王都での任務2
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この世界は魔法が普通に存在するファンタジーな世界ではあるが、同時に科学も発達している。さすがに現代の日本と比べてしまうと見劣りしてしまうが、魔法と科学が同時に発展を遂げたのがこの世界なのだ。そのため、水道や下水道もしっかり完備されているし、乗り心地はかなり悪いが車らしきものもある。セトニアがまだ村で暮らしていた頃にはライト兄弟のような人たちが飛行機の原型ともいえるものを作り、航空機の製作も計画されているとかなんとか。
「それっ!」
バリバリッ!!
そんな世界のある日の昼下がり、冒険者ギルド近くの宿の庭でマリーはセトニアと戦闘訓練をしていた。世の中は完全な平日であるが、冒険者である勇者パーティーは休みだ。好きな日を休日にすることができるのが命がけの冒険者の唯一の利点である。
黒いとんがり帽子に同色のローブに赤いボブカットの髪といういかにも魔法少女という格好のマリーが杖から電撃を放った。その電撃をセトニアが涼しい顔をしてかわす。
「魔力コントロールはさすがですが、照準がブレています。」
それどころかセトニアはマリーにアドバイスまでしてのけた。本来セトニアのような聖職者は戦闘はあまり得意ではなく、他の仲間から守られる立場にある。だが、勇者パーティーにおいて一番戦闘に長けているのは間違いなくセトニアだった。それは魔術学校を首席で卒業したマリーが相手でも同じである。
「このっ!」
ボボボボッ!
マリーは空中にいくつも炎の球を生み出し、それらをセトニア目掛けて撃った。セトニアはまるで火球が飛んでくる場所が分かっているかのように最小限の動きでかわす。やがてマリーが息切れを起こす頃、セトニアは急速にマリーに接近してデコピンをくらわした。
「何すんのよ!」
「この辺で今日の訓練はおしまいにしましょう。朝からぶっ通しでしたし、これ以上は体が持ちません。」
そう言うとセトニアはベンチに腰かけ、懐から新聞を取り出して読み始めた。自分はまだやれると言いたげな目をするマリーだったが、マイペースなセトニアにため息をついて彼女の隣に腰かけた。
セトニアは良くも悪くも有名人である。勇者ロイスに適切な指導と経験を与え、時に姉のように寄り添う勇者様の良き理解者、一方では血と殺戮を好む戦闘狂。色々と言われているが、セトニアとしてはただ与えられた仕事をこなしているだけである。所属していた教会の関係から、前々から国との関わりがあったセトニアは勇者のお供として活動する傍ら、その指導も任されていた。
未曾有の脅威に立ち向かうための勇者であるが、その「未曾有の脅威」が何であるかが分かっていない今、最も恐れるべきなのは人間同士のしがらみであるとセトニアは睨んでいる。
神から選ばれた勇者、ピランツ王国内では英雄のようにもてはやされているが、他国から見れば恐ろしい大量殺戮兵器である。そんなものを一国が持っていると知れば、他国は瞬く間に同盟を組んでピランツ王国に圧力をかけてくるだろう。最悪暗殺者を使って勇者ロイス、引いてはお供である自分を襲撃してくるかもしれない。
そんなことになっても勇者自身が冷静に対処できるように、はじける血肉や零れる臓腑に慣れさせておく。それもセトニアの指導カリキュラムに入っていた。
「…………今日もダメだったか。」
新聞を読み、国内の情勢や他国の動きなどを確認していると、不意に隣からそんな呟きが聞こえた。見るとマリーが自分の杖を悔しそうに握りしめていた。
勇者パーティーの魔法使いマリー、彼女の存在はセトニアにとって非常に助かっていた。ロイスと同じくヒューマニストの匂いが若干するが、「人間は綺麗なもの」と夢見がちなロイスと違い、現実的な判断もできる。加えてロイスの幼馴染ということで彼の良い精神安定剤となっている。
