狼たちの隠れ家
人狼の七瀬に肩を貸し、俺はゆっくりゆっくりと千代の待つ小屋に向かった。
小屋は一軒家をさらに小ぶりにした大きさで、おとぎ話に出てきそうな三角屋根に木を組んで壁などを形作られていた。
俺が片手でドアをノックする。
「千代さん。開けてくれ」
俺が言い終わるかどうかのタイミングでドアが引き開けられる。
「平さん」
千代がドアに寄りかかるように立っていた。赤くなった目で俺を見る。
「ほんとーによかった」
「お互いにな。怪我人がいてな、中に入れてくれるか」
千代が慌ててドアを押さえて横にずれる。
すれ違いざまに七瀬が片手を上げる。
「おおきに」
千代が七瀬の俺とは反対側の肩を支える。
俺と千代で七瀬をソファーに横たえる。
俺は一息つき、ぐるりと室内に視線を巡らせる。
ソファー、テーブル、ダイニングキッチンと生活に必要な設備がひと通り揃ったこじんまりとしつつ、着心地の良い空間だった。
揚羽はいない。
「千代さん、揚羽は」
千代がペットボトルから紙コップにお茶を注いでいた。3つのコップがテーブルに並べられる。
千代が伏し目がちに、一人掛けの木の椅子に座る。
「アゲハ姐さんは、」
千代がポツポツと何があったのかを話し始めた。
正光が、土地と土地の所有者の力で揚羽を封じたことを。
そんな事が起きるのか。あの傍若無人で飄々とした蝶が『人間』の使う魔術で封じられるなんて。
暗闇で突然手を振り払われ取り残されたような無力感に、目の前が暗くなる。
「あー」
七瀬の声だった。横になったまま、こほんこほんとわざとらしく咳ばらいをしている。
「深刻なとこすまんけど、うちの仲間が外に来ててな、開けてもらっていい」
千代が「あ、はい」と立ち上がってドアを開く。
3頭の狼がおすわりの姿勢で待っていた。
さすがに生の狼の迫力に押されたのか千代が後ずさる。
「こら、徳川のお嬢さんの前やぞ。もうちょい豆柴的な愛嬌ださんかい」
無茶言うなとばかりに狼がふんふんと鼻を鳴らす。
七瀬がじっと狼たちを睨む。
「あの、ふつーにあがってもらっていいんで」
千代の言葉に、七瀬が「お許しが出たぞ」と横向きのまま手招く。
狼たちが七瀬の側に寄り、七瀬がこれまでの経緯を話し始めた。
俺は千代の入れてくれた紙コップを手に取り、一気に飲み干す。
「ありがとう、千代さん」
「いえ、そんな」
千代が何か言いたげな顔で、両手で自分の紙コップを包む。
「正光さんは無事だ」
千代が顔をあげる。
「『平面世界』に閉じ込めただけで、ひどい怪我はしていない」
「よかった」
千代が明らかにほっと表情を緩め、直後にはっと息を呑み、視線が泳ぐ。
七瀬は狼たちとまだ話し込んでいる。
「千代さん。知らなかったとは言え千代さんの家族を傷つけたこと、本当に申し訳ない」
千代は首を振った。充血した目ではあるが背筋をピンと正した姿勢は、年下ながら尊敬するほどだった。
「全部覚悟の上です」
「そうか」
俺はそれ以上は言わなかった。
小屋のなか、七瀬と狼たちのやり取りの音だけが響く。電球のオレンジ色の光を見て、電気は通じているんだなと、そんな今更なことを俺はぼんやり考えていた。
七瀬が「おまたせ」とひらひら手をふる。
「まー結論やけど、うちらの拠点に行こか」
俺は飲みかけの紙コップを置いた。
「いいのか」
「タイラのニイチャンには言ったけど、他の魔術師がこの場所に気付いたっぽい。まー待ち受けてもええけど。うちがいまこんなやしなぁ」
正光以外にも、七瀬曰く『たいしたことない』魔術師たちが葵山に入り込んでいると言っていた。
敵か味方かは不明だが、味方と思うのは流石に楽観的すぎる。数を頼りに襲われたら厄介だ。
「いいんですか、ウチらがお邪魔しても」
千代がすこし緊張したよそ行きの声で尋ねる。
「かまへん。徳川のお嬢さんとモモちゃんがいちおー気を許した男やからな」
「ぞくちょー的なヒトの許可は」
千代の問いに七瀬がパチパチと瞬きし「アハハッ」と、身体を反らして笑う。七瀬の足元で狼たちがおすわりの姿勢でじとーっと七瀬を見上げている。
