表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/13

第十一話「そのタクシーに、乗ってはいけない」

 もう全部、終わりにしたかった。


 ◇


 まだ明かりのついているビル群を見ると、社長として遅くまで仕事をしていたことを思い出す。社員には規則正しい生活を推奨して定時退社をさせていたが、俺自身はそうではなかった。

 会社に泊まることだって多かったし、いくつも仕事を持ち帰っては家でこなしていた。

 俺の要領が悪いせいだ、と己の無能を心から恥じていた。

 家で仕事をしているのを姫眞(ひめなお)――当時はまだ眞也(なおや)だったが――に見られ、嘲笑された。


 ――プライドがあるからひとに頼れないんだろ

 ――俺相手には簡単に捨てるのに、な


 姫眞を手に入れるためにがむしゃらになった様をそう評されて、俺は益々欲しくなった。そして二度と手放すまい、とも。


「――旦那、手ぇ痛い」


 そう言われてはっとする。

 見れば姫眞の手を強く握りこめていた。すまない、と謝罪して力を緩める。

 手袋をしているけれど、ほのかなぬくもりがある。夜遅いし手を握って歩きたいなんて言われた瞬間、俺の理性が白旗を上げるところだった。


「なあに考えてたん、旦那。にやにやしてた」

「いつも通りだ」

「俺のこと?」

「そうだ」

「ふうん」


 後ろをついてきた姫眞が突然前に出る。引っ張られてつまづきそうになったのをなんとか堪え、正面を見ると姫眞が得意げな顔をして笑っていた。


「こうしてるとさぁ、なんかデートしてるみたいで楽しいやんなぁ!」


 無邪気に。無垢な瞳で。

 そんなことを言うから――


「んぅ!?」


 ほぼ衝動的に唇を塞いでいた。

 強く抱きしめて深く深く口づける。


「……っは、ちょおっ……! そと……!!」


 苦しくなった姫眞が俺の胸を叩いて押した。


「……っお前が、俺の理性を破壊するようなことを言うからだろう。……可愛すぎるんだよ馬鹿野郎」

「……わ、目がマジだ」


 姫眞が引き攣った顔をしたので、俺はいささか不服であった。

 なぜだ、褒めたつもりなのだが。


「ごめんごめん、ちょっとテンション上がってしもたん。で、なんだっけ、今回は」

「――『タクシーに乗るな』だな」


 ◇


 夜中になれば行き交う車のほとんどがタクシー車両になる。

 都内であればその数は膨大だ。だがその中に『乗ってはいけないタクシー』が存在する。

 乗り場にはまだ乗客が待っている。俺たちは列から離れて、設置されたベンチに腰を下ろしていた。


「どうやって判別するん?」

「その車両は午前三時半ちょうどにタクシー乗り場にやってくる。真っ赤な車体をしているそうだ」

「そら目立つなあ」

「基本的に会社ごとに車体の色は決まっていることが多いからな……俺も社長時代世話になったが」

「え」

「え?」


 姫眞が意外そうに俺を見るので、見返した。今日も宝石のようなオッドアイが美しい。


「運転手付き送り迎えとやかないの?」

「無能な自分にそんな大層な扱いは不要だと言った」

「……まっじめ~」


 真面目かどうかはわからない。どちらかといえばひねくれていた。

 結菊(ゆいぎく)家の当主はもともと男娼・娼婦の家系だ。褥で相手を悦ばせる以外の才能はなかった。

 父の代でそれは終わったものの、偏見の目は続いていた。だから、なんでもこなせなければならなかった。

 家の価値は頂点に立つ当主で決まるのだから。


「旦那」

「……ん? ああ、すまない。考え事を――」

「眉間のしわぁ」


 とん、と眉と眉の間に指を置かれた。

 その顔立ちは冷淡だった。


「社長時代の旦那ってすごくつらそうだった。そばで見てああ、無理してんなぁ~っていっつも思ってたよ。ま、その頃の俺にはどーでもいいことだったけどねえ」

「……そうか、そんなにひどかったか」

「ひどかった」


 姫眞はため息交じりに言った。

 確かに俺はおかしかったのかもしれない。推測の域を出ないが、おそらく傍目から見て異常なほどに仕事人間だっただろう。常にピリピリしていたと思うし、近寄りがたかったはずだ。それを紅蓮(こうれん)に指摘されて余計に苛立っていた。影嗣(かげつぐ)に「血管切れるよ」とやんわり注意されたこともあった。

