-神宮玲慈は飾らない- 1
「……ので、本日は全国的に過ごしやすい一日となるでしょう。また……」
整頓されているとも、無駄なものが少ないともとれる整然とした室内に、朝の天気を伝える女性キャスターの声が響いている。
電子レンジや冷蔵庫も揃ったダイニングキッチン、小振りなタンス、雑誌や辞書や漫画などが入った本棚など一見どこにでもある一般的な住宅の一室のようにも見えるのだが、それとは別の方に目を向けるとデスクトップ型のパソコン、カラフルなバインダーや書類の類などがスチール製の棚に隙間無く収められており、事務関係の職場のようにも見える。
そこはまるで生活住居と仕事場の事務所を一体化させたような奇妙な空間だった。
「本日も晴天なり、か。良きかな良きかな」
そんな一風変わった家をもつグレイは、机の上に置かれた小さなテレビから目を離し、目の前のテーブルに置かれているトーストを一口かじった。
「仕事、こないね」
向かいに座るリンは、ゼリー飲料の入ったパウチ容器の飲み口を咥え、チュウチュウとその中身を吸い上げている。
次第に容器の中のゼリーが無くなり、やがてリンの両手に押しつぶされ、ぺしゃんこに押し潰されてしまった。
それを見て、まるで今の自分たちの経済状況のようだ、とグレイは思った。
「それ、上手いか?」
「……ぼちぼち」
「結構高いんだぞ? そういう栄養食品って」
「うん、知ってる」
「……はぁ。つらい」
テーブルの上に無造作に置かれているリモコンを左手で引き寄せ、テレビの電源を力なく消す。
そんなグレイを尻目に淡々と朝食を終えたリンは、空になったパウチ容器を洗いに席を立った。
「レイ兄」
リンの呼びかけに応じグレイが顔を向けると、こちらを見ながら窓の外を指差している。ちなみに「レイ兄」とは、リンがグレイと二人きりのときにだけ使う呼び名だ。
それに導かれるように首を動かすと、視線の先にあるものが映った。
カラスである。
そのカラスは窓ガラスを執拗にくちばしでつついており、どうやら中に入りたがっているようだった。
「開ける?」
「ああ、一応入れてやってくれ」
その言葉を聞くと、リンは足早にキッチンから窓に駆け寄って鍵を開けた。
するとカラスは勝手に窓を開け、自分から部屋の中に入ってきた。
「やれやれ。朝起きたら、まずわしのための鍵を開けておけと何度も言っておろうが」
そして驚くべきことに、そのカラスはさも当たり前のようにグレイに向かって喋りだした。
それも、まるで何年も戦地で凌ぎを削っていた老兵のような低く重い声で。
だがグレイとリン、そして一部の界隈の人間にとって、これは既に見慣れた光景なのであった。
「はいはい、分かった分かった」
「そう言って分かったためしが無かろうに」
「カラスが偉そうな口叩くなよ」
「カラスではなく『久老』だと言っておろう。お前とてわしに『人間』と呼ばれるのは不愉快ではないか?」
「んで、今日は仕事入ってるのか?」
「ふん、話を勝手に変えよって……。あぁ、あるぞ。丁度いいのがな」
それまで干乾びていたようなグレイは、その言葉を聞いて水を得た魚のように元気を取り戻しその両目を輝かせた。
「ほう、そいつはラッキーだな。早速内容を聞こう」
「その前に『あれ』を貰おう。仲介料だ」
「いつもの場所に入れてある。飲みすぎるなよ」
「承知しとるわ」
そういうと久老は窓の縁から飛び立ち、スゥ――と優雅に翼を広げ、目的の花瓶が置かれている棚の上に向かう。
美しい造花が挿された瓶のくびれた口に器用に飛び乗ると、その中にある赤い水を数回ついばんだ。
――数十年前に突如現れた黒い雲、そして降り注いだ赤い雨。
多くの人間はその赤い雨を保管し、そして様々なことに利用している。
そしてそれを欲しているのは人間だけでなく、他の動植物も同様だ。
「にしても代わり映えのしない格好だな、毎度毎度」
「流石にカラスにファッションを語られる筋合いは無いぞ。それに、服が同じなのはこいつも同じだろ?」
「リンは良い。似合っている。だがお前の方は、明らかに着飾るのをサボっているようにしか見えん」
酷評される「グレイ」こと神宮玲慈の格好といえば、白いワイシャツに色あせたジーンズ。
確かにお洒落とは程遠い見た目かもしれないが、その質素さが彼にはよく似合っていると言えなくも無い。
対して「リン」こと小森凛の方も、白いワンピースに紺色のカーディガンと決して目立つような服装ではない。
しかし、彼女のもの静かで落ち着いた性格と相まって壮麗で非常に美しく、17歳という年齢よりも大人びて見えた。
と言っても体の方はまだ発展途上のようであり、ボディラインは曲線よりも直線に近い状態だ。
「だ、か、ら。そんな余裕無いことぐらい知ってるだろ? 俺は貧乏なの! だから早く仕事を提供してくれ」
「してくれ、とな?」
「して……。してくれ下さい」
「はっはっは、冗談にしても面白い言葉を使うな。よし、では依頼の内容を話そう」
鳥の中でも最底辺にランク付けされているであろうカラスに敬語を使うというのは、想像している以上にプライドを傷つけるものである。
だが、カラスという動物は非常に狡猾で頭がよく、その優れた頭脳と多くの不可解な現象をもたらす赤い雨、すなわち『神水』が組み合わされば人語を操れるほどに脳が発達するというのもあながち不思議では無いのかもしれない。
「正確には依頼というほどのものではなく、一つの『情報』だがな。ここから東に向かった先に大きな廃倉庫があるだろう? そこに、最近何度も神水を強奪しているグループが居座ってやがるらしい。リーダーの数人には微々たるもんだが懸賞金もかかってる。それに……」
「奪った神水を横取りできるかもしれないってわけか。そっちの方がでかいな。まだ換金されて無ければいいが」
「金に換えるなら一度にまとめて渡した方が額も上がる。もし換金した後なら、さっさとここから出て行ってるはずだ」
「つまり貯金はたんまりあるってわけか……。よし。リン、早速向かうぞ!」
「うん、分かった」
グレイは残りのトーストをたいらげてから、壁に掛けている黒のコートを身にまとい、昨夜奪い返した赤い液の入った数本の細いビンを懐に収めた。
リンもそれと同じビンを2本とカッターナイフ、更に小型の注射器と、先ほど中身を洗い流したパウチ容器に、それぞれ適量の神水を注入した。
「準備できたよ、レイ兄」
黒いゴム製の手袋をはめながら用意の完了を伝えるリン。
「それじゃ行くか。じゃあな久老、情報感謝」
「うむ、素直で結構」
「久老さん、ありがとね」
「気をつけろよリン。相手は弱いだろうが、数は分からんからな。それにお前のような年頃の女は『別の意味』でも危ない。……しっかり守れよ、グレイ」
「重々承知してるよ」
まるでリンの保護者のような言葉を残し、久老は玄関から悠々と飛び去っていった。
そしてそれに続くようにグレイとリンも家を後にした。