「だいじょーぶ。うちがその『ぞくちょー』やから」
葵山の人狼の長、七瀬はソファーに横になった姿勢で「あーオカシ」と涙を拭っていた。
3頭の狼がピッタリと身体を寄せ合い、狼に姿を変えた七瀬が彼らの背にまたがって運ばれていく。
もっといいやり方があるのではないかと思いつつも、俺は口を挟むのは止めておいた。
狼たちがくんくんと匂いを確かめながら進んだおかげだろう、俺たちは魔術師たちに遭遇することは無かった。
葵山の人狼の拠点。百々子の生家。
俺は妙な緊張感と好奇心に内心ソワソワしていた。
俺の横を歩く千代も、俺と似た感情なのだろう、顔に少しだけ生気が戻ってきたように見える。
1時間は歩くことを覚悟していたが、狼たちの歩は意外にも三十分もかからずに止まった。
なんの変哲もない木立だった。
狼たちが鼻先を2本の隣合う木々にちょんとつけた。
俺と千代は目を見合わせる。この木の間を通れということか。
狼たちがさくさくと木の葉を踏みつけて進み、木の間を抜けた瞬間、霧の中に消えるように姿が曖昧になり、消えた。
「すご。魔術的なヤツっすか」
「いや、全く魔術の有無は感知できない」
俺たちはおそるおそる歩を進め、木々の間を抜けた。
視界がパッと晴れた。
野球場ほどの広場に、周囲を背の高い木々が囲う。
空には雲一つなく、月が地面を直接照らしていた。
シンプルで無駄を削ぎ落とした空間に、ため息が出る。先ほどとは明らかに空間的につながっているようには見えない。
「やばっ」
千代が短く感想を漏らし、ふらふらと前に歩き出す。
「森の中に入りなや。出入口以外はどこに繋がってるかわからんで」
いつの間にかヒトの姿に戻っていた七瀬が、どこから持ってきたのか、ビーチで見かけるようなチェアーに横になっていた。同じくヒトの姿になった狼たちが七瀬の足に添え木をして包帯でぐるぐる巻きして、入ってきたのと同じように木々の間を通って消えた。
「ここは葵山なんすか」
「たぶんな。葵山の『どっか』や。でも、うちらは葵山の隅々まで知っとるけど、こんな場所は見たことがない」
千代の質問に七瀬が首をすくめる。
「ま、普段は山の中を好きに駆け回っとるからここは使わんけどな。こーゆー非常時にだけ使う秘密の『拠点』や」
俺と千代は七瀬のチェアの側に腰を下ろした。
「じゃ、改めて自己紹介でもしとこか。葵山の人狼のトップしとります七瀬ですー。よろしゅう」
あまりのコテコテな関西弁に、千代が突っ込むか否かを迷うように間をとった。
「千代です。徳川千代。七瀬さんの山にトラブル持ち込んじゃってごめんなさい」
「徳川お嬢さんのせいやないやろ。どーせあの賢三絡みやろ」
賢三の名に千代がびくんと身を震わす。
「賢三を知ってるのか。それに千代のことも会う前から『徳川のお嬢さん』の匂いが、みたいなこと言ってたな」
七瀬が「落ち着き」と手で俺を制する。
「まず、そやな。徳川のお嬢さんのことやけど、うん、知っとった。何年か前にあの小屋に来たことあるやろ、オトンとオカンと一緒に」
千代が「はい」と頷く。
「遠目から見とったで。カワイらしい家建てとるなーってな」
「七瀬さんの山に勝手に小屋作ってよかったんですか」
「いいも悪いもこの山は徳川家のモンやしな。うちらは『ここに住んでもええよ』って言われて住んどるだけやし」
「誰が言ったんだ」
「徳川家のトップや。家康、やったっけ。歴史苦手やねん」
とんでもない大物の名前が飛び出し、俺は思わず千代を見た。
「徳川って『あの』徳川なのか。幕府の」
「え、うん」
「征夷大将軍の」
「うん」
「『泣くまで待とう』の」
「うん」
「小松菜の名付け親の」
「それはしらない」
七瀬がケタケタと笑う。
「うちらは家康サンの、今風にゆーたらスパイやったらしいわ。適任やろ」
確かに。まさか狼が人語を理解しているとは思わないだろうし、ヒトの姿で諜報活動がバレても狼になってさっさと逃げればいい。
七瀬が続ける。
「で、めっちゃスパイ活動頑張ったからそのお礼も兼ねて葵山に住んでもええよってなったらしいわ」
