決起
私は決して、短気ではない。
むしろ、言いたいことがあっても言えずに黙ってしまうタイプ。
でも、今はこんなにもキレたことは無いという位、キレた。
気づいたら、ディル王子の頬を叩いていた。
めいっぱい力を入れて叩いたから、呆然とした感じの王子の頬には私の手のアトがついている。
「ルイは偉い?……勘違いしないで!!」
もう後には引けなくて、叫ぶように言う。
まだ子どものルイが、日本だったら保護者の管理下にある年齢のルイが、どれだけ恐い思いをしたか。
私は知っている。
彼が毎日うなされていたことを。
満身創痍の状態なのに、何かから逃れるように必死に体を動かしていたことを。
体が動かせるようになってからも、時々体に走る傷みに耐えて部屋で涙していたことも。
犯人が分かっていてもそれを伝えられない彼の心は今、どれだけ傷ついているのだろう。
今なら分かる。
ここへ戻ってくるまでのルイの様子が変だったことが。
恐いよね。
嫌だよね。
だけど、戻らなければ行けない理由をあの子は理解していたのだ。
「あの子はまだ子どもなのに!どれだけ……どれだけ恐い思いをしたのか…」
ぼろぼろと涙が出る。
ダメだ。私が泣いてはダメ。私には泣く資格なんてない。
悔しい悔しい。
これでは、この人に伝わらない。
「もっと穏便な方法?…分かってるんなら、こんなトコにいないで行動を起こしてみなさいよ!」
そう叫ぶと、私は走って部屋に戻った。
そして、ベッドに突っ伏して泣いた。
何でこんなに悲しいのか、自分でも分からなかったけど思いっきり泣いた。
泣いて泣いて。
そして、涙が止まると、私は私付きの侍女さんを呼んで宰相ルドルフさんへの面会を申し込んだ。
本当はこの王宮に関わりたくなかった。
だから、この王宮のことを知らないでいようと思った。
でも、もうそんなことは言ってられない。
だって、そもそも初めから関わってるんだし。
ルイを助けた時から、もう巻き込まれてるんだよ。この王族問題に。
ルドルフさんは初老で、笑顔が優しいおじいちゃん。
ぴしっと伸びた背筋と、きびきびした動作は彼を実年齢より若く見せる。
そして、セリンガム一と言われる頭脳を誇ると言われる彼が時折見せる瞳はとても鋭い。
仕事できそ~。
っていうのが第一印象。
あの日から、私はルドルフさんにお願いして、彼の時間に余裕がある時こちらの世界や王宮についての講義をしてもらっている。
あの日、思いっきり泣いた後で、目が腫れたひどい顔で現れた私にルドルフさんは驚いていたけれど、私のお願いを聞くと快く了解してくれた。
理路整然として分かり易く、個人的な感情が一切入らないその講義は、ディル王子に適任と言われるだけあると納得してしまう。
「…王族って大変なんですね」
今日の講義が終わって、呟いた私にルドルフさんは苦笑する。
「ユキ殿には考えられない話ですかな」
「私の世界でも無い訳ではないですけど、私自身にとっては考えられない話です」
平凡な一般市民だし。
でも、だいたい分かった。
私の存在価値とか。
王族の後継者争いとか。
そうやって理解してくると、出会った頃のルイが子どもながらに本当に色々と考えていてくれたことが分かる。
彼のおかげで私は、無事にこの王宮に来れた。
「ルドルフさん」
「何でしょう?」
「私は私のやりたいようにやろうと思います」
私の言葉に、ルドルフさんの瞳が鋭くなる。
でも、それは一瞬のこと。
「…きっと、あなたならそれが『正解』でしょう。あなたがこの世界に飛ばされてきた理由もそこにあるのかもしれません」
柔和な笑みを浮かべるルドルフさんに私も微笑みを返した。
夜、ベッドに横になりながら色々と考えていた。
これからのこと。
私の存在価値のこと。
私が、これからしなければならないこと。
