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第一話 悪童喜一

 道端に、一人の少年が倒れていた。

 黒髪は砂埃にまみれ、衣は擦り切れ、唇は乾いてひび割れている。

 腹は空虚に鳴る力さえなく、喉は焼けるように痛んでいた。


 少年の名は喜一。

 世界最強の剣士を目指す、十四歳の少年。

 もう四日、飲まず食わずで歩き続けていた。


 分かれ道はいくつもあったが、立て札の文字は読めない。

 勘だけを頼りに進み、そして力尽きた。


(俺は……こんな所で終わるのか……)


 霞む視界の奥で、空が白く溶けていく。

 意識が沈む。

 そして、記憶が浮かび上がった。


―――


 喜一は、蒼嶺国そうりょうこくという島国の、小さな農村で生まれ育った。

 母は喜一を産んでまもなく亡くなっており、父と祖父と三人で暮らしていた。

 山に囲まれ、田畑が広がるだけの静かな村。

 そこに、戦はない。

 だが祖父の話の中には、いつも戦があった。


 三十年前、蒼嶺国そうりょうこくがまだ武将たちの争乱に揺れていた頃。

 祖父は兵として戦に出たのだという。


「敵の大将の首を取ったのは、この儂よ」


 酒を飲みながら、何度も同じ話を繰り返した。

 孫に良い顔をしたくて、話を盛っていたことくらい、今なら分かる。

 それでも、幼い喜一の胸は熱くなった。


 祖父は武勇伝の他にも、英雄譚も語って聞かせた。

 戦国の世を戦い抜き、天下統一を果たした帝。

 各地の強者と決闘を重ねた、赤い刀身の刀を持つ伝説の剣豪。


 祖父の話は、少年の心に深く刺さった。

 そして、いつか自分も祖父の語る英雄のように、戦に出て歴史に名を残す人物になるんだと決意する。


 喜一は木を削り、木刀を作った。

 それからは、雨の日も、風の日も、木刀を振り続けた。

 手習所で読み書きを学ぶ時と、家の農作業を手伝う時以外は、ただ振る。


 喜一が世界最強になると話して、嘲笑を浴びせられると、喜一は相手を殴り倒した。


「笑うんじゃねーよ!」


 怒りに任せて拳を振るう。

 喜一は子供同士どころか、止めようとした大人にまで拳を振るい、打ち負かした。


「また喜一か!」

「乱暴者め!」

「悪童が!」


 からかわれるたびに、喜一は拳を振るった。

 村に敵う者はいなくなった。

 その代わり、味方もいなくなった。

 そんな喜一を父は叱った。


「この国に戦はもうない。武士でもない農民のお前が、剣で食っていけるわけがない」


 父にそう諭されても、喜一は木刀を振り続けた。


 喜一が九つの頃、祖父は病で死んだ。

 強さを語る声は消えた。

 残ったのは、冷めた村の視線と、現実だけだった。


 十二歳のある日。

 手習所から帰ると、庭に木刀が転がっていた。

 真っ二つに折られて。


「……誰がやった」


 震える声で問うと、父が答えた。


「俺だ」


 低く、重い声だった。


「いつまで子供みたいな夢を見ている」

「俺は最強になるんだ!」

「村で一番強くても所詮は井の中の蛙だ、現実を見ろ」


 その言葉が、喜一の胸を刺す。

 言い返そうとするが、言葉は出なかった。

 言葉より先に、拳が動く。

 喜一は感情のままに父を殴り倒した。

 息を荒げながら、叫ぶ。


「何もできずに老いて死ぬなんて、俺は嫌だ!」


 納屋へ走り、祖父の形見の刀を掴み、家を飛び出した。

 振り返らなかった。


 夜の海は暗かった。

 岸に繋がれていた小舟に乗り込み、櫂を握る。


(手習所で聞いた、中央大陸では今も戦があると。そこなら、自分の力を試せる)


 しばらく舟を漕ぐと、ポツリ、ポツリと雨が降る。

 次第に雨風は強くなり、波が荒れ始める。

 稲光が空を走り、唸り声を上げる。

 小舟が大きく揺れた。


「っ……!」


 高波が迫る。

 世界が持ち上がり、次の瞬間、裏返った。

 氷のような海水が全身を包む。


 息が止まる。

 上下が分からない。

 光が揺れ、砕け、暗闇に溶ける。

 必死に手足を掻くが重い、動かない。

 肺が焼ける。


 口を開いた瞬間、塩水が流れ込んだ。

 咳き込もうとして、さらに水を飲む。

 

(苦しい……冷たい……)


 それでも、刀だけは離さなかった。


(俺は……最強に……)


 泡がこぼれ、体が沈む。

 静寂、そして重たい闇。


(俺は……こんな所で終わるのか……)


 そして、喜一の意識は途切れた。

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