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滅ぼしの醸成  作者: 藤野彩月
第三部
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遥の予想

「ひょっとして、これらの声を聞かせることで私に揺さぶりをかけようと企んでいたんですか?お生憎様!私が悔恨の涙を流して『あぁ!なんてこと!私は間違っていました、今になってこんなかわいそうな人達の話を聞いて私は胸が痛みます。千歳さん、相模原さん、ごめんなさい。』とか言って膝を崩すと期待していたんですか?それは残念でした。私、気の乗らない演技はしないんです。あくまで自分の目的を果たすための手段ですから。」

そう言って遥はにっこり微笑み、相手の顔をまっすぐ見つめた。その目つきから特に芝居がかった様子は見られなかった。

天谷は遥に背を向けるとギシッと奥歯を強く噛み締めた。

これまでこうした自己陶酔型の人間と相見えた事自体は少なくないものの、それでも自分の行った悪事を何の反省もなく戯れやアクセサリーのようにしか捉えない人間には強い憤りを覚えずにはいられなかった。

「君はこの事を覚えているか?」

遥の顔から笑みが消えた。

「どうなんでしょうねぇ。5年前のことですし、お話を聞かされてもあまりにもさっきの姉妹の話が長ったらしくて、正直なところ途中から頭がこんがらがってしまいました。私が家庭持ちの男と寝たのはあれだけではありませんから。さすがにカッターで切りつけられた瞬間は覚えてますけどね。全く怖くなかったと言えば嘘になります。確かに私は大きなミスをしました。濡れ衣着せようと思ってた女が相模原ナントカの義姉だなんてちっとも知らなかったんですもの。彼からもそんな人と同じ会社で働いているなんて聞かされたことなかったように思います。でもラッキーでした。だって怒り狂った奥さんが自分で落とし穴に嵌ってくれましたから。そうそう!私に刃向かう直前にあの女、私に暴言吐いてましたけど実際はもっと日本語が崩壊してたんですよ!フフッ、感情が昂ってたのかギャースカギャースカ…」

「神田(じん)についてはどうなんだ!」

天谷は一喝した。

「そういきなり怒鳴らないでくださいよ。神田ですか?あぁ、そんな名前の人いたかしらってくらいです。」

「どういう関係だったんだ?交際相手か?」

「そんなのじゃありませんよ。時々()()()()するだけの犬みたいなものです。昔あの子が()()()()お兄さん達から虐められていたので、私がちょっと助けてあげたらすっかり懐かれてしまいまして。でもその代わり何でも言う事聞いてくれたのでしばらく()()()()()んです。でも、さっきの件であんな命取りのミスしたから解雇しました。使えない駄犬は早々に切り捨てないと。」

「こちらの言葉に翻訳すると…」

これは天谷なりのささやかな皮肉だった。彼は現在52歳。若めではあるが遥より親子ほど年齢が上だった。仮に彼女が天谷の娘であったなら、間違いなく跡が残るくらい平手打ちを2、3発入れていただろう。遥の傍若無人な言動は、普段から曲がった事を嫌う天谷には我慢ならなかった。

「神田仁は今から6年前に君に借金の肩代わりをしてもらった。サラ金の取立てに首が回らなくなり、窮地に立っていた神田は君の差し出す肩代わりの条件を誓約書を書いて承諾し、返済後も完全に君の子分だった。そう言う意味だな。」

「そうだったと思います。たぶん。」

遥はもったいぶって答えた。

「肩代わりの金はどうやって工面した?千歳の会社から失敬する前の事だし、当時君はまだ学生だった。別の男に貢がせたのか?」

「えぇっ…?」

天谷からのこの問いに、遥は戸惑いを隠せなかった。それは金の出処が後ろめたいからではなかった。このおじさまなら、とっくに調べあげていると思ったからだ。勘のいい遥は既に分かっていた。このおじさまの正体を。座って話をした時も今こうして立っている時も背筋を伸ばしている。1秒だって丸くなることはない。見たところこの男は180cmは越えた長身で年齢は40代後半〜50半ばくらい。その割にはくたびれた感じはなく年相応に老けているものの顔つきは濃い眉と二重の力強い目を備えた精悍そのものだった。髪は短髪で襟足を剃っていて色褪せた部分もあるがそれでも全体的に黒く豊かな量だ。しかし、遥は何より体格とそこから醸し出される雰囲気が気になった。紺のストライプが入った白地の七分袖のカッターシャツの上に黒いベストを纏っていても、天谷は全身が引き締まった肉体の持ち主である事が窺えた。二の腕はシャツ越しに見ても筋肉質であることが見てとれるし、向かい合って座っていた時は細身な人と思っていたが、こうして近くで見ると少し圧迫感を覚えた。抱こうした際も彼の膝の感触は硬く、胸板の厚さを感じずにはいられなかった。天谷は今まで遥が同衾してきたA以外の男達にはいなかったタイプだった。誰も彼もだらしなさに満ちた汚い肉塊だった。それに、本人は無意識なのだろうが天谷にはスリ行為一つも見逃さない張りつめたオーラがあった。物静かに振舞っているが、一たび彼が一瞥するとこちらを委縮させる強靭さ。彼に喧嘩を仕掛けようものなら最低限の動作でねじ伏せられる結果になることを、実行する前に否応なしに悟らせる強さ。

(こういう感じを何と言ったかしら?「威嚇」でも「殺気」でもなくて…あぁ思い出せない。)

遥は思い悩んだ。今まで彼女には縁遠い言葉だったからだ。

そして天谷の正体について「なんとなく」の女の勘から「確信」に変わったのはこれまでの会話だった。

さっきのバカな女の音声にあった「事件を担当している」の声、自分が抱こうとした瞬間に突然掛かってきた電話での会話―天谷が洗面所に引っ込んでいる時、遥は着直しながらドアに耳をあてて聞いていたのだ。但し「見つかったか?…あぁ頼む…しばらく泳がせる」くらいしか分からなかったが―

(間違いないわ。この人は私とのセックスが目的じゃない。だけど、どうもしっくり来ない。もし私の予感が正しければとっくに何もかも調べ尽くしてるはず…すぐに分かる事なのにどうして今更私に聞くの?)

遥は分からなかった。この男がどうしてわざわざ自分に金の出処を聞き出すのかを。千歳がかつて勤めていた化学工業から数百万円頂いた事は確かだが、本当に天谷は遥の背後を知らないでいるのだろうか。

(生殺しは嫌よ。お願い、こっちを向いて!中途半端な所でやめないで!)

これもまた、遥の本心だった。

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