三周目
目の前にいる人物が「私には諏訪明神が憑いています」という状況に初めて遭遇した。多分この先にも遭遇することはないのが、これはとんでもない信仰告白である。信じないというわけではない。自分も他人のことをどうこうと言えないからである。
それでも、一般的には諏訪明神を降ろすには神官が必要だし、降ろす対象は大祝であるから奇妙ではあるのだ。あるが、諏訪頼重がここで死んだというのだから、話としては成立しそうである。
「諏訪頼重の悪霊じゃないのか?」
「あのなあ、なんでもいいと言っているだろう。もう悪霊とでもなんとでも呼べ。それよりも、もっと話すことがないのか?」
目の前の諏訪明神様々は呆れた顔で言うのだが、そもそもこんな突飛なことを始めたのはそちら側だろう、こっちこそ呆れたいものである。
「それで、神様―――あんたがわしをここに降ろしたのか?」
「お前を降ろしたのについては、別のに言われてそうした。お前の行状が余程悪かったのか、その身体をもって生き直せということらしい。そして三周目だ。お前は三周目にあたる」
まじまじと瞳を見るので、少したじろぐ。視線を合わせるということは敵対の表現だ。たとえば「ガンをつける」という風に。
敵対的なゲームは苦手である。碁にしたって、盤を挟むことがなければ熱中することはなかっただろう。
身体は抵抗せよというのだが、精神は喧嘩を始めるのは遅いに限るという。わしは、迷ったら精神に従うことにしている。だから視線も顔も上に向け、虚空に響かせるように空気を振動させる。
「まあ、一周目は分かる。一周目にはこの武田三郎は名前を残すことがなかった。わしはそのようなものを知らないし、誰もその存在を知らないままに死んでしまった。これを気に入らなかったということか?」
「察しが良いな、その通りだ。そして二周目は、自分が三郎に降りた。ここまでは、お前と同じように歩んでいたんだ。そして武田は皆殺しにしたが、それが全くの大失敗だった」
「失敗?」
「四郎勝頼が死んだから、失敗だな。四郎が死んでしまっては、大祝である頼重の血が残らんだろう?」
「ふぅん、それはそうだな」
武田四郎勝頼は甲斐武田氏の棟梁となって滅亡することになる。
どうやら結果が気に入らなかった諏訪明神様は三郎に降りて四郎を救おうとやってみたらしいのだが、それが失敗だったらしい。二周目というのはそれを指すのだそうだ。
勝頼という名を示すところからして、やはりこれは神様らしい。勝頼という名がつくのは未来のことだからである。
四郎の母は諏訪御料人である。諏訪御料人というのは諏訪頼重の娘だから四郎は頼重の孫に当たる。つまり四郎は、頼重を事実上殺した晴信の子であり、他ならぬ頼重の孫であるというのだから、この諏訪の神様にとってどのように扱うべきかは複雑なものだろう。
もしかして、大祝の血統を残すために降りたのだとすれば―――むしろここで自害した諏訪頼重に憑いていたミシャグジが地縛霊のように留まっていたのだとすれば?
これは、やはり神様というより悪霊かもしれない。
しかし頼重には寅王という子がいたのは知っている。というか最近、噂で知った。ただ、この寅王は死んでしまったのである。
「なーんで頼重の息子を救おうと思わんかったのだ。別に四郎勝頼などと言わず、頼重には寅王という男子がいたはずだろう。病で死んでしまったらしいが、神として人の病くらいは祓ってやればよいではないか。そうしてから越後でも関東でも京でも、どこでもいいから逃してしまえば良いのではないかと、わしは考えるのだがな。寅王は将来、諏訪大祝の嫡流として再び起つことも有り得るだろう。何故そうしてやらんのだ」
「病をどうにかできる神は限られる。お前もよく知るはずだ。『それ』がお前を降ろしたし『それ』は寅王をどうにかしたければ『浄土に寅王とやらを連れてこい』と、のたまったのだ。残念なことに自分には寅王を浄土に連れて行くことが、全くできそうにはなかった。そして三郎に降りてどうにかしようと考え四郎を救うために戦ったが、自分は失敗した。だから『それ』が再度の生き直しの条件として求めてくる通りに、そなたを降ろしてやったのだ」
「お前は寅王のことなど、心底どうでもいいのだな」
「単なるイエの話だから、寅王そのものは特にどうでもいい」
「中世人らしいが、冷たいもんだな。しっかし、神とはいえども降ろしてやったとは恩着せがましい奴だ。このようなこと、わしは望んでおらんというのに」
「それに関しては少しくらいは悪く思っているのだが、一周分だけ多く人の生というものを楽しむことができるというのだから、こちらの勝手ではあるがお前にとっても悪い話ではあるまいよ」
「釈尊はこの世は地獄と言ってるいるのではなかったか。それはともかく、戻るのか?」
「ああ。上首尾に終われば戻ることになるだろう。戻ったところが同じであるとは限らないし、それが望むようなものであるとは限らないけれども、戻ること自体は間違いない」
「上首尾でなければどうなるのだ」
「それは考えていない。生来こっちは自分勝手なものだから、戻らないかもしれないし戻るかもしれない。こちらのやる気が出るかどうか次第だから、精々励むのが良いだろうな」
「本当に勝手な奴だなあ」
「好きなように言えばいい。ともかく、武田を皆殺しにする以外で四郎が生き残る道を探ればそれでいい。失敗を責めることは好かんから、思う存分、失敗するといい。どうせ皆殺しにすることで生きる道を切り開こうと考えていただろう?それはやめておけ。そのために降りた」
「あのなあ。わしは皆殺しにするような物騒なことは最初から考えない。わしは平和主義の日本からやってきた。それに、やる前に負けること考える馬鹿はいないし、成功させるつもりだから心配は無用だ。どうやらそれを期待して待っている出羽守のような者もいるらしいから、神通力なども不要である。まあ、ここでの生活は楽しませてもらっているから、駄賃として成果はくれてやる」
「話の分かるやつで良かった。駄賃として誰が呼んだか教えてやろうか?」
「いらん。わかっている」
「左様か」
少しだけ残念そうな顔をすると、場を薄い闇が包んで静かになった。
「終わったか」
「ええ、ええ」




