9話 シロ王もアヲも甘党
一人と二匹が通された王の間は、無駄に広く、ムダに豪華だった。
黄金と宝石で彩られ、鑑賞するために描かれたであろう王の肖像画は、飾られている天井があまりに高すぎてほとんどマメつぶのようにしか見えなかった。
壁際には、キャットウォークらしき装飾の豊かな柱がいくつも張り出しているのが見える。
身軽な猫ならば、いくらでも上まで登れるだろうから、この天井の高さは贅沢さの象徴という意味では正解なのかもしれない。
人間のナオトは、ただただ圧倒されて口を開けたまま周りをながめるばかりだった。
白赤猫のシオンは、ずっと下を向いて耳を寝かせ、極力怒られないように体の面積を小さくするかのようにこぢんまりと座っていた。細長いシッポは自分の安全領域を確保するかのように、足下にぐるりと巻き付けられている。
銀色猫アヲは力強くそれでいて冷静な声で、たんたんとシオンが他国人ナオトを連れてきた経緯を説明していた。
「いかがなされますか? 大変申し上げにくいのですが、王女といえども、今回ばかりは適切な処罰が必要かと……」
それを聞いていた真っ黒な姿をした猫の王様は、王座に仰々しく座っていた。猫の背丈と比べて五倍はあろうかというほどの大きな背もたれがついた豪勢な金細工の王座に、全体重をかけどっしりと座っている。
しばらくの間、シッポをタシタシさせながら、時々顔を前足で洗う余裕も見せつつ、何かを考えているようだった。
「まあ、よいではないか」
ふと思いついたように、後ろ足の毛並みを丹念に舐めはじめ、答えることすら面倒くさそうに言った。
オケツが丸見えになるその体勢では威厳の欠片もないうえに、あまりにでっぷりと太った体のせいで、ほとんど後ろ足に舌が届いていないという事実に、ナオトは笑いをこらえるのに必死だった。もちろん端から見れば、単なる無表情にしか見えないだろうが……。
「しかし、シロ王……」
——こんどは黒猫なのにシロなのか……。ほんとややこしい。
どうやら大変な事態は避けられそうだと思い始めたナオトは、どうでもいいことを考えたりしていた。
「さきほども緊急招集がかかりましたように、ここ最近、国のあちこちで不可解な出来事が起こっております。こんな大事な時期に、他国人を呼び寄せるなど言語道断! そうは思いませぬか!」
アヲは必死に訴えようとするが、黒猫のシロ王は何も答えなかった。
それどころか体を舐めるのをやめ、すぐ側の台座につまれた大量のバームクーヘンの一つを手に取るという暴挙に打って出た。
大きな口をあけて一口で食べきり、しばしの間もぐもぐと口を動かしていた。
「シロ王……そんなモノを食べている場合では……」
もぐもぐしていた王は、ようやくすべてを飲み込んでからアヲの方を見た。
「この『ばむーくーへん』は実にうまい。シオンが日本で見つけて土産として持ってきてくれた物じゃろう? こんなにうまい物をつくる国に、悪い者がおるとは思えんがな」
バームクーヘンの旨味が染みついているのか、シロ王は、名残惜しそうに前足を舐めつづけていた。
「シロ王! 食べ物を基準にして人の善悪を判断するのは、やめてくださいと前から何度もお願いして……! それと『ばむーくーへん』ではなくバームクーヘンです、それは!」
ようやく舐めるのをやめたシロ王は、アヲのほうをじっと見据えた。
「まぁ、よいではないか。だいたいそういうお前も、うまい、うまいとほめちぎって、ワシが止めるのも聞かずに食い過ぎて、昨日腹をこわしたばかりではないか」
「いえ、いや、その、そうではありますが……」
アヲの背中に(今そんなことを皆の前で言わなくても)という心の声が見えた気がした。
——キャラメルのことといい、アヲって以外に、甘党なのかな?
