075_帝国進軍
神帝歴621年7月1日。
帝国南部方面軍1万5000の兵は、ヘルネス砦の北およそ4キロメートルの位置に布陣した。
事前に帝国南部方面軍の進軍情報を得ていた王国軍は、戦力を集めていたのでヘルネス砦の戦力は1万になった。防衛に徹していれば、負けることはない数である。
ヘルネス砦の中には兵を率いて駆けつけたフォレストの姿もあった。フォレストの副官は騎士トーレス・アバジである。
今回の戦いに嫌なものを感じたフォレストはいつもの副官である騎士ダンテ・ボールニクスを領地へ詰めさせ、その息子でフォレストにとっては婿になるガブリオ・ボールニクスを連れてきたのだ。
1年前の神帝歴620年6月にテルメール帝国南部方面軍におかしな動きがあると聞いていたこともあったが、フォレストの勘が働いてのことだ。
この時、バレッド州に帝国軍が上陸した報はまだヘルネス砦に届いていない。
「帝国南部方面軍は縮小されたと聞くが、まだこれだけの軍を押し出してくる力があったか」
618年5月からヘルネス砦の司令官を務めているハーニマス・バルマーは、帝国南部方面軍が布陣する場所を遠目で見ながらぼそぼそと声を出した。
618年1月にテルメール帝国と休戦協定が成立し、620年1月で停戦協定が失効した。同620年9月に帝国南部方面軍の規模が縮小したのではという情報が入ってきたが、621年3月には帝国南部方面軍に不審な点はないと報告があった。
「まあ、3月に不審な点はなくても4月に兵糧を運び込んでいると報告があったからな……。数は揃えてきたわけか」
ここで無理に攻めずに防衛に徹してさえいれば、王都から援軍が駆けつける。そうなれば戦力は互角以上になる。それまでは亀のようにヘルネス砦にこもっていればいい。
「バルマー司令官」
副官のオルトマス少佐が声をかけ、階段のほうを見た。
その階段を重厚な金属の鎧を身に着けた大柄の男が上ってきた。周辺貴族としての責任を果たすためにヘルネス砦に援軍にやってきたフォレスト・デーゼマン九等勲民である。
その姿は偉丈夫ということもあり、威風堂々としたものに見えた。
「司令官殿」
フォレストはバルマー司令官に一礼する。
「デーゼマン殿」
バルマー司令官もフォレストに礼を返す。
バルマーがヘルネス砦の司令官になったのは、デーゼマン家と軍部の関係を改善する意味合いもあった。
デーゼマン家の者は知らないが、アレクを軍人にすることでデーゼマン家との関係を修復しようとした国王と軍務大臣の思惑があったのだ。
その思惑はアレクの土魔術士としての能力を考えれば、国にとって非常によいことだったと言えるだろう。
話を戻すが、デーゼマン家に悪感情を持たず、重要拠点であるヘルネス砦を任せられる能力がある者がこのバルマー司令官だったのだ。
「デーゼマン殿は帝国軍の動きをどう思われますか?」
「いつもの軍事行動に見えますが、何か違和感があります」
「違和感。ですか」
「その違和感がどんなものなのか説明できませんが、嫌な感じです」
バルマー司令官は顎に手をやり考える。司令官職を拝命するまでは南部のスドレン州に長く駐留していたため、帝国軍の情報は過去の報告書と部下の話から得ているが、実際に帝国軍と戦ったことはない。
そのためフォレストが感じた違和感の正体がなんなのか、バルマー司令官には想像できないのである。
「とりあえず、援軍がくるまでは帝国軍の出方を見るしかありませんな」
「その通りですな」
その援軍がくることなく、隣のバレッド州へ向かったと知るのは15日ほど後のことになる。
