

「ああ。知らないだろうし、知ってはならない。君達はすでに手遅れだが、余分に情報は漏洩させない方が、ミリアのためになるだろう。シエルを追う上でも、これ以上障害は増やしたくない。僕には、敵が多い」

「そうか。わかった。考えている暇もない。他人への嫉妬に巻き込まれるのも、ご免だ。おい! 屋根の二人もきいたか!」

 屋根から、二人分の了承が返ってくる。

「それで、ジゴレイド。あの中に、顔見知りはいるか」

「見ていないが、いるとすれば隊長だろう。そいつが初めに名乗るはずだ。君が事情を説明して、隊長だけ馬車の中に誘導しろ」

「上官を誘導だと? 無理難題だな」

「頼む」

「高くつくぞ」

 だが、ジャン隊長は断らなかった。

「それにしても、なぜ俺達に気づいた? 此処はもう、前線なのか」

 ケイズが他の四人に届くよう、かなりの大声で疑問を放った。

「さあ。もしかすると、前線が後退しているのかもしれません。だから、思ったよりも早くついた」

 メリル副隊長が推理した。

「恐らく、全く別の理由だ」

 フェイが否定する。

「と、いうと?」

「恐らく、ジゴレイドの稲妻を目撃したのだろう。此処は平原だ。遮蔽物がない。それに、あのときは夜明け前だった。前線には大勢の兵士がいるから、一人ぐらい、その光を目撃していても不思議はない」

「なるほど。調査に来たわけか」

 ジャン隊長が、納得する。

「ああ、だから第六師団が来ている。迎えに来たんだ。僕を」

「失踪した最高戦力を、うやうやしく御迎えに上がったわけだな、ふん」

「いなくなった英傑ジゴレイドを、迎えに……」

 クルス衛生兵は、そういってフェイを見つめる。

 フェイは、迎えのやってくる方向に、憂いの眼差を向けていた。












 ◆◆◆(場面転換)◆◆◆














 九頭分の蹄が、接近してくる。それらの足音は、馬車を包囲するように止まった。

 フェイは、馬車の中でその音に耳を澄ませている。視界は使えないので、聴覚で状況を判断するしかない。

「止まれ! 我々は、西の前線配属、第六師団第第一大隊のジラード大尉である」

 その声と名前を聞いたとき、五人は動揺に呆気にとられた。四人は、良く知った偽名を知っていたからで、一人はよく知った部下の名を聞いたからである。

「私は、士官候補生のジャンであります。ジラード大尉」

 ジャン小隊長が、ジラード大尉に応じる。

「そうか、ジャン候補生。なぜ馬車一台、三名で前線に向かっているのか、それはおいおい尋ねるとして、この馬車の屋内には、誰かいるのか」

「私の部下が一人」

「それだけか」

「それと、お探しかもしれぬ人物が一人」

 沈黙が訪れた。

(ジラードのことだ。ジャンを睨んでいるに違いない。冗談が嫌いな奴だからな。少し、奴は生真面目すぎる)

「どういうことか、ジャン候補生」

「ご自分で、お確かめください。候補生の私では、このことに言及してよいかの判断がつきかねます」

「誰がいるのか」

「権限がありません」

「……回りくどい言い方だな。まあいい。確かめれば、分かる」

 一人が、馬から降りる音がする。地面に着して、迷いなくこちらに向かってくる。

「ジラード大尉。我らもお供します。敵が潜んでいるとも、限りません」

「そうです、一人くらい護衛をつけねば……」

 数人の部下が、ジラード大尉に続いて、地面に着地した。

「お前たち、そこにいろ!」

 しかし、ジラード大尉は、部下たちの追従を拒んだ。

「しかし!」「なぜです!」

「いいか、これは命令だ。上官の指示に従え」

 反駁の気配がやんだ。一人でこちらにやってくる。

(いい判断だ。お前が部下でよかった、ジラード大尉)

 フェイは、そっと胸をなでおろす。お供を連れてこられたら、一作戦練って実行しなければならなかった。

「中にいる者に次ぐ。もし、抵抗の素振りを見せれば、即座に周囲を囲んだ私の部下が、お前たちを銃撃する」

 馬車の扉から、ジラード大尉が警告する。側面の壁ごしには、銃を突きつける気配が感じられた。

(抵抗しないほうがよさそうだな)

 そう感じたフェイは、隣で緊張するクルス衛生兵にささやく。

「クルス。なにもするなよ」

「しません」

 確固たる返答を聞いて、フェイは安心する。

「いいか。なにもするな。最後の警告だ」

 ジラード大尉の言下、扉が慎重に開かれる。

 外光がさす。屈強な男の上体が覗いた。

 そして、目が合う。

「――やはり、あなたでしたか」

 ジラード大尉は、神妙にそれだけいった。

「我らの英傑、ジゴレイド」

 久しぶりに、部下の顔を眺める。二か月前より、頬がこけていた。それだけ、前線の現状が厳しいのだろう。

「抵抗はしない。約束しよう。前線に用がある。連れて行ってくれるな」

「拘束し連行する、といった方が適切でしょう。あなたは、脱走兵ですので」

「承知の上だ。話がある。聞いて欲しい」

 「元上官のあなたをこう扱うのは、いささか複雑ではありますがね」

「今すぐ銃殺されない配慮は、ありがたいくらいだ。さっきも言ったが、話を聞いてくれないか」

「情状酌量ならば、前線でやって頂きたい」

「情状酌量、か。そうかもしれん。だが、西の前線全軍に関わる話だ。お前に聞いて欲しい」

「聞いてよい話かどうか、私には判断がつきませんな」

「ミリアのために、聞いておくべき話だ」

 過去に上官と部下だった二人は、静かに睨みあった。フェイは真剣さを物語るように、ジラード大尉は本意を探るように。

「……聞きましょう」

「感謝する」

「内容だけ、手短に」

 ゆっくりと首を縦に振り、フェイは唇を舐めた。

「危機が迫っている。ミリア亡国の危機だ」

「ええ。危機です。あなたが前線から逃遁したことによって、我が軍と国民は、多大なる被害をこうむりました」

「そうではない! 別の危機だ」

 語調を荒げたフェイに、クルス衛生兵が驚く。

 ジラード大尉は、冷やかな目線でフェイを眺めた。

「それで。最高戦力が敵前逃亡するよりも深刻な危機とは、何なのです?」

「新たなカミが現われた。ジゴレイドやカッセルプライムよりも、強力な存在だ。人間に敵意を持っている。今までのどのカミよりも、完全な姿で、この世にあらわれた」

 大尉は、面喰っている。信じていない顔だ。

「……ご冗談を」

「冗談ではない。あの化け物は実在する」

「信じられません」

「信じてくれ」

 呆れたように、大尉はため息をつく。

「あなたとカッセルプライム殿以外に、神恵の子が存在するなど。どれだけ、ミリアがそういった存在を探しまわったか、あなたも存じているでしょう。あなた達二人以外には、存在しなかったのです。三人目は、ありえない」

「事実だ。この局面で嘘をつくと思うか、ジラード。僕はそのカミに、二度敗北した。どちらも、命を落としかけた。全く、歯が立たなかった。完敗だ。奴は、本物の化け物だ。ミリア全軍を、一晩で滅ぼせる」

「敗北? あなたが、ですか」

「ああ。それも二度だ」

「討ちとったのでしょうね」

「いいや」

「ならば深手を」

「傷一つ、つけられなかった」

 ジラード大尉は、とうとう匙を投げるように両手を振る。

「……失礼ですが、あなたが正気とは、思えませんな。ご存じないかも知れませんが、あなたは、ミリアの最高戦力なのです」

「気が触れたわけではない」

「ミリアの最高戦力が、敗北。それも、傷一つ与えられず惨敗とは。あなたと前線で戦ってきた者であるからこそ、私は確信できます。そんなことは、ありえない」

「ジラード。僕のジゴレイドは、両方の指先から肩までしか、この世に現れない」

 突然の告白に、大尉はたじろいだ。

「初耳ですな。てっきり、巨人の全身がこの世に降臨しているものとばかり……」

「軍事機密だった。だが、そんなことは、もう、どうでもいい。僕はもう軍人じゃない」

「それで、元中佐のジゴレイド殿。それがどうしたのです?」

「僕が追っていたカミは、全身が現れる。考えてもみてくれ。両腕だけで、前線であれほどの力が奮えた。身体の一部だけで、恐るべき力だ。それが、全身具現する」

「……つまり、足や胴体や頭も、この世にあらわれるということですか」

「そうだ。ついてに、翼が六枚と二股の尾が一本。どれだけ畏怖すべき存在か、ジゴレイドを目の当たりにしてきたお前なら、分かるだろう」

 まだ疑いの眼差しだったが、大尉は細かく何度も頷いた。半信半疑といったところだろう。

「嘘をついているにしても、ずいぶん巧妙な嘘のようです。姿まで、でっちあげるとは」

「でっちあげではない」

「そうだとしても。もうこの話題は、私だけでどうにかできるものでは、ありません。第二師団長殿に、直接話して頂くしか、ないでしょう」

「第二師団長に僕を引き渡すつもりか。第六師団長は、どうしたのだ」

「先代のアッジマン第六師団長は、名誉の戦死を遂げました」

 フェイの両目が、一気に見開かれる。

「なに、戦死だと!」

「一カ月前のことです。極秘で前線の哨戒部隊に同行していたさい、敵軍の強襲にあい……」

「情報が、漏れていたのか」

「そうとしか、思えません。前線のミリア軍は、疑心暗鬼になっています。あなたが逃げ出した二カ月で、多くの裏切りや脱走がありました。勝てる戦いから敗走に移らねばならない兵隊たちの心理は、すでに憔悴しきっているのでしょう」

「…………そうか」

 フェイは、直属の上司だった元第六師団長の顔を思い浮かべた。老いてなお、その両岸には爛々とした闘志の宿った人物だった。フェイの正体を知る数少ない人物でもあり、多くの恩を受けた。

(アッジマン師団長。御恩をお返しする前に、名誉の戦死とは……。僕のせいです。お許しください)