「じゃあ、いまもスパイとしてバリバリなんすか。ウチは何もしらないけど」
「いや、流石に活動してたのは幕府が健在やったときまでやね。今は『そんなこともあったねー』くらいのもんや。徳川家との繋がりもだいぶ前からなくなっとるし」
はえーと千代がぽかんと口を開ける。
人狼がかつて徳川幕府に仕えていた密偵など、想定外だ。
俺はぽんと膝を打った。
「千代さんのことを『お嬢さん』って呼んでたのはそういう事情か」
「せや。だいぶん前とは言え、お仕えしとった家のお嬢さんなわけやからな」
七瀬がドヤ顔で胸を張る。骨折して横になっていなければサマになったろうに。
「で、タイラのニイチャンと徳川のお嬢さんは何しに来たん」
俺は千代からの依頼を受けたことから現在に至るまでの経緯を七瀬に話した。千代も時折補足を入れつつ、長い話になった。
百々子が『山を買い取ってもらうかわり』に徳川賢三に犬神として使役されていること、そして『犬神』が千代の両親や賢三にとって都合の悪い人物を排除させられていることを俺は包み隠さず話した。
七瀬は話し始めた当初こそ「うんうん」と相槌を打っていたが、百々子の件に話が進むと笑みがすっと消えた。
人狼の拠点に冷たい風が吹き渡り、ざわざわと木々が揺れる。
七瀬は無表情で黙りこくっている。
「賢三を倒すには『犬神』を無力化するしかない。その方法を探すために葵山に来たんだ。七瀬さん、何でもいい、何か知らないか」
俺の呼びかけに七瀬は沈黙で応える。
やがて七瀬は俺を満月色の瞳で見据えた。
「悪いけどモモちゃんがおる名刺入れ、見せてくれへん」
俺は名刺入れを取り出し七瀬に手渡す。七瀬は割れ物を扱うように、そっと名刺入れの背を撫でる。
「『犬神』から解放する方法やったな」
七瀬が独り言のように呟く。
「すまんな、うちは知らへん。ほかのモンにも聞いてみるが、おそらく脈無しやろな」
沈んだ声に、俺は内心失望感に押しつぶされそうになる。接ぎ穂の言葉も見つからず、俺は肩を落とした。
「タイラのニイチャンはどうすんの、このあと」
七瀬の声に俺が顔を上げる。七瀬は変わらず無表情だった。
「そう、だな。他に『犬神』から解放できる方法がないかを探す。それが無理なら小早川先生、俺の大師匠と協力して封印する」
「そっか。正直『解放』も『封印』も力になれんけど、賢三を殺すならうちも呼んでな、絶対に」
七瀬が抑えた口調で淡々と言い放つ。満月色の瞳は異様なギラつきを放ち、七瀬の握り込んだ手は血の気がなくなるほど青白かった。
「わかった。ただ動くにしてもタイミングだけは俺に相談してくれ」
七瀬と俺がじっと互いに視線を外さない時間が流れる。折れたのは七瀬だった。
「せやな。モモちゃんが犬神のままっちゅうのは、うちの望むところやない。魔術のことはわからんし、タイラのニイチャンに任せる」
先程までの切れるような怒りが鳴りを潜め、伏し目がちにうなだれる。
月明かりのもと、俺たちはそれぞれ会話の糸口をなくしたように黙りこくった。
「あぁ、そうや。賢三のこと言わなな」
七瀬がしおらしく口を開いた。
俺が続きを促すために頷く。
「あれはまだモモちゃんが魔術師になる前の話や。葵山に作業員がぎょーさん来て『何しとんのやろー』て見てたら、今度は重機やら何やらが来て、木を切ったりしよんねん。たぶん、もっと大掛かりな機械を山に入れるための道を作ろうとしとったんやろなぁ」
七瀬がぼんやりと月を見上げる。
「ひと昔前のうちらなら力ずくで追い返したんやろうけど時代が違う。それに重機をよー見たら『TOKUGAWA』って書かれとる。モモちゃんと相談して、話のわかるやつと交渉することにしたんや」
俺も千代も静かに話を聞いていた。
「そんとき、葵山に徳川賢三が来た。匂いですぐに『ヤバい魔術師や』っちゅうのが分かったわ」
七瀬ががっくりと肩を落とす。
「うちとモモちゃんで賢三に接触したんや。あいつに、さっきおふたりさんに話したことを伝えて葵山から手を引いてくれんか頼んだんやけど、あいつは『書面はあるのか』ちゅうて一蹴しよった」
