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名前のない怪物  作者: 黒木京也
第二章 内臓実食
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15.阿久津純也

「しかしまぁ、全く大学に顔出さないから心配してたが……顔色悪くなった以外は元気そうだな」

 お酒やつまみの入った袋を持ちながら、純也はニッと男くさい笑みを浮かべた。

 やっぱり顔色は悪いのか。と思いながらも、僕もまた、久しぶりの友人との会話が嬉しくて自然に笑顔が漏れる。

 スーパーマーケットで偶然遭遇した僕達は、そのまま純也の部屋で飲もうという話になったのだ。

 なんでも、純也は元々今日は友人の部屋で飲む約束をしていたのだが、その友人が直前になってキャンセル。仕方なく一人寂しく飲もうとしていた所に僕が通りかかったとのことらしい。

 そんな訳で、今現在は純也の部屋へ向かって二人並んで歩いている。のだが、実はその道すがら、僕は純也に気付かれないように時折後方などを確認していた。

 アイツの……怪物の姿は、やはりない。

 怪物は人の目に付く所では姿を表さない。という僕が推測した習性は、どうやら今も守られているようだ。京子という例外もあったが、あの時怪物は、彼女の背後に回って極力気付かれないよう腐心していたように見えた。事実、京子は怪物の姿はおろか、その存在にすら気づいていなかったのだ。

 ……いや、腐心はおかしいだろうか? アイツに心があるかどうかなんて僕には知る術がない。一応、たまに微笑んだりはするが、実際どうなんだろう?

「と〜うちゃ〜く!」

 僕があれこれ考えていると、純也の陽気な声と共に、木造の二階建てのアパートが見えてきた。築何年なのかはしらないが、来る度に思う。凄いオンボロアパートだ。

 庭では大屋さんらしきお爺さんが七輪で魚を焼いている。あれは川魚の……イワナだろうか? おかげで、妙なおもむきが醸し出されていた。京子辺りなら「凄いわ! 昔の漫画に出てくる一コマみたい!」なんて言って大喜びするかもしれない。

「ああ、おかえり」と、いうお爺さんに軽く挨拶し、僕達二人は純也の部屋がある二階へと登っていく。一歩進む度に階段が軋みをあげている。地震でもきたら倒壊するのではないだろうか? 僕がそんな事を危惧している内に、純也の部屋の前までたどり着き、特に打ち合わせをした訳でもないのに、二人揃って一息つく。今気づいたのだが、純也も角部屋だったようだ。

 鍵が回る音と共にドアが開き、「相変わらず狭いが、まぁ、入れや」と、いう純也に促されるままに、僕は部屋に歩を進める。

 入る直前に、僕は再び外をチラリと確認した。

 イワナが焼ける芳ばしい匂いと、立ち上る煙が視界に映る。怪物の姿は最後まで見えることはなかった。


 ――そして。


「おい、レイ! お前好きな子誰だよ」

「何で修学旅行みたいなノリになってるのさ」

 純也のオンボロアパートで、細やかな酒盛りを楽しみながら、僕は久方ぶりにリラックスしながら、心の底で楽しんでいた。

 外はもうすでにとっぷりと日がくれ、虫のさざめきと、夏の夜特有の爽やかな風が網戸から流れ込んでくる。

 真っ昼間からずっと飲んでは語らいと、色々やってはいるが、疲れらしい疲れを僕と純也は感じていなかった。

 酒に強い純也はともかく、酒はそれなりの僕が、あれだけ飲んでここまでちゃんと意識を保っているのも珍しい。

 思えば、怪物が僕の家に来てから心が休まった記憶がない。

 京子が来た時なんか、別の意味で心臓が破裂するかと思った。初めての彼女のお宅訪問だというのに、散々な結末になってしまったと自分でも思う。

「てかよ、彼女とはどこまでいったよ? 流石にもうキスはしたろ?」

「う……」

 その質問に僕は思わず身体を硬直させる。彼女以外の女性とキスしたなんて言える訳がなく、僕が目を泳がせていると、純也はそれを別の意味で解釈したのか、ポカンとした表情を見せる。

「え? マジ? まさかまだなのかよ?」

「は、恥ずかしながら……」

「オイオイ、もう一ヶ月だろ? 彼女も待ってるぜ〜? きっと」

 呆れたように肩を竦める純也。むぅ、といっても、僕は誰かと付き合った事はないのだ。軽い男だと彼女に見られたくないという、経験皆無な男特有の慎重さというのがあったりするのだ。そこをわかって欲しい。なんて事を僕が言うと、純也は笑いながら「バーカ」と、僕の頭に軽く拳を当てる。

 そうだ。いつもこんな感じで、純也とはくだらない馬鹿話で盛り上がるのだ。

 僕は何とも言えない懐かしさを感じていた。たった二週間。去れど二週間。この間に経験した、短くも濃い、現実からは程遠い稀有な体験は、僕の当たり前の感覚をすっかり麻痺させていたのだろう。

 なんだか、自分が人間らしさを取り戻しているような感じがして、ついつい笑みが漏れる。

 僕がそんな風にほっこりした気持ちを味わっていると、不意に純也は、

「悪い、煙草切れたから買ってくるわ」

 と、言って部屋を出て行ってしまった。部屋に残された僕は、特にやることもなく、部屋のベランダに出る。

 ベランダはちょっとした寛ぎスペースになるくらいの適度な広さがあり、これならば酔い醒ましに丁度いい。

 外の夜風を感じながら身体の熱を冷ましていると、すぐ近くから静かな旋律が聞こえてきた。横を見ると、隣の部屋の住人だろうか? 三十代前半ほどの男がベランダに出ていた。

 アコースティックギターがとてもよく似合っている。お洒落なアーティストさんといった所だろうか?