 目を閉じて、勇猛な指揮官の冥福を祈るフェイ。

「それで、だれが代わりをやっている」

「今の第六師団は、アッジマン師団長の副官だったグレイ准将が最高司令官として、指揮系統を掌握しています」

「グレイ大佐か。まあ、そうなるだろうな」

 フェイは、アッジマンにいつもつき従っていた怜悧な副官を思い出す。情熱家のアッジマンとは対照的な、冷徹な男だ。フェイはそこまで仲良くはなかったが、無能な軍人ではない。アッジマン亡き今となっては、無難な人事といえるだろう。当然、アッジマンの副官だったので、彼もフェイの正体を知っている。

「今は、グレイ准将です」

 ジラード大尉が訂正する。

「そうだったな、グレイ第六師団長殿、だったな。……それで。あの第二師団長は、まだ健在なのか」

「サルバトール第二師団長のことならば、その通りです。第二師団の損害は、第六師団程ではありませんので」

 フェイの眼光が、意地悪に光る。

「ふん。雄々しく戦う第六師団と違って、第二師団は後ろでふんぞり返っているだけだ。損害も少ないだろう」

 味方を毒づくフェイに、クルスが驚いた視線をおくる。同胞にこういった態度をとるフェイは、初めて見るからだ。

 大尉は、そんなフェイを咎めるように反論する。

「ジゴレイド殿。戦略には、役割分担がございます。そのような発言は、感心しませんな」

「連中が兵を出せば、敵軍により損害を与えられた局面は何度もあった。だというのに、大勝しても手柄を第六師団にとられたくないという浅い考えで、第二師団は何度も援軍をよこさなかった」

「あのときのことを、まだ根に持っているのですか」

「あのとき『は』、ではないぞ。あのとき『も』、だ」

「向こうはたたき上げの第六師団とは違い、士官学校での高級将校たちなのです。我々と同じ価値観ではないのでしょう」

「はん。結局、自分の血を流したがらない消極性の塊みたいな連中なのさ。アッジマン師団長のかわりに、サルバトールが死んでいれば、まだ前線も持ちこたえられたろう。残念だ」

「ジゴレイド殿! 不敬がすぎますぞ!」

 ジラード大尉が、今度こそ激昂した。上官どころか、最高司令官への侮辱である。

「それほど、軍法会議での疑義をお増やしになりたいのですか」

「敵前逃亡の時点で、銃殺だろう。いまさら、一つや二つ増えたところで、変わるものか。だが、どうせ死ぬならば、戦場で死にたい。軽はずみな言動は慎もう」

 すまなかった、とフェイが謝罪する。それで、ジラード大尉はようやく引き下がった。

「……このことは、上官に報告させていただきます。しかし、信じがたい与太話ですな。三人目など。それも、ジゴレイド殿やカッセルプライム殿以上の力を持つとは」

「俺も、初めは信じられなかった。いや、信じたくなかったと、いうべきなのかもしれない」

 フェイは、シエルのことを思い浮かべる。そこには、哀愁の情が存在する。

「その存在は、今どこに?」

「丸一日前、前線から歩いて一日半ほどの草原地帯で遭遇した。だが、そこで振り切られた。行方は分からない」

「全く、把握できないので?」

「向かった方角は分かっている。西の前線だ。彼女は、兵隊を憎んでいる。兵隊を一人残らず、罰する気なのだろう」

「彼女? 三人目の存在は、女性なのですか」

「そうだ」

「それに、兵隊を憎んでいるとは。何の因果でそうなったのです」

「そこまで説明している時間はない。一つ断言できることは、彼女は西の前線に駐屯するミリア軍・敵軍を一掃するつもりだ」

 シエルに関する情報を、フェイは話さなかった。説明するには骨が折れるし、かつ、説明して彼女の素性を探られたくもない。

 ジラード大尉は、深いため息をついて、フェイを見つめる。

「敵味方含めた、全軍を一掃ですか。それも、たったの一人で。ジゴレイド殿。あなたにすら、それは不可能では? 可能なのですか、そんなことが」

「可能だろう。何度も言うが、あの化け物は完全な姿だ。その権能は、部分的にしか具現できないジゴレイドのそれを、遥かに上回る。完全態となったカミの前では、人と不完全なカミなど、支配の対象に過ぎない」

「……そうですか。ならば、寧ろ都合がよかったのかもしれません」

「どういうことだ」

「我々は三日前に、西の前線から退却することを決めました。西の前線を捨て、王都により近い補給路が確保された地に、新たな防衛戦を張るのです。夕方には、撤退作戦が開始します。第二師団長、サルバトール中将の発案です」

「西の前線を、捨てるのですか!」

 フェイが何か口にする前に、クルス衛生兵が声をあげていた。

「候補生。無断の発言は慎め」

「も、申し訳ありません」

 押し黙ったクルス衛生兵の表情に、苦悩とやるせなさが浮かぶ。配属されてすぐに退却作戦に参加する混乱と、捨てる前線を維持するために呼び寄せられ、命を捨てた仲間達への納得できない心情があるのだろう。それは、おそらくジャンもメリルもケイズも、同じ気持ちのはずだ。

「それで。どうせ、第二師団が真っ先に逃げ出すのだろう。しんがりは、第六師団か」

「お考えの通りです」

 また、第二師団へ悪態をつきそうになったが、辛うじて思いとどまる。

(無駄口を叩いて、好機を潰すな、フェイ。寧ろ、これは好都合だ。第二師団がいなくなれば、もぬけの殻になった前線の指揮系統は、第六師団が握る。そうなれば、退却作戦に参加できるかもしれない)

 フェイは素早く考えを巡らせる。

「その退却作戦。このジゴレイドも参加させて欲しい」

 ある程度予想していた言葉だったのか、ジラード隊員の返答は渋い。

「無論、前線にいた頃のあなたが、この作戦に参加していただけるのであれば、私としては心強いです。ですが……」

「それを決めるのは、第二師団長か……」

 サルバトール第二師団長は、権力欲の塊である。人間の薄情な部分と狡猾な部分を、凝縮して出来たような軍人だ。何かと利用価値のあるジゴレイド=フェイを、自分の手元に置きたがるかもしれない。

(最悪、僕抜きで第六師団を前線に置き去り。怒涛の勢いで敵軍が第六師団を壊滅させている間に王都に戻り、脱走兵ジゴレイドを捉えた手柄をでっち上げ、出世の道具にされる……。うむ。そうだな。奴ならば、確実にそうするだろう)

 それでは、シエルとアルムタットを止めることはできない。事態は、より悪い方へ進んでしまうだろう。

 考え込んだすえに、フェイは大尉に話を持ちかける。

「ジラード大尉。君はどうしたい?」

 同じく思案していた大尉に、水を向ける。

「なんのことです」

「決まっているだろう。僕の処遇だ。今は、君がジゴレイドの処遇を決めていい。現在、君はそういう立場にある」

「立場にあるわけではありません。一時的に、そういった状況にいるだけです」

「だが、実質的な権限を持っていることに、変わりはない。どうだ、ジラード大尉。少しだけ、回り道をしないかね?」

「仰る意味が、良く分かりませんな」

 シラをきる大尉。しかし、フェイは元部下の癖をよく覚えている。あれは、こちらの意図に気づくと厄介だから、わざとああしているのだ。

「僕と君が、前線につくのを遅らせよう。夕刻まで、少し時間を稼げばいい」

 大尉は、何度目かの呆れた顔を向けてくる。

「何をいうのです。そのようなこと、できるわけがないでしょう。上官の命令に、逆らえと?」

「ばれやしないさ。それに、連中はもうじき前線からいなくなる。王都に返ってからも、自分の失敗談は持ち出したくないだろう。西の前線には、極力関わりたくないと、第二師団の連中ならば考えるはずだ。経歴の中の汚点になるはずだからな」

「あなたのために、そこまでの危険を侵すつもりは、残念ながらありません。ジゴレイド殿」

「僕のためじゃない。ミリアのためだ。今、僕が第二師団と一緒に王都へ連れて行かれれば、しんがりの第六師団は、君を含め間違いなく、全滅だぞ」

「覚悟のうえです」

「本当にそうかね。勝戦ならばともかく、負け戦の敗走戦で、全く戦わなかった第二師団を逃がすために戦死することが、それほど名誉なことかね」

 フェイの口調には、明らかな悪意があった。嘲笑の気配すらある。

 無論、その侮辱にジラード大尉は憤慨した。

「口がすぎますぞ! 脱走兵のあなたが、過酷な前線を支えた我々を愚弄するとは!」

「そうだ。ミリアのために最も戦い、貢献してきたのは、この脱走兵でもなく、第二師団でもない。君達たち第六師団の兵たちだ。だからこそ、誇り高き君たちへのずさんな処遇を、僕は憂いている。命がけで守ってきた戦友たちが、こうも簡単に捨て駒にされたことに、酷く失望している」

 激昂したジラード大尉が、言葉を失う。

(やはり、図星か。まあ、僕がいたころから、第二師団との確執はあった。それが、ジゴレイドの脱走によって、深まったのだろう。人間同士の溝は、好転よりも窮地で深まるからな……)

 任務と軍属の矜持。この二つで板挟みにされた大尉を、フェイは慎重に言葉を選んで諭す。

「ジラード大尉。僕に、死ぬ場所をくれ。そして、その戦場では今までともに戦ってきた仲間たちを、守るものでありたい。権謀術数に塗れた中央のものたちではなく、真にミリアのため血を流し続けたものたちのためで、ありたい。大尉。最後の願いだ。聞いてくれないか」