「家康との約束は紙に残ってないのか。契約書みたいな」
「ないな。いや、あったんかもしれんが残ってない。あくまで口約束や」
七瀬は沈痛な面持ちでため息をついた。
「今にして思えば、賢三はそんときからモモちゃんに目をつけとった。『TOKUGAWAに来て働いてみないか』ってな」
賢三は百々子の魔術師としての素質に気付いていたのか。あるいはその時から『犬神』として使役することも考えていたのかもしれない。
「葵山の人狼たちの間でも意見は割れた。負けることを覚悟の上で徳川に弓引くか、潔く山を去るか、あるいは何とか交渉を続けるか。そんなこんなでゴタゴタしとるうちに、作業員たちは来んようになった。うちは賢三になんかトラブルでもあって計画が頓挫したんやと思ってたけど、モモちゃんは『何か手を打たないと』って」
七瀬が突然首をひねって、頭をぽりぽりとかいた。
「タイラのニイチャンのオトンって魔術師か」
突然の問いかけに、今度は俺がきょとんとした。
なぜ急に親父の話が出るんだ。
「そうだけど」
七瀬が表情を崩す。
「葵山に来たで」
「え、何しに来たんだよ」
「さあ、それは教えてくれんかった。でも仕事とは言うてたな」
七瀬がようやく明るい表情に戻り、にこにこと話し始める。
「賢三と接触したあとふらっと葵山に来てな。魔術師やったし、徳川の関係者にも見えんかったから、うちとモモちゃんで取っ捕まえたんや」
何やってんだ。いや、人狼の長とその腹心相手なら仕方ないのか。
なんとも複雑な気持ちになる。
「まあ、害はなさそうやから早々に解放したんやけど、モモちゃんを熱心に口説き出してなぁ」
「なんだと」
思わず声が上擦る。千代が「え」と若干引いている。七瀬は「ちゃうちゃう」と手を振る。
「魔術師にならんかってな。逸材やと。『平面會』に力を貸してくれゆうてな」
「誤解を招くような言い方するな」
手を合わせて謝る七瀬に、俺は深くため息をついた。
ただ、俺の中で得心がいった。人狼の百々子がどういう伝手で『平面會』の親父に弟子入することなったのかが分かったからだ。
「タイラのニイチャンのオトンが帰ったあとすぐにモモちゃんが魔術師になる言い出してな。モモちゃんのことやから考えがあるんやろうおもて快く送り出したんや」
断片的に知っていた事実が積み重なり繋がってきた。しかし肝心の『犬神』の解除に関する知識にはたどり着かない。
もどかしい思いに胃が重くなる。
「平さんのお父さんを雇ったのは正光叔父さんかも」
千代の言葉に、はっとなる。
俺が突然顔を跳ね上げたせいか、千代が少したじろぐ。
「だって、平さんのお父さんに依頼するってことは魔術のことを知ってて、しかも葵山に何かあるって思ってる人でしょ。そんなの徳川家のなかでも結構限られるよ」
「賢三は除外するとして、千代さんのお父さんは違うのか」
千代が首を振る。
「ウチのパパから魔術の『マ』のことも聞いたことないよ」
千代の叔父、正光が親父を雇ったとして一体何を依頼したのか。それは『犬神』に関することに繋がるのか。いまの俺には分からない。
「ま、その正光叔父さんに聞いてみたら分かるんちゃう。また暴れても、タイラのニイチャンならなんとかできるやろ」
七瀬があっけらかんと言い切る。
「確かに今できることをやるしかないか」
『平面化』を解除して正光を解放したとき再び戦闘になるのか、あるいは説得できるか。
七瀬がぴくっと顔をあげる。視線の先には狼が1頭こちらに向かって駆けてきていた。狼の表情は分かりにくいがなにか緊張感が漂っている。
しばらく七瀬が狼に耳を傾け、やがて俺に顔を向けた。
「タイラのニイチャンが『平面化』した場所に魔術師たちが集まっとるらしい。どうする」
俺と正光との戦いをどこかで見られていたのか。あるいは『平面世界』に逃げ込んだとみて、待ち伏せているのか。
どちらにせよ葵山に入り込んだ魔術師たちとの戦いは避けられない。
正光には聞かないといけないことがある。
「いこう」
俺の言葉に七瀬が頷いた。




