迷い込んで来た正妃
ベルカントが、ふう、と溜息をついて言う。
「セゼリア姫はもう寧々子でよいのです。
王宮も後宮もそれで上手く回っているのですから」
ジルも進み出て言う。
「そもそも、あなたが後宮に入られても、あなたは王の側にははべれません。
たまたま寧々子……様が王の好みであっただけ。
あなたはまったくタイプが違うので、後宮に来ていただいても、一生を宮殿の隅でお茶して過ごすだけになってしまうことでしょう」
「だが、寧々子ははそもそも、市井の女っ。
王の側にはべれるような女ではございませんっ」
いきり立つセゼリアの腕をニャオンがつかむ。
「も、もうよい、帰ろう、セゼリア。
お前のことは、私がなにかいいようにするっ」
ニャオンの顔は青ざめていた。
それを見て、ふっとカムラン王は笑う。
「ニャオン。
お前は、ほんに優秀な男よの」
どういう意味だろう、とセゼリアはニャオンと王の顔色を窺った。
王の言葉に、寧々子もまた、ん? と二人を見る。
王はニャオンに言った。
「ニャオンよ。
私の配下につかぬか。
誰も真実にたどり着けなかったのに。
おそらく、お前だけがたどり着いた。
そこにいる方のセゼリアを今すぐ連れ帰るのなら、今回の件は不問に付す――」
そのとき、
「おっとーっ、王様っ。
私も真実にたどり着きましたぞっ」
と大きなよく響く声がした。
私も配下の者にしてくださいっ、と言わんばかりに現れたのは、兄であるシャターンの王子、カミルだった。
「兄上っ」
とセゼリアも振り返る。
いや、あなた、他国の王の配下についてどうすんですか、と思いながら寧々子が見ていると、王の近くまで進み出たカミルは言う。
「王よ、我が妹のために、ここで真実を――」
とカミルは優雅にお辞儀をして見せる。
その顔を見て、うむ、そうか、と王は微笑んだ。
「そこのセゼリア姫は確かに、シャターンの王女である」
みながざわつく。
「そして、我が愛妃、寧々子もシャターンの王女である――」
「どういう意味ですかな?」
とグルハンが言った。
「愛妾のために、密かにシャターンと養子縁組をしていたとか?」
「いやいや、寧々子は確かにシャターンの姫なのだ。
私が昔、うっかり押した奴隷の焼印がその証拠」
うっかり押すなっ!?
と寧々子は王を振り返った。
「ど、どういうことですっ?」
と動揺するセゼリアに兄、カミルが言う。
「セゼリアよ。
お前を今、連れ帰ろうとした、そのニャンコに感謝するがよい」
ニャオンですよ、兄上、と思いながら、寧々子は聞いていた。
「この真実をお前に知らせまいとしたのだろう。
……私が寧々子を見て、最初に妙だなと思ったのは、この宮殿で会ったときだ。
寧々子は類稀なる美しさだが。
何故だか、まったく食指が動かなくて」
そんなことをカミルは語り出し、王は、
いや、私の妃なので、動かなくていいのだが、という顔をした。
「なにか変だなと思ったのだ。
そういえば、みなが言うように、寧々子は私に似ている。
それで興味が持てなかったのかと思った。
……ちなみに、お前はあまり私と似ていないが、やはり、興味がない」
とセゼリアを向いて兄は言う。
じゃあ、似てるかどうか関係ないじゃないですか……。
「それで国に戻って訊いてみたのだ。
セゼリアよりも私によく似た娘がいるのだが、父がよそに作った娘でもいるのかと。
すると、私の乳母が青ざめた。
セゼリアよ、お前は知っているだろうが。
私のほんとうの乳母はもう引退して、今いるのは、乳母の代わりをしている女だ。
だが、彼女は途中から王宮に来たのではなく、昔からいた。
彼女は、別の誰かの乳母だったのだ。
そう。
私の妹、セゼリアの乳母だった」
セゼリアが壁際に控えていた自分のばあやを振り返る。
ばあやは困ったような顔をしていた。
「そのお前の乳母だと言われていたばあやは、途中からその地位についたのだ」
「そ、そんなはずありません。
私はこのばあやしか知りません」
「そうだろうな。
お前が王宮に来たその日から、彼女がお前の乳母役だったのだから。
本物のセゼリアの乳母は、お前の側にいるのが辛くて、私の乳母となったのだから」
「ど、どういう意味です?」
セゼリアはばあやを振り返るが、ばあやは困惑したままだ。
彼女もまた、詳しい事情は知らされないままだったのだろう。
「私の妹、セゼリアは幼い頃、遠い浜辺に遊びに行って行方不明になったらしい。
母はその失態を父に誤魔化そうとし、よく似た市井の娘を探し出して、妹の代わりにした。