 会社では、失敗をする部下は容赦なく切り捨ててきた。これは重圧云々より、俺のもともとの性分だった。使えないものは捨てるに限る――温情で囲い続けても意味がない。荷物になるだけ。

 無論、それは俺も同じだが。


 俺も使えなくなったら、捨てられる。

 当時は言い訳をして見ないふりをしていたが、今に思えばあれは恐怖だ。

 俺も、当主として使い物にならなくなったら、捨てられるのではないかと。

 大切なものを閉じ込めたい俺の悪癖は、これが原因なのかもしれない。


「だーんーな!」


 意識を引き戻された。姫眞が半眼で俺を見ていた。

 いかん、今日は余計なことを考えている。


「お疲れ?」

「……いや。都会に来ると駄目だな、余計なことを考えてしまう」


 額を抱えて、首を横に振る。

 都会は嫌いではない。だが、苦手だった。


「旦那、ね。帰ったら一緒にお風呂入ろっか」

「え?」

「おふろ! ね?」


 風呂場でするとのぼせるから嫌だと言って一緒に入りたがらないのに?

 一瞬そう思ったが、ああ、これは。

 ――慰めてくれているのか。

 やさしさが身に染みる。


「……ありがとう、姫眞」

「ええって! 俺は旦那の奥さんだもん」


 本当に、本当に可愛い妻だ。自然と頬が緩む。

 姫眞はずっと俺を見て笑っていた。


 ――そうこうしているうちに、午前三時になった。

 タクシー乗り場に真っ赤な車体が乗り込んできた。周囲の車両とは一線を画す異様な雰囲気。あれだ。

 乗客はいない。俺たちは乗り場に早足で向かうと、タクシーは自動的に扉を開けた。

 革張りの独特のにおいが鼻をつく。その時、脳味噌を揺らされるような感覚がした。『異界』に入ったのである。

 運転手の顔は見えなかった。運転席と後部座席はアクリル板で隔てられていた。防犯対策と感染症の対策だろうか。巷ではタチの悪いのが流行っているというから。


「どちらまで?」


 声は男のそれで、声質は若干しゃがれている。滑舌はいい。

 俺はかつて住んでいたマンションの住所を伝えた。運転手は了承し、車は発進した。

 真っ暗で静かな道をタクシーが走る。車内の変化はなかった。


「――時に、お客さん。こんな話は聞いたことありませんか」

「はい?」


 突然運転手がしゃべり出した。


「いやね、こういう仕事をしているもんですから。いろいろと経験するわけですよ」

「へえ」

「随分前……十年位前だったかなあ」

「はい」


 運転手は語り始めた。


「ひどい雨の日でね。夜中にずぶ濡れの女のひとがひとり乗り場で待っているわけですよ。こいつぁ、どうも怖いなあ、と思ったんですけれど、お客さんだったらね、悪いじゃないですか。だから乗せたんですよ。その方随分意気消沈って感じでね……どちらまでって聞くとこう答えるんですよ」


