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「岸」
同じクラスの橘に声をかけられた。
「帰るのか?」
「うん」
僕の名前は岸快晴。今は自分が通う高校の放課後で、廊下にいる。
それから並んで歩いたわずかな間にすれ違った女子の何人もが、うっとりとした表情で橘に目をやったが、見られた本人は気づいていない様子だ。僕は年頃だし恋愛に興味があるけれど、まったくモテない。一方で橘はサッカー部のエースでモテまくりなのに、恋愛にちっとも関心がないのである。
橘は容姿もいいからモテるのは当然だが、抜けているところもある。僕がモテなくて悩んでいるのを話したら、そんなことないだろうと返し、クラスの女子たちに訊いて回って、結果、自覚していた以上の悲惨な現実を突きつけられる羽目になった。橘は僕をからかったり嫌がらせをしたわけではない。見た目がすごく地味でガリガリで、戦後すぐくらいの学生っぽいねなどとよく言われる僕がモテないのは誰もがわかっているというのに、本気で僕がそんなに女子に人気がないとは思っておらず、元気づけようとしてやったのだ。だから、ひどい事実があらわになった後で僕に平謝りしたが、そんな天然な部分があるのを知ったうえで女子たちは橘を好いている。おそらく、完璧過ぎても手が届かない感じになるし、母性本能をくすぐられるといった理由で、ポイントアップにすらなっているんだろう。橘は悪い奴ではないので友人関係を続けているけれど、僕が嫉妬心を抱いてもいるのは言うまでもない。
「ん?」
下駄箱に着いて靴を履き替えようとしたら、橘がそう声を出し、見ると手紙らしきものを手にしていた。
「何だよ、それ。ラブレターじゃないか?」
「みたいだな」
「いいよなー、モテる奴は」
すると橘はキョロキョロしだした。
「どうしたの?」
「いや、ごみ箱がないかと思ってさ」
「え? まさか、それを捨てる気じゃ?」
「ああ」
「コラー! 何考えとんじゃーい!」
僕は怒って橘に詰め寄った。
それに対して橘が言った。
「だってよ、この差出人に前にももらって、そのとき返事を求められたから、はっきり断ったんだぜ」
「だからって捨てることないだろ! お前、人として最低だぞ!」
僕なら、誰から何通もらおうが、全部一生大事にする。
「わかった。悪かったよ、ごめんなさい」
自分のことのように責める僕に、橘は素直に謝った。
そこへ突然、知らない女子がこっちに速足で向かってきた。
「あ。この人だよ、手紙の主。見てたのか、ごめん」
橘はそのコに両手を合わせて謝罪した。
ところが、そのコは橘をスルーして、僕に強烈なビンタを食らわせた。
「いでっ! な、なんで?」
「あんた、橘くんに説教してんじゃないわよ! 偉そうに! この、ひょろ長っ!」
「ひょ、ひょろ長って……」
確かに僕は細長い体型だけど。
「う、う、う……わーん!」
僕は泣きながら外へ出ていった。
「おい!」
後ろから橘が呼ぶ声が聞こえたが、足は止まらなかった。
いいさ、いいさ。世の中なんてそんなもんさ。僕に春なんて一生来ないのさ。
だいたい女なんて、男の何倍も相手の傷つくことを口にするくせに、逆に言われた嫌な言葉はいつまでも忘れず根に持ってたりするんだから。性格の良くない人が多いんだ。モテなくて、むしろせいせいするよ!
僕は、通学路にあってよく足を運ぶ、大きい本屋に入った。
ん?
うちの学校の制服の女子がいると思ったら、越智さんだった。越智さんは、外見は至って普通だが、真面目で勉強ができ、「ガリ勉」などと悪く言う人もいる。僕は彼女とタイプ的に近いから、クラスの奴に「お前らお似合いだよ」とたまにからかわれる。みんなはどう思っているのかよくわからないけれど、僕は越智さんはけっこう可愛いと思っていて、「ふざけるな」とその場は迷惑そうにするが、実はカップル扱いされるのはまったく嫌ではない。
越智さんはやはりという感じで、参考書が置かれた棚のところにいた。
僕は、本当は漫画を買おうかと思っていたけれど、越智さんに気づいていない態度を装いながら、同じように学習書を探している雰囲気で近づいていった。
「あれ?」
越智さんが僕のほうを見てつぶやいた。
「岸くん」
「え? ああ」
僕は越智さんをそこで初めて認識したふりをして声を発した。一緒の本を同時に取ろうとして手が触れるっていうのが理想だったが、まあ、良しとしよう。
「ここ、よく来るの?」
越智さんが僕に尋ねた。
「うん。けっこう来るよ」
「そうなんだ。で、何の本が目当て?」
「今日は特になくて、ふらっと立ち寄っただけなんだ」
「ふーん。目的もないのに、本屋、それも学習書のほうに来るなんて、さすがだね」
えへへへへ、褒められちゃった。本当は違うんだけど。
「そっちこそ」
僕は言った。
「私は、もうすぐテストだから、いい参考書がないかと思って来たんだ。岸くん、何かお薦めのない?」
「え?」
困った。全然わからない。僕は成績はいいほうだが、周りに思われているほど勤勉じゃないのだ。
「逆に僕が訊きたいな。どういうのがいいのか、いまいちわからないんだ」
お。うまい返しだったんじゃないか? これがきっかけで親しくなれるかも。
「私がアドバイスするなんておこがましいでしょ。岸くん、頭いいんだから」
「そんなことないよ。僕、歴史とか、覚えなきゃいけないのがたくさんあるのは苦手なんだ」
「そうなんだ」
越智さんは少し考える感じになった後で、再び口を開いた。
「ねえ、もしかして、教科書なんかを見て、ひたすら覚えようとしてるんじゃない?」
「うん。そうだけど」
「それじゃあ覚えづらいよ。丸暗記は単純に大変だし、教科書は文章が平板で面白くないから頭になかなか入らない。歴史の場合、物語のようになっているものを読むと、名前とかを自然と覚えられるよ。そうだ。私、今それ持ってるから、貸してあげる」
そう言うと、越智さんはカバンから一冊の本を取りだして、僕に差しだした。
「え? いいの?」
「うん。私はこれ、もう十分読んだから」
「でもテスト前だから、手もとにあったほうがいいんじゃ……」
「大丈夫。私、歴史は得意だし。次のテスト、お互いに頑張ろうね」
……。
「うん!」
嬉しくて、思わず泣きそうになってしまった。越智さんのほうがおそらく成績はいいものの、一応僕は彼女のライバル的な存在なのに、こんなに優しくしてくれて。
頭が良くて、可愛くて、おまけに性格がいいなんて、文句のつけどころがない!
そして僕は歴史に関してはその本で、その本のみで、試験勉強をした。




