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ゴールデンボーイ  作者: 柏木椎菜


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13/16

十三話

 雑貨屋の仕事は一ヶ月ぐらいで終わった。これで治療費は取り戻せたらしい。僕達は雪が降りしきる中を港へ向けて歩き進んだ。シルヴィナの足取りは大分元通りになった。片目の感覚には慣れて、怪我の影響もなく、元気そのものだった。立ち止まってた分を急ぐように、それから数日後には港へ着いた。見上げるほど大きな船がそこにはあった。確かに、こんな立派な船なら簡単には沈みそうにないな。

 この船は明後日出るらしく、シルヴィナは乗船券だけ買って宿屋に向かった。こんな海風が吹き付けてくるところにいたらカチコチに凍っちゃいそうだ。初めての港を見て回りたかったけど、宿屋で火に当たって大人しくしてよう。ちなみに、船に乗るのもお金がいることを僕はここで初めて知った。雑貨屋で稼いだのはこのためでもあったらしい。何をするにしても、お金を払わなきゃいけない世界なんだな。

 港町で二日過ごしてから、僕達は予定通り船に乗った。晴れた海は真っ青で、どこまでも遠くへ広がってた。これが海……本当に大きくて果てしない。川に浮かんだ葉っぱみたいに船は揺られながら、順調に海の道を進むこと三日間――僕達は目的の街に着いた。

「何か、すごそうな街だな……」

 船から降りた僕は、正面に見えた景色に圧倒された。そこにはひしめき合うようにたくさんの建物が並んでた。しかもどれも大きい。これまでの街だと二階建てが一番大きな建物だったけど、見えるのは三階建てや四階建て。それらが奥のほうまで続いてる。あんな建物、一体どうやって建てるんだろうか。僕と同じ人間が建てたとは思えないぐらい大きいな……。

「ジュリオ、ちゃんと付いて来てる? はぐれちゃ駄目よ」

 前を歩くシルヴィナが振り返って言った。船から乗り降りする乗客と、荷物を運ぶ船員とでごった返して、なかなか前に進むのも大変な状況だった。人ごみは経験してるけど、この街は特に人が多そうだな。シルヴィナの背中をしっかり追わなきゃ。

 港を出ても人の数はやっぱり多かった。いろんな格好をした人達がいろんな方向へ歩いて行く。その間を馬に乗った人や荷馬車が走り抜ける。でも道幅が広いから、皆ぶつかることなく余裕を持って歩けるから、押されたり転ぶ危険はなさそうだ。これだけ広い道だと、たくさん人がいても人ごみにはならないんだな。これならはぐれる心配も減る。

「……ねえ、どこに向かってるの?」

 港を出て結構歩いてると思うけど、シルヴィナはずっと何かを探すように歩き続けてた。たまらず声をかけると、その顔が僕をちらっと見た。

「あなたの病気を研究してる人のところよ。前に言ったでしょ?」

 そう言えば言ってったっけ。学者さんに会って、病気を治す方法を聞くとか……。

「この街にいるの?」

「ええ。噂じゃそう聞いたんだけど……」

「噂? じゃあ本当にいるかわかんないのか?」

「大丈夫よ。大きな街だからきっといるわ」

 僕は呆れた。絶対にいるってわかって会いに来たわけじゃないのか……。大きい街だと何でいるのかわかんないけど、でもそう思ってるなら捜してもらうしかない。これも僕のためみたいだし。見つけるの、大変そうだな――そんなことを思いながら僕は大人しく後に付いて行った。シルヴィナは住人を見つけては聞いて、また見つけては聞いてと繰り返して、目当ての学者さんの居場所を探し続けた。あちこち歩き回って、こりゃやっぱり長くなると思い始めた時だった。

「……ここね」

 シルヴィナが一軒の家の前で立ち止まった。

「……ここに、学者さんがいるの?」

「聞いた話だとそうみたい」

 さっきの広い道から横に曲がって、そこからさらに奥へ入り込んだ人影のない薄暗くて細い道。そんなところにこの家はあった。って言うか、これは家なのか? 他の建物と比べると大分小さい。窓もないし。見た目は石積みの倉庫みたいにも見えるけど。

