25.藤堂修一郎
インターフォンを鳴らすと、眼鏡をかけた血色の悪い男が顔を出した。
飛び出さんばかりに大きく、ギョロギョロとした目。異様に長い手足に、そこそこガッシリとした胴体。僕は無意識の内にテレビで見た、テナガザルを頭に思い浮かべてしまった。
「ああ、きみが山城が言っていた遠坂くんだね。いらっしゃい」
柔和な微笑みを浮かべながら握手を求めてくる男に僕は会釈し、長さに違わず随分と大きな手を握る。ヒヤリとした体温を感じない、冷たい手だった。
「散らかっていて悪いけど、上がってくれたまえ。ボクの芸術に興味があるんだろう?」
「ええ、是非話を聞きたくて」
手を離し、部屋へ入るよう促す男に、僕は頷く。すると男はますます笑顔になる。
「そうかそうか。嬉しいね。つい最近もそう言って来てくれた男がいたんだ。名前は何て言ったかな……? 結構ガタイのいい男だったんだけど、いやぁ、いい筋肉してたなぁ……」
一瞬、ピクリと身体が反応しかけるが、僕はそれを無理矢理抑え込んだ。
気取られるな……。心の中で何度も反復するように唱えながら、僕は靴を脱ぐと、男の部屋へ上がり込む。
そこには、異様な光景が広がっていた。
壁一面に飾られた絵の数々。
部屋の至るところに安置された摩訶不思議で不気味なオブジェ。
普通な物は部屋の窓側にあるシンプルな木製のダイニングテーブルと、同じくシンプルな造りの二対の椅子のみ。
飾られた品々は、どれもおぞましい死体を描き、形どったものばかりだった。
バラバラ死体、腐乱死体、水死体、焼死体、刺殺死体……。
更には死体とは呼べない、グロテスクなもの。死体を描くのではなく、死体を使って何かを描き、造った芸術品。
思わず吐き気を催すような死の世界が、その部屋に凝縮され、広がっていた。
「ようこそ。藤堂修一郎のアトリエへ」
その男、藤堂は、死の世界の中心で両手を広げながら本当に楽しそうに笑顔を浮かべた。
※
――遡ること数時間前。
「……そんな!? どうして?」
京子の案内で大学の美術棟に入ると、案内者である京子は驚愕の表情で立ち尽くした。
壁や部屋の至る所に学生の作品と思われる物が展示されている部屋。その中で京子の視線は、何もない壁のスペースを凝視している。
「ど、どうしたの?」
僕が思わず顔色を伺うように京子を見ると、京子はゆっくり首を左右に振り、尚も壁の一点を凝視しながらゆっくりと口を開いた。
「無い……の」
「え?」
「藤堂君の作品が……一つも無いの」
信じられないというような表情で京子は部屋を見渡す。
僕も京子に習って部屋中を一望するが、京子が言っていたグロテスクな作品はどこにもない。
「そりゃ、個人の都合とかで作品を撤去する人はいるけど、このタイミングで片付けるなんて……」
京子が首を傾げながら難しそうな顔になる。
これはますますおかしい。純也が見て、制作者への興味を惹かれた絵が、純也が殺された後に撤去されるなんて、怪しいことこの上ない。
「ちなみに、どんな絵だったの?」
「う……あまり思い出したくないけど、ショベルカーにペッチャンコにされた死体の絵に、女子高生が開きになった絵、四肢が切り落とされて達磨みたいになった死体の絵、それから死体で魔方陣かな? それを表現した絵に、ただの血溜まりのなかに肉片が……浮かんでるって絵もあったよ」
気味が悪そうに語る京子。対する僕はというと、心臓の拍動が物凄いことになっていた。
おい、ちょっと待て。それって……。
脳裏を死体に遭遇した甥っ子に鍋を食べさせようとした叔父の顔が浮かぶ。あの人は何と言っていた?
