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タブー~その男は今日も妻を愛でている~  作者: 可燃性
『〝いわくつき〟マンション』
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第十三話「201号室 女子大生」

 ――最初に死亡したのは、二階に住む女子大生だった。

 第一発見者は隣人の男だった。いつも決まった時間に部屋を出てきて挨拶をしてくるはずの彼女が、暫く顔を出していないことに違和感を覚え、大家に相談したという。

 そうして部屋に入ると、彼女は首を吊って死んでいた。遺書は『もうつかれた、やめてほしい』と一言だけ書いてあったらしい。

 その後の警察の捜査で、隣人の男からの執拗なストーカー行為に悩まされていたことが明らかになった。男は取り調べで『彼女と僕は恋人同士でした』と証言したそうだ。


「うへえ」


 雷龍(らいりゅう)さんからもらった資料を横で読んでいた姫眞(ひめなお)が、不快感を露にした。

 男は精神鑑定に回されたが、全く正常であると判定されて、そのまま逮捕に至ったらしい。しかしよくわからないのは、自殺した女子大生が警察おろか周囲の誰にもその事実を話していなかったということである。明るい性格で友人も多かったらしい彼女だが、悩みについては誰にも打ち明けず、ただ淡々とブログにだけ綴っていた。もちろん、警察に相談するよう促すコメントもいくつかあった。しかし彼女はそのすべてを無視していた。


「……意味がわからん」


 思わず俺は呟いた。

 何故迷惑行為を受けていて――その内容は言葉にするのも憚られるようなおぞましいものだった――周囲の誰にも相談をしないのか。その頑なゆえ、ブログのコメント欄は徐々に心配するものから、自己顕示欲で虚偽を綴っているのではないかという懐疑的なものへと変貌していった。

 〝心配されている自分に酔っている〟――そういう痛烈なコメントも散見された。


「マァ、死んでもうたら実際どうやったんかわからへんし……しかもそのブログ、今も封鎖されてへんのやろ?」

「ああ、オカルト界隈ではすっかり有名になっているな」

「うぅん……それって事件起こった後に作られたもん、ちがうんよね?」

「違うな。警察の捜査にも使用されているし、雷龍さんが調べたところによると日付や時間を操作した形跡は見られないそうだ」

「ふうん、じゃあタイムリーでマジなやつなんや」


 姫眞が視線を正面に戻す。あるのは寂れたマンションの出入口である。貼られていたであろう立ち入り禁止にテープは無残な姿で地面に落ちており、誰もここに入ることに遠慮はないようだった。


「あれ?」


 聞き慣れない声に俺が振り返ると、三人ほどの男がその手に撮影機材を持って俺たちを見ていた。「なんだ」と訊ねると「あんたも配信すんの?」と眉をひそめて言った。


「配信……? そんなものはしないが」

「あ、そうなんだーじゃあよかった。リアタイでネタ被りはマジ勘弁してほしーし」


 なあ、とひとりの男が後ろに控えるふたりに声をかけると、「まあな」「たしかにー」とそれぞれ気のない返事をした。


「んじゃあ、俺たち行くんで」


 俺たちに手を上げて挨拶を済ませ、彼らはぞろぞろとマンションへと歩いていく。その足取りに躊躇いはなく、あたりを警戒する様子もない。狂輔(きょうすけ)さんの言っていたメディアの恰好の餌食である、というのは本当らしい。今更疑うつもりもなかったが、目のあたりにするとなんとも言えない気持ちになった。

 人間が死んでいる事実のある建物に、何を思うこともなく踏み入る神経。

 俺が言うことでもないが、イカれているな。

 彼らの背中が消えていくのを眺めていると、くい、と袖のあたりを引っ張られた。


「旦那ぁ、入ってちゃったよう、あのひとたち」


 眉毛をハの字にして心配そうな姫眞が、入り口と俺を交互に見ながら言う。

 可愛い。


「構わん。俺には関係がない」

「……そう?」


 姫眞が不思議そうな顔をするが、あいつらがどうなろうと俺の知ったことではない。

 俺は、仕事をするだけだ。

 このマンションに蔓延る『怪異』を祓うためだけに、俺はここにいる。


 ◇


 入るのは容易だった。

 電気が通っていないので自動ドアはこじ開けられたし、セキュリティのために置かれている部屋番号を入力する機械も本来の役目を放棄し、ただ置物のように鎮座している。

 先んじて入っていった男たちがドアを開けたままの状態にしていったので、その隙間から侵入すればよかった。

 室内は暗く、昼間でも懐中電灯は必須だった。手持ちしていたそれで中を照らすと、壁側にポストが並び、突き当りにエレベーターがあった。稼働していない。その左を見れば、階段がある。ひとまずあれを使って二階へ向かうほかなさそうだ。

 俺が歩き出すと、姫眞がぎゅっと腕にしがみついてきた。可愛い。


「こないなええところが、今はお化け屋敷とは……世は無情やねえ」


 怖さを紛らわすためなのか、姫眞がしみじみ感想を洩らした。だから「そうだな」と返す。

 何が起こるかなど、誰もわからない。栄枯盛衰――世の中とは常にそれを繰り返すものである。

 階段を使って二階へ上がる途中、何かを蹴り飛ばした。見ればハンディカメラだった。


「ありゃ、それって……」

「あの集団が落としていったものか。壊れて、……いや、動くな……?」


 しかし画面に映ったのは砂嵐だった。電源は入るが中身が壊れている、といったところか。

 特に写真を撮る予定もないので持っていても仕方がない。捨て置こうとしたその時だった。


 ――テ、……


 微かだったが確かに。

 ――ハンディカメラから声がした。何も映らなかったのに?

