第6話 俺の方が先輩だ
俺は少し離れたところから、圭一と母親の様子を眺めていた。
二人は何か話している。
ここからでは、何を言っているのかまでは聞こえない。
でも、圭一はずいぶん熱心に話しているようだった。
時々、二階の方を指している。
「……なるほどな」
たぶん、さっきのことを話しているんだろう。
俺が勉強の時間を教えてやったこと。
久しぶりだったから少し変な声になってしまったけれど、ちゃんと時間を知らせることはできた。
圭一も、きっとそのことを母親に話しているんだ。
「まあ、感謝したくなるのも分かるけどな」
久しぶりに帰ってきたというのに、俺は今日はかなり働いた。
家の中を見回った。
異常がないことも確認した。
圭一が帰ってきた時には迎えにも行った。
それに、勉強を始める時間までちゃんと教えてやった。
我ながら、よく働いたと思う。
やっぱり俺がいないと圭一は駄目なんだ。
しばらくすると、圭一と母親は台所の方へ入っていった。
「さて」
今のところ、俺の仕事はない。
家の中も見回ったし、異常もなかった。
次に何かするまで、少し休んでもいいだろう。
俺は二階へ戻った。
向かうのはもちろん、圭一の部屋だ。
部屋へ入る。
そして、机を見る。
「あ」
あいつがいた。
昨日から何度も目についている、薄くて細長い四角い奴。
朝から妙な音を出して圭一を起こしたり、圭一がずっと触っていたりする奴だ。
今は机の上に置かれていた。
しかも。
「また俺の場所にいるな」
気に入らない。
そこは昔から俺がいた場所だ。
俺がいない間にやってきたくせに、すっかり自分の場所みたいな顔をしている。
俺はしばらくそいつを見下ろした。
そして。
「よし」
その上に乗った。
これでいい。
やっぱり俺の方が上だ。
何しろ、俺の方がずっと前からこの家にいる。
こいつがいつからいるのか知らないけれど、俺より後なのは間違いない。
つまり、俺の方が先輩だ。
「お前は知らないだろうけどな」
もちろん、下にいる四角い奴から返事はない。
構わず続ける。
「俺が初めてこの家に来た頃は、すごかったんだぞ」
ずっと昔のことだ。
まだ圭一が小さかった頃。
初めて俺がこの家に来た時、圭一はずいぶん喜んでいた。
何度も俺のところへ来た。
何度も触った。
俺の声を聞いては笑っていた。
夜になると、次の朝の仕事を任せてくれた。
そして朝になれば、俺が声を出す。
すると圭一が起きる。
毎日のように、それを繰り返していた。
俺にはちゃんと仕事があった。
圭一も、俺を頼りにしてくれていた。
それに。
名前までつけてくれた。
ケイ。
俺にとって、大切な名前だ。
「あの頃は、毎日のように俺のところへ来てたんだからな」
俺は少し得意になった。
「つまり、この家じゃ俺の方がずっと先輩ってことだ」
返事はない。
ずいぶん無愛想な後輩だ。
「それにしても、お前、何の役に立ってるんだ?」
やっぱり返事はない。
当然か。
朝は圭一を起こしていた。
そこだけは認めてもいい。
でも、それくらいじゃないか。
俺なら時間を教えられる。
朝も起こせる。
今日みたいに勉強の時間だって知らせられる。
家の中に異常があれば見回ることだってできる。
昔だって、ちゃんと圭一の役に立ってきた。
やっぱり俺の方が役に立っている。
「まあ、圭一が大事にしてるみたいだからな」
俺はそいつの上に乗ったまま考えた。
気に入らないからといって、どうにかしてやろうとは思わない。
圭一が大切にしているものなら、俺だって大切にしてやらないといけない。
先輩だからな。
後輩には優しくしてやるものだ。
「お前も頑張れよ」
少しくらいは先輩らしいことを言ってやる。
「今日はこのくらいにしておいてやる」
俺は満足して、そいつの上から降りた。
今日はいろいろ仕事もできた。
圭一にもきっと評価してもらえた。
母親にも今頃、俺の活躍が伝わっているはずだ。
「やっぱり帰ってきてよかったな」
そう思うと、気分がよかった。
俺は少し休もうと思い、ベッドの近くまで移動した。
しばらくすると、廊下から足音が聞こえてきた。
圭一が戻ってきた。
「おかえり」
もちろん返事はない。
圭一は部屋へ入ると、机の方を見る。
そして、すぐにあの四角い奴を手に取った。
「あ」
またそれか。
圭一は表面をじっと見ながら、何かを触っている。
俺はその様子を眺めた。
「そんなに面白いのか?」
帰ってきてから、ずっとあいつばかりだ。
朝も触っていた。
学校から帰ってきてからも触っていた。
今もまた触っている。
俺は、さっき思い出した昔のことを考えた。
昔は違った。
圭一は、もっと俺のところへ来ていた。
俺がこの家に来たばかりの頃なんて、何度も何度も構ってくれた。
それなのに。
今は。
あの四角い奴ばかりだ。
「……いやいや」
考えすぎだ。
俺は今日、ちゃんと役に立った。
圭一だって分かっているはずだ。
さっき母親に話していたのだって、そのことだろう。
たまたま今は、あいつを触りたいだけだ。
そうに決まっている。
それでも。
少しだけ面白くなかった。
圭一はしばらく四角い奴を見ていたが、やがてそれを持ったまま部屋を出ていった。
「また持っていくのかよ」
俺は取り残された部屋を見る。
静かになった。
「……まあいいか」
どうせすぐ戻ってくるだろう。
その時だった。
ガチャッ。
下の方から、玄関の扉が開く音がした。
続いて、誰かが家に入ってくる気配。
「今度は父親か」
ちょうどいい。
圭一は、母親に俺のことを話していた。
だったら今度は、父親にも今日のことを話すかもしれない。
見回りをして。
圭一を迎えに行って。
勉強の時間まで教えてやった。
「ちゃんと話してくれるかな」
少し気になった。
俺は部屋を出る。
廊下を進み、階段の前まで来た。
下から、何人かが話している声が聞こえる。
何を話しているのかは、ここからでは分からない。
でもきっと――。
今日の俺の活躍について話しているんだろう。
そう思いながら、俺は階段を降り始めた。
カタン。
一段。
カタン。
もう一段。
父親にも、ちゃんと挨拶しておかないとな。




