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名前のない怪物  作者: 黒木京也
第二章 内臓実食
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26.怪物になり損ねた殺人者

 身体を舐め回すような不快感。痺れて動かせぬ手足はもうあてにならないと決めつけ、僕は机に突っ伏したまま、目の前の男を力の限り睨み付ける。

 藤堂修一郎。巷を騒がせる連続猟奇殺人事件の犯人は、僕の視線など意に介さず、自分の作品である額縁を愛しげに撫でていた。

 額縁の絵は狂人の哀れな玩具と成り果てた純也の姿。その恐怖に歪む表情を見るたびに、僕の中で激情がメラメラと煮えたぎる。

 これだったのだ。純也が美術棟で見た、第六の殺人事件を描いた絵も、恐らくは被害者――、あの隣人さんの姿がそのまま使われていたに違いない。

 余りにも大胆不敵な所業だが、考えてみれば一般人に公開されているニュースでは、事件現場の凄惨な光景を事細かく報道した訳ではないのである。

 京子は勿論の事、他の美術専修の学生や教員が気づく筈もない。あくまで事件現場を見た純也や、詳細な情報を持っていた僕だから気づけた事なのだ。

「純也くんはね。実に素晴らしい体格をしていた。プロのアスリート並に無理がなく鍛えられた身体。彼はおおよそ、男として完璧な程の肉体美を備えていたよ」

 異様に白い藤堂の指が、絵の中で皮を剥がされ、筋肉が剥き出しになった純也に触れる。

「その時ボクは思ったんだ。ああ、これはもう、皮を剥ぐしかない。ってね。だからボクは彼を捕らえ、猿轡を噛ませて完全に拘束した」

「お……ぐぅ……」

 お前なんかに純也があっさり捕まるわけはない。さも自分で真っ向から純也を打ち負かしたかのように語るな。

 そう言いたくても痺れはとうとう舌にまで回り始めたようで、言語として意味を持たぬ声が僕の口から漏れた。

 それを見た藤堂はますます歪んだ笑顔を浮かべる。

「ああ、そうだね。普通に正面からなら、ボクに彼を捩じ伏せる力はない。あくまで、正面からならなら……ね」

 僕の考えを見透かしたように言いながら、藤堂はポケットから小さな何かを取り出した。

 手に握られているのは、コーヒーや紅茶に入れる、コーヒーフレッシュ。喫茶店に置いてあるようなありふれたものだった。

「こういうのは開けやすいように元々細工が施されていてね。故に、一度開けて再び蓋を閉じるのも、結構容易なんだよ。中に入っているのは普通のコーヒーや紅茶用のミルクと、即効性の痺れ薬さ」

 油断していたつもりはなかった。ただ、悟ることが出来なかった。同じティーポットの紅茶を飲んでいるうちに、僕は知らず知らずのうちにこの男への警戒をほんの少しだけ緩めてしまったのだ。目の前で堂々と僕の紅茶に薬を盛られていたのに、僕はそれをあっさり飲み下してしまった。バカというよりほかに無い。

「彼はね。ボクに自首するよう促したんだ。まぁ、僕はそんなことする気はさらさら無かったからね。わざと反省したフリをして、純也くんの心に隙が出来た瞬間に、君と同じように薬を盛ったのさ」

 心底愉快そうに語る藤堂は、純也の絵をそのままに、その隣へスタンドのようなものを設置し、新しく持ってきたキャンパスを立て掛ける。

「ボクは芸術の道へ進む前は、医者を目指していてね。実際医療系の大学へも通っていたんだ。人体の構造は熟知していた。メスさばきだって、今でも誰にも負ける気はしないね。その知識と技術があったからこそ、ボクはこの芸術を生み出す事が出来る」

 誇らしげに藤堂は自分の腕を撫でた後、藤堂は懐から銀色に光る何かを取り出した。紛れもなくそれは、医療用のメスだった。

「純也くんは良かったよ。皮を剥ぐ度にあらわになる筋肉……苦悶の表情……ああ、血が飛び散るあの感覚は素晴らしいの一言だったよ。創作活動中に何度射精しそうになったことか」

 恍惚の表情で天井を仰ぐ藤堂。

 狂ってる……。何の嫌悪感も抱かず、ここまで純粋に自分の欲求を貫ける人間なんて初めて見た。

「ボクはね、生まれた頃から不思議でならなかった。何で生き物は動くんだ? 魂は何処にある? 死ぬ瞬間は何が見える? そう考えた時、ボクは初めて生き物を殺したんだ」

 懐かしむように藤堂はメスの柄をなぞりながら、ゆっくりと僕の方へ近づいてきた。

「最初は虫を、次はネズミを、池の鯉を殺し、次は鳥を罠にかけてみたり……」

 藤堂は語りながら僕の襟首を掴む。

 次の瞬間、視界が反転したかと思うと、僕の身体が勢いよく床へ叩き付けられた。

 肺の空気が一気に押し出されるような感覚と共に、僕は冷たいフローリングの上に仰向けで転がされる。

 同時に背中に激痛が走った。妙な薬のせいなのか、痛みの感覚が鋭敏になっているようだ。

「家の犬や猫までも殺した時、流石におかしいと思ったのかな。慌てた両親は、ボクを暴力とあり得ない量の勉強で支配しようとした」

 検分するかのように僕の腕が、胸が、腹が、首が、藤堂の手で触られる。

 医者の触診などとは訳が違う、正真正銘殺人者の手は、僕をいかに解体し、切り裂き、作品として映えさせるかを吟味しているようだった。

 緊張からくるものなのか、薬の作用なのか、僕の全身から汗が吹き出す。

「けど、両親の策は皮肉にもボクに知恵をつけさせる事になってしまった。残虐さはそのままにね。ボクはいつしか、合法的に人に刃を突き立てられる医者を目指す事にしたんだよ」

