25:デートのはじまり
「今日はどこに行くの?」
「まず映画に行こうと思って」
「わぁ、デートっぽい」
「そう、デートだからね。映画は好き?」
「好きだよ。詳しくはないけど」
「僕もだ。一緒に観る映画を選んで、待ち時間に食事でもしよう」
アンジュの家の駐車場を出て、駅の方面に向かう。
休日で混雑する道を迂回して大きな映画館の近くの駐車場に止めた。
歩道には多くの人が行き交っており昨日の地下街を思い起こさせる。
車から降りて映画館まで二人で歩く。
「映画館なんて久しぶり!すごく大きなところだね」
「うん、新しい施設だから充実してると思う」
「来たことあるの?」
「いや、初めて来た。君をデートに誘ってから調べたんだ。せっかく君と出かけるからちゃんと確認したくて。もし嫌でもすぐに引き返せる距離だし」
変に繕ったりせず、包み隠さず正直に話してくれるイーサンにじっと耳を傾ける。
いつも色々と考えてくれる彼に感心してゆっくりゆっくり近づいた。
「いつもありがとう」
「どういたしまして」
自然と手が触れ合って、手を繋いだ。
なんだか照れくさいな、と思っていたらぎゅっとイーサンが握り返してきた。
「君とデートできて本当に嬉しい」
「昨日もしたけど?」
「今日は思ったことをちゃんとその場で伝えようと思って」
「なるほど?」
「まずは、君が今日も美しい。そして手が僕よりうんと小さい」
「えぇ?ありがとう。手は女の人なら普通の大きさだと思う」
「そうなのか、女性の手なんて母親と握った以来だ」
「プロムとかで触れ合う機会なかった?」
「小さい頃から父の職場に遊びに行くのが楽しくて、学校の出席日数が足りず参加資格がなかったんだ」
「え、そんなことがあるんだ」
「なかなか不真面目な学生だった」
「今のイーサンからは想像できないね」
「学校より会社の方が僕に向いていたからね」
意外な一面を垣間見た。
イーサンの金銭感覚、自宅、そして学生時代。
全てにおいて彼の謎が深まるばかりだった。
ショーウィンドウを抜けて、広々としたフロントに入る。
通路には上映中の特大ポスターが壁一面に並んでおり、なかなかの圧巻だった。
受付カウンターの壁面にはポップコーンやドリンクなどの軽食類も並んでいる。
館内は所狭しと老若男女で賑わいを見せていた。
「さてと、何を見ようか」
壁面に飾られたポスターを1つずつ見ながら二人で歩く。
「これは?アニメの映画。アニメは好き?」
「アニメは子どもの頃に見てたけど…イーサンは?」
「うーん、最近のアニメは全くわからないな」
「じゃあ次ね。特撮の映画。男の子が好きそう」
「これは子ども向けだからデートで見るものではないな」
「確かに。子どもたちより良い席とっちゃったら悪いもんね」
「親御さんに嫌な顔されちゃうな」
あーだこーだと話していると、おもちゃの棒を振り回しながらはしゃいでいる子どもたちの声がフロアに響いた。
保護者であろう人が後ろから声をかけながら追いかけている。
反対には大きなポップコーンと大きなドリンクを両手に抱えている年配の男性がヨタヨタと歩いていた。
ふと嫌な予感がして、アンジュがイーサンにくっ付いた。
イーサンもその予感がしたのかアンジュを自分の内側に引き寄せた瞬間。
「キャハハハ」
ドンッ
「うわ!!」
ジャバーッ
年配の男性にぶつかった子どもはそのまま床に倒れ込み、
年配の男性はバランスを崩してよろけ、
ポップコーンとオレンジジュースは中身だけが宙を舞い、
イーサンの背中を直撃していた。
嫌な予感は全て的中し、辺りは騒然となる。
「申し訳ございません!!」
子どもの父親らしき人物が飛んできて平謝りする。
子どもはその場で大泣きし始める。
年配の男性は物凄い形相で大声で怒鳴り、あまりの罵声に耳を塞ぎたくなる。
背中がオレンジ色に染まっているイーサンは「まぁまぁ」と両者の間に立って宥めていた。
「アンジュは濡れてない?」
アンジュにそう尋ねてくる彼に慌ててハンカチを取り出し背中を拭く。
「私は全然、でも、どうしよう」
ハンカチを当てるものの、彼のシャツにシミが広がっていくばかりで全く追いついていない。
駆けつけた館内スタッフからキッチンペーパーを受け取りイーサンの背中に当てる。
イーサンは「ありがとう」とアンジュにお礼を言いつつ、