セトニアは、ロイスを一刻も早く身体的にも精神的にも強い勇者にするためとはいえ、自分の指導が駆け足の荒療治であることを自覚していた。勇者の剣を抜くまで普通の少年だったロイスには耐え難いものだろう。マリーがいるからこそロイスは着実に力を付けているのだ。
魔術学校首席の名に恥じない魔力運用と冷静な判断力、さらには指導・護衛対象である勇者への献身的なサポート、セトニアにとってこれほどありがたい存在は他にいなかった。
「何か不具合ですか? マリー氏。」
だからこそ、その彼女が何か悩んでいるならできる限り力になりたかった。彼女と良好な関係を築ければ勇者指導の任務が終わっても様々な仕事がなりやすくなるだろうから。
「………別に。あんたの技を見ることができなくて残念ってだけよ。」
セトニアの質問にマリーはぷいっとそっぽを向いていじけたように答えた。それを聞いてセトニアは首を傾げる。
技? 果たして自分は他人が興味を持つような芸を何か持っていただろうか。自分で言うのもなんだが村から引き抜かれてからは神とかいう怪しげな存在にひたすら祈る味気ない人生を送ってきた女だ。むしろ魔術学校で様々な魔法を学んだマリー氏の方がよっぽど多芸ではないだろうか。
そう思ったセトニアだが、仲良くしたいと思っているマリーが望んでいるのだ。何か見せないといけない。セトニアは読んでいた新聞紙を折り紙サイズに破り、それを手際よく折って折り鶴を作った。それを掌に乗せてマリーを呼ぶ。
「『飛べ』」
マリーがこちらを向くと同時に鶴に命令すると新聞紙の鶴はバサバサと羽ばたいて大空へ飛び立っていった。それを見たマリーは目を見開いて驚いている。
これは過去に一度だけ教会の教祖相手にしたことのある芸だ。光魔法の「光」は突き詰めれば電磁波、つまりは電気のようなものだ。その電磁波に羽を動かし飛ぶというプログラムを乗せて鶴に組み込む。後はセトニア自身の一声で飛んでいくというものだ。光魔法に理解があれば誰でもできる簡単なものだが、教祖がひどく驚いていたのを覚えている。思えば自分が国に関わるようになったのもこの芸を見せてからだった。
「…………なるほどね、いいわよ、やってやろうじゃないっ!」
さて、マリー氏は喜んでくれただろうか。そうセトニアが思った矢先、マリーは勢いよく立ち上がった。そしてやる気と自信に満ちた様子で自分の部屋へと帰っていく。思っていたのと違う反応にセトニアはまた首を傾げた。だが、少なくとも元気は出たようなので良しとしよう。そう思ってセトニアも自室へ帰っていった。
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マリーには兼ねてから思いを寄せている幼馴染、ロイスがいた。スロモー村という小さな村で一緒に過ごした仲だったが、ある日マリーに魔術師になれる才能があることが分かった。炎、氷、土、風のすべての魔法の基礎となる属性四つを操る素質を秘めていたのだ。魔法使いの道に興味があったマリーは泣く泣くロイスと別れ、今度会った時に驚かせてやろうと魔術学校での勉学に励み、見事首席で卒業することができた。
さてどんな形でロイスに会いに行ってやろうと考えている時、国からの使者がやってきた。「勇者ロイスの旅に参加し、護衛を務めよ」との王の命令を伝えに来たのだ。勇者パーティーに自分が選ばれるのも驚いたが、もっと驚いたのは自分が知らない間に幼馴染が勇者になっていたことだ。
正直誰とも知らない男が勇者だったら断ったが、ロイスならば話は別。魔術学校で培った力でロイスの力になってやろうと意気揚々と城へ赴いた。
そこに待っていたのはロイスだけではなかった。ロイスの少し後ろに佇むようにその女はいた。腰まである長いサラサラの金髪に蒼い瞳を持った美しい少女は聖女セトニアと名乗った。