気づけば、随分と時間が過ぎていたようだった。
小さな窓から差し込む月明かりで部屋の中がよく見える。
…………ユキ
ふと、誰かに名前を呼ばれたような気がした。
空耳かとも思ったけど、何となく気になってベッドから起き上がる。
クウちゃんは私の枕元ですやすやと寝ている。
翼竜は赤ちゃんであっても、主人の危険に敏感らしい。
だから、すやすや寝ているということは私に危険なことは無いのだろう。
気が楽になって、私はベッドから降りた。
そして、そのまま部屋の扉を開ける。
すると、扉の向こう、以前私とディル王子が話した小さな庭園に佇む人影が見えた。
あれは…
「…ルイ?」
小さな声は、皆が寝静まったこの場所ではよく響いた。
「ユキ」
ルイは、少し驚いたように肩を揺らして。
でもゆっくりと歩いて来た。
「こんな遅くにどうしたの?」
「…何となく…寝付けなくて」
言いづらそうに、ボソボソと下を向いて話すルイに、私は微笑ましいものを感じる。
「この王宮に来てから、全然話せてないもんね」
ここに来てからというもの、ルイは勉強や武術の他に、王様に付いて領地の視察など本当に忙しくて、ほとんど話ができていない。
ナデナデと、さらさらの金髪を撫でながら言うと
「…俺は…子どもじゃない…」
と、むくれたように呟く。
でも、私の手は振り払わない。
「ごめんごめん。ルイに会えなくて寂しかったから」
つい触りたくなっちゃってっていうのは言わずに伝えれば、ルイは顔を上げる。
「…本当に?」
「本当に」
そんな私に、ルイはきゅっと眉間にしわを寄せる。
「兄上よりも?」
「ディル王子?何で?」
引っぱたいたあの日から、王子とは会っていない。
王族に手を上げたとかで、無礼打ちにされそうになったらクウちゃんに何とかしてもらおうと姑息なことを考えていた私は、何の音沙汰もないことにホッとしていた所だ。
「…ユキは俺より、兄上の方がいい…?」
険しい表情は変わらずに、言葉を発するルイに
「そんなことあるわけないでしょ!!」
と、即答していた。
もしかしたら、ルイのそれは深い意味も含めた質問だったかもしれないけど、そんなことは私には関係なかった。
あんなヘタレ王子(勝手に命名)と、うちの子であるルイを比べて、ルイが劣ってる所なんて一つもありませんから!!
「私はルイの方がずっといい」
「…本当に?」
「本当に!」
私の力強い即答に、やっとルイの表情が柔らかくなる。
「…良かった…」
ホッと呟かれた言葉に、私も笑う。
「今度、ユキは竜の里に行くことになるよ」
明るい表情で、ルイが伝える。
「うん。そうだね」
それは、この世界のことを多少理解したので、私にも予想できていた。
「俺も一緒に行く」
「ほんと?それは嬉しいなぁ」
竜の里は、王宮から離れた所にあるから時間がかかるらしいんだよね。
ルイも一緒なら、頼もしい。
「だから、兄上と一緒に行動しないで」
あのヘタレ王子と一緒に?
ナイナイ。
「王子も私と一緒にいたくはないだろうし、大丈夫だよ」
何せ私は王子の頬に手形を付けた人間だからね!
私の言葉にルイはまた眉間にしわを寄せたけど、今度は何も言わなかった。
あれかな。
ヤキモチってやつかな。
お母さんを取られたくない…的な?
ルイはあんまり母親である前王妃様と一緒にいられなかったらしいから、私の存在は母親と姉の中間ってとこなんだろう。
うんうん。
お母さんっていうのが気になるけど、まぁ小さいことは気にしないでいこう。
ほんと、可愛い子だなぁ~。
この世界に来れて良かったことは、こんな可愛いルイに慕われてるってことかなぁ。
後から考えれば、この時私はもう少しルイの様子に気を配るべきだったのかもしれない。
でも、この時の私はそんなことは考えもせずに、ただこれから自分はどうすべきかを考えていただけだった。