田村くん、言いにくいこと言われても平気よね!
「ここ一週間ほど」
「そう」
彼女はカルテに目を落としたまま、何か考え込んでいた。課長は半分目がさめた。
「自覚症状がでて、まだ一週間です」
「そう・・・」
彼女は本当に困っているようだった。
いいにくいことを、いうべきか否か、いうなら、どうやっていったらいいか考えているようだった。課長はいった。
「独身だけど、別に君のせいで、そうなったんじゃないよ。
あ、いや失礼。昔の思い出が、もしつらいとしたら、それは僕のほうじゃなくて君のほうだよね。
その節は、とんだ告白いたしまして、申し訳ありませんでした。僕はもう何も覚えてないよ。青春の良き思い出だけが心にあるよ」
彼女は少し目線を上にあげた。カルテと課長の顔の中間ぐらいの位置。課長は心配になっていい足した。
「皮肉じゃあないよ。遠藤、君、そんなにながなが男をぶちのめせるほどのイイ女でもないぜ、過信すんなよ、はは、・・」
ははは、と笑い続けようとしたら、彼女が声をだした。
「うん。平気よね。田村くん。なんか私、あのときのこと思い出しちゃった。
まったく忘れてたのに、あのころの友達に会ったら、とたんに時間をとびこえて、あの頃の私になっちゃった。あのときも、
私、ひどいこといったけど、君、全然、大丈夫だったね」
「そうだよ。もてないのと、大丈夫なだけが、僕のとりえさ」
「そうよね」
「そうさ」
「いいにくいこといっても、平気よね」
「そうさ」いいにくいこと?
「はいがん」
何か彼女がいったな。
そのまえに、いいにくいことってなんだ、男に求めるものが、四半世紀を経て二十一世紀になってもあなたにはないわ、って、そういうことだろう。そうじゃないのか?
課長は聞き返した。
「いいにくいことって何ですか?」
「だから、ハイガン」
「ハイガン?」
トウガンなら聞いたことがある。食べ物の名前だ。カボチャとかウリとかトウガンとか。ハイガンとは何だ。
「田村くんの思ったとおりだったの。田村くん鋭いわよ。肺ガンよ」
「肺ガン・・・」
課長の口はそういったが、頭の中にはまだトウガンがいた。トウガンは冬の瓜と書いてそう読ませるのだった。なあんだ、ウリみたいなもんではないの。
「田村くん、大丈夫?!」
彼女は、やや焦ったように、心配そうに課長の顔色をのぞきこんだ。
「しょせんウリさ」
「え?」
「いや、こっちのことさ。ウリ、ウリ・・カモウリだったんだ。冬の瓜さ」
「何いってんの?」
課長にとっては、到底それが自分のこととは思えなかった。
誰が肺ガンなんだ。ウリ君か。原因は何だ。タバコか。ウリちゃん、あれほどいったのに、まだタバコやめなかったのか。
課長の顔色が悪い。彼女はいよいよ心配になった。
「田村くん!」
そうだ、あのときも、恋の死刑宣告をした彼女は、いってしまってから、真っ青な死人の顔になった僕をみて「大丈夫?田村くん!」なんて声をかけた。
でも本当にそうなんだから仕方ないのだ、彼女は僕を男とは思えない。それは変えようもない事実だ。だからはっきりいった方が良いにきまってる。
あのときも、しばらく僕はショッキングな沈黙に組み伏せられたが、結局、こういったのだ。
「大丈夫だよ。何いってんの。君はひどいことなんかいってないよ。本当のことをいっただけでしょう?ちゃんとうけとめるよ。
甘い誤解はとかなくちゃ。でなきゃ人生を誤解しちゃうよ。人生の無駄使いをしちゃうよ。
だから、このさい、はっきり、本当のことをいってくれ。つけ加えることはない?何かあったらはっきりいってよ」
そして、この場面で、課長はこれと同じセリフを述べた。二十余年前の再放送。
彼女は安心した。そして次の言葉をくりかえした。その声は少し震え、かすれた。
「そうよね。田村くんなら大丈夫。そうよね。大丈夫・・・」
・・・つづく