怒りが収まらない年配の男性に「怪我はないですか?」と尋ねて、子どもに「あぶないからね」と宥め、保護者にも「大丈夫ですから」と答えていた。
館内スタッフが総出で床を掃除し、年配の男性も怒りが収まったのか新しいポップコーンとドリンクを受け取って去っていった。
何度も頭を下げる親子とスタッフに「気にしないで」と伝えると申し訳なさそうに立ち去って行った。
あっという間に館内がガランとする。
映画の上映がいくつか始まったようだった。
「イーサン、ごめんね。庇ってくれてありがとう」
「君が無事でよかった。よかったけど…どうしようか」
「洋服、着替えに帰ろう?」
「せっかくお揃いなのに?それは絶対に嫌だな」
さっきジュースがかかってもごねなかったのに、着替えるのが嫌でごねるイーサンの思考回路が不思議で仕方ない。
するとイーサンが突然アンジュの手を引いて歩き出した。
「今わかったが、背中と足も寒い。ボトムスも濡れてる気がする」
彼の背中を見ると背中中央から下が薄いオレンジに染まっている。
「急いで着替えなくちゃ、風邪ひいちゃう。早く帰ろう」
その背中を隠すように半歩ほど遅れてついて行く。
手を引かれたまま映画館を出ると、イーサンが駐車場と反対方向に歩き出す。
「全身着替えないといけないな。しかしこのまま車に乗るとシートも濡れてしまいそうだ。でも着替えないと風邪をひいてしまうから、急がなければ。せっかくのデートなのに本当に困ったなぁ。何かいい案はないかなぁ」
突然長々と心情を喋り始めた彼に眉をひそめる。
「なにか企んでるでしょ…」
そうアンジュが小さく呟くと、イーサンが顔だけくるりと振り返り、嬉しそうな表情を覗かせた。
「僕は今とても困っているから助けて欲しい」
「早く着替えに行こう?どこかのお店で服を買う?」
「うん。君も協力して欲しい」
「協力?私にできること?」
「もちろん」
にっこり笑うイーサンにドキリとした。
良い予感があまりしない方のドキリだ。
やや急ぎ足で向かったのは路面店が立ち並ぶ大きな通りだった。
重厚感のある雰囲気、ラグジュアリーな雰囲気、アーティスティックで個性的な雰囲気、様々なコンセプトの路面店が並んでいる。
イーサンはクラシカルなガラス戸の前で足を止める。
「ここに入るの?」
「うん」
店内の入口に居たドアマンが扉をゆっくりと開けてくれた。
「いらっしゃいませ」
扉の先を覗くと広々とした店内には点々と距離を保たれてに置かれている洋服や装飾品。
品のある優雅な出で立ちだ。
「聡明なアンジュに良く似合うと思って」
「え?どういうこと?」
イーサンが手を引いて入店すると、スーツに身を包んだ落ち着きのある男性スタッフが近づいてきた。
イーサンが全身着替えたい旨を伝えると、すぐにいくつかハンガーを持ってきて洋服を見せてくれた。
イーサンが即座にネイビーのスラックスと、ライトブルーのシャツを指さして選ぶと「じゃあ」と行って店の奥のフィッティングルームに消えていく。
てっきり二人で相談しながら選ぶと思っていたから拍子抜けしてしまう。
入店早々からあっという間に1人取り残されたアンジュは、中央のショーケースに置かれた香水やハンカチなどの小物たちをなんとなく眺める。
…どれも値札がない。
すると、先程とは別の女性スタッフに声をかけられる。
「こちらはいかがですか?」
1着の青いミニワンピースを持ってきていた。
「とても素敵ですけど…私にですか?」
「はい、お連れ様からのご要望で」
「ああ、なるほど」
直接本人から聞いたわけではないが、お揃いの洋服を着たいらしい彼の魂胆がよく分かった。
ここで断ると彼がガッカリしてしまうだろう。
確か彼はライトブルーのシャツとネイビーのボトムスだった。
うーん、と悩んで辺りを見回す。
静かな店内でお客は恐らく自分たちだけのようだった。
「もう少し見せて貰えますか?」
「もちろんです」
女性スタッフと一緒に様々な洋服を見る。
印象的なチェック柄、控えめな色味、あまり派手なものは得意ではないがどれも可愛い。
概ね自分好みの洋服ばかりだ。
先日の友人たちのアドバイスにはそっと目を瞑り、さすがにパンツスタイルでのお揃いを希望している訳では無いだろうと、スカートに絞り込む。
トップスは青、スカートを黒にすると明らさまなお揃いコーディネートで恥ずかしいか。
じゃあ上下の色を変えるか?
先程のようにボトムスだけ同じ系統にしてみるか?