 そのアーティストな隣人は、僕に微笑みながら会釈すると、再びギターを掻き鳴らし始める。今日の夜空を映えさせるかのような、とても美しい音色だった。

 そんな風に深夜の即席コンサートを聞きながら、僕は怪物に関して気づいた事が、確信に変わりつつあることを感じていた。

 やはり思った通りだ。僕はそっと自分の頭を撫でながら、小さく呟く。今のところ、怪物から僕に対して、介入は皆無だった。

 あの脳髄に響くような衝撃は、結局起こらないまま、僕は純也の家にたどり着き、今も自由の身でいる。

 身体所有権を剥奪する能力。怪物は、僕が部屋から逃げようとする度に、あるいはそれ以外の目的を為すとき、それを使ってきた。

 なのに、今現在。部屋を抜け出している筈の僕にはそれをやってこない。使えば僕を連れ戻せるのにだ。それは何故か?

 ここからは例によって推測になるが、アイツは、怪物は、姿を消したままだと身体所有権の剥奪を使えないのではないだろうか? いや、この際もっと穿った考えを述べるのならば、人目につく所では姿を見せないだけではなく、あの力は使えない。これが正解な気がする。

 実際、京子を間に挟んで対峙した時も、抵抗した僕に何もすることなく怪物は引き下がった。京子に何かしようとしていたのなら、僕を操ってその場に放置した方が手っ取り早いにも拘わらず、怪物は何もしてこなかった。

 この例から、つまり、僕が誰かと常に一緒にいれば、怪物から逃れる事が出来るし、襲われることもないのではないだろうか? これが、一日外を出歩いた上での僕の出した推測だ。

 もちろん、ただの平凡たる大学生な僕の推測だ。ちょっと叩けば埃が出るような穴だらけな物だが、今はこの可能性に賭けてみよう。何事もやってみなければ始まらない。僕はそう思いながら、相変わらず美しい旋律に耳を傾ける。

 久しぶりの友人との会話、お酒、怪物の習性の一部を把握したこと、そして何より、初めて怪物の手を離れた高揚感というやつだろうか。僕はいつもよりだいぶ前向きで、緩みきった心情だった。

 どこかで聞いたような、それなのに名前が思い出せない曲が始まった時、僕は鼻唄混じりにうっとりと顔を夜空に向ける。

 ふと、純也の奴、遅いな……などと思ったその瞬間、僕の頬に何かが落ちてきた。

 一瞬の出来事で判断が遅れたが、続けて頬を何かが這い回る感触。

 えも知れぬおぞましさを感じ、僕は頬を這い回るそれを、片手で拭うように弾き飛ばす。

 弾き飛ばされたそれは、小さな蜘蛛だった。部屋の窓ガラスまで吹き飛ばされ、窓の縁に不時着した蜘蛛は、部屋の明かりから逃れるように、ベランダの隅へと移動していき、軈て姿が見えなくなった。

 僕は思わず荒い息を吐きながら頬に手を当てる。隣人さんがポカンとした顔でこっちを見ているが、今は気にしている余裕はない。

 虫は虫でも、蛾とか、蝿とか、そんなのだったらまだいい。何でよりにもよって蜘蛛が落ちてくる? 僕は忌々しげに蜘蛛が消えたベランダの隅を睨む。偶然にしては出来すぎているように思えた。

「たっだいま〜」

 不意に少し酒に酔ったかのような、陽気な声が響く。どうやら純也が戻って来たらしい。僕はベランダから部屋に戻り、純也を出迎える。

「悪い悪い、コンビニでつい立ち読みしちまったよ。お詫びに酒とつまみ追加で買ってきたから許してくれや」

 そう言って男くさく笑う純也。が、僕の視線は、酒やつまみや友人の笑顔などではなく、ある一点を凝視していた。

「純也……それ……」

 掠れた声でその一点を指差す僕を見て、純也は、「ん?」と、不思議そうな声を出しながらその視線の先を追い、ああ。と、納得したかのように頷いた。

「全部取れてなかったんだな。何か帰りに近道で桜並木の下を通って来たんだけどさ。そこで思いっきり顔面から突っ込んじまったんだよ。全く……あんな道のど真ん中で住居構えなくてもいいだろうに……ま、家主が不在だったのは不幸中の幸いだったよ。」

 純也は笑いながら、肩口にこびりついていた粘着性のそれを指で摘まみ、窓から外へ投げ捨てた。夜風に流されてふわふわと何処かへ飛んでいくそれは、紛れもなく蜘蛛の糸だった。

 僕はただ、それを呆然と眺める。さっきの蜘蛛に、今の蜘蛛の巣……僕の脳裏を一瞬、突飛で不吉な考えが過り、慌てて頭の中でそれを否定する。

「ん? どうしたレイ? 顔色悪いぞ?」

 不思議そうな顔でこっちを見る純也に何でもないと告げ、僕は缶ビールを手に取る。

 偶然だ。そんなことあり得ない。アイツが今回、何の干渉もして来なかったのは、消えていたからだけではなく、もしかしたら本当に僕を見失っていたからなのではないか? アイツは今、町中の蜘蛛を使って血眼になって僕を探しているのではないだろうか? だなんて……そんな漫画や小説みたいなこと、あるわけがないではないか。

 すでにその漫画や小説に出てくるような怪物と遭遇している。という事実を忘れ、僕はビールを喉に流し込んだ。

 酔いは、完全に醒めていた。

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