1:ふたりの出会い
アンジュはカフェで働く傍ら学業に勤しむ19歳だ。
街の中心地に位置する大きな通りを少し入った雰囲気のある路地のカフェで働き始めて1年と数ヶ月、人懐っこく愛らしいアンジュは評判の良いスタッフとなっていた。
今日は昼過ぎから講義のため、早朝から昼までカフェで勤務の後、学校へ行く予定だ。
カフェの制服は白色のワイシャツにハイウエストの黒色のペンシルスカート。
深い緑色のシンプルなエプロンを身につけている。
ブロンドの長い髪は一括りにし、カジュアルにまとめていた。
「いらっしゃいませ」
オープンと同時にコーヒーや朝食を食べに来るお客たちが続々と来店する。
「アンジュおはよ〜」
「ミサ!おはよ〜」
来店客の中に、アンジュに声をかける若い女性。
彼女の名前はミサ、学校の同級生だ。
学校がカフェの近くにあるため同級生や先生たちもよく来店する。
「アンジュ、いつものコーヒーとサンドイッチをお願い!誰かに見張ってもらわないとレポート全然進まなくて…」
ミサは席につくといそいそと資料やノートを取り出す。
締切日がある日はだいたいカフェに来てくれる。
「アンジュが近くにいれば今日の課題も絶対に間に合う自信がある」
アンジュはあたたかいコーヒーを出しながら、ミサのノートに目をやる。
ノートの前半は授業内容であるようだが、後半はナゾの落書きで埋め尽くされており、アンジュは思わず小さな笑みがこぼれた。
アンジュの視線がノートにあることに気が付き、ミサがノートを手で隠し、目線を外してバツが悪そうにボソボソと話し始めた。
「真面目にやりますね……」
ミサが眉間にシワを作りながら苦しそうにコーヒーをすすり、落書きノートをめくる。
しかしなんだかんだ言いながらいつも提出日に間に合ってしまう器用なミサである。
ミサの目線が何気なく店内に移った時、シャキッと目覚めたように目を見開いた。
「ちょっとまって、あのイケメン今日も居る!」
そう身振り手振りを加えてヒソヒソ声で話すミサ。
アンジュが振り返るとシンプルな白シャツにベージュの麻のスラックスをはいた男性がカウンターに腰掛けながら、オーナーにテイクアウト用のコーヒーを注文していた。
アンジュとミサはお互いににがんばって、と手を振った。
アンジュはカウンターへ向かう。
「イーサン、おはよう」
「おはよう、アンジュ」
さらりと挨拶をしてにっこり微笑むアンジュ。
イーサンはカフェから少し離れた会社に勤務している。
紳士的な振る舞い、スマートな出で立ち、イーサンを目を追う人は多く居る。
イーサンはカウンター越しにアンジュに話しかける。
「今日は何時に終わる?」
「今日は18時に終わる予定だよ」
「そうか、ではまた迎えに行くね」
当たり前のように予定を聞かれ、当たり前のようにお迎えの約束をする。
そんな2人の生活が始まってから数日ほどが経っていた。
◇◇◇◇
――2人が出会ったのは、まだ肌寒さが残る3月の夜道、アンジュが男性に絡まれているところだった。
カフェの閉店後を狙って待ち伏せていた男が無理やりアンジュを連れ去ろうとしていたのだ。
アンジュは突然の出来事での驚きと、あまりの恐怖に大声を出すことができず、力任せに抱き寄せられていた。
震える手で必死に抵抗していたが男は怯むことはなかった。
その時たまたまその通りを歩いていたイーサンは明らかに不審な動きにいち早く気が付き、男にまっすぐ向かって、手早く男の肩と手首の関節を固め降参させた。
男をさっさと追い払い、暗がりでよく見えていなかった彼女の姿を目と鼻の先で目視した。
薄暗い街頭に照らされた彼女の姿に一瞬で目を奪われ、目を逸らすことができなかった。
空が氷に溶けたような薄い水色の瞳が、ビー玉のように輝いていた。
一方で安堵したアンジュはその場ではらはらと涙を数滴流してしまった。
アンジュが慌てた様子で涙を指先で払いながら、困ったように笑い、ぽつり、ぽつりとお礼を言うアンジュ。
「ありがとうございました。本当に、助かりました」
泣き顔を見られたくなくて視線を落とし、助けてくれた彼を避けるように1歩、2歩と後退る。
長いまつ毛に涙の雫が輝いていた。
「ごめんなさい」
なかなか止まってくれない涙に、すすり上がる。
困りながら彼から去ろうとするが、すぐさま手首を掴まれた。
はっとしながら掴まれた手首を見つめるアンジュ。
イーサンは目線が合わないアンジュの視線に合わせるように少し首を傾け、最大限に優しく問いかけた。
「どうして、こんな夜道を、一人で歩いていたの?」
アンジュはゆっくりとイーサンに視線を向ける。
ようやく大きな瞳が自分を捕らえたことにドキリとするイーサン。
アンジュはぽつり、と小さな声でカフェで働いていたことを話した。
都心の大通りから少し路地に入ったカフェの前、辺りには街灯が少なく薄暗い。
ましてや深夜に女の子がひとりで出歩くなど不用心にも程があると少々怒りに似た感情が湧き上がる。
「遅くまで働くと、ご両親が心配するだろう?」
アンジュは首を振って、ひとりで暮らしていることを伝えた。
イーサンは困っているような怒っているような、眉間にシワを寄せてアンジュを見やる。
「あの、離してくれませんか」
なかなか手を離してくれない彼に、アンジュは尋ねる。
これでは先程の男とさほど変わらない。
イーサンは、彼女を引き止めたもののその先どうしたら良いかわからず、ついこう口走った。
「僕が……君のスポンサーになろう」
これが2人の始まりだった。