「京子……純也が興味を惹かれていたのはどんな絵だった?」
「え? う〜んと……そう! 磔よ。磔にされた男の人の絵を見てたの。右横腹が抉り取られている絵よ」
「……ッ!」
成る程、純也が驚く訳だ。その絵はまさに、僕と純也が見た事件現場そのものではないか。しかも、驚くべき点はそこだけではない。
「京子、やっぱりその藤堂修一郎の連絡先を教えてくれ」
「……どうしても聞くの? 今部屋に引きこもってるらしいから、会えるかどうかも……」
「会える。間違いないよ。こう言えば間違いなく彼は食いついてくる筈だ」
キョトンと首を傾げる京子に僕は一呼吸おいてからゆっくり言葉を紡ぐ。
「あなたの芸術に興味があります。特に美術棟に展示されていた、六枚の作品について話が聞きたい……ってね」
そう言う僕に訝しげな表情を浮かべながら、京子は携帯電話を操作し、僕の連絡先を載せた上で藤堂にメールを送る。
待つこと数分。返信はとてつもなく早かった。
僕の携帯電話が鳴動し、メールが来たことを告げる。受信箱を確認すると、そこには見覚えのないアドレスからのメールがあった。
内容は恐らくその人物のものと思われる住所と、お待ちしています。という言葉のみ。
藤堂からの返信があったことに京子が目を丸くするなか、僕は密かに確信していた。
この藤堂修一郎という男は間違いなく黒だ。
少なくとも、猟奇殺人事件に関わりがあることは間違いない。
警察と、その警察から事情を聞いた僕にしか知り得ない情報……ニュースでは報道されていない、被害者の殺害現場の惨状すべてを偶然にも絵に描くだなんて、話が出来すぎている。
そもそも、いくら自分の作品に興味があると言う人間とはいえ見ず知らずの他人をそう易々と部屋に招けるものだろうか?
「それで、京子。ちょっとお願いがあるんだ」
会わなくても分かる。この男は危険だ。何も考えずに部屋に上がり込むのは出来ればやりたくない。ならば何らかの保険はかけておく必要がある。
キョトンと首を傾げる京子に、僕はその保険について説明を始めた……。
※
――そして現在。万全を期して敵陣に乗り込んだ僕は、その藤堂修一郎の部屋で、延々と続く芸術の話に辟易していた。
「まぁ、そういうわけでね。生と死はコインの裏表の関係、二本の平行線、相剋する螺旋……どれにもあてはまるわけで……」
待て、その話もう三回目だ。
僕のうんざりした顔に気がつかぬまま、ダイニングテーブルを挟んで向こう側に座っている藤堂は、うっとりした顔で己の芸術観を話し続ける。
これがかれこれ一時間と少し。僕が質問やら聞きたいことがあると言っても、まぁ、少し説明させてくれたまえの一言で封殺し、ひたすら口を動かしている。後は時々、僕に思い出したかのように紅茶を勧めてくるのみ。最初こそ警戒して一口も口にしなかった僕だが、同じティーポットから淹れられたばかりか、目の前で藤堂が美味しそうにそれを飲み、あまつさえ僕にもぜひ飲んで欲しいと言ってくるものだから、つい飲んでしまった。
コーヒーも好きだが紅茶もそこそこ好きだったりするのだ。
話が通じなくてイライラするのもあるが、なまじこの紅茶が無駄に美味しく淹れてあり、飲む度に感心してしまう自分が妙に腹がたつ。
いかんな。ペースが乱されている。何としても取り返さなくては……。
僕は残りの紅茶を飲み干し、改めて藤堂に向き直る。
「そろそろ聞きたいことがあるだけど……今度こそいい?」
「ん? ああ、いいとも。ボクに何を聞きたいんだい?」
僕の毅然とした態度に気がついたのか、藤堂は僕のティーカップにミルクと砂糖を入れ、三杯目の紅茶を注ぎ込むと、今度こそ聞く体制に入る。
今度はロイヤルミルクティー風味にしてみたよ。と笑う藤堂からカップを受け取り、一口味わってから僕はゆっくりと話しはじめた。
「美術棟に飾っていた絵。あれらは今どこに?」
「ああ、アレかい? 納得いかない出来だったから廃棄したよ」
何でもないことのように言う藤堂の顔を、僕はじっと見つめる。
……遠回しに聞くのはあまりよくなさそうだ。
僕は覚悟を決め、ゆっくり息を吸い込む。
「連続猟奇殺人事件」
「?」
僕がその言葉を口にすると、藤堂の眉がピクリと動いた。
「あそこに飾られていた絵が、その事件の被害者達の状況と酷似していた。これはどういう事なのか……説明してもらってもいいかな?」
「……酷似してるって。キミ、実際にボクの絵を見たのかい? さっきから見てると、どうにもキミはボクの芸術に理解を示してそうもないんだけど?」
「そうだね。実際に僕は絵を見た訳じゃない。この際ハッキリ言わせて頂くと、君の芸術に興味がある。それはあくまで口実だ。ここに来た真の目的は、君と猟奇殺人事件の関係性を確かめるため。それと、ここに来たのを最後に翌日遺体で発見された男、阿久津純也のことを聞く為だ」
