089_失地奪還戦
夜が明けようとしている。
夜半から雨が降り始め、盛夏の日差しによって熱せられた地面の熱気を奪っていく。その雨も、夜が明けると共に止み始めてきた。
「今日は蒸し暑くなりそうだ」
機甲科魔術部隊副隊長であるトット・エギヌ中佐はぬかるんだ地面を踏みしめ、明けていく東の空を一瞥した。
トット・エギヌが歩くたびにビシャッビシャッと地面が鳴り、鬱陶しい泥が靴につく。
「閣下、総員配置につきました」
トット・エギヌがアレクに報告すると、アレクはトット・エギヌに「ご苦労さま」とだけ返した。
この日、神帝歴622年8月13日の夜明けと共にテルメール帝国とソウテイ王国が交わした休戦協定が失効する。
すでにヘルネス砦の防壁の上には多くの帝国兵の姿が見える。
機甲科魔術部隊はヘルネス砦から数百メートルの場所に布陣し、アレクの命令を待つ。
「閣下、お時間です」
機甲科魔術部隊の参謀であるジョナサン・アルバレス少佐が、夜明けを告げるとアレクは頷いた。
「作戦通り魔術による攻撃を行います。アースリザードが暴れるかもしれませんので、気をつけてください」
「了解しました」
ジョナサン・アルバレスが頷き了承する。
アレクが細く長く息を吐く。
息を吐き切ると大きく息を吸い、トレントの杖を掲げる。
「大地を割り全てを飲み込め……暴食地獄!」
杖の前に魔法陣が現れ、それは徐々に回転を始める。
膨大な魔力の本流が周囲に吹き荒れ、魔法陣は一本の線となってヘルネス砦に伸びていった。
何が起きても暴れないように調教されているアースリザードが、あまりの魔力に興奮して後ろ立ちになり暴れるのを兵士たちがなだめすかして落ち着かせる。
魔法陣の線がヘルネス砦の手前で垂直に上昇し、ヘルネス砦の上空に巨大な魔法陣が現れた。
その魔法陣は広大なヘルネス砦を覆いつくすほど大きさがある。これは間違いなく大魔術と言われる部類のものである。
大魔術は複数の魔術士が協力して発動させるものであるが、今、目の前で発動している大魔術はアレク1人によるものである。
その光景に機甲科魔術部隊の隊員たちが、「おお……」と感嘆の声をあげる。
巨大な魔法陣がヘルネス砦に落ちていく……。
「………」
魔法陣がヘルネス砦に吸い込まれていくように消えた次の瞬間、ヘルネス砦に土煙が上がり轟音が響く。
防御魔術に守られている防壁が砂の山を崩すように崩壊していき、アレクたちが立っている地面が揺れる。
次々にヘルネス砦内の建物が崩壊して地面に飲み込まれていく。
当然のことだが、帝国兵は建物の崩壊に巻き込まれたり、なくなっていく地面の底に落ちていく。
開かれた地面の穴は、まるで地獄の門のように底なしに思える深さがある。
「ヘルネス砦が……飲み込まれていく……」
副官のベイリー中尉が呟く。
ベイリーだけではなく、全ての隊員がその光景を呆然と見つめる中、アレクの額から大粒の汗が流れ目に入りそうになるが、ラクリスがその汗を拭った。
アレクの額にいくつもの汗が浮かび、目線の高さに掲げていた杖をさらに高く頭上へ掲げる。すると、ヘルネス砦を飲み込んだ穴は土煙を上げ轟音を立ててその大きな口を閉じていった。
ほどなくすると土煙も収まってくる。
「物見を出します」
トット・エギヌがアレクに断って、10騎のアースリザードを物見として出した。
多くの魔力を使ったため足がふらつくアレクをラクリスが支える。
「アレクサンダー様、こちらにお座りください」
カムラ特務少佐が用意した椅子に座り、ラクリスが差し出したマナポーションを喉に流し込む。
「兄さま、まだ魔力の制御が下手くそ。もっと繊細に魔力を扱う」
あれほどの大魔術を使ったアレクにマリアは辛らつな指摘をする。
この場にはアレクの従者であるカムラ、オウエン、ゲーデス、ラクリス、ソムンの5人と機甲科魔術部隊の副隊長のトット・エギヌ中佐、参謀のジョナサン・アルバレス少佐、魔術士を束ねるウォーレン・アマナウ大尉、操者を束ねるセリーヌ・マッタンホルン大尉、そして副官のケイリー中尉がいるが、従者たちはマリアのことを知っていることからいつものことだと思い、機甲科魔術部隊の面々は何を言ってるのだこの娘はと思った。
「これでも随分と上達したと思うんだけど」
「兄さまが魔力をしっかり制御すれば、今の半分の魔力消費で済む」
マリアがアレクにこの魔術を教えたのは、つい1カ月ほど前だ。それでこれだけの制御をするのだから、アレクの魔術制御技術はかなり高いレベルにあるだろう。
だが、マリアはアレクの力をもっと高みへ押し上げようとしているので、アレクに厳しい言葉をかける。
「これからも努力するよ」
「それがいい」
この兄妹はまったく次元の違う話をしているのだと、機甲科魔術部隊の面々の顔が引きつる。
ヘルネス砦の物見に出ていた10騎が戻ってきた。
「ヘルネス砦は完全に更地になっていました。また、帝国兵の姿もありません」
首脳陣の前で報告する物見は、まるで狐につままれたような表情であり、それは機甲科魔術部隊の面々も同じであった。
「閣下、移動を開始しますが、よろしいでしょうか?」
副隊長のトット・エギヌがアレクの顔色を窺う。
「構いません。僕はラクリスの後ろで休んでいますので、指揮は中佐にお願いしますね」
「承知しました」
今回の開戦に合わせて、アレクは事前にデーゼマン師団と貴族軍を南東部の王国軍の援軍に向けた。
つまり、ここには機甲科魔術部隊しかいないのである。
今回の作戦はマリアが立案したが、その作戦はアレクが魔術でヘルネス砦を灰燼に帰すという、力技にもほどがあるものであった。
焼いてはいないが、防壁も建物もなくなって更地になったヘルネス砦跡地に再び雨が降り始め、空中に舞っていた細かな土などのホコリが雨によって地上に落ちる。
戦いは始まったばかりである。しかし、すでに帝国の戦死者は5000人を超えていた。
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