色々と悩みながら1つのワンピースをスタッフが持ち上げた瞬間、これだ、と瞬時に感じた。
ネイビーのシャツワンピース、赤い小さなロゴの刺繍が胸元にワンポイント付いているシンプルなシャツにウエスト部分からふわりと広がっているスカート。
「これ、着てみてもいいですか?」
スタッフがふわりと笑って、フィッティングルームに案内してくれる。
「今お履きになってるパンプスともよく合いますね、何かございましたらお声掛けください」
そう言って広々とした部屋に通されカーテンを閉めた。
両サイド鏡張りで大きなスツールと、デザイン性のあるハンガーラック、毛足の長い絨毯が敷かれている。
一人で着替えるだけなのに、こんなに広々としたフィッティングルームなんて随分と贅沢だ。
靴を脱いで絨毯に上がり、ワンピースをラックに掛けて、服を脱ぐ。
脱いだ服をたたみスツールの上に乗せ、ワンピースを手に取る。
やはりどこにも値段が記載されておらず不安になるが、たぶん知らない方が良いのかもしれない。
袖を通し、ボタンを閉める。
しっかりとした生地なのに滑らかで柔らかな肌触りで、温かさを感じる。
鏡越しに自分を見つめる。
腰を少し捻るとスカートがふわりとしなやかに揺れる。
すごく上品で可愛らしいシルエットだ。
素敵な洋服に思わず気分が上がる。
靴を履いてもう一度鏡を見直す。
先程女性スタッフに伝えられた通り、赤い靴がよく映えるワンピースだ。
カーテンを開けてフィッティングルームから店内にもどるとイーサンが椅子に腰掛けていた。
すっと立ち上がったイーサンは先程選んでいた洋服に着替えていて、胸元には黒い小さな刺繍のロゴが施されている。
自分のものとお揃いだ。
じーっと彼に見つめられて、周りに居たスタッフ達もこちらを伺っている。
注目を浴びてなんだか恥ずかしい。
「どうかな」
「うん、すごく可愛い」
「イーサンもすごくかっこいい。身体、寒くない?」
「うん、もう大丈夫」
さっきまで饒舌に話していたイーサンとは打って変わって、声量は若干弱い。
「いかがですか?」
そう男性スタッフに声をかけられて、イーサンがアンジュに「どう?」と尋ねてくる。
スタッフを遠ざけるように背を向け、イーサンの耳元に顔を寄せて小声で話をする。
「この服、買ってくれるってこと?」
「うん」
「あの、すごく素敵な服なんだけど…」
「うん」
「その、値段が、書いてないの」
「うん」
「…これすごく高いんでしょ?」
「え?ああ、その服気に入ってくれた?」
「もちろん。とても気に入った」
「うん。よかった」
くるりとイーサンは男性スタッフに向き直り、「はい、これで」と簡潔に伝える。
やはり彼の声量が弱い気がする。着替える前のハキハキと生き生きとしたイーサンが居らず、非常に不安になる。
フィッティングルームに戻って、先程まで着ていた服を取りに戻ると、女性スタッフが空のショッパーを渡してくれた。
「とってもお似合いですよ」
「ありがとうございます」
丁寧な接客で恐縮しながら着替えを片付け、また店内に戻っていくとイーサンが出入口で待っていた。
「お会計は?」
「終わったよ、さぁ行こう」
店内のスタッフがそれぞれお辞儀をして、ドアマンが扉を開けた。
小さくお辞儀をして店を後にすると、イーサンがアンジュの手からショッパーを受け取ったのでお礼を伝える。
「またお揃いだね」
「うん、お揃いだ」
やっぱり声量が少ないイーサンの事が心配になり、顔を伺う。
「なんだか、元気ない?」
「え!いや、そんなことない…」
「思ったこと、なんでも言ってくれるって言ったのに」
「えぇ!?あー…」
イーサンは首に手を当てて、足元を見つめながら少しずつ言葉が出てきた。
「さっき店で、映画館の事を話したんだ。でも、せっかく着替えたから暗い映画館で長い時間座ってしまうのは勿体ないって言われて。着替えたアンジュを見て、確かにそうだな、と思ったんだ。とても似合っていたし、君が綺麗だったから」
「……。」
「今日のデート、すごく楽しみにしてたんだ。本当はリードしてエスコートしたかったけど、上手くいかないなと思って。洋服、気に入ってくれたなら嬉しい」
少ししょんぼりした彼の腕に、するりと自分の腕を巻きつけて隣を歩く。
「豪華なプレゼントが欲しいわけじゃないの。完璧な時間が欲しい訳でもないし。それに映画のポスターを一緒に眺めてるだけでも十分楽しかった。ハプニングも冷静なイーサンとなら心強いよ。だから、ね?落ち込まないで」
彼を励ますように伝えると、ピタ、と歩みを止めたイーサンに腕を持っていかれつんのめる。
見上げるとうつむき加減だった彼の表情がキラキラと輝いているように見えた。
「アンジュの言葉が胸にしみた。やっぱり君が大好きだ」
「えぇ?いまので?」
「うん。すごく元気が出た」
「そうなの?それは、よかったね?」
また歩き出すイーサンについて歩く。
元気が出てよかったと思うと同時に、ずいぶんとお手軽に射止められちゃうんだなと思った。
私が悪い人だったらどうするんだろうと心配になる。
スポンサーだなんだと言って詐欺師みたいだなと思っていたが、彼は単純に心底純粋なだけなのかもしれないと感じた。