それがお前だ、セゼリア――。
お前もよく知っている通り、我々兄妹は別々の場所に住み、交流も滅多にないので。
私も幼い妹が別人とすり替わっていたことに気づかなかったのだが」
そこでカミルは小首を傾げて、セゼリアと寧々子を見比べる。
「……最初は、似ていたはずなんだがな」
……顔には徐々に性格が出てきますもんね、と寧々子は思う。
王がよく通る声で語り出した。
「みなも知っているように、私の親は私が幼き頃、政争に敗れ、私は辺境の地で育った。
そこで出会ったのがこの寧々子なのだ」
貴族たちがざわつく。
そう言えば、シャターンは辺境の地付近にあるっ、という顔をみんなしている。
いや、失礼ですよ、と思いながらも、寧々子もちょっと身を乗り出して王の話を聞いていた。
「私はシャターンの王室とも交流があり、よくしてもらっていた」
年の近い、シャターンの姫、セゼリアとも、とカムラン王は言う。
「私は寧々子と一夜を共にしたとき、気がついた。
二人で遊んでいるとき、うっかりつけてしまった焼きごての印が、彼女の背にあることに」
だから、うっかりつけないでっ、そんな物騒なものっ、と思いながらも寧々子は思い出していた。
初めての夜のあと、王が、
「お前はシャターンの姫だったのか」
と言ったときのことを。
誰かに聞いたのだろうと思っていたのだが。
おそらく、そうではなかった。
王は寧々子の背中の焼印を見て、この女がシャターンの姫である、と知ったのだ。
「その後、また私は更に辺境にある国に飛ばされて」
……なにをやったのですか。
「セゼリアとはそれきりだったが、ずっと彼女のことが気になっていた」
「王様……」
「うっかり奴隷の焼印を押してすまん」
……もしかして、ずっと謝罪したかっただけなのですか?
それで私をお側に?
セゼリアがガックリその場に膝をついた。
「私は――
放蕩な兄の代わりに、立派な王女でなければと思って、一生懸命やってきたのに、いきなり見も知らぬ王に嫁げと言われ、放り出されたので、腹が立って逃げ出しました。
そしたら、今度はその身代わりの女がこんな大国の正妃になると聞いて、またムカついて――」
ここまで乗り込んできた、と言う。
彼女の気持ちもわかるなと寧々子は思った。
王は偽のセゼリアに言う。
「お前が国に戻り、政争に打ち勝って女王となりたいというのなら、支援しよう。
寧々子はお前の妹だということにして、この国に留まるのだ」
セゼリアは俯いたまま、首を振る。
「もう駄目です。
私は庶民の暮らしの楽しさを知ってしまいました。
もう一度、規律や規範に縛られた世界に戻るのは無理です。
孔雀の羽根で煽がれ続けるより、カーッと酒を呑んで、居酒屋の外のベンチで夜風を浴びて涼みたいです」
「……楽しそうですね」
と寧々子は思わず、身を乗り出して、これ、と王とジルにたしなめられる。
数日後――。
寧々子は王と共に輿に乗り、海岸に来ていた。
どうも現れたり消えたりしているらしい、あの白い螺旋階段がまた現れたと聞いたのだ。
「あちらの世界に帰る気か、寧々子」
寧々子は笑い、
「まだいますよ。
でもいつか、階段を上って、ちょっと帰ってきてもいいですか」
と訊いてみた。
王は渋い顔をし、
「正妃が戻ってこないと困るから私もついて行こう」
と言う。
そのまま、王は怪しい階段を見つめて言った。
「お前が永遠に向こうに帰るというのなら、この階段を崩す。
あるいは、向こうの世界を滅ぼす。
また、向こうにお前の大切な男がいるのなら、八つ裂きにする――」
やっぱり王様ですね、と寧々子は笑った。
「その代わり、育ての親や友人に会いに行くと言うのなら構わないし。
向こうに行ったお前がこちらに帰ってくるまで、私が身体を張ってでも、この階段を支えていよう」
自らか。
そこは王様っぽくないな、と思ったとき、王はジルたちを振り向いて言った。
「お前たちもな」
ええっ? とニャオン以外は文句を言い出す。
ジルが、
「私は座り仕事しかしたことがありませんので無理です」
と言い、
ベルカントが、
「私は年なので無理です」
と言い、カリブが、
「私の方がひとつ年上なので無理です」
と言い、グルハンが、
「私はカリブより、三日年上なので無理です」
と断った。
薄情な重臣たちだ、とセゼリア・寧々子は笑う。
砂浜と青空と帆船を背に、白い螺旋階段は夏の陽炎のように揺らめいて見えた。
完