 運転手はもったいぶる。

 じっと続きを待った。姫眞は怖いのか俺の腕に縋った。可愛い。


「――地獄まで、ってね」


 怪談だとここで振り返って、が定型だろうが。

 運転手は振り返らなかった。


「地獄、ですか」

「ええ、そうです。私はびっくりして、『え、地獄ですか』って返したんです」

「ほう」

「その方は『ええ、地獄です。地獄でなければ天国で構いません。とにかく終わらせたい』っていうんですよ」

「終わらせたい……?」

「なんでも、恋人に振られたらしいんです。婚約直前で、相手の浮気だそうですよ」

「それは最悪ですね」

「ええ、最悪でしょう。なので、私もわかりましたって言ったんです」

「――それで、どこまでお連れしたんですか」

「……そりゃあ、きっかりお連れしましたよ」


 気が付けば車窓から見えるのは――


「――地獄に」


 運転手の声は澄んでいた。いやに清々しい。まるで何かをやり遂げたようだ。

 その瞬間、がたんと大きく車体が揺れた。何かに乗り上げたようだ。

 舗装されていない道路を走っているようだった。シートベルトをしていても無意味なほど体が左右に動く。


「なんやねん、これタチの悪いジェットコースターかなんか!?」

「……っち」


 腰に吊った拳銃を抜く。座席と壁のわずかな隙間から銃口を突きつけた。運転手は気づかない。


「いやね、こういう仕事をしていると、いろいろ体験するんですよ」


 最初と同じことを運転手が言った。

 照準がぶれる。絶えず車が振動しているからである。アシストグリップを握りながら俺は撃つタイミングを見計らっていた。


「十年以上――いや、もっと前だったかなあ」


 運転手の話は続く。

 突然フロントガラスに塗料がぶちまけられる。――いや、塗料ではない血だ。

 大量の血液が視界を真っ赤に染めていた。


「ひえ!?」


 姫眞が悲鳴を上げる。彼女はアシストグリップにしがみついていた。かわい……いや、さすがに不謹慎だ、やめておこう。

 見れば後部座席の左右の窓がどちらも真っ赤になっていた。粘性を帯びた液体はゆっくりと重力に従って落ちていく。


「夜道でね、相手も真っ黒な服を着ていたんです」


 運転手はしゃべり続けていた。

 聞いてやる義理はなかったが、引き金を引こうとするたびに車体が大きく揺れ動くので引けなかった。万が一姫眞を傷つけたら、と思うと恐ろしい。


「全然見えなかったんです。そう、見えなかったんですよ、そしたらもう相手のせいじゃないですか?」


 なんの話だ。


「見えないんじゃあ、仕方がない。だったら、ねえ。――()()()()()()()()()()()()()()()()()


 ぐしゃ! という潰れた音がした。

 フロントガラスに、女がいた。轢き殺されたせいで首も腕も足もあり得ない方向に曲がっている。乱れた髪の毛の隙間から血走った目が覗いていた。

 死んでいるというのに、強い怨念のようなものを感じる目だった。


「きゃああああ!!」


 姫眞が絶叫した。

 俺は声に後押しされるように引き金を引いた。

 車は急ブレーキをかける。体が前につんのめった。シートベルトのおかげで頭を運転席のシートにぶつけるだけで済んだ。


「姫眞、大丈夫か?」


 俺が体を起こして訊ねると、なぜか姫眞は遠くを見ていた。放心状態――とはまた違う。

 現実逃避するような表情だった。


「姫眞?」

「……うぅ」

「どうした? どこか痛めたか」

「……違う」

「?」

「……チビってもうた……」


 もう大人なのに……、と消え入りそうな声がした。


 ◇


 車は既に廃車の様相であった。ボンネットはひしゃげているし、ナンバープレートも外れかかっていた。擦ったような傷が点在し、車内も座席の革が破けて中身が露になっていた。ハンドルには強く握った手の痕がついていた。

 姫眞は着替えると言って近くのコンビニに駆け込んだ。俺は資料を見た。


「〝赤いタクシーの噂〟か……」


 赤いタクシーの運転手は、無遅刻無欠勤そして無事故という極めて真面目な男だったそうだ。だがその男はある夜、走行中に『何か』を跳ねてしまう。何を跳ねたか、運転手は確認しなかったという。男は自身の経歴に傷がつくことを恐れたのだ。――そして今まで真面目に生きていた自分自身にも。

 男は逃げた。しかし、車体には『何か』を轢いた痕跡が残る。べっとりついた血を見た男は錯乱した。

 半狂乱の状態で、男は血の痕跡を洗い流そうとした。しかし、洗っても洗っても血は落ちなかった。これでは轢いたことがばれてしまう。いよいよ男はパニックに陥る。正気を失った男は考えた。ならいっそ車体を赤くしてしまえばいいのでは――? 

 だが赤い塗料がなかった。だから代わりに、自分の血を使って赤く染めた。


「……ありがちだな」


 ひとりごちて、スマートフォンをしまった。

 夜道に映える金髪がこちらに向かってくるのが見えた。


「……お待たせしましたぁ」

「ああ」


 黒いストッキングから肌色のそれに変わっていた。

 覆われているとはいえ、彼女の美しい脚が丸見えである。

 少々不満に思って、つい口に出す。


「……なぜその色なんだ」


 俺の視線に拗ねたように姫眞が唇を尖らせた。可愛い。


「だ、だって黒売り切れてたんやもん……」

「……」

「それよりも旦那はよおうち帰ろ! 約束やったんやん、一緒にお風呂はいるって」


 姫眞が俺の腕を引いた。そういえばそんな話をしたな。

 ぐいぐいと引っ張る姫眞につられるように俺は歩き出した。

 空が白み始めていた。そろそろ夜明けだろうか。


「背中流したげる! え、でもえっちはだめやからな!」

「……善処する」


 青白く霞む空を見て、俺は目を細めた。

 眩しかった。


 第十一話〝真面目だけが取り柄だった〟了

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