しかし、へルネス砦に詰める諸侯はその報告を聞く前に、へルネス砦を出て帝国南部方面軍と血を血で洗う戦いを繰り広げることになるのだが、それはもう少し後の話である。
神帝歴621年7月8日。
へルネス砦の北4キロメートルの場所に陣取った帝国軍が、軍を東に移動させていると物見から報告があったことでバルマー司令官は急いで櫓に駆けつけて上った。
櫓の上にはすでに諸侯が集まっていて、帝国軍の動きに諸侯の視線が集中する。
「どういうことだ? なぜ移動しているのだ?」
バルマー司令官が唸るように声に出すが、その問いに誰も答えることはない。集まった諸侯や軍幹部も戸惑っているのだ。
これまで帝国軍が布陣しても、東へ進むことはなかった。このヘルネス砦を無視して抜けようとしても、その先には防衛ラインが築かれていて、その防衛ラインを攻撃している時にヘルネス砦に集まった軍が後ろから挟撃することになる。
バルマー司令官はテルメール帝国との停戦期間にヘルネス砦を支える小規模な砦群、ワーダン砦、ツバス砦、サラメ砦、フォルド砦の改修を進めて防衛ラインの強化を図っている。
帝国軍はこれらの砦を落とさないと、ソウテイ王国内部へ進軍できないのだ。
「直ちに四砦へ伝令を走らせるのだ」
「それは難しいかと」
バルマー司令官の命を否定したのは、ヘルネス砦の駐留軍で参謀長を務めているヘルケル・アドレス大佐である。
藍色髪の毛を短く刈り揃えるアドレス大佐は、いかにも軍人らしい風貌の人物である。
「見てください。敵の騎馬隊が先行しております。ヘルネス砦から伝令を出した瞬間、伝令はあの騎馬隊に捕捉されましょう」
「くっ」
バルマー司令官は歯噛みする。
「しかし、四砦でもこちらの動向を確認しておりましょう。帝国軍が四砦を攻撃したらすぐに出陣できるように準備を進めるのがよろしかろうと存じます」
バルマー司令官もその意見に賛成し、諸侯も頷いた。
直ちに出陣の準備が行われ、四砦に最も近い門へそれぞれの兵が集まることになった。
出陣の準備を整えたフォレストは、アースリザードに跨り腕組みをして目を閉じる。
「さて、悪魔が出るか蛇が出るか……」
今回の帝国軍の動きはあまりにも妙で、終始嫌な予感がしている。
とは言っても、どんなことが起こるかはフォレストだけではなく、ここにいる将兵の誰にも分からない。
それに、フォレストの思い過ごしということも十分に考えられる。
「バルマー司令官! 帝国軍がツバス砦に攻撃をしかけました!」
「ご苦労!」
バルマー司令官は伝令を下がらせ、諸侯の顔を順に見ていく。
以前は騎士団もへルネス砦に駐留していたが、今のへルネス砦の防衛には騎士団は関わっていない。
軍務大臣がかねてより考えていた指揮権の統一が行われ、8000の王国軍がへルネス砦に常時駐留しているからだ。
その上に、帝国軍が攻めてきたということもあり周辺貴族が詰めている。通常時はともかく、非常時は駐留軍の司令官が周辺貴族への指揮権を持つため、指揮権は完全に一本化されている。
フォレストは指揮権の一本化に賛成だった。しかし、領地持ちの貴族は独立色が強いため、調整に時間がかかっていた。
しかし、軍務大臣と親しいアムント六等勲民がこの一帯の盟主のような役割を担っていたことが幸いして、なんとかまとめ上げることができた。
「帝国軍はツバス砦に攻撃を開始した。これよりツバス砦を救援に向かい、帝国軍を挟撃する!」
「おおおおおおっ!」
バルマー司令官に諸侯が応える。
「かいもーーーん!」
バルマー司令官が命じると、金属でできた重厚な跳ね橋が降りていく。
「出陣っ!」
バルマー司令官を先頭にへルネス砦駐留軍が続々と出陣していく。
貴族諸侯は駐留軍の後からの出陣になる。