 コンコンとシルヴィナは木の扉を叩いた。でも何も気配がしない。もう一度叩いてみるけど、やっぱり静かなままだった。

「……留守なんじゃない?」

「そうなのかな……すみません! 誰かいませんか?」

 扉を叩きながら声をかけてみる。すると向こう側にやっと人の気配が現れた。近付いてきた足音は扉の前で止まると、鍵を開けてゆっくり扉を開いた。

「……何か、ご用か?」

 半分開けた扉の向こうに見えたのは、白髪混じりの頭に薄汚れた白衣を着たおじさんだった。何か、病院で嗅いだような、変な臭いがするな……。

「あの、あなたがエルデバ病を研究してる方ですか?」

 そうシルヴィナが聞くと、おじさんは急に怖い顔になって道のほうをキョロキョロ見始めた。

「……誰に聞いた」

「え、この辺りの、ご近所の方とかに……」

「何て言ってた」

「ここに、以前エルデバ病を研究してた、偉い学者さんが住んでると」

「そうか。やはり近所の者は知ってたか……で、あなた方は?」

「突然訪問してすみません。私はシルヴィナ・ロカで、この子はジュリオです。実はこの子、病気にかかってて……」

 シルヴィナの手が僕の首のスカーフをつまむと、それを少しだけずらした。アザを見たおじさんは青い目を大きくした。

「そのアザは……!」

「はい。あなたに、この病気の治療法がないか教えてもらいたくて来ました。……今も、研究はしてるんで――」

「他に誰もいないか」

「……え? は、はい。私達だけですけど」

「病気のことを話したりしてないだろうな」

「そんなことしてません。この子を危険にさらすだけですから」

「よし……では早く入れ」

 おじさんは扉を全部開けると、僕達を中へ入れてくれた。扉を閉める時も、おじさんは外を注意深く見回してから閉めた。何をそんなに気にしてるんだろうか……。

 灯りがついた部屋の中は思ったより広そうだった。でもいくつか並んだ机の上は、どれも物でゴチャゴチャになってる。本とかペンとか、僕も知ってる物もあるけど、変な形の入れ物とかグネグネ曲がった管とか、何に使うかわかんない物がほとんどだ。研究に使う物なのかな。

「適当に座ってくれ」

 言われて僕達は目に付いた椅子に座った。たくさん椅子はあるけど、おじさんの他にも人がいるんだろうか。

「お茶の一杯でも出したいところなんだが、見ての通り、汚い有様なんでね」

「お構いなく。それより、お話を聞かせてほしいんですが……」

「エルデバ病か……厄介な病気にかかってしまったな」

 おじさんは僕にそう言うと、近くの椅子に座って机に寄りかかった。

「私はユアン・ベルグラーノ。聞いた通り、エルデバ病の研究をしてる」

「治療法の研究は、今どうなってるんでしょうか」

 聞かれるとベルグラーノさんは暗い顔に変わった。

「残念だが、進んでない」

「そう、ですか……それだけ、難しい研究なんですね」

「それもあるが、理由はそれだけじゃなくてね。むしろそちらのが大きいと言える」

「難しい以上の理由が?」

 ベルグラーノさんは腕を組むと、溜息を吐いてから言った。

「研究に対する妨害や、脅迫行為だ」

 僕は驚いた。妨害って邪魔することだよな。病気を治そうと頑張ってるのに、何でそんなことをするんだ?

