第36回 (最終回)闞沢、死す
闞沢は顧雍よりずっと若い。御年、五八歳である。
まだまだ中書令として、待中として、そして太子太傅として、やり遂げねばならないことが山ほどあった。
そして特に、国を揺るがしかねない太子問題は早めに片づけなければならぬ、と心に誓っていた。
闞沢は、孫権と話をしたかったが、太子孫登を亡くし、続いて丞相であった顧雍を亡くしたことから、その失意に打ちひしがれて、最近は政にも滞りが出てきた。
人としては、悲しみの中にいる孫権をしばらくそっとしておきたいという気持ちを闞沢も持ってはいたが、孫権は国主であり、そのあたりは民とは違うのである。いくら悲しく辛くても、国主として、やらなければならぬことが多々ある。
兎にも角にも、太子問題だけは早急に決着を図らなければならない。闞沢は、上大将軍である陸遜の同席を求めた。
陸遜は快く引き受けてくれた。闞沢が言う。
「上大将軍、この様に厚かましいお願い、お引き受けいただき、ありがとうございます。」
「いえ、当たり前の事です。本来、ここに丞相がいれば、さぞかし心強かったのですが・・・。」
「左様です。孫呉は理性の柱を失いました・・・。しかし、丞相は遺言にて、全てを上大将軍と私に託す、とお示しになりました。私は、出来得る限りのことをしようと思っています。」
「そうですね・・・。まずは、孫権様にお会いすることから始めなければなりません。」
こうして二人は、孫権に会いに行った。上大将軍と中書令が二人で来たと聞いて、ようやく孫権は重い腰を上げた。その表情に生気は感じられないが、孫権は言う。
「今日は二人で、どうしたというのだ。」
闞沢が言う。
「太子と魯王の問題の事でございます。」
「・・・また、その話か。」
陸遜が言う。
「しかし、これは国を揺るがしかねない問題です。当人たちはどう思っているかわかりませんが、周りの者たちは派閥をつくり、後継者争いに躍起になっております。」
「私はまだまだ、死んだりはせぬ!皆、まるで私が明日にでも亡くなるような必死さではないか!」
「誰も孫権様が明日にでも亡くなる、など考えてはおりません。ただ、万一の時のためにも、太子は明確に定めるべきなのです。」
闞沢が続ける。
「孫権様。上大将軍が申し上げた通りです。太子問題は国を分裂に招きかねません。太子と魯王に対する対応はすぐにでも、お改めください。」
「・・・。わかった。今日は疲れた・・・。もう下がってよいぞ。」
陸遜と闞沢は拝礼した。その時である。闞沢がその場に倒れ込んだのである。陸遜が叫ぶ。
「闞沢殿!闞沢殿!」
孫権も驚き、叫ぶ。
「誰か!直ぐに典医を呼べ!」
闞沢の意識は戻らない。ひとまず、宮廷内の一室に運び込まれ、典医がすぐに診察をした。孫権が聞く。
「それで、徳潤の容態はどうだ?」
「それが・・・。」
「何だ、申せ。」
「どこが悪いのか見当が尽きませぬ・・・。」
「何だそれは!お前は医者であろう!」
「大変申し訳ございませんが、今の段階では何とも言えません。ただ、万一に備える必要はあるかと思いますので、付きっ切りで対応を致します。」
「・・・そうか、わかった。しっかり頼むぞ。」
「かしこまりました。」
典医は拝礼して退出した。孫権が陸遜に言う。
「一ヶ月前に丞相を亡くしたばかりであるというのに、まさか、今度は徳潤が・・・。」
「心配ございませぬ。闞沢殿ならきっと目をおさましになるでしょう。」
「そうか、それならいいのだが・・・。」
「孫権様も、ひとまずお休みください。闞沢殿の様子は、私が見ておりますので。」
「そうか、すまんな・・・。少し休ませてもらおう。」
―翌朝―
闞沢は静かに目を開けた。
いったい何があったのであろうか。記憶が定かではない。
起き上がろうとしているが、体が自由に動かない。
一体、自分はどうしたのか・・・。
「闞沢殿、闞沢殿!お目覚めになられたか!」
目の前には、陸遜がいた。陸遜が近くの者に言う。
「孫権様をお呼びせよ!急ぎだぞ!」
闞沢は状況が全く分からず、陸遜に聞いた。体は動かないが、話すことは出来た。
陸遜は、昨日孫権との話が終わり、退出する時に、突然倒れた、ということを聞いた。言われてみれば、その様な気がしてきたが、はっきりとは覚えていない。
そうこうするうち、孫権が来た。
「徳潤!目を覚ましたか!どうだ、どこか痛むか?」
「・・・。痛みはありません。しかし、先ほどからどうも、体を動かそうにも動きませぬ・・・。」
「典医よ!これは、一体どうゆうことだ。」
「先ほどお体を触らせて頂き案したが、異常なほど硬直しておりました。そして、私が触っても、何も感じられないようです。」
