第1回 闞沢、県長となる
闞沢、字は徳潤という青年がいた。
会稽郡の山陰の生まれである。
貧しい農民の家系に生まれたが、闞沢は何としても学問をしたい、と強く願っていた。
しかし、生きることに必死で、当然であるが学資などはない。そこで、他人の畑を耕すことを手伝い、そこで得た金で紙や筆を用意した。
そして、書物を写すのであるが、それを写し終わったときには、すでにその書物を暗唱できるほど、記憶力に優れていた。
こうした努力をする姿は多くの人が知ることになり、農民でありながら何と「孝廉」に挙げられたのである。このことにより、闞沢は一つの事を知った。心の中で呟き、そして胸に刻み込んだ。
「努力は無駄にならない」ということを。
闞沢が最初に拝命したのは「銭唐県の長」であった。
農民出身者が孝廉に挙げられて役職に就くというのは、非常に稀なことであり、これから県長である闞沢を行政面で支えていく「県丞」と治安維持を中心に兵を統括する「県尉」の二人は、正直言えば「面白くない」気分であった。
しかし、県長が新しく赴任してくる以上、当然に出迎えねばならず、二人は城門で闞沢の到着を待った。
どれくらいの時間が経過したであろうか。それらしい人物は未だに現れていない。間もなく日の入りで、城門を閉める時間である。県丞が言う。
「何かあって、着任が遅れているのだろう・・・。いずれにしても、閉門の時間だ。明日、また改めよう。」
「そうだな・・・。閉門の時間は変えられんからな。」
すると、遠くの方から声が聞こえた様な気がした。
県丞が振り返ると、農民風の男が必死に走っている。
「しばし、しばしお待ちを!」
県丞と県尉は、しょうがなくこの男だけは入れてやろう、と思い、門番に指示した。
男は、相当走ってきたのだろう。息を切らせながら言った。
「はぁ、はぁ・・・。ご配慮、ありがとうございます。私は、この度、県長として赴任してきた闞徳潤と申します。こちらが呉郡太守呉景様からの任命書です。」
闞沢は、懐から出した任命書を二人に見せた。
県丞と、県尉は驚いた。馬にも乗らず、駆け込んできた男がこれから自分たちの上官になるのである。
県丞が言う。
「県長殿・・・。ここまで徒歩でいらしたのか?てっきり、馬でいらっしゃるものかと・・・。」
「私の家は貧しい故、馬の用意が出来ませんでした。それ故、自らの足で懸命に走ってきたのです。あなた方が、県丞殿、県尉殿であられますか?大変お待たせしたと思います、本当に申し訳ない。」
闞沢は、丁寧に謝罪し、頭を下げた。
県尉が言う。
「県長殿、頭をお上げください。お出迎えするのは我らの責務でございますから。」
「そう言っていただけるとありがたい。今日は官舎にご案内頂けるであろうか。本格的な仕事は明日からにしたいと思いますが・・・。」
「わかりました。本日は旅の垢を落とし、どうぞ、ごゆるりとお過ごしください。さあ、ご案内致します。」
「本当に助かります。」
こうして、闞沢は何とか着任日に遅れず、到着することが出来たのである。