 耳鳴りがするほどの静寂。車輪が回転し軋む音だけが、ここを真空から遠ざけている。

「…………あなたは、また逃げるのではありませんか。我々を置いて」

「今度は、最後まで君達に付き合おう」

「敵軍へ、寝返ることは」

「ありえない」

「三人目に、勝てるのですか」

「勝てる」

 大尉は、額の縦皺をつまみ、ゆっくりと揉む。難しい決断を、彼は迫られていた。

「わかりました」

 彼はいう。それから、クルス士官候補生に視線を移す。

「士官候補生。拳銃で撃て」

 ギョッとするクルス。

「まさか、ジゴレイド殿を……」

「そうではない。馬車の車輪だ。止め具を狙え」

 全てを察したクルス衛生兵が、表情を輝かせる。

「は!」

 何度か銃声が響いた。右側の車輪が、馬車から外れる。大きな衝撃とともに、馬車が傾き、半ば転倒した。

 周囲の者たちが、異変を察知して声を上げる。

「静まれ!」

 その騒ぎを、ジラード大尉が一喝しておさめた。

「見ての通り、馬車が破損した。我々は歩いて目的地まで到着せねば、ならない。前線基地への到着は、夕刻になるだろう!」

 馬車からでた大尉が、大声でそう触れて回る。

 馬車の外は、風が吹き荒れている。

 やはり、今夜は酷い嵐になるだろう。

「……感謝する、ジラード大尉」

 その風を頬に受けながら、フェイは大尉の背中に礼をいった。










 ◆◆◆(場面転換)◆◆◆













 退却する第二師団の列が、王都へと伸びている。その隊列は、平原の遥か彼方まで、続いていた。

「明朝から出発して、最後尾が夕刻に退却とは。ずいぶんと、壮観だな」

 グレイ准将は、その流れを眺め、一人呟く。

「は。第二師団の退却は完了いたしました。残るは、我々第六師団のみであります」

 傍に控えていた副官が、独白に応じる。

「第二師団長は、真っ先に此処を後にした。この指揮は、これから私がとる」

「は」

 今は、夕刻である。傾いた太陽が、地平線に吸い込まれ始め、茜色に草原を染めていた。

「敵は、日が落ちれば攻めてくるだろう。迎撃準備を急げ」

「我々も退却しないので?」

「時間を稼ぐ必要がある。それに、このまま敵を調子づかせるのも、癪だ」

「さすがは准将殿です。目にものを、見せてやりましょう」

 副官が威勢よく応じる。

(とはいえ、許されるのならば、私も副官も逃げ出したいところだ。敵はこちらの数倍。生き残れる可能性は、低い)

 決して表には出せない思考を、グレイ准将は巡らせる。分析家の彼にしてみれば、この状況は絶望的だった。

(日が落ちるとともに、我ら第六師団の運命も、終わるだろう)

 そう、半ば確信している。

(だが、唯一、希望があるとするなら)

 准将は、昔、部下だった一人の青年を思い出す。

(お前だけだ、フェイ。ジゴレイドの恵みを授かった者よ)

 そのときだった。前線基地の入り口が、にわかに騒がしくなる。どよめくような、感性のような音だった。

「なんだ。敵襲か」

「いえ。国境とは正反対からです」

「敵では、ないのか」

 ジラード大尉からの伝令が伝えた言葉を、思い出す。しかし、准将は楽観論が嫌いだった。あの存在が帰還したからといって、戦況が不利なことに変わりはないし、第一、戻ったとしても彼が昔のように第六師団を守ってくれる存在かどうかも、疑わしいのだ。フェイ中佐は、脱走兵なのである。信用するには、彼は第六師団を裏切りすぎている。

「騒ぎが、こちらに接近します」

「周囲の兵に、状況を尋ねよ」

「は」

 グレイ准将と副官は、前線基地の中央にある司令官用のテントにいる。屋内だと、そう視界も広くない。テントの裂け目から、慌ただしく退却と応戦の準備を進める第六師団の兵たちが見える程度だ。

 だが、その兵たちは、ある一点に釘付けとなっている。作業を放棄した兵たちが群がっているせいで、渦中の存在は見えないが、多くの兵たちが集まっていた。

「全く。何をしているのだ。我々は死線の真っただ中に、いるのだぞ」

 命令を無視した兵達に腹を立てた副官が、群がる兵たちを叱りとばしに向かう。

「待て。こちらにやってくる。どんな大馬鹿ものか、見てやろうではないか」

「軍法会議ものですぞ」

「そうだな」

 グレイ准将の頬に、微笑が浮かぶ。

「ははっ。ですが、何が可笑しいのです?」

 普段は冷徹な上官が浮かべる笑みに、副官は怪訝そうな視線を送る。

「今に、分かる」

 グレイ准将の、言下だった。

 鼓膜を破るような轟音が鳴り響く。

 前線基地に、黄金色のいかずちが、天から襲撃した。テントの外からでも、その閃光と轟音は凄まじい。

 その一撃を皮切りに、群がる兵たちが、恐れ慄いて後退する。潮が引くように、中心が空白になった。

 そこに立つのは、仮面の大男。

「稲穂色の雷……。准将! ジゴレイドです、フェイ中佐です!」

「元中佐だ。奴は脱走兵だぞ」

「はは。しかし、我らの雷が、戻りました!」

「ジラード大尉め。早朝に出発したわりには、時間がかかったと思っていたが……」

「わざとでしょう。第二師団に気取られぬためです」

「サルバトールを出しぬいたか。やってくれる。スティング! 他の兵たちの作業を急がせろ。私は、大尉と元中佐に話がある。これで、犬死は避けられるかもしれん」

「は! 必ずや、間に合わせます!」

 副官の声にも、覇気が戻る。彼は、走って他の兵達に指示を飛ばしにいった。この場合は、激励といった方が正しいかもしれない。

 鉄製の仮面と、群青のロングマントをはおったフェイ中佐が、ジラード大尉とその部下によって、テントの方へ到着した。

 醸し出される神々しさ。歴戦の気配。目の前の存在を、改めてグレイ准将は値踏みする。戦士として、これ以上ないほど申し分ない完成度だ。軍神のようでもあり、同時に美術品のようでもある。

(まちがいない。ジゴレイドだ)

 グレイ准将は、確信した。

「入り口を閉じよ。ジラード大尉と仮面の男以外は、席をはずせ」

 その指示に、他の兵たちが従う。なぜか、その中には四人の士官候補生が含まれていた。少し違和感があったが、些細なことに構っていられる時間はない。

 皆がテントから退出した。

 残ったのは、准将と大尉、そして仮面の男である。

「面をはずせ、フェイ」

 准将が、声をかける。

 ゆっくりと男の手が仮面へと伸び、そしてはぎ取った。

 そこには、良く知る部下の顔があった。

「お久しぶりです。グレイ大佐」

 フェイ・パッセモント中佐、その人である。

「今は、准将だ。フェイ元中佐」

「は。グレイ准将。お久しぶりであります」

「全くだ。今すぐ、貴様を軍法会議にかけてやりたいが、今は立て込んでいる。後にするとしよう」

 それをきいて、ミリアの最高戦力が不敵に哂う。

「は。承服いたしました」














 ◆◆◆(場面転換)◆◆◆
















「……その話を、私に信じろといのかね、フェイ元中佐」

 シエルの失踪。そして、彼女に宿ったカミ。その存在がもたらす危機について、フェイは順を追って簡潔に、要領よく報告した。隣でジラード大尉も首肯してくれたので、なんとか最後まで話すことができた。

「グレイ准将。私が嘘をつくために、わざわざ戻ってきたとお思いですか」

「それが、信じるに値する証拠、か……」

 新たなカミの具現。そして、西の前線だけではなく、ミリア全土の危機。唐突に持ちあがった話としては、耳を疑う内容であることは、間違いない。

「そのカミは……アルムタットは、疾病のカミです。万物の病を操り、人から人へ病を伝染させ、ついには国どころか大陸をも、その領土とするでしょう。ミリアにとって、非常に危険な存在です。ここで食い止めねば、恐らくミリアは亡国の憂き目にあうかと」

 深刻な表情のフェイ。

 彼を見て、グレイ准将は組んでいた腕をとき、昼間のジラード大尉と同じように、額の縦皺を揉む。

「……なんたることだ。お前が銃殺を免れるために、でっち上げた嘘である方が、この話には、まだ救いがある。数倍の敵軍のうえに、ジゴレイド以上のカミをも、相手にしなければならんとは。アッジマン少将も仰っていたが、第六師団は神恵の子らを抱える代わりに、大難を引き寄せる星のもとに、あるらしい。せめて、カッセルプライムもここにいてくれれば、状況は少し増しになるだろうが……」

「准将殿。あの氷熊は現在、北東の前線に駐屯中です。あそこからだと、西の国境までは数週間かかります」

「わかっている、大尉。私のつまらんないものねだりだ。忘れろ。それに――」

 グレイ准将は、群青のマントに全身を包んだ大男を一瞥する。そのマントと仮面は、ジラード大尉が持っていたものだ。大尉のしっかり者の気質に、フェイは助けられた。出なければ、姿を隠して基地まで入るのに、苦慮していたところである。

「――カッセルプライムはいないが、我らの雷がいる。あの氷熊を、私は好かん。優秀なのは認めるが、味方もまとめて氷漬けにする将校だ。敵軍は蹴散らせても、自分達まで氷漬けにされては、たまらんからな」

「全くです」

「いないものの話題はそれくらいにして、私の願いを、訊いて頂けませんか、グレイ准将」

「わかっている。戦列にお前が加われるよう、スティング大佐に布陣を考えさせようと思っていた」

「最前線で構いません」

「そのつもりだ。存分に暴れてこい。ただし――」

 その後を、釘を刺される本人が受け継ぐ。

「――今度逃げれば、容赦なく銃殺して頂きたい。その覚悟なくして、この二カ月に散っていった第六師団の戦友たちに合わせる顔は、ありませんので」

「良くいった。いや、自分の立場をよく理解しているな、ジゴレイド。見張り役として、ジラード大尉。君はフェイ元中佐に同行しろ。必要ならば、何人か兵募っても構わん。直属の部下も、同様だ。正し、他の将校たちは引き抜くな」

「は、准将。了解であります」

 フェイの監視役を託された大尉は、うやうやしく一礼する。ある程度、この役割が当てられることを予想していたのだろう。そこに意外な響きは微塵もない。

(大尉は、僕の元部下だ。僕の考えはよく知っているだろう。それをかって、僕のお目付け役をさせるつもりか……)

