表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
同期しない夜― ススキノの小さなバーでの記憶―  作者: akira


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/16

第1話 同じ夜の始まり

同じ夜を、何度も繰り返している気がした。


違うのは、ほんの少しの順番だけ。


客の来るタイミング、交わす言葉、そして——名前。


すすきのの小さなバーで、

私は“ひとりの女”に何度も会っていた。


そのたびに、少しずつ違う形で。


これは、

記憶が分かれ、

そして静かに戻っていく夜の話。

同じ夜を、二度見た気がした。


すすきのの外れで、小さなバーをやっている。


特別な店じゃない。


看板も目立たないし、常連が何人かいるだけの、よくある店だ。


すすきのの夜は、思っているより静かだ。


騒がしいのは通りだけで、一本裏に入れば音はすぐに薄くなる。うちの店は、その裏通りのさらに奥にある。看板も小さい。初めての客はたいてい迷う。


それでも、来る人は来る。


理由は知らないが、長く続いている。


カウンターは八席。奥に小さなテーブルが一つ。昔はもう少し賑やかにやっていたが、今はこれくらいがちょうどいい。


年を取った、ということだろう。


グラスを磨きながら、時計を見る。


二十二時五分前。


そろそろだな、と思う。


きっかりではない。


だいたいこのくらいの時間に、あの客は来る。


ドアが開く。


ベルはつけていない。あの音が苦手で外した。だから、風の動きと、わずかな気配で分かる。


「こんばんは」


男が入ってくる。


四十代後半くらいか。背は高くも低くもない。スーツは着ているが、きちんとした会社員という感じでもない。ネクタイの締め方が、日によって違う。


カウンターの、いつもの席に座る。


「いつもの、でいいですか」


そう聞くと、男は少し考えるような顔をする。


それから、頷く。


「……ああ、それで」


毎回そうだ。


「いつもの」と言いながら、必ず一瞬考える。


だが注文は同じだ。


アイラのウイスキー。ストレート。


グラスを出し、静かに注ぐ。


その間、男は何も話さない。


こちらも話しかけない。


この距離感が、うちの店には合っている。


グラスを置く。


男は軽く会釈して、ゆっくりと口をつける。


その仕草を、何度か見ている。


だが——


毎回、少し違う。


ある日は、匂いを先に嗅ぐ。


ある日は、いきなり飲む。


ある日は、グラスを持つ手がわずかに震えている。


「仕事帰りですか」


気まぐれに聞くことがある。


そのたびに、答えは変わる。


「まあ、そんなところです」


の日もあれば、


「いや、今日は違います」


の日もある。


昨日は、こう言った。


「休みなんです」


だが、その前の日は


「忙しくてね」


と言っていた。


矛盾している、とまでは言わない。


ただ、繋がらない。


そういう感じだ。


それでも、通っている。


それが一番不思議だった。


グラスが半分ほど減ったところで、男が口を開く。


「この店、長いんですか」


初めて聞かれた気がした。


「そこそこです」


曖昧に答える。


本当の年数を言う必要もない。


男は頷く。


「いいですね、こういう場所」


「ありがとうございます」


それ以上は続かない。


また、静かな時間が流れる。


時計を見る。


二十二時十分。


来てから、ほとんど時間がずれていない。


いつもこのくらいだ。


だが、ふと気づく。


今日は少し早い。


五分ほど。


いや、誤差の範囲かもしれない。


だが——


「今日は早いですね」


口に出していた。


男がこちらを見る。


ほんの一瞬、表情が止まる。


「……そうですか?」


その返しは、初めてだった。


「いつも、このくらいですよね」


と言うと思っていた。


だが違った。


「いや……どうだろう」


男はグラスを見つめる。


「最近、時間の感覚が曖昧で」


そう言って、少し笑う。


その笑い方も、どこかぎこちない。


「そういうこともあります」


適当に返す。


だが、内心では引っかかっていた。


この客は、“時間が曖昧”なのではない。


“時間が一定じゃない”ように見える。


来る時間も、飲み方も、会話も。


微妙に違う。


だが、同じ人間だ。


顔も、声も、すべて同じ。


グラスを空にする。


「もう一杯、いきますか」


聞くと、男は首を横に振る。


「今日はこれで」


これも、毎回同じだ。


会計を済ませる。


金額を告げると、ぴったりの現金を出す。


これも変わらない。


「また来ます」


そう言って、男は立ち上がる。


ドアに向かう。


その背中を見送りながら、ふと思う。


——この人は、本当に“同じ人”なのか。


ドアが閉まる。


静けさが戻る。


時計を見る。


二十二時十五分。


来てから、きっかり二十分。


これも、変わらない。


グラスを片付ける。


同じ銘柄のボトルを見る。


減り方も、きれいに揃っている。


まるで——


別々の誰かが、同じことを繰り返しているみたいだ。


そんな考えが、一瞬だけ頭をよぎる。


すぐに打ち消す。


くだらない。


そういう話は、本の中で十分だ。


だが——


カウンターを拭きながら、もう一度だけ思う。


もしあの客が、毎回少しずつ違う“誰か”だとしたら。


それでも、ここに来る理由は同じなのだろうか。


それとも——


来ている理由すら、毎回違うのか。


答えは分からない。


ただ、明日も同じ時間にドアが開く気がしている。


そのとき、同じ顔の誰かが入ってくる。


それだけは、なぜか確信できた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