「……絵を見てもいないのに、ボクがその猟奇殺人事件の関係者だと? なかなか面白いことを言うね」
僕が自分の芸術に興味を示さなかった事が分かるなり、藤堂は目に見えて失望したかのように面倒くさそうな態度をとり始めた。
「確かに見てはいない。けど人伝に聞いた君の絵の概要は、まさしく猟奇殺人事件の被害者達の状況と同一だった。」
「へぇ……」
僕の主張に藤堂は気の抜けたような返事をする。
「加えて、第五の事件。僕は発見者だったんだ。絵の概要を聞く限り、気味が悪いほどその時見たものと一致するんだけど……これはどう説明する?」
「アレは血溜まりに遺された、人だったモノへの切なさを演出して書いただけだよ。君が見た事件とは無関係だよ」
「第三の事件はどう説明する? これの状況は人伝に聞いたんだけど……」
「四肢を失い、無力となったまま息絶える様を表現したのさ。その瞬間は限りなく生への願望が強いだろう。死んでいるのに生き生きとした人間を描く事がテーマさ」
「……第四の事件」
「ダヴィンチの絵に影響を受けてあんな感じにして見たんだ。人体を使った魔方陣。オカルトなテイストがあるだろう?」
生き生きと、自分の作品を自慢するかのように語る藤堂。それを見た僕はため息をつきつつも、確かな達成感にうち震えていた。第五の事件を目撃したというのは勿論嘘だ。僕が本来生で遭遇したのは第六の事件である。出方を伺うために京子や大輔おじさんの話をくっつけたものを話しただけ。だが、藤堂の食いつきは思いのほか良い。自分の作品を語るのが何よりも好きだということが伝わってくる。その芸術家肌の一面は、この場限りでは非常にありがたかった。
確信は持てた。
「では……君は事件とは無関係だと?」
「そうだとも」
「うん、でもやっぱりおかしいよ。さっきの質問を覚えているかい? 僕は〝あの血溜まりの絵は何?〟とは聞いていない。僕は、〝第五の事件の発見者で、絵がその現場と酷似していた〟と言ったんだ」
「……っ!」
藤堂の目が大きく見開かれるが、僕は構わず追及する。
「他も同様さ。第三の事件、第四の事件……そう聞いただけなのに、どうして君はこうも正確に僕が聞きたい絵を言い当てられる?」
「……ボクが書いた絵の順番と、同じだからだ。ボクは作品を番号で識別するからね。勘違いしただけだよ」
「尚更おかしいよ。事件現場と酷似した絵というだけではなく、書かれた順番まで同じだなんて。もうこれは偶然では片付けられない。苦しい言い訳だ」
「…………」
沈黙する藤堂。僕はミルクティーをまた一口飲み、乾いた喉を潤す。
「純也をどうした?」
「……なんのことだい?」
「惚けるな。君が言った事だぞ? 最近の訪れた男だ。僕と同様、第六の事件の目撃者でもある」
「………」
再び沈黙する藤堂。また一口、ミルクティーを飲む。緊張で神経がはりつめているのか、やけに喉が乾く。
無理もない。何せ目の前にいるのは殺人鬼かもしれない男なのだ。
「純也は僕と違い、君の絵をしっかり見て、ここに来た筈だ。近くにいた人は君の絵を見るなり、血相を変えていたとも言っていた。当然だよね。自分が見た殺人現場と殆ど同じ状況の絵があったんだ。驚きもする」
「…………」
沈黙。未だに認める気はないらしい。
いいさ。ならもう言えるだけのことは言ってやる。
「でもね。これだけ聞くとおかしいんだ。純也は第六の事件はともかく、他の事件の状況は一切知らない。にも関わらず君の所に来た。磔にされた男の絵なんて、探せばもしかしたらあるかもしれない。事件に遭遇した直後とはいえ、動機としては少しばかり弱い……」
右の脇腹だってキリストがロンギヌスの槍で貫かれたという話がある。モチーフにする画家がいてもおかしくない。
僕は残りのミルクティーを飲み干し、尚も続ける。
「僕の推測だとね。その絵には他にも〝決定的な何か〟があったんだと思うんだ。純也が是が非でも君に接触しようとした何かがね」
「…………」
藤堂は相も変わらずだんまりを決め込んでいる。暫くの間、部屋に重苦しい空気が流れ続け、ピリピリとした緊張感が僕の肌を苛む。
やがて、先に沈黙を破ったのは藤堂の方だった。
「言葉は……重みだ。ボクはそう思う」
ゆっくりと紅茶を啜りながら、藤堂は語り始めた。
「言葉を選ばないと、人を、あるいは発した自分自身さえ怒らせ、悲しませ、傷つける。それだけならまだいい。時に言葉は、思いもよらない怪物を呼び込む」
「怪……物?」
つい最近まで慣れ親しんでいた単語に、僕は思わず動揺する。
この男……何が言いたいんだ?