 そのやり取りを、見て、フェイは准将の考えを読み取る。

(だが、『正規の将校からは引き抜くな』とは。それでは、ほとんど新兵か雑兵だけしか、構成員にとれないことになる……)

 戦場に出る以上、小隊ほどの単位で戦う必要性がある。最低でも、二十名は必要だ。

戦場とは、戦略の場なのだ。決して、戦術だけの場ではない。いくらジゴレイドとはいえ、援護なしに獅子奮迅の働きは難しい。隊の人員を揃えることは、戦ううえで欠かせない準備だ。

(せめて、小隊くらいの規模は欲しいが……。二十名か。大尉の部下は、直属となると十数名。あと数名足りない)

 悩むふりをしたが、勧誘する対手は決まっていた。ここまで一緒に過ごしてきた、彼らしかいないだろう。

(彼らに危険を晒すことになる。だからこそ、俺は四人を守る。勿論、ジラード大尉とその部下もだ。この命に、代えて)

「では、准将殿。我々は、撤退戦の準備に取り掛かります。何か御用のときは、伝令を使わしてくださいませ」

 ジラード大尉が、退出の挨拶をする。

 グレイ准将は、引き締まった顔で、二人に発破をかけた。

「話しはそれだけだ。武運を祈る! 我々第六師団に、神恵あれ!」

「第六師団に、神恵あれ!」「第六師団に、栄華あれ!」

 ジラード大尉とフェイがそれぞれ敬礼を返す。そして、きびきびとした動作で回れ右し、准将のテントを後にした。

 フェイは、再び仮面をつける。

「ジゴレイド殿。こちらの天幕にて、おやすみください。私は、我々の隊の構成員を、探してきます。部下も集めねばなりません」

 テントを出た瞬間、中にいた間の喧騒がうそのように、静まり返った。皆、仮面とマントをつけたフェイを見ている。

「手を止めるな! 一刻の猶予もないのだぞ!」

 その気配を察したジラード大尉が、周囲の兵達に怒鳴る。弾かれたように、彼らは作業に没頭した。

 だが、前線に残った第六師団の兵たちから向けられる期待と疑心は、隠しようがない。一度脱走した英傑を、どう迎え入れてよいのか、彼らも困惑しているのだろう。

(当然だ。この退却は、シエルを追うためとはいえ、僕が起こしたもの……。多くの同胞が死んだ。無念と失意のうちに、散っていった。その感情を、僕は癒せない。奮い立たせることも、できない)

 フェイは、前線でともに戦ってきた戦友たちの感情を、痛々しいほどに受け止めたいと思った。だが、その猶予すらなく、フェイと彼らはまた、生死をかけたやり取りの中に、呑みこまれていくしかない。

(……ならば)

 フェイは、決心した。

(せめて僕は――)

 左腕を天に掲げる。

 夕闇を切り裂き、黄金の雷が、フェイの拳へ降りる。

 誰もが、その閃光を見つめた。死地へ送りこまれる前の、最後の芸術を目の当たりにするように。

 大きく息を吸う。肺に空気を送り込む。

「勇猛なる第六師団の兵たちよ、聴け!」

 水を打ったような基地に、フェイの絶叫がこだまする。

「二ヶ月間、このジゴレイドは前線にいなかった。その戦場を支えたのは、諸君ら誇り高き第六師団の兵たちである。二ヶ月もの間、諸君らは厳しい戦況の中、獅子奮迅の働きをみせた。にも関わらず、敵軍は諸君らを、退却にまで追いこもうとしている」

 そこで、一度息を継ぐ。

 基地が、ジゴレイドの演説に耳を傾け始めた。

「第二師団は既に逃げ出した。自らの責務を軽んじ、すでにいない。だが、諸君らは違う。そして、このジゴレイドもだ」

 期待と不安に揺れ動く兵たちの心理。

 それを、フェイは一喝する。

「私は還った! 誇りある真の英霊たちよ、ジゴレイドは還った! 私は、最前線で戦う。諸君らに背中をあずけ、これまでそうしてきたように、全力で第六師団を庇護する!」

 どよめきが起きる。第六師団の兵たちは、ジゴレイドの働きをどの部隊よりも知っている。だからこそ、神恵の子が戻ってくる意味を、彼らは肌で感じられる。

 ――だが、同時に。二ヶ月間いなくなった英雄に対しての猜疑心も、あるだろう。

「私は逃げぬ!」

 フェイは、一層語調を強めた。

 ここで信頼を回復せねば、この退却戦は、勝つことができない。ジゴレイドだけでは、敵軍とアルムタットには、敵わないのだ。だからこそ、第六師団の士気は、高めておかねばならない。

「背後にミリアと第六師団がある限り、一歩も退かぬ! 私は、命の限り戦う! なぜならば、私が神恵の子であるからだ。ジゴレイドであるからだ! この戦、必ず勝つ。我々の国土と民を脅かす敵軍に、目にもの見せてやろうぞ!」

 一拍、間を置く。嵐の前の静けさだった。

「我らがミリアに、栄誉あれ!」

 フェイがそう言い終えないうちに、

「我が国に、栄光あれ!」

「第六師団に、武運あれ!」

「我らミリア兵に、ご加護あれ!」

「ミリア、万歳!」

「第六師団、万歳!」

「ジゴレイド、万歳!」

 鼓膜の破れそうな鬨の声だった。基地のテントが振動する。ほとんど全員の兵が、口具に絶叫していた。

「ミリア万歳! 祖国に栄光あれ!」

 フェイもそれに倣ってから、ジラード大尉に促され、基地の広場を後にする。割れんばかりの鬨の声に背中を押され、彼は用意された天幕へ入っていった。


















 ◆◆◆(場面転換)◆◆◆
















「ミリア万歳!」

「我らに加護を!」

「第六師団に、栄華あれ!」

「我らに神恵あれ!」

 通夜のようだった基地内が、一瞬にして蘇る。兵たちの頬は常軌し、眼は英気に輝いていた。皆、熱狂している。死地へ送られるはずだった自分たちの運命が、一人の男によって変えられることを信じ、その予感へ突き進もうとしている。

「ご立派なことだな」

 その熱狂を、広場の端から目撃していたジャンがいう。

「隊長殿。強がりはお止めなさいませ。演説に一番聞きいっていたではありませんか」

 隣のメリル副隊長が、そう茶化した。

「そうそう。フェ……ジゴレイドが雷を自分の拳に落として広場を黙らせたとき、一番食い入るように見ていたじゃないか」

 クルスも、メリルに同意する。

「嘘をいうな。脱走兵がどう、言い訳するのか、興味があっただけだ」

「ほう。興味があったのは認めるんだな」

 しらばっくれる隊長の肩に、ケイズが手を置く。

「違うといっているだろう! だいたいお前たちだって……」

「おい! そこの四人、何をしている! 時間がないのだぞ。戦支度の手を止めるな!」

 四人の会話に、位の高そうな将校が横やりを入れた。こちらに向かってくる制服の胸には、勲章がいくつも付いている。おそらく、階級は大佐だろう。

「申し訳ございません、大佐殿」

 その大佐は、四人の前まできて、不思議そうに首をひねった。

「おや。見かけん顔と制服だな。士官候補生か。補給人員がくるとは聞いていたが……」

 ジャン小隊長が、真っ先に大佐に向かって敬礼する。他の三人も、後に倣う。

「は。そうであります。補給要員として、士官学校から馳せ参じました」

「そうか。私は、スティング大佐だ。たしか、准将殿の天幕で一度顔を合わせたな」

「は。ジゴレイド殿とともに、基地に入りましたので。ここまでの道中、一緒でした」

「そうか。大変な時期に、此処へ来たな。長旅をねぎらってやるくらいはしたいところだが……、いかんせん、立て込んでいる。諸君らは、ジラード大尉と行動を供にせよ。先程、大尉から君達を探しているとの伝言があった」

「どちらに向かえば?」

「大尉の部下に案内させる。おい! そこのお前。そう、君だ。この四人を、ジゴレイド殿のいる天幕まで、送り届けよ」

「は! 大佐殿」

 手の空いている兵士に命じ、スティング大佐は去っていく。

「候補生よ、幸運を祈る。ではな」

「は! 大佐もご武運を」

 大佐は踵を返して歩き出す。

 一度も振り返らずに、行ってしまった。

「では、そこの方々。こちらへ」

 命令を受けた兵士が、四人を手招きする。

 ジャン達よりも、二つか三つ年上の兵士だった。

「お忙しいところ、申し訳ありません」

「いえ、命令ですので」

「では早速」

「参りましょう」

 ジャンがその兵士に応じ、五人は彼のいる天幕まで歩き出す。











 ◆◆◆(場面転換)◆◆◆













 ジャン達が、フェイと大尉のいる天幕まで向かっている頃。

 無人の天幕に入ったフェイとジラード大尉は、表の熱狂を聞きながら、胸をなでおろしていた。

「ジゴレイド殿。ずいぶんと演説の腕をあげましたな。二か月前は、それほどお喋りではなかったはずですが」

 ジラード大尉がフェイに水を向ける。

「これから命をかける兵達を相手に、無言で戦列復帰しろというのか。あれは決意表明だよ。いうべきことくらい、きちんと主張してから、死地へ向かいたい」

「そのほうが、生き残れるとお考えですか。兵の士気を演説で上げることが?」

 大尉の口調には、少し呆れたような感じがある。

「そうじゃない。結果がどうなるかは、また別の話だ。ただ、二か月前は喋ることも許されていなかった。だが、今は違う」

「感心しませんな。あなたはもうミリア軍属ではなくとも、未だミリアのジゴレイドではあるのです。簡単に身元が割れる情報を不特定多数に与えるのは、無謀です」

「まあ、そうだろう。次からは慎む」

「聞きわけの悪い上官を持つと、苦労の連続です」

 そう悪態を大尉に、フェイは微笑を返す。

「悪かった。それに、貧乏くじだな。僕と一緒に最前線とは……」

「来世では、きっといい人生が待っているでしょう。のどかな田舎で、美人の妻を貰って裕福な暮らしを満喫する」

「子宝にも恵まれ、ついでに気の優しい大きな犬も飼っている」

 フェイの冗談に、二人で苦笑する。

「そうなればよいですが」

「我々の次の世代は、そうなるさ」

 フェイは、そっと仮面をとる。露わになった表情は、寂しげである。

「クレメンツ。もう出てきてかまわない」

 フェイは、隠れていた赤毛栗鼠の相棒を呼び出す。もぞもぞと、マントから赤い野栗鼠が這い出てきた。

「やれやれ。基地に入ってからずっと、服の中とは。窮屈だったではないか」

 不満をいうクレメンツ。少し根に持っているようだ。

「仕方ないだろう。ジゴレイドが還ってきて、右肩に赤毛栗鼠がいるのは、なんとも不自然だ。君のためでもある」

「私のためだと。どういう意味なのだ」

「クレメンツ。普通、人間が想像する栗鼠という動物は、言葉を操らない。もしそういった存在と遭遇すれば……」

 そこまで言い掛けて、フェイは気がついた。今この場にいるのは、フェイとクレメンツだけではない。

 口が半開きになったジラード大尉が、森の教授に好奇の目を寄せている。

「……ああなるんだ。分かるだろう? 君を保護する僕の身にもなってくれ。この前線基地に、どれだけの人間がいると思う? 君をとっ捕まえて、売りさばこうとする悪人だっているかもしれない」