 凄まじい動機だ。こんな人間が医療系の大学で学んでいただなんて考えるだけでも恐ろしい。

 すると、そんな僕の考えを読み取ったのか、藤堂は楽しげな笑みを浮かべる。

「恐ろしいだろう? 今は表現することの魅力に取り付かれているけど、少し間違えればこんな人間が医者をやっていたかもしれないんだ。僕はいわば生まれながらの怪物だった。この世において分かりやすい形で人の死を描く芸術家であること。それがボクの使命さ」

 語ることは語ったという顔で藤堂はうんと頷く。

 成る程。コイツの主張は取り敢えず聞いた。

 〝分かった〟ではなく、〝聞いた〟だ。

 何故なら僕は、今現在コイツがこれまで語った境遇や話には何一つ共感するものは無かったし、理解しようとも思えなかったからだ。

 ただ、こんな僕でもコイツが一つだけ勘違いしている事があるのは分かる。お前は少なくとも、芸術家なんてものじゃない。ましてや……。

「お前が怪物? 笑わせるな」

 僕のその一言に、今まで余裕綽々だった藤堂の顔が凍りつく。

 呆然とする藤堂を横目に僕は汗ばむ身体に力を込める。動く……。身体はまだ少しフラフラするが、痺れて全く動けない訳ではない。

「そ、そんなバカな……! 薬はまだ切れないはずだ! 何故動けるんだ!」

 目に見えて藤堂は動揺する。

 そんなバカなと言われても、動けるんだから仕方がない。薬が薄かったのかは分からないが、少なくともこんなものは拘束した内には入らない。

 本当にがんじがらめな束縛、抗えない存在に支配されていた僕から言わせれば、随分と手ぬるい薬だ。

「しゃ、喋れる筈もないんだ! なんで……どうして!?」

「知らないよ。薬の分量でも間違えたんじゃないかい?」

「そんなバカみたいなミスをするかっ!」

 僕の言葉に藤堂は尚も自分の非を認めず、わめき散らす。

 成る程。この男、自分の想定外の事には弱いと見た。ますます笑わせる。よくそれで”怪物“だなんて名乗れたものだ。

「君はあれこれ理由を並べていたけどね。正直に言わせていただくと、どれも自分を正当化させただけにしか聞こえないんだよ」

 ご託を述べられたところで、僕がこの男を理解するのは、多分不可能だ。だから僕は簡潔な言葉だけを残す。

「芸術家? 怪物? 違うよ。君はそんな大層なものじゃない。君はただ、自分の世界に酔っているだけの人殺しだ」

 僕の言葉に、藤堂はたちまち顔をひきつらせる。

「……言ってくれるね。君は自分の立場を理解しているのかな? 薬の効果が早く切れたとはいえ、まだ身体はフラフラだろう?」

 メスを構え、勝ち誇ったように笑う藤堂は、次の瞬間、部屋に鳴り響いたインターフォンで表情を更に強張らせる。

「く……誰だ? こんな時に」

「さて? 誰だろうね。こんな時に」

 僕は内心でほくそ笑みながら、ジャケットの内ポケットに手を忍ばせ、〝通話状態〟にしていた携帯電話の電源を切る。

 外にいた京子はうまくやってくれたらしい。藤堂自身も気づかなかったことだろう。僕が猟奇殺人事件についての会話を始めた時から、密かに京子に電話をかけていた事を。

 僕だけに話しているつもりが、電話越しに第三者に聞かれているなどと露知らず、ご丁寧にペラペラと事情や真相まで語ってくれたのだ。

 後は、決定的な言葉が聞けたらすぐさま京子が警察に連絡する。これでチェックメイトだ。

 後は……。

 僕は思いっきり息を吸い込み、ありったけの大声を出す。今現在、外にいる警察は半信半疑な面持ちでドアの前に佇んでいるのだろう。

 だから決定的な言葉が必要だ。

「ああぁあ!! 誰かぁああ!! 助けてぇ! 殺されるぅ!!」

 情けない? 知るか。こんなフラフラな身体じゃ、このヒョロイ殺人鬼から逃れるのも骨が折れることだろう。こういうイカれた奴の相手は本職の刑事さんに任せるに限る。

 一方、ようやく僕にハメられたことに気づいたらしい藤堂は、静かにメスを取り落とすと、その場に膝から崩れ落ちた。

「そうか、そういうことか……」

 呆然としたまま、歪な笑みを浮かべる藤堂は、何処か諦めたかのように虚空を眺め、それっきりその場を動かなくなってしまった。

 数分後、突入してきた警察官により、連続猟奇殺人事件の犯人、藤堂修一郎は連行された。

 世間を震撼させた事件は、あまりにもあっさりと。その幕を下ろしてしまった。

ただ……。

「女神よ……黒衣の女神よ。何故だ。ボクは供物を捧げ続けたというのに。何故ボクの元へ来てくれない……」

 藤堂が屈強な警官二人に連れていかれる直前。彼がまるでうわ言のように呟いたその一言だけが、僕の耳にこびりついて離れなかった。

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