「前に聞いたことがあります。エルデバ病の研究者が次々にやめてるって……もしかして、それが原因なんですか?」

「まさにそうだ。しつこい妨害と脅迫で研究者、特に家族などがいる者達は、心がくじけ、あるいは恐怖で研究から離れて行ってしまった。私は独り身で守るべき存在がない。だから何も怖がらずに続けられたんだが、それでも妨害が続くと堪えてくる。仲間達が去って行き、研究を独りでやらなければならなくなった。これでは思うようにはかどらず、研究は進まない……それが、もう一つの大きな理由だ」

 椅子がたくさんあるのは、他の研究者がいたから……でも、皆怖がってやめちゃったんだ。それで今はベルグラーノさん一人だけに……。

「一年前に助手だったやつがやめて、それからはずっと独りだ。以前ほど頻繁じゃなくなったが、今も時々嫌がらせのようなことを受ける。研究などするなと釘を刺すようにな」

「何でそんなことしてくるんだ? 病気を治すために研究してるんでしょ?」

 僕は疑問を聞いた。邪魔する理由がさっぱりわかんない。

「この国には、エルデバ病を治したくない人間がいるんだよ」

「でも病気にかかったら、大人になる前に死んじゃうのに……」

「君のようにかかった本人は治したい病気だ。だがそれ以外の、他人事と思ってる人間はそうじゃない。……エルデバ病の条令について、まだ教えてないのか?」

 シルヴィナは聞かれると頷いた。

「まだ、そこまでは話してなくて……」

「条令って、何?」

「条令は、街や村がある各地域での決まり事や命令みたいなもので……エルデバ病に関しては、全地域に条令が出されてるの」

「この病気にかかって生まれた子の親は役所にそれを知らせる義務があるとか、金化して亡くなった者の遺体は埋葬せずに、その土地を治める者に引き渡せとか、細かいことがいくつも決められてる。それを守らない家族には罰が与えられるという厳しいものだ」

「何でそんな決まりが作られたの?」

「人の尊厳より、金に目がくらんだやからが大勢いるからだ」

「金……身体が、病気のせいで変わっちゃう金のこと?」

「そうだ。条令が作られた表向きの理由は、この不可解な病気の原因や仕組みを解明するための研究機関に材料、あるいは情報提供をするということらしいが、そんな気などはなからなかったんだろう。条令の目的はずばり、金儲けだ。民をまとめ、治める側の特権階級は贅沢な暮らしを求めてやまない。金化した遺体を埋めるだけなどもったいないと考えたんだろう。原因解明の条令の下に引き渡された遺体は、その後、金として溶かされ売買される。元は人間だったことは伏せられてな」

「身体が、溶かされて、売られるの……?」

 驚いた。お金にしたいのは悪いやつらだけじゃなく、街の偉い人達も同じだったなんて……。

「あくまで噂、とは言っておこう。誰も見たことはないし、確たる証拠もない。だが一般市民は皆それを知ってる。口に出さないだけでな」

「どうして誰も言わないんだ? 金に変わっても、人は人だろ?」

「ベルグラーノさんが言ったように、他人事なのよ。所詮……だから誰も、わざわざ非難なんてしないの」

 シルヴィナは寂しそうな声で言った。

「このエルデバ病は珍しい病気で、罹患者も年に数人程度と、多くの者にとってはまったく馴染みのない病だ。疑問も持たず無関心なのは当然とも言える。その上、大半の地域じゃ遺体を引き渡せば結構な謝礼金が支払われる。研究への協力の気持ちということらしいが、そんな出費をしてでも特権階級側は遺体を手に入れたいということだ。それだけ懐が温まるんだろう。しかし家族側も金を手にするのは事実だ。病気と無縁の者からすれば、残された人間がむしろ得をする病気とも思われてるようだ。成金病や富豪病などと呼ばれるのは、その一つの証拠と言える」

「家族も、偉い人達も、皆お金が手に入るから、だから病気を治したくないっていうのか……?」

「実に嘆かわしいが、そういうことだ」

 ベルグラーノさんはおでこを押さえると、難しい顔で頭を振った。エルデバ病にかかった人の不安や怖さなんて、誰も考えてくれない……もしかしたら、早く金に変わって死んでほしいって思ってる人もいるのかも……。

「でもそんな人ばっかりじゃないわ。治療法を見つけようと頑張ってる人達は確実にいる。そうですよね?」

 シルヴィナにベルグラーノさんは頷いた。

「ああ。私がまさにそうであるし、数は減ったが各地で研究を続けてる者もいる。時間はかかるが、続ければ必ずいい結果にたどり着けると自信を持ってる。だが、結果を出されるのは困るという者らに、今は妨害され目を付けられてしまってる」