「ほう。そうか。確かに、私以外の栗鼠は、喋らない。だが、私が愚鈍な人間風情に、遅れをとると思っているらしいな、神恵の子よ。この話は、野犬の話と類似点が多い。そうではないか?」

 更に言葉を重ねるクレメンツを見て、大尉は彼を指差した。

「ほ、本当にその獣が喋っているのですか、ジゴレイド殿……?」

「獣ではない。クレメンツである」

 質問に答えられた大尉は、今度こそ心霊現象を目の当たりにしたような顔をする。

「なんともはや。神恵の子は、複雑怪奇なり……」

「大尉。一応紹介しておく。クレメンツだ。この前線基地で誰よりもカミに詳しい。僕は、彼に二度命を救われた」

「人間よ。アルムタットは強力だ。決して侮るな。カミの前では、人は相対的な存在に過ぎぬ」

 クレメンツが、呆気にとられて固まる大尉に話しかける。

 大尉は、ゆっくり腕組みをして、何秒か唸った後、フェイにいった。

「ジゴレイド殿。あなたの相棒殿のお話は、少し難解なようですな」

「気にすることはないよ、大尉。僕も、ときどき匙を投げる」

「全く、悲しいものだ。私より大きな脳を持ちながら、英知を解することができんとは。嘆かわしい」

 赤毛栗鼠の小言に、二人はバツが悪くなる。

「兎に角。隊の人員を揃えなければ。クレメンツ。ジャン達を探してきてくれないか」

「あの少年たちのことか。いいだろう」

「ジゴレイド殿。あの少年たちのことですか。確か、リーダーはジャンとかいう……」

「そうだ。その四人だ。彼らは、補給人員だから、どこの所属でもない。おまけに、ここまでの旅路を供にして、気心も他のものよりしれている。我々の良き戦友になってくれるだろう」

「わかりました。私も、探しに行きましょう。……あー、その、そちらの」

「クレメンツだ。ジラード大尉」

 赤毛栗鼠が自分で答える。

「おほん。クレメンツ殿。よろしくお願いいたします」

「私は鼻が利く。大尉一人よりも早く発見できるだろう」

 そういうと、クレメンツは大尉の右肩に移動した。

「大尉、よろしく頼む」

「妙な気分です。栗鼠と人探しとは」

「栗鼠ではない」

「そうですか、クレメンツ殿。では、参りましょう。構いませんね、ジゴレイド殿も?」

「ああ、頼む」

 フェイは、再び仮面を被って答える。

「僕は、外に出られない。一刻も早く、彼らを此処に連れてきてくれ」
















 ◆◆◆(場面転換)◆◆◆


















 数分後、士官候補生の四人はフェイのいる天幕まで辿りついていた。

「予想よりも早く見つかりましたね。スティング大佐のおかげです」

 ジラード大尉が、四人を薄暗いテントに招き入れる。

「ええ、大佐の計らいでした。それに、クレメンツは目立ちます」

 その計らいに礼をいいながら、ジャン隊長を先頭に、四人とフェイが再開を果たす。

 フェイは、一時間ぶりに四人の顔をみた。全員、緊張している。これから始まる戦の気配と、前線の慌ただしさに、慣れていないのだろう。当然である。彼らは、士官学校すらまだ出ていない新兵なのだ。

「やあ。基地に入るとき以来だな、四人とも。早速だが、君達に提案をしたい」

 仮面をつけたまま、フェイは彼らに話しかける。

「無論、話を聞くつもりでここへ来ました」

 四人の先頭にいるジャンが応じる。

「しかし、ジゴレイド殿。我々は、一人のミリアを思う者として、あなたが信用できるかどうか、見定めたいと思っております。できれば、あなたの顔を直接見ながら、そういった話をさせて頂きたい」

「どういうことかな」

「仮面をとって頂きたいのです」

 ジャンの要求を、大尉が諫めた。

「君、失礼だろう」

「いや、大尉。彼らは僕の顔を、すでに知っている。いまさら隠す意味もない。それに、戦闘では信頼関係が大事だ。それくらいは呑もう」

 言下、フェイが鉄の仮面を外す。

 四人は、その顔を凝視した。全員の知っている顔である。ここ五日ほどの苦楽をともにした顔が、そこにはあった。

「これでいいかな、ジャン小隊長」

「ええ。結構です」

「では、本題に入ろう。君達には、私と大尉と共に、最前線での任務に従事して欲しい。士官学校をまだ出ていないが、君達が優秀な軍属であることは、ここまでの道のりをともにしてきた僕が、もっとも知っている事実だ。敵軍と最初に交戦することになる危険極まりない任務だが、どうかね」

 沈黙が訪れた。

(やはり、即断は難しいか)

 悩んでいるジャン隊長を目の当たりにし、自分がどれだけ無謀な頼みごとをしているのか、フェイは改めて思い知らされる。

(だが、君は断らない。君が誇り高いミリア軍属だからだ、ジャン)

 もしジャンに断られれば、他をあたるしかない。最低でも、二十名は銃器をもった戦力の援護がなければ、ジゴレイドの雷が生みだされるまでの間に、敵の逆襲を受けかねない。そうなれば、隊は全滅である。

 ジラード大尉と部下たちだけでも、かなりの前線は期待できるが、まだ人手不足だ。たった四人でも、加わってくれるのならば、現状としてはかなり助けになる。

(彼らは若いが、胆力がある。大尉の指揮下に入れば、よい働きをしてくれるだろう)

 しばらくして、ジャンがようやく顔を上げる。決意の固まった顔だった。

「ジラード大尉。お願いがあります」

 ジャンは、何故か大尉に話しかける。

「なにかな」

「見返りなくして、死地へ向かうことはできません。もし、この戦いを生き残って戦果を挙げ、私が士官学校を卒業したあかつきには、私及びこちらの三名に、第六師団将校の地位を、約束して頂きたい」

「なんだと。君は自分がどれだけ非常識なことをいっているのか、分かっているのか!」

 あまりに面の皮の厚い要求に、大尉は憤怒した。

 しかし、ジャンの瞳は冷静な光を放っている。

「承知の上です。しかし、見返りなくして、死地に部下たち三人を送ることは、できません。大尉、私の同胞たちは、皆、カミに殺されました。アルムタットになすすべなく、蹂躙され、屈辱の中で死んでいったのです。だからこそ、彼らの分まで、我々は神恵の部隊である第六師団で登りつめる。そう、四人で話し合って決めました」

「君達の決意と、師団の人事は関係がない。グレイ准将も了承するはずが――」

 そこまで大尉が反論したところで、フェイが割り込んだ。

「――わかった。准将に話を通そう。僕が建てた手柄は、大尉とその部下、そして君達に譲る。それでいいかな」

「ジゴレイド殿。それでは軍の規律が! それにあなたにはもう――」

「――そうだ。僕にはそんな権限はない。だが、ジゴレイドと最前線で戦った士官学校のエリート、という触れ込みならば、出世はしやすいだろう。欲しがる師団や部隊は多いはずだ。人事権に直接介入する手立てはないが、間接的なら、影響できる。そういうことを、彼らは求めているんだ」

「そういうことだったのか?」

 疑心の目で、大尉がジャンを見る。

「ええ。脱走兵となったジゴレイド殿に人事権がないのは、私とて承知の上です。ですが、ジゴレイドの名声は、まだ生きている。軍属として、箔がつきますので」

 二人のやり取りを静観していたジャンが、口を開く。

「つまり、君達は名声をこの戦いで買おうというのかね」

「その通りです。先程もいいましたが、私達は亡き同胞のため、出世する必要がある。出世には、世間体も必要です」

「なるほど。子供とはいえ、将来の士官だな。自分の利をきちんと考えているようだ」

 たたき上げのジラード大尉は、露骨に嫌な顔をした。無理もない。しかし、見返りなく死地に赴くわけにはいかないというジャンの主張も、尤もである。

(初めから、自分達の世間体を買うのが、落としどころだったのだな。ジャン、お前は本当に抜け目のない軍人だ)

 フェイは素直に感心した。

 ジャンが大尉からジゴレイドへ視線を移す。そして、最後の念押しをする。

「承諾して、頂けるのですね」

「ああ。だが、地位の確約自体は難しい。かわりに、君達の風評を保証しよう。君達は将来の士官候補だ。それに前線での勇猛な英雄譚が加われば、おのずと出世できるはず。そう思わないか」