などと思いながら、ナオトは見て見ぬふりをしてあげた。
「うまい物を食べると、誰でも幸せな気持ちになるであろう? 幸せを生み出すうまい物を作れる者は、すばらしい才能を持っているとは思わぬか? それが出来る者が日本というところにはたくさんおるとシオンから聞いておる。そんな夢のような所から来た者が、なぜ、悪事をはたらかねばならんのだ? ワシの言っておることは何か間違っておるか?」
太陽のような一点の曇りもない王の笑顔に、アヲは何も言い返せなくなってしまった。
『おいしい物は人を幸せにするから、それを作る人は良い人だ』という論理は、かなりむちゃくちゃだが、感覚的に考えれば間違いではない気がするのが不思議な所だ。
——さすが、シオンの父親だな。考え方が良く似てる。
シオンの予測不可能な思考回路と、人の幸せを第一に願っている心の持ちようは、この父親であるシロ王から受け継いだモノのようだ。
「せっかく遠いところから来てくれたのだし、今日は、盛大にもてなしをしようではないか。アヲよ。早う皆に知らせてこんか」
しぶしぶながらも承諾したアヲは、敬礼をしてから出て行った。
「ふぉふぉふぉ。アヲは昔から、ちょっとばかし頭が固くての。真面目すぎるのが玉にキズじゃ」
シロ王は、シオンのほうをちらりと見た。
「ほれ、シオン。お前も、宴の手伝いをして参れ。せっかくじゃから、最近マイブームの納豆すぱげちぃとやらを作ってはどうじゃ?」
「よし、ワカった。手伝ってクル。ナオト、タノシミにしておれ」
ピョンと軽く飛び跳ねるようにシオンは部屋を出て行こうとした。
「あぁ、ちょ、ちょっと」
あわててシオンを引き留めようとしたナオトだったが、うっかりその手で掴んでしまったのは細長い真っ白なシッポだった。
「シッポを掴むなと言ってオロウが!」
「ご、ごめ……」
すべてを言い終わるまえに、超高速のネコパンチを食らい、ナオトは仰向けに倒れていた。
「シッポは大事な部位でアル。ムヤみに掴むのは無礼にアタる。以後、気をツケるようニナ」
忍者なみに、足音をたてずにシオンは素早く去っていった。
——うぅ……言えなかった。納豆が嫌いだって……。
ナオトは、いろんな意味で落ち込んだ。
「なんじゃ。もしかして、ナオトは納豆がだめなのか?」
びっくりしてシロ王を見た。
真っ黒で細長いシッポがリズムを刻むように、タシタシと床を叩いている。
「ダメなモノはダメと言わんと、後で困るぞ。とくに、食い物の恨みは怖いと言うしのぉ」
何も言い返せない。
たっぷたぷな体をしていても、さすがに王様をやっているだけのことはある。
観察眼は相当なモノだ。
「今の様子を見るかぎりでは……ナオトは、ずーっとシオンの尻に敷かれそうじゃのぉ。で、どうなんじゃ、本当のところは」
「どう……って?」
「とぼけるでない。シオンとはどこまでの関係じゃ?」
ニヤニヤとしながら、また前足を舐めだした。
「どこって……そんな、なにもありませんよ!」
「またまた、そのような。いくら親とはいえ、そういうことには寛大なつもりじゃよ。何を聞いても怒らぬから、包み隠さずいいなさいよ」
「だから……本当に何も……」
ふと、ナオトの脳裏に、シオンに抱きすくめられた瞬間が思い出された。
一瞬で頭がカッとのぼせ、真っ赤になった。
けれど、それと同時に鼻の穴に指をつっこんだ衝撃映像も一緒に思い出されて、つい吹き出しそうになってしまった。
さすがのナオトもこの時ばかりは、いつもの無表情というわけにはいかなかった。慌てて口に手をやり無表情を装う。
「なんじゃ、やっと思い出したのか? 急に赤くなったり思い出し笑いをしてしまうほど、そんなに楽しいことをしたのか? えぇのぉ。若いもんはイヤラしくてのぉ」
「だ、だから、違いますって!」
あわてて弁解しようとシロ王に近づこうとした瞬間だった。
今まで死角になっていた壁に人影のようなモノが立っているのが目に入った。
「だ、だれ?」