 研究の妨害と特権階級――その二つが頭の中でつながった。

「その邪魔する人達って、まさか偉い人達なの……?」

「おそらくな。実行犯の正体はわからないが、きっと金で雇われたごろつきだろう。でなきゃ一研究者のすることをわざわざ妨害する理由などないはずだ」

「一体どんな妨害行為を受けるんですか?」

「身の危険を感じることから、たちの悪いいたずらみたいなことまで様々だ。以前の家では閉め忘れた窓から侵入され、実験器材を壊された」

 さっき家の外をキョロキョロ見てたのは、悪いやつがいないか確かめてたんだ。

「買い直すのに大きな出費を強いられて困ったよ。昔は研究に助成金が出されてたんだが、いつの間にか打ち切られて久しい。だから私は万年貧乏でな」

「大変なんですね……それなら私が少しですけど、援助して――」

「そういうつもりで言ったわけじゃない。金はないが、それでもどうにかやってるから大丈夫だ」

「でも、私はあなたに研究を進めてもらいたいですし……何かできることはありませんか?」

「何か、か……」

 ベルグラーノさんは宙を見てしばらく考え込んだ。

「……じゃあ、よければ私の助手をしてもらえないだろうか」

「助手を? だけど私は研究の知識も仕方も知りませんけど……」

「専門的なことをやらせたりはしない。物を取ったりメモしたり、私が頼んだことをただやる、手伝いだと思ってほしい」

「はあ、そのぐらいなら、私でもできそうですけど……」

「ところで、もう宿は決まってるか?」

「いえ、これからです」

「ならいい。助手をしてくれるなら、ここの部屋を貸そう。もちろん金などいらない。以前の助手達が使ってた部屋が余ってるんでな。どうだろうか」

 宿に泊まらなきゃお金の節約になるし、助手をすれば研究の手伝いもできる。断る理由なんてない。僕はすぐにシルヴィナに言った。

「ねえ、助手になろうよ。ベルグラーノさんだって助かるんだから」

「そうね……私でお役に立てるかわかりませんけど、頑張ってみます」

「おお、ありがたい。研究は人手があればあるほど捗る。時間が許す限り頼むよ」

「私の時間に限りはありません。あると言うならこの子の時間……この研究は、止めちゃいけません」

「そうだな……ジュリオ君、だったか。大事な息子さんに希望を持たせるためにも――」

「僕は息子じゃないんだけど……」

 名前も違うと言いかけたけど、そこまでは言わなかった。母ちゃんと父ちゃんに疑いを感じてるせいかもしれない。そんな僕をベルグラーノさんはちょっと驚いた顔で見てきた。

「親子じゃないのか? 私はてっきりそうだとばかり思ってたが」

「え、ええ。この子は同じ村の子で、訳あって私が連れ帰る途中で……」

「そうなのか……では、あまり長くは引き止められないな」

「いえ、できる限りお手伝いはさせてください。優先すべきはこの子の病気が治ることですから。村の両親も、それを望んでます」

「しかし、ジュリオ君は早くご両親に会いたいだろう」

「僕、会ったことないんだ。ちっちゃい頃に誘拐されて、ずっと別の場所で育ったから……だから、会うのは研究が進んでからでもいいよ」

 ベルグラーノさんはまた驚いた顔で、今度はシルヴィナを見た。

「……誘拐というのは、本当なのか?」

「はい。エルデバ病の子を狙った、お金目的の誘拐に遭ってしまって」

「なるほど。訳あって連れ帰るというのは、そういう経緯だったか。……他人の身勝手な欲に人生を振り回されるなど、あってはならないことだ。そんなことを起こさせないためにも、私は必ず治療法を見つけてみせる。どれだけ時間がかかってもな」