「あなたが戦死するまえに、准将にもお話を通しておいて頂きたい。そうすれば、我々は全力で戦えます」

 どこまでも抜け目のない少年である。

「わかった。准将に文を書いて、クレメンツに届けさせよう」

「お願いします」

 ジャンは一礼した。たとえ欲深いと非難されても、自分の目的を果たす逞しい男の姿が、そこにはある。ただし、大尉は不快な表情を隠さなかった。

「ふん。若くして、頭の中にあるのは出世だけかね。ジゴレイド殿、私は部下を集めてきます。この四人と同じように、命をかけて戦う私の部下たちを、集めてきます。では失敬」

 大股でテントを出て行く大尉。

 あとには、フェイと四人だけが残った。






















 ◆◆◆(場面転換)◆◆◆

















「……さて、これくらいでいいだろう。クレメンツ、これを准将のところに届けてくれるかい」

「一つ前の天幕にいた中年の男のことだな」

「そうだ。君は一度嗅いだ匂いは忘れない。頼めるね?」

「よかろう」

「頼んだよ。僕は、四人と話がある」

 准将あてに書いた文をクレメンツに加えさせ、彼を送り出す。静かに天幕を出て行った後には、五人だけが残った。

「さて。手紙には、最前線で働く君達を含めた全員を、よくとりたてるように嘆願を書いておいた。私は含まれないがね」

「そうか。感謝する、フェイ」

 ジャンは、草原で出会った若者に戻っていた。メリル、クルス、ケイズの三人も同様である。

「やれやれ。肝を潰しましたよ。我らが隊長は強欲な軍隊生活をご所望のようでしたし」

 メリルがいつもの砕けた調子でジャンを一瞥する。

「お前も、分かっているだろう。俺達は、散っていった同胞のためにも、ミリア軍で出世する。そう決めた。あれ以外にやり方はなかった」

「意志のお固い人ですな。まあ、私もただで、危険極まりない最前線はご免被りますがね」

 メリル副隊長はそういって、両隣の二人を見る。

「それに、皆で決めたもの。カミにやられた士官学校の皆を弔うには、カミに最も近い第六師団が最善の所属先だって」

「賽は、投げられた。あとは、行動するだけだ」

 クルスとケイズも、久方ぶりに口を開く。前線や上官の雰囲気に呑まれ、そこからようやく解放されてほっとしているのかもしれない。

「それにしても、また嫌われましたな。隊長殿、ジラード大尉は優秀そうな兵士です。彼を敵に回せば、今後弊害があるかもしれませんぞ」

「馬鹿をいえ。俺にそんなことを気にしている余裕があると思うか、メリル。次の戦いで、生き残ってから、そのことは考えればいい。次の戦いで、俺達も大尉も生き残れば、そのときに考えればいいことだ。今は、目の前の敵軍に集中するしかない」

「まあ、そうですな。目下のところ、それはフェイ殿にかかっています。数倍の敵軍を相手にするどころか、いつ襲ってくるか分からない疾病のカミとも、我々は対峙しなければならないのです」

 ケイズも渋い顔で会話に参加する。

「はっきりいって、生き残れる可能性は低い。だが、何も策を練らなければ、その可能性はいよいよ底をつく」

 クルスも、心配そうだ。

「はあ。士官学校に入ったときから、覚悟はしていたけど。まさか、初陣がこんな激戦になるなんてなあ……」

「泣きごとをいうな、クルス。俺達は、軍人なんだぞ。それに、国土が憎き敵軍に強奪されようとしているのだ。指をくわえて見ていられるか。それに、アルムタットを放っておけば、同胞たちのような被害がミリアに蔓延する。俺は放っておけない」

 ジャン隊長は、常に勇ましい。彼は、自分の弱さを表に出してはいけない立場を、良く理解しているのだろう。彼が消極的になれば、四人の小隊は暗い雰囲気になってしまう。

「クルス。隊長殿もお気楽にこう言っているのです。我々も、隊長殿を見習って、楽観的に行こうではありませんか。戦う前くらい、そうして少しはリラックスしても、バチは当たりませんぞ」

 メリル副隊長は、そんなジャン隊長の良き理解者である。彼は、いつもジャン隊長一人が重い責務を抱え込まぬよう、隊長を支えている。

「罰あたりはお前だぞ、メリル。激しい死線を前にして、よくそんなことが言える」

「まあまあ、隊長殿。ここは、視点を変えてみるのも、アリかと。我々の初陣は、かのジゴレイド殿とともに、国家の危機ともいえる場で始まるのです。軍人として、このような名誉ある戦場を与えられたことに、感謝せねば」

「ふん。ものは言いようだな。だが、そうかもしれん。ここで手柄を上げれば、主席と次席の俺達は、出世街道まっしぐらだ。せいぜいのし上がってやる」

「その意気です」

「ねえ、僕らは?」

「お前たち二人だけで、出世するつもりか」

 クルスとケイズが突っ込む。

「無論、お前たちにも付いてきてもらう。組織で孤立するのは、避けたい。それに、俺達に同期は四人だけだ。全員で結託しても、弱すぎる繋がりなんだぞ。いまさら、自由にしてやるものか。地獄の果てまで、お前たち三人をこき使ってやる」

 その答えをきいて、三人は苦笑する。

「ああ、ケイズ。僕達は、とんでもない隊長の小隊に入ってしまったんだねえ。せめて、その隊長が女の子にもてなければ、僕も我慢できたのに」

「そうだな。この鬼隊長から逃れたいときは、思い込みの激しい婦人を、二人で消しかけよう」

「副隊長の私も参加させていただきます」

 三人が冗談を述べたところで、

「参加するな! だいたい、俺を鬼だとかとんでもない隊長だとか、不敬にも程があるぞ、貴様ら。隊長の苦労も知らんくせに!」

「そういう隊長は、部下の苦労はご存じありません」

 クルスが皮肉っぽく返す。メリルとケイズが笑った。フェイもにやりとする。

「さて。僕の戦略をきいてくれないか。君達四人に、話しておきたい」

 これ以上放っておくと、隊の秩序が乱れそうなので、フェイが流れを中断させる。

「ふん、なんだ。ひたすら雷で吹き飛ばして、間の隙は二十人の銃兵でカバーする。それだけではないのか」

「基本的には、それで間違いない。だが、今回は撤退戦だ。敵軍に無理矢理、突撃するわけではない。無論、そうした場面も必要かもしれないが……。我々は、前線基地を利用しながら、追撃部隊を引き付け、味方を逃がさなくてはならない」

「つまり、籠城戦のようなものだと?」と、メリル副隊長。

 フェイは首を横に振った。

「いいや。似て非なるものだ。そもそも、砦ほどの設備は、この西の前線基地にはない。この基地は、戦争の数か月前に造られた施設だ。数年をかけてつくられる城壁と、防衛力は比べ物にならないほど、貧弱だ。それに、ここは平地だ。山間部ほど、敵を地形で食い止めることも、できない。王都くらいの城壁があれば、数倍の兵力差でも、可能だろうが……。どちらかと言えば、味方の兵がいなくなった後の基地を利用して、一芝居うつのさ」

「一芝居うつ?」クルスが首をかしげる。

「作戦は、ジラード大尉と、もう練ってある。あとは、準備とそれを実行できる条件が整うことだ」

「どんな条件なのです?」と、ケイズが尋ねる。

「一つ、敵軍の目を欺ける夜であること。二つ、味方の兵が完全に基地から撤退していること。三つ、敵軍にこちらがまだ撤退していないと思わせること」

「――ははん。分かったぞ」

 ジャンが指を鳴らした。

「あと一つ、条件を加えるとすれば……四つ目は大量の火薬が手元にあることだ」

 主席の一言で、次席のメリルが閃いた。

「なるほど。もぬけの殻になった基地を囮にして、攻め込んできた敵軍を爆破する訳ですな。相手をうまく誘いこめるかが、この作戦の肝となりそうです」

 策の中身が判明したところで、ケイズが指摘する。

「しかし、その作戦ならば、先行の敵部隊が少数だと、思うように戦果が上げられない可能性があります。物見の兵達が、こちらの仕掛けに気づけば、爆薬の仕掛けが解除されるかもしれません。そこまで行かなくとも、敵の本隊はこちらの前線基地に踏み込んで来ないでしょう」

「そうだ、ケイズ。君の見立ては正しい。この作戦は、敵軍を以下に欺くかが、肝になる」

「どうやって敵軍を誘い込むのです?」

「一度、激しく抵抗した後に、こっそりいなくなる」

「どういうことです?」

 クルスが尋ねる。

「こういうことだ、クルス衛生兵。まず、敵軍が最初に撤退するミリア軍を追撃してきたとき、第六師団は基地を防衛線として、抵抗戦を展開する。激しく抵抗し、敵の反応が鈍った所で、闇夜に紛れてこっそりと、師団本隊は森林地帯まで退却する。無論、敵は本隊が退却したとは知らない。まだ基地で第六師団全員が待ちかまえていると思って、二度目の攻勢をかけてくる」

「そこを、ぼかんっ! ですか」

「そういうことだ」

「フェイ。一つ気になる点がある」

 頷いて聞いていたジャンが、

「一度目の防衛戦は、まだいい。こちらにはそこまでの建物ではないとはいえ、基地の設備がある。相手が一度手を休める間をつくるくらいには、持ちこたえられる公算も高い。だが、問題はその後だ。本隊がいなくなった後で、どうやって基地に本隊がいると思わせる?」

 と、作戦に疑問を呈した。

「君の懸念は当たっている。第六師団の不在が暴かれれば、この作戦は万事休すだ。だが、それを防ぐために、我々がいる。つまり、出番さ」

「出番とは?」と、メリル。

「最初の先頭に、我々は参加しない。無論、ジゴレイドである僕もだ。我々は、最初の戦闘では、存在しないように、振る舞う」

「戦闘に参加しないので?」

「ああ、最初はな」

「異議ありだ」

 ジャンが厳しい口調で反対する。

 が、これはフェイにとって予想できたことだった。

「ジャン。軍隊には役割というものがある。それを守らなければ、味方をより危険にさらすことになる」

「だが、奮闘する友軍を、黙って見ておけていうのか……」

「我々は、何もしない訳ではない。最初の戦闘で戦って活路を開いてくれた同胞のために、我々だけでしんがりを務め、彼らを逃がさなければ、ならない。もし、我々がしくじれば、第六師団は濁流のように攻めいってくる敵軍に、皆討ちとられる。君は聡い。それくらい、分かるだろう」