 もう一度画面を覗き込んで、俺は息を呑んだ。傍らで見ていた姫眞は、


「ひょえぇえっ!?」


 という奇妙で可愛い悲鳴を上げたが。

 ――画面いっぱいに、女の血走った目が表示されていた。


 ◇


「ここだな」

「……もうやだぁ……」


 ハンディカメラによる『怪異』の洗礼を受け、姫眞はもうすっかり意気消沈していた。先ほどより俺の腕を掴む手の力が増しており、密着度も高くなっている。ああ、本当に可愛い。早く仕事を終えて愛でたい。

 ――と、考えている俺を姫眞が半眼で睨んでいた。


「まぁた、すけべなことを考えてる……」

「子猫のように震えているお前が可愛くてな」

「……狐なんですけど?」

「ああ、すまない。子ぎつねか」

「……ふん」


 納得したようだ。唇を僅かに尖らせて不満そうな顔もまた、可愛い。

 姫眞を堪能したところで――件の女子大生が亡くなったというドアノブに手をかけた。鍵はされていない、軽い手ごたえでドアノブが回った。蝶番が錆びているのか、やたらとぎいぎい音を立てて扉が開く。のと同時だった。


「!?」

「ひぅ!」


 今度は男たちが倒れ込んできた。動画配信をするだのなんだの言っていたあの三人組だ。

 三人とも俺を視認すると、うちふたりが足に取りすがってきた。おいやめろ、スラックスがしわになる。


「た、たすけ、……たすけてえ……!」

「おんな、おんながぁ……」

「……」


 取り乱しているのがふたり、呆然自失になっているのがひとり。

 その顔面に張り付いている恐怖は、室内で起きたことに起因するものだろう。面白半分で立ち入るからだ、馬鹿どもが。

 鬱陶しくなったので、足を振り払い、ついでに蹴りを入れてどかす。傍らで姫眞が「……容赦な」と言っているのが聞こえたが、仕事の邪魔なのだから仕方がない。

 靴を脱ぐのか一瞬考えたが、『怪異』ごときにそんな礼儀は不要だろうと土足のまま上がる。廊下の先にある扉を開けると、景色が一変した。


「……?」

「へえっ?」


 部屋には女子大生がひとり炬燵に座って、一心不乱にパソコン画面に向き合っていた。彼女は俺たちに気づいていない。ただひたすらキーボードを叩いている。

 ――不意にそれが止んだ。

 俺は拳銃に手を添え、いつでも抜けるよう準備した。姫眞も胸元のペンダントを握り締めている。彼女の『使い魔』たるメゾロンテが姿を変えたものだ。

 女子大生が、ゆっくりと――いやに緩慢に――振り返る。

 姫眞の手に力が入ったのを感じる。また悲鳴を押し殺しているようだ。

 振り返ったその顔を見て、あの男三人が腰を抜かした意味を理解した。姫眞は声を上げなかった。

 女の目も口も、がらんどうだった。あるはずの眼球も歯も舌もない。だのに鼻だけあるから、人間の顔の()()はしている。ゆえに、なおのこと不気味だった。


 ――ユルシテ


 女の顔の三つの真っ黒な空洞から、どろどろとしたものが流れ落ちる。血ではない。

 血よりもずっとどす黒くなった粘性のあるそれが、彼女の『許して』という懺悔と共に顎を伝って床に落ちた。拳銃を引き抜き構えるのと同時に、――場面が暗転した。

 一気に部屋は暗くなり、座っていたはずの女が天井から吊るされていた。鬱血して見るも無残な姿になった彼女の首はあらぬ方向に曲がっている。しかし、彼女は言う。


 ――ユルシテ


 何を許してほしいというのか。自分はストーカー被害に遭っていた本人であろうに。

 意味がわからなかったが、事実を確認している暇はなかった。

 気が付けば部屋の壁一面に、黒い泥のようなもので覆われている。生き物のようにそれは蠢いていた。壁だけはなく、足元にまで及んでいる。泥濘(ぬかるみ)にはまったように、体が動かせなかった。


 このままだと()()()()()()()()()


 そんな直感が働き、俺は女を撃ち抜いた。

 発砲音と同時に、視界が完全に闇に包まれる。試しに足を動かしてみると難なく動いた。目を凝らして部屋を見れば、荒らされたまま放置された室内と、天井からぶら下がる首吊り縄だけがあった。

 女の姿は影も形もない。


「……終わったぁ……?」


 泣きそうな声で姫眞が言うので、「おそらくな」と答え、頭を撫でてやる。目の端に涙が溜まっていたので、親指で払うとくすぐったそうに目を細めた。可愛い。


「……なんだったんやろ。なんで〝許して〟なんて言ったんだろーね?」

「さあな」


 不可解ではあったが、俺の仕事はあくまで『怪異』を祓うこと、だ。原因の究明は含まれていない。

 俺自身もどうでもよいし、知らなくてもいいことだろう。どうせロクなことではないから。

 踵を返し、玄関へ向かう。あの三人組はさすがに帰っているだろうと思ったのだが。

 彼らはまだ、玄関にいた。しかし、出会ったときと明らかに様子が違う。


「……俺、今回メンタル持つやろか……」


 姫眞が顔を引き攣らせた。

 男たちは三人とも息絶えていた。全員白目向いて倒れている。

 彼らの体には大きく拙い文字で、『おに』と書かれていた。


 第十三話〝首吊り〟了

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