 そう言ってベルグラーノさんは僕に笑った。その笑顔を見て、僕には一つ疑問が浮かんだ。

「お金、欲しくないの?」

「……ん? 何のことだ?」

「だって、病気を治したら身体は金にならなくて、お金は手に入らなくなっちゃうんでしょ? それなのに貧乏だって言うベルグラーノさんは、どうしてこんなに病気を治したいのかなって思って」

 一瞬きょとんとした顔は、すぐに笑顔に変わった。

「ふふっ、確かに私は貧乏で、お金も欲しい。だが病気に関連してお金が貰えるのは家族だけだからな。それに、罪を犯して追われる身になってまでお金が欲しいとは思わない。そんなことをするぐらいなら貧乏のままのほうがいい」

「研究主題は他にも多くありますよね? なぜ珍しいエルデバ病の研究を選んだんですか?」

 シルヴィナが聞くと、ベルグラーノさんはどこか寂しそうに笑った。

「選ばざるを得なかったんだ……私の娘が、罹患してたんでな」

「娘さんが、エルデバ病だったんですか?」

「私が結婚して二年後、娘は生まれてきてくれたが、首にはアザがあった。長く生きられないと知りながら愛情を注いで育てたが、十五になる直前、全身が金に変わり果て、亡くなった。条令に従い、遺体は回収され、引き換えに謝礼金が届いた。妻はその金で娘に立派な墓を作ろうと言ったが、私は何か違う気がしてな。誰もいない墓を作ってどんな意味があるのかと思ったんだ。娘のことを想うなら、娘を死に至らしめた病気の治療法を見つけるほうが遥かに有意義だと思えた」

「それで、研究を始めたんですね」

「その当時は今とはまったく別の、植物についての研究をしてたんだが、それらの資料はすべて片付け、私はエルデバ病について一から学び、研究を始めた。だが妻は昼夜没頭する私に愛想を尽かして去って行った。娘のためではあったが、妻のためにはならなかったようでな。けれど私に後悔はない。特権階級を喜ばすために娘は死んだのではないんだ。金として扱われるために生まれてきたわけでもないんだ。人間として、家族と共に安らかにいられるように、そんな当たり前のことを取り戻すためには、エルデバ病を克服する術を見つけなければならない。大人にもなれず、死を避けられない子らに希望を持ってもらうために。だから私は、どんなに妨害されようとも、この命が尽きるまで研究を続けるつもりだ」

 話すベルグラーノさんの青い目は、力がこもっててキラキラ輝いてるように見えた。ひどい目に遭っても、この人は何にも怯えてないんだ。死んだ娘さんのために、真剣に、本気で治療法を見つけようとしてる。この人なら、いつか本当に見つけられるかも……話を聞いてるとそんな気もしてくる。

「素晴らしい志です。ここへ来られてよかった」

「志だけあっても、研究には何の役にも立たない。もう何十年と経つが、妨害のせいもあって成果はまだわずかだ。しかし先がまったく見えないわけじゃない。原因に関してわかってきてることもある。停滞してても、ある日突然走り出せる時が来るかもしれない」

「じゃあ、この病気、治せるかもしれない?」

 僕が聞くと、ベルグラーノさんはニコッと笑った。

「まだ時間はかかるだろうが、希望は持っててほしい」

「私は初めから希望は捨ててません。だからあなたに会いに来たんです。どうか、ジュリオを救ってください。そのためなら何でもお手伝いします」

「ありがとう。とても心強いよ。だがまあ、今日はとりあえずゆっくりするといい。私はその間にここの掃除をしておく。こんなに散らかってちゃ手伝いもできないだろうからな」

「じゃあ私も――」

「いやいや、掃除の手伝いまでさせる気はない。それより向こうの君達が泊まる部屋を見てきてほしい。助手達が去ってから一応綺麗にはしてあるが、長く入ってないから少し埃っぽくなってるかもしれない」