 明確な返事を、ジャンはしなかった。

 だが、その代わりに、明確な反駁もしない。彼なりに、配慮を見せているようである。

「では、話を続ける」フェイは、説明を先に進めた。「最初の戦闘で存在しなかった我々の小隊は、敵軍の見せた隙の間に、速やかに味方部隊が撤退した後、基地から打って出て暴れ回る」

「ヒュー。感動ものですな。数千はいるはずの大群に、たかだか数十人で突撃するので?」

「メリル副隊長。僕は本気だ」

「……あなた様はいいのでしょうが、我々では命がいくつあっても、足りませんな」

「うわあ……本当に、今日が命日かも」

「……南無三」

 すごみすら感じさせるフェイの口調に、メリルとケイズ、クルスが反応する。三人とも、表には出していないが、かなり緊迫した心境だろう。今、前線から逃げ出したとしても、フェイは三人を責めない。それほど、無謀で危険極まりない行為である。

「心配はいらない。実質、敵軍の相手は僕一人でやる。君達は、前線基地の設備を使って、僕を援護してくれればいい。炸裂弾を花てる投石機が、基地にはあるはずだ。それで援護を頼む」

 前線にある投石機は、原始的なタイプの兵器である。だが、飛ばせる破裂弾は、火薬を詰めた破壊力のある代物なので、密集した敵軍に放てば、ある程度の威力を発揮するだろう。

「ますます、感涙ものですな。お一人で、敵全軍に突貫なさるので?」

 メリルが、無謀な自殺志願者を眺めるような目で、フェイを射る。そこには、どこかに心配と哀愁がこもっている。

「そうだ。君達は、僕が敵を引き付けて頃合みて退くのを合図に、前線基地を破棄。そして、爆破しろ」

「フェイ、お前はどうするのだ」

「ジャン。私にはカミの加護がある。なんとかなるさ」

「それでいいのか」

「これしか、道はない」

「そうか。分かった」

 フェイとジャンのやり取りに、クルスが割り込む。

「ジャン! いいわけないよ。敵軍と一緒に、爆破するだなんて……」

「クルス! 仕方なかろう。俺も他の道を考えてみたが、これ以上の案はない。それに、タイミングを一瞬でも逃せば、この爆破計画は台無しだ。味方一人が逃げることを待つだけで、他の者たちを、危険にさらすわけにもいかん」

「でも……」

「ジャンの言う通りだ、クルス。それに、何度も言うが、僕にはジゴレイドがついている。加護のない敵兵よりは、生存できる可能性は、高いさ」

「それでいいので」

 メリルが、静かにフェイを問いただす。

「構わない。この状況を、つくってしまったのは、ほかならぬ僕でもある。その汚名をそそぎたい。……それに、君達や大尉を逃がせるならば、本望さ。まあいずれにせよ、そうやすやすと討ちとられる気もない」

「そうですか」

「ふん。おい、メリル。ミリアの最高戦力を心配している余裕が、初陣の俺達にあるのか。俺達も充分危険なんだ。他人の心配をしている暇があるならば、自分の身を案じるぞ」

 ジャン隊長が、メリル副隊長をそう慰める。彼なりの気づかいなのだろう。

 フェイは、彼の言葉に賛同する。

「そうだ、四人とも。これからの戦いは、君達が士官学校で体験した訓練とは、違う。弾にあたれば死ぬし、敵は何処までも君達の首を狙って、追いかけてくる。迷えば即、命を落とす地獄だ。おまけに、完全な姿のカミまで、どこから現われるか分からない。戦いが始まったら、自分達の小隊だけを案じていてほしい。それが、生き残る最善の道だ」

 四人は神妙な顔つきになる。

 そして、深く頷いた。

 フェイは、そんな四人から視線をテントの隙間へ移す。日が完全に傾きかけていた。

 夜が、やってくる。





















 ◆◆◆(場面転換)◆◆◆



















 夜の帳が、降りてくる。

 私は、闇に呑まれる丘陵と、私の軍隊を睥睨する。万を超えるしかばねたち。彼らは、私と私の意志のためだけに、戦い、摩耗する運命にある。

 しかし、そこまでの思考で、一つ私には納得のできない単語がある。

 軍隊? 彼らのことを、私は軍隊と呼んだ。しかし、それは過去の呼び名なのではないのだろうか。既に、それは彼らにとって、過去なのだ。

 修道女のシエル。それが私の過ぎ去った記憶であるのと同じように。

 私の足元に傅くのは、軍隊なのだろうか。

 ――どのような呼び名でもよい。そやつらは既に、名を持たぬ。名を持っていた者たちに、過ぎぬ。そやつらが明示する真実は、お前の望みを叶えるため、肉体が滅びるまで、働く存在であるということだけだ。

 アルムタットがそう諭す。私の意志は、常に淀みがない。迷いもない。感慨すら、ない。

「そうね。存在の意味など、もう関係のないこと。必要なのは、彼らがどう働くのか。何を何してくれるのか。それだけね」

 ――実利的な問題に過ぎぬ。そやつらを使役し、平原の向こうにいる連中を、滅ぼすのだ。お前にならば、容易い。五月蠅い気配を一つ、感じるが、それもお前の敵ではない。このアルムタットがお前に憑いている限り、お前はこの世界の神なのだ。

「私は絶対者。相対的な世界の、神」

 ――そうだ。だが、限りなく真の全知全能に漸近した相対者である。

「それでもいい。私は、そう思うわ。戦争に、復習できるもの。私は、愚かな兵隊が憎い。冥府へ、送ってやりたい」

 ――流行らせるのだ。病を。病魔を、駆けさせるのだ。そうすれば、お前の本懐に、手が届く。お前は、誰にも阻まれてはならない。

 アルムタットの意志が、私に流れ込んでくる。私は、最初の感染者だった。アルムタットが病ませ、体力を奪い、衰弱させるのは、何も肉体だけではない。私の意志は、全ての病を操る。肉体も、心も、意志のままにどのような病にでも、してしまえる。

 アルムタットと遭遇する前から私が此処rを病んでいたのか、それとも遭遇の後に、本格的な発病を経験したのか、今となっては、分からない。

 だが、あの事件をきっかけとした留まることを知らぬ憎悪と、濁流のような復讐心がなければ、あの日、あの刻、あの場所で、私と疾病のカミは、邂逅しなかっただろう。

 それだけは、確かな事実である。

 そういう予感がするのだ。

 だが、それも砂浜に書いた文字のように、すぐに波にさらわれてしまい、消失してしまう。

 私は、すでに支配されている。

 私の一部は、すでに別の意志のものであり、もう少しすれば、私は全て、別の意志に所有される。

 その感覚にはどこまでも、白い靄がかかっている。そのことについて思考を試みると、私の脳を霧が覆ってしまう。私は睡魔に襲われる。私以外の巨大な意志に呑まれるように、私は何も、できない。

 そのことが、狂ってしまうほど恐ろしい。

 しかし、その恐怖すら、私は自分のものに出来ない。

 だが、それでもいいと、私は開き直りもする。

「だって、私には、何もない。故郷も。家族も。生きる意味すら……」

 その呟きすら、靄の海へ溶けていく。

 残るのは、激しい憎悪だけだ。

 ――さあ。始めるのだ。これが、本当の狼煙となる。お前に逆らうものが、あってはならぬ。絶対者は、お前なのだ。誰も、お前に抗えぬ。

「そうね。私はアルムタットの意志を具現する者。今度こそ、兵隊も、戦争も、あの雷も……全てをひざまずかせて、みせる」

 冥界の言語を、私は沈黙する肉体たちへ、囁く。彼らの魂は、二度と戻ってこない。代わりに、私が虚構の埋め合わせをするのだ。そうすれば、彼らは死者として蘇る。













 ◆◆◆(場面転換)◆◆◆

















「……妙だな。大尉、なぜ敵は、日が落ちても、攻めてこない。物見は、敵の陣営を観察してきたのだろう?」

 ミリアと隣国の国境、その前線基地からみえる平原の先にあるはずの敵陣を、フェイは怪訝そうに睨んだ。大尉にだけ聞える音量で、ぼそぼそと囁く。

 既に、日が落ちて二時間が経過している。ミリア陣営の予想では、日が落ちると同時に、闇にまぎれて前線基地を襲撃してくるはずの敵軍が、日の入り二時間経っても、姿を見せないのである。

 フェイの隣で、彼と同じように平原の彼方を睨むジラード大尉が、応じる。

「物見の報告では、敵国の旗印が幾つもはためいていたそうですが……。嫌に静かです。不気味ですな」

「敵にも、なにか策あり、か……」

 二人の背後には、士官候補生の四人と、大尉の部下二十名ほどが控えていた。この全員が、撤退作戦で遊撃をになう部隊の構成員である。

 彼らは、最初の攻防戦には参加しないため、平原の闇にまぎれ、基地から少し距離をとった地点に潜伏している。平原に腹ばいになり、前線基地の様子を窺っていた。

 そうして待機したうえで、前線で一度攻防戦が起こり、その後に第六師団本隊が退却するのを待っているのであるが、一向に戦闘の気配すらない。待ちぼうけである。

「なんだ。じれったい連中め。来るなら来い!」

「おう。返り討ちにしてやるぞ」

 小隊の誰かが小声でいった。少なくとも、フェイや大尉ではないし、士官候補の四人でもない。大尉の部下の誰かだろう。

「まあまあ。戦場での焦りは禁物ですぞ。敵も、こちらの焦燥を逆手に取るつもりに違いありません。冷静沈着でいようではありませんか」

 今の発言は、誰か分かった。メリル副隊長だ。彼は、持ち前の人当たりの良さで、大尉の部下とも仲良くなったらしい。別部隊同士の橋渡し役として、彼は有能な青年である。

「そういうが、メリル。本当に妙だと思わないか。なぜ、すぐにでも攻めてこない? 敵軍は、こちらの領地を奪うだけではなく、兵力も衰弱させたいのではないのか。だとすれば、一刻も早く、こちらが逃げ出す前に、首をとりにきた方がいい」