困惑する僕を見て、藤堂は含み笑いを浮かべながら立ち上がると、部屋の隅から何かを持ってくる。
白い布で覆われたそれは、どうやら額縁のようだ。
「ボクは絵を書くのが天才的に速いらしくてね。センスはともかく、そこは長年、色々な先生に誉められたものだよ。」
「……話が読めないよ」
「まぁまぁ、見たまえよ。この絵はつい最近描き上げたものだ。ボクは表現者だからね。君が知りたい真実も絵で表現するのさ」
そう言いながら、藤堂はゆっくりと額縁から布を取り払っていく。
真っ白なヴェールが脱がされ、額縁に納められた絵が明らかになっていく。
「……そん……な……」
カラカラに乾いた僕の喉から、掠れた声が漏れる。藤堂は満足気な表情を見せながら、ここ一番の歪な笑顔を浮かべた。
「そう、これがキミの求めていた真実。キミの言葉が引きずり出した、怪物だ」
まるで嘲るような藤堂の笑い声も、今の僕の耳には入って来なかった。
予想はしていた。
覚悟もしていた。
けど、こんな形で対面することになろうとは思わなかった。
その絵には、全身の皮という皮が、その下の真皮すら剥がされ、変わり果てた姿となった男がリアルに描かれていた。
手足や首がワイヤーか何かで縛られ、天井から吊るされるその姿は、マリオネットを思わせた。
唯一皮剥ぎを免れた顔も、苦痛と恐怖の表情で固定されてしまっている。
そして、残酷にもその顔は、どうしようもないほどに見覚えがあった。
哀れな操り人形として醜態を晒されていたのは、紛れもなく僕の親友である阿久津純也だった。
「好奇心は猫をも殺す。キミも彼も変なことに気がつかなければ、ボクという怪物に出会わなかったというのにね……」
残念だよと肩を竦める藤堂を、僕は睨みつける。
「やっぱり、お前が犯人か……!」
「いかにも。一連の猟奇殺人はこのボクが引き起こしたものだ。そして……」
不気味な笑みを浮かべながら藤堂は僕を指差す。
「九人目の犠牲者は、キミだよ。遠坂くん」
藤堂がそう宣言した瞬間、僕の視界が唐突に明るくなった。
……なんだ? どうなっている?
僕が異変に気づいた時はもう遅かった。四肢が急速に痙攣し、まるで鉛入りの袋を背負わされたかのような身体の重さが僕に襲いかかってきた。
この感覚は知っている。あの怪物に支配された時に似た、自分の身体が自分のものではないような感覚だ。
「なに……を……した?」
息も絶え絶えに問いかける僕を藤堂は楽しげに微笑みながら覗きこんでくる。
「三杯目の紅茶に少し細工をね。即効性の筈なのにやけに回りが遅いから焦ったよ。麻薬か何かでも常用してるのかい?」
ま、どうでもいいけど。と言いながら、藤堂は何処からか真っ白なキャンパスを持ってくる。
「さぁ、楽しい楽しい芸術の時間だよ」
そう言って笑う猟奇殺人鬼の目は、どこまでも無邪気で、まるで玩具を与えられた子どもを思わせた。