「わかりました。見てきます。……一緒に行くわよ」

 シルヴィナに言われて僕は椅子から立ち上がる。

「遠慮なく、好きに使ってくれ」

 ベルグラーノさんが言った部屋はすぐ左側にあった。シルヴィナは扉を開けて中に入る。

「……確かに、ちょっと埃っぽいかもね」

 部屋は横に細長い形をしてて、そこにベッドが二台並んで置かれてた。その側に小さな机があるだけで、他に物は何にもない。ベルグラーノさんが言ったように綺麗にはしてある。でも何だか寂しい部屋……だけど寝るだけならこれで十分か。

 シルヴィナは部屋の奥に一つだけあった窓を開けた。太陽の光と冷たい風が一気に入り込んできて、埃っぽかった空気が流されてく。

「どっちのベッドがいい?」

 聞かれて僕はすぐに言った。

「向こうのベッド!」

「わかった。じゃあ私は扉に近いほうのね」

 やっぱり窓があったほうが明るいし、外も見られていい。僕は奥のベッドに飛び乗った。宿屋のベッドよりは固いけど、毛布はあったかそうだ。しばらくここが僕の居場所になるんだな。

 その後、僕達はベルグラーノさんとおしゃべりしたり、食事をしたりして夜まで過ごした。

「……それじゃ、おやすみ」

 シルヴィナが壁のランプの火を消して、僕達はそれぞれのベッドに入って休んだ。かぶった毛布のあったかさに、僕はすぐに眠くなり始めた。そうしてウトウトしてた時だった。

 ガタッと物音がして、僕の目は開いた。近くで聞こえたような――毛布から顔を出して周りを見てみた。……暗い。この部屋にはほとんど物がないから、何かが落ちたり倒れたりすることはないはずだけど。隣のシルヴィナを見ると、ちゃんとベッドにいて寝息を立ててた。その向こうに見える部屋の扉もしっかり閉まってる。一体何の音だったんだろう――そう思った時、僕のほっぺに冷たい風が吹いてきた。……風? 窓は閉まってるのに何で――

「……!」

 振り向いた先の窓を見ると、ほんの少しだけ窓が開いてて、片側の戸が風で揺れてた。どういうことだ? この窓は空気の入れ替えの後にちゃんと閉めたし、ベルグラーノさんに言われて寝る前にも確認したのに。壊れてるわけじゃないよね……。

「うう、寒い……」

 風が吹き込む窓を閉めに、僕は仕方なくベッドから出た。外からは綺麗な月の光が差し込んで、窓辺だけ明るかった。今日はどんな形の月が出てるのかな――そんなことを何気なく思って、僕は窓を開けて夜空を見上げてみた。

「……あ、真ん丸――」

 呟いた瞬間、目の前に何かが現れたと思うと、僕は首根っこをつかまれて、そのまま窓の外へ引きずり出された。ドサッと地面に下ろされて、でも首根っこはつかまれたままだった。

「だ……」

 誰だって言いたかったのに、驚きと怖さで上手く言えなかった。それでも目の前に立つ誰かを見上げると、月の光の逆光で暗くなった顔がこっちを見下ろしてた。男の人、だけど、まったく知らない人……まさか、また誘拐――そう思ったら怖さが一気に増した。

「た、助けて! シルヴィ――ふご!」

 叫び声を出した途端、男は僕の口を手で塞いできた。そして身体を持ち上げて抱えた。や、やばい、連れて行かれる!

「ふが……放せ! むぐ……」

 僕は目一杯暴れようとしたけど、男は力で押さえてくる。

「暴れるな。静かに――」

「ジュリオ? どこなの?」

 その時、窓の向こうからシルヴィナの声がした。起きてくれた! 早く呼ばないと――

「うう! むぐ、ふご……!」

 でも男の手で塞がれて声が届かない。男もシルヴィナの気配に、僕を抱えて逃げ出した。

「うぐ、むあ……助けて! 僕はここ――んうう!」

 一瞬だけ声を上げられたけど、男はすぐに口を塞いできた。シルヴィナ、気付いて! こっちだよ――

「……ジュリオ!」

 窓からこっちに気付いたシルヴィナの顔がのぞいた。でも僕を抱えた男が道を曲がって、その顔はすぐに見えなくなった。

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