 ジャンの発言だった。

「そうですなあ。窮鼠猫を噛む、といいます。もしかすると、我々の捨て身の反撃を、忌避しているのかもしれません。追い詰められた相手ほど、死ぬ気で向かってくることを、敵の指揮官が分かっているのではないのでしょうか」

 少しの沈黙がある。皆、メリルの発言について考えているようだった。

「確かにそうかもしれん。だが、それ以外の理由があるように、私は思う」

 ジラード大尉が口を開く。

「何故です、大尉?」とクルスが訊いた。

「考えてもみろ。敵は、こちらの数倍の兵力を持っているのだ。それに、長年苦しまされた雷の巨人は、いないと思っている……。その状況下で、いくら激しい抵抗をされても、せいぜい擦り傷程度だ。進撃をためらう決定的要素には、ならない。戦争とは、兵力だ。数の力だ。それさえあれば、たいていの戦いには、勝つべくして、勝てる。

それに、相手はすぐにでも西の前線を奪いたいはずだ。ここを奪えば、王都への足がかりになる。戦争も、早めに終わるかもしれない。そうすれば、軍費の縮小が出来て、国家的なダメージも最小限に抑えられる……。敵軍が進軍を引き延ばすメリットがなさすぎる。我々を一晩中緊張させ、摩耗させるのが目的だとしても、費用対効果が悪すぎる。効率の悪い戦略だと、言わざるを得ない」

というのが、大尉の考えのようだった。

「自分も、大尉の考えに同意であります」と、ジャンがかしこまった口調で賛同する。「敵軍の目的は、なによりミリアの戦力を削ぐことに、あります。だというのに、その標的を、みすみす逃がそうとしている。感心できる作戦ではありません」

「そうですな。あまりに、静かすぎます。不気味ですな」

 皆、数百メートル先の前線基地を、凝視する。しかし、依然として基地には怪しい平穏があるだけだ。

 月明りは、木漏れ日のように、雲の間を潜り抜けて、草原へ降り注ぐ。平原に腹ばいになる彼らを、しばし幻想的な明りが照らす。

 しかし、その明りが過ぎ去った後も、彼らの視線の先に、変化はない。

「しかたがあるまい。おい、誰か。様子を確認して来い」

 大尉が指示を出す。

「自分が」

 応えたのは、ジャンだった。

「そうか。二人で行け」

 大尉が、もう一人募る。

「ケイズ。俺と来い」

「わかった」

 ジャンに促され、ケイズが後をついていく。二人の姿は、闇の中に消えた。

「ジャンとケイズ、平気かな」

 クルスの心配そうな声も、闇に吸い込まれた。























 ◆◆◆(場面転換)◆◆◆


















 前線基地では、すでに異変が起こっていた。

 大群が迫ってきていたのである。

 しかし、鬨の声や叫びはなく、ただ静かに忍び寄るように、距離を縮めてくるのだ。無気味であった。

 それに、月明りに何度か照らされたときに確認できたが、敵軍は武器を持っていない。反射光が、一つも確認できないのである。

「どういうことだ、スティング」

 グレイ准将のこめかみを、夜風で冷やされた汗が伝う。

「わかりません。こちらの意表を突きたいのかもしれません」

 彼の副官も、落ち着きのない声でかえす。二人とも軍隊の将ゆえ、部下たちに焦燥を気取られないようにしているが、その演技も異様な大群の前では、こころもとない。

「こちらがやることは変わらん。全力で迎え撃て。投石と矢の雨を、浴びせるのだ」

「は」

 会話の間にも、蟻のような大群が、こちらへ粛々と行軍してくる。彼らは決して走らない。一歩、一歩と、距離を縮めてくる。

「投石兵! 用意!」

 スティング大佐が、伝令達に指示を飛ばす。前線に配備された投石機が、重い頭を地面にそらせる。

「放て!」

 大佐の掛け声の刹那、火薬を仕込まれた岩が、迫りくる大群へ着弾した。地面との衝撃に、火薬が爆散する。幾つかは風のせいで外れたが、命中した弾は敵兵たちを数十人たんで吹き飛ばした。戦場に、煙があがる。

「よし! 上々であります!」

 伝令の一人が、准将と大佐に首尾を報告する。

「いや、待て。見ろ」

 グレイ准将が、色めき立つ兵たちを静まらせる。

「これは……」

 スティング大佐は、目を見張った。

 煙と土ぼこりが風に持ち去られた後、彼らの目に飛び込んできたのは、粛々と歩を進める敵兵たちの姿だった。

 吹き飛ばされた者たちは、流石にもう動いていない。しかし、それ以外の者たちは、超え一つ、表情筋一つ動かさずに、こちらへ着々と向かってくる。

「なんと……」

「スティング。どうやら、我々が相手にしているのは、ただの人間ではないらしい」

 准将が、大佐にだけ聞える声で、そう言う。

「我々が相手にしているのは、カミの軍勢だ。冥界の使者が、我々の首を、とりに来ている。まさか、ジゴレイドの話が真実だとはな。夢なら、覚めて欲しいくらいだ」

 准将の顔色は悪かった。

 しかし、戦いを止めるわけにはいかない。距離を縮められ過ぎている。退却しようにも、猶予がないのだ。

「全てを討ちとるしかあるまい。投石と矢を尽きるまで、浴びせよ!」

「は! 投石兵、第二弾用意! 基地にある全ての弾を浴びせてやれ! 弓兵もだ! 射程にはいれば、容赦なく射よ!」

 第六師団の兵たちが、腕を上げて応じる。

「第二波、放て!」

















 ◆◆◆(場面転換)◆◆◆

















「始まったぞ!」

 基地からほど近い平原で、ジャンは投石機の駆動音と、着弾による爆音をきいた。戦闘が始まったのだ。

「ジャン! どうするんだ。戦闘が始まった以上、俺達は分隊に合流した方が、いいんじゃないのか。引き返そう」

 ケイズが、後ろからジャンの肩を掴む。

「まあ、待て。投石の着弾する音は、分隊の皆にも、聞えているはずだ。俺達は前線基地に入って、詳しい戦局を見てきてから、分隊へ合流しよう。現状の戦局を、分隊も知りたいはずだ」

「そうか。ならいこう。だが、まさか戦いに参加する気じゃないだろうな?」

「流石に、命令違反はしない。加わっては見たいが……。命令優先だ」

「じゃじゃ馬も、律儀になったな」

「そうだ。行くぞ」

「おう」

 夜の平原を、二人は駆ける。

 基地まで、それほどの遠さではなかった。五分ほど走り続けて、入口へ辿り着く。

 基地は、戦闘の真っ最中であった。怒号や指令・命令が飛び交い、血と汗の匂いが充満している。

 知らないうちに、ジャンの膝は震えた。ケイズも同じだった。

「……これが、戦場か」

「俺達の初陣だ。流れ弾に当たるなよ、ケイズ」

 二人は寡黙になり、基地の前方へ急ぐ。基地は方々へ走る回る兵たちで溢れかえり、二人は何度も跳ね飛ばされそうになりながら、戦闘が行われている基地前方へ急いだ。

 そのとき、あやうく誰かとぶつかりそうにある。

「貴様! 気を付けないか」

 そう二人を叱責した顔に、見覚えがあった。

「うん、お前たちは……」

 ジャンがその顔を、思い出す。

「ジゴレイド殿の天幕まで、案内してもらった士官候補生です」

 ぶつかりそうになった兵は、案内役の若い兵士だった。

「戦局は、どうなっているのです?」

 すぐに走り去ろうとする若い兵士を引き留め、ジャンが尋ねる。

「急いでいる」

「簡潔で、構いません。大切な事なのです」

 若い兵士の表情に、翳りが現われる。

「敵は、冥府の軍隊だ」

「冥府?」

「顔色一つ変えない。声一つ、上げない。腕をもがれても、淡々とこちらへ向かってくる。恐怖だ」

 戦いの場で見た光景を思い出したのか、若い兵士は青い顔になる。

「味方は、優勢なのですか?」

「わからぬ。一歩も引かない敵兵に、我々は苦戦している。まだ総崩れではないにしても、このままでは押し切られるのは、時間の問題だろう」

「なんと……」

「私はもう行く。急いでいる」

 若い兵士は、そう言い残して砂塵の奥へ駆けて行った。あとには、暗い表情の二人と、銃声や叫び声だけが、取り残される。

「冥府の軍隊……。どういうことだ」

「ケイズ。おそらく、敵軍はアルムタットにやられた」

「士官学校の仲間のように?」

「そうだ。そして、アルムタットが第六師団を襲わせている」

「何故だ?」

「わからない。だが、奴の狙いは、戦争と軍隊を冥府の住人にすることだ。だから、亡者になった敵軍を、こちらにけしかけている」

「自分で手を下す必要もないと?」

「そうかもしれん。あるいは」

「あるいは?」

「おびき出すつもりだ。フェイを。ジゴレイドを」

「神と神の決闘……」

「ケイズ。引き返すぞ。呼びに行くんだ」

「フェイ中佐をか? 誘いにのると?」

「では、どうしろというのだ! 俺達に、何かあの化け物に対抗できる術があるのか。ないさ。屈辱的なほどに、ない。だから、フェイを呼ぶしかない」

「だが……」

「ケイズ! 俺達は誓ったはずだぞ。アルムタットを打倒し、士官学校の仲間たちの弔いをするんだ。そのためには、ジゴレイドしかいない。神恵の子に、俺達は託すしかないんだ」

 瞬時ためらったが、ケイズはジャンの決意に背中を押された。

「わかった。ジャン。引き返そう」

「呼びに行くんだ。ジゴレイドを。馬を一頭、拝借するぞ。徒歩よりも速い。准将のところに行くんだ」








(※第五章「リュウと巨人」に続く)

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