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第4話「月城凛」

§ § §



 立ち上がろうとした、その時だった。

 背後に、気配。

 振り返る。反射的に右手を上げ、キーボードを呼び出しかけた——が、止まった。


 路地裏の入口に、少女が立っていた。

 長い銀髪。端正な顔立ち。黒いレザージャケットに包まれた細い体躯。街灯の逆光を背負って、表情が読めない。


 ただ、その右手に握られたものだけは、はっきり見えた。

 銃だ。

 銃口が、遼の眉間にまっすぐ向けられている。


 世界のバグを直した男の前に、もっと厄介なものが現れた。


「——あなたのIDはデータベースに存在しません」


 少女の声は、冷たく、正確で、感情の欠片もなかった。


「未登録の能力者(アンカー)による無許可のシステム干渉。これは重大な違反行為です」


 遼は片膝をついたまま、少女を見上げた。

 能力(デバッグ)の反動で体が重い。頭がまだ痛む。立ち上がる余裕も、逃げる余裕もない。


 だが、口は動いた。


「……物騒な自己紹介だな」


 少女の瞳が、遼を映す。瞳の色は銀色。

 人間の目ではない。カラーコンタクト? その奥に、遼が今まで見てきたどんなコードよりも精緻な何かが、一瞬だけ明滅した気がした。


「自己紹介ではありません。警告です」


 銃口は微動だにしない。

 見たことも聞いたこともない形の銃だが、それには本物だけが持つ殺気が宿っていた。


 警察は一体何してんだ。銃刀法どこ行ったと遼は内心ツッコミを入れつつも、目の前の銃口から目を離すことはない。


「あなたには二つの選択肢があります。投隔して我々の施設に同行するか——」


「か?」


「ここで消滅(デリート)するか」


 三月の夜風が、二人の間を吹き抜けた。

 猫が塀の上から飛び降りて、路地の闇に消えた。

 遼は少女の目を見つめたまま、ゆっくりと口角を上げた。笑ったのは久しぶりだった。


「——すげえな。バグを直したら別のバグが来やがった」


 少女の眉が、ほんの僅かに動いた。


「私は異常(バグ)ではありません」


「そうか。なら何なんだ、お前は」


 銃口はまだ遼の眉間に向いている。だが——その指はトリガーにかかっていなかった。


(こいつ、最初から撃つ気がない)


 もし本気で消滅(デリート)するつもりなら、声をかける前に撃っている。わざわざ選択肢を提示した時点で、この少女——あるいは少女の後ろにいる何かは、遼を生かしたまま回収したいのだ。


「質問していいか」


「投降か消滅か。それ以外の選択肢は——」


「お前、さっきのバグが出た時からここにいただろ」


 少女の言葉が止まった。


「俺がデバッグしてるのを、最初から最後まで見てた。見てたなら分かるだろ。俺は悪さがしたくてコードを弄ってるんじゃない」


「……動機は問題ではありません。無許可のシステム干渉は——」


「じゃあ許可を出せ」


 少女が沈黙した。

 数秒。銃口は微動だにしない。だが少女の視線だけが、僅かに遼の全身を走査するように動いた。何かを測定しているような——あるいは、どこか遠くの誰かと交信しているような。


 やがて、少女は銃を下ろした。

 ホルスターに収める動作は流れるように無駄がなく、訓練された軍人のそれだった。


「……判定を変更します」


「は?」


「あなたの処遇を、消去(デリート)から監視(モニタリング)に切り替えます」


 銀色の瞳が、遼を真っ直ぐに見据えた。


「未登録アンカーの能力行使を放置することはできません。今後、私があなたの行動を二十四時間体制で記録・報告します」


 遼は一瞬、言葉の意味が頭を素通りした。代償で記憶が飛んだのか、と本気で疑った。


「……待て。二十四時間?」


「はい」


「それは、つまり」


「あなたの生活圏に常駐するということです」


「……俺の家に住むと言ってるのか」


「住むのではありません。監視です」


「どう違うんだ」


「……ニュアンスです」


 間があった。

 ほんの一瞬、少女の視線が僅かに逸れた。

 プログラムが言い淀む。そんなことがあるのか。あるとして——それは何を意味するのか。


 遼は深く、深く息を吐いた。コンビニの袋を拾い上げる。中身を確認した。醤油と料理酒。奇跡的に割れていない。今日はそれだけで十分な幸運だった。


「……名前は」


「月城凛」


「本名か?」


「識別名です」


「そうかよ」


 遼は立ち上がった。膝がまだ痛む。頭もまだ痛む。そして今——別の意味で頭が痛くなってきた。

 世界のバグを直す仕事の報酬が、銃を持った少女の押しかけ同居とは。割に合わないにも程がある。

 疲労困憊で何もかも面倒になっていた遼は、投げやりな言葉を口にした。


「……来るなら来いよ。ただし後で色々聞くからな」


 月城凛は遼を数秒だけ見つめた後、無言で頷いた。


 二人は夜の路地を歩き始めた。

 三月末の空気はまだ冷たく、息が薄く白くなる。前を歩く遼の背中を、銀髪の少女が正確に三歩の距離を保って追う。足音がない。影のように。


 世界のバグを直す男のアパートに、今夜から銃を持った少女が住みつく。

 ——朝霧遼の人生は、どうやらバグの修正だけでは済まなくなるらしい。



§ § §



 ——報告ログ:Day 1


 対象:朝霧遼(未登録アンカー/ID未割当)

 報告者:月城凛(管理端末Rin-01)

 宛先:CHRONOS中央管理局


 未登録アンカーとの初接触を完了。以下、観測結果を報告します。


 対象は渋谷区スクランブル交差点にて、レベル一のコピペバグを独力で修正。その後、住宅街路地裏にてレベル四のコードビーストを深層デバッグにより単独撃破。能力の出力精度、反応速度ともにAランク相当と判定します。


 特筆事項として、対象は能力行使の代償として記憶の一部を消失する体質を有しています。本人はこれを自覚しており、受容しています。


 接触時、消去処分を提示しましたが、対象の能力値および協力可能性を考慮し、現場判断で監視体制への移行を決定しました。対象の生活圏に常駐し、二十四時間体制での行動記録を開始します。


 現在、対象の自宅にて待機中。対象は就寝しました。


 異常なし。報告は以上です。


 ——受信確認。引き続き監視を継続せよ。 〈管理局〉

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