「聖女セトニア」
その名はマリーは学校に在籍していた時何度か耳にしたことがあった。300年に一度と言われるほどの光魔法の才の持ち主で、ピランツ教会の表の顔と称される程の天才聖女。だが彼女は聖職者特有の慈愛に満ちた目をしていなかった。無表情で、ただただこちらを見定めしていた。その態度に少し腹が立ったことを覚えている。
こうして三人での旅が始まり、まずは王都の冒険者ギルドに所属していくつか依頼を受け、実戦経験を積むことになった。そこでもセトニアの異質さが際立つことになった。彼女は勇者さえも凌ぐ戦闘力と敵であれば容赦しない残虐性を兼ね備えていた。
正義感の塊であるロイスは人を躊躇なく殺す彼女の姿勢が許せないようだった。マリーもそうであるが、マリーは彼女の言い分も幾分か理解できた。世の中は綺麗なことばかりではないと魔術学校で学んだからだ。まあセトニアは少々やりすぎだとは思うが。
マリーはそれよりも許せないことがあった。セトニアが光魔法を全く使おうとしないことだ。任務であっても滅多に使おうとしないセトニアに聞いたことがあった。なぜ光魔法を使わないのか。すると彼女はこう言った。
「必要がないからです。わずか数粒の砂を掃除するのに掃除機を使うバカはいないでしょう。」
それを聞いてマリーは怒りを覚えた。セトニアは自分達との戦闘訓練でも光魔法を使わない。つまりその発言はロイスとマリーさえもその辺の有象無象と同じと言っていることと同義だった。その日からマリーは戦闘訓練のたびにセトニアに挑むようになった。
自分が培ってきた力のすべてでセトニアと戦う。だが、彼女はそのすべてを最低限の体術と身のこなしで退けてしまう。
ある日の休日もマリーはセトニアと手合わせした。だが、結果はいつもと変わらずいたずらに時間だけが過ぎた。
「…………今日もダメだったか。」
だからその日はつい弱音を吐いてしまった。いつもは弱音など絶対に吐かない負けず嫌いのマリーだが、いつまでたっても縮まらない差に弱気になってしまったのだ。
「何か不具合ですか? マリー氏。」
偶然にもその呟きは一番聞かれたくない人物に聞かれていたらしい。自分の弱みを見せてしまったことを恥じるようにマリーはそっぽを向いて答えた。
「…………別に。あんたの技を見ることができなくて残念ってだけよ。」
マリーは言葉を濁した。自分の実力がセトニアに敵わなくて悔しいと思っていることは知られたくなかった。それにあながち嘘ばかりでもなかった。国からもお墨付きをもらうという程の彼女の光魔法は一魔法使いとして興味があった。
マリーとしては言葉を濁して適当にごまかしてこの場を去るつもりだったがセトニアは予想外の行動に出た。
「『飛べ』」
セトニアは何の変哲もない新聞紙の鶴に”命を与え”、大空へ放った。その行為をマリーは驚きのあまりまぬけな顔をして見ているしかなかった。何故なら彼女のしたことは光魔法のレベルを明らかに超えている。モノに命を与えるなんて、まるで本物の神の如き所業だ。けれどもセトニアはなんてことのないように、「当たり前でしょ?」と言わんばかりの無表情だ。
その顔を見たマリーは思った。なるほど、これは自分への挑発のようなものだ。光魔法を使わせたかったらこの程度鼻歌を歌いながらでもできるようになれ、とそう言っているのだとマリーは感じた。
「………なるほどね、いいわよ、やってやろうじゃないっ!」
実際セトニアにそんな思いはなく、ただ仲良くしたい同僚を楽しませたかっただけなのだが、一度思い込んだマリーは止まらない。早速部屋に戻って魔術の研究を始めようとズンズンと宿へ入っていく。
負けず嫌いで努力家であるマリーが、仕事熱心な天然であるセトニアを理解する日はもしかしたら来ないのかもしれない。