「・・・。それは、どういうことだ?」
「わかりません・・・。この様な症状は初めて見ました。」
「そうか。いったん下がってよいぞ。呼んだら、すぐ参れ。」
典医は拝礼して退出した。孫権が言う。
「これだけしっかり話せるのだ。何日かすればもとに戻るであろう、そうだろう、上大将軍よ。」
「・・・。そうですございますね。そうでなければ、困ります。」
「そうだ。丞相が亡くなったばかりだというのに、徳潤、お前まで私の前から消えたら、この国はどうなる。」
「・・・ご心配をおかけして申し訳ございません。一日でも早く、公務に復帰できるように致します。」
「無理はしなくてよい。ゆっくりで、よい。しかし、死ぬことは決して許さぬぞ。」
「承知いたしました。なんだか、眠くなってきました。今度目覚めたときは、恐らく大丈夫でございましょう。」
「そうか。ゆっくり休むとよい。」
こうして、闞沢は目を閉じた。
―翌朝―
朝になると、闞沢は再び目覚めた。
しかし、昨日の朝よりかなり苦しそうである。
何か言いたそうな雰囲気であるが、何を言っているのかはわからない様な状態であった。
見守っていた陸遜は、すぐに典医を呼んだ。
典医は、闞沢の体を触り、その脈をとるなどした。そして、陸遜に言う。
「陸遜様。早めに孫権様をお呼びください。闞沢様の命の灯が消えようとしております。」
陸遜は驚いたが、すぐに孫権を呼んだ。孫権は駆けつけてきて言う。
「徳潤!どうしたというのだ!昨日は、話すことが出来たではないか!」
闞沢は何かを言おうとしているが、こちらには聞こえてこない。陸遜が闞沢の口元に耳を寄せた。そうすると、辛うじて聞こえてきた。
「孫権さま・・・。太子問題は後回しにせず、一日でも早く解決するようにしてください。」
陸遜はそのままを孫権に告げた。孫権が言う。
「わかった!徳潤の言う通りにしよう!だから、死なないでくれ!」
そして、今度は孫権が闞沢の口元に耳を寄せた。
「農民出身の私を、ここまでお引き立て頂いたこと、心より感謝しております。孫呉は、綺羅星の如く、人材がそろっております。どうぞ、彼らに活躍の場をお与えください。」
「わかった!すぐにでもそうしよう!」
闞沢の呼吸が激しくなってきた。そして、硬直していた体が震え出した。典医は闞沢に薬を飲ませようとしたが、全て吐き出してしまった。そして、闞沢は全く動かなくなった。典医が脈をとり、呼吸を確かめる。そして言った。
「闞沢様、お亡くなりになりました。」
孫権は人目を憚らず、涙した。
「徳潤、徳潤よ!昨日、次に目を覚ましたら大丈夫、と言っていたではないか!徳潤、私はまだお前に相談しなければいけないことが山ほどあるのだ!起きろ、起きてくれ、徳潤!」
孫権の涙は止まらなかった。孫呉の理性の柱と言われた顧雍と闞沢が相次いで亡くなったのだ。
この命がけの闞沢の言葉に孫権はすぐに従うものと思われたが、結局、太子問題は解決せずに、激化の一途を辿っていくことになる。
実に、約一〇年間の争いの末、孫和は廃太子、孫覇は死刑となり、新たに「孫亮」が太子として立てられたのである。
そして、孫呉は衰退の一途を辿り、なんとか国を保っていたものの、西暦二八〇年に滅亡した。
■おわりに
闞沢は、貧しい農民の出でありながら、孫呉の支柱ともいえるべき役職につき、忠義を全うさせて人生を終えました。
孫権は、闞沢の死を悲しみ、数日食事をとらなかったと言われております。
これほどの名臣でも、それほど多くは取り上げられていないので、本作で少しでも闞沢の魅力に気づいてくれる方がいる様ですと、作者としても嬉しく思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
涼風 隼人
■参考文献
・歴史群像シリーズ⑰三国志上巻⑱三国志下巻(学研)
・世界史劇場 正史三國志 神野正史(ベル出版)
・地図でスッと頭に入る三国志 渡邉義浩(昭文社)
・「三国志」の政治と思想 渡邉義浩(講談社選書メチエ)
・正史 三国志1~8 陳寿・今鷹真・井波律子・小南一郎
(ちくま学芸文庫)
・固き漢たち―三国志・顧雍伝・満寵伝― 涼風隼人
(涼風三国志)
■参考情報(インターネット掲載情報)
・ウイキペディア
・三国志人物伝
・今日も三国志日和
・もっと知りたい!三国志
・後漢と三国
・歴史の史実研究所
・歴史の読み物
・正史三国志人物列伝 英雄と凡人のその真実
・いにしえ中国史
・草の実堂
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