20話 奪われたコトノハ
ナオトの思考は停止した。
——何も考えられない。
——意味が分からない。
——ボクが殺した?
——二回も母さんを?
——ボクのせいで、母さんは永遠に帰ってこない……?
放心状態のナオトをよそに、分身は左手をナオトの体に無造作につっこんだ。
『ヒダリテ』の文字を奪い取り、またしても一口で飲み干した。
ナオトの両腕は、もうほとんど色が無くなり、制御する力も失ってしまった。
〈お前の二度にわたる殺害の代償として、このオレ様がこの世界に不完全な形で産み落とされることになったわけだ〉
分身の声が次第に力を帯びてくる。頭の中で響くようなぼんやりとした声から、目の前の分身から発せられている確かな声となっていく。
〈最初は何もできなかった。当たり前だ。体すら無いんだからな。ただじっとして、風に吹かれ、徐々に消滅するのを待つしかなかった〉
両腕だけが色を帯びている不気味な物体は高らかに笑った。
そのままの勢いで両腕をナオトの体に突き刺した。
〈だが、オレは死ぬことすらできなかった。ただただ、無駄に過ぎる時間。何もできず、誰にも必要とされず、世界に必要とされずにただ存在するだけ。それがどれだけ虚しいか、お前にわかるか? オレはずっと存在していた。自分の意志ではなく、お前に捨てられたという不可抗力な事実のせいでな〉
分身が強引に抜き取ると、それぞれの手には『ミギアシ』『ヒダリアシ』と書かれたコトノハが握られていた。
「うわぁぁぁっ!」
その瞬間、体を支えていた黒い霧の縄がほどけ、ナオトはひざを折られたかのように、その場に崩れ落ちた。
まるでだるま落としのように、頭と胴体だけが地面に垂直に落ちた。
下敷きになった両足は動かない。
二度と立つことはできなかった。
〈生きているのに、死んでいる。そんな無機質な毎日に、ある日奇跡が起こった。空曜日に偶然目の前に、銀細工の懐中時計が空から落ちてきたんだ。なぜだかわからないが、オレはその懐中時計の鏡の中に吸い込まれていった。おかげでなんとか鏡の中でだけ黒い体のようなモノを保つことができるようになった。でもな、それと同時に永遠に続く無の世界に閉じこめられることにもなったんだ〉
分身は『ミギアシ』『ヒダリアシ』と記された二つのコトノハを一気に飲み込む。
ナオトの両足から徐々に色が消え、分身に色が移る。
胴体と頭だけが地面に転がっているナオトと、両手足だけが色づき動いている分身が向き合う姿は、非現実的でシュールとしかいいようがなかった。
〈もう終わりだと思ったさ。でもな、そんな時、そこのシオンというバカ女がエクセレントなことをしてくれたのさ。オレの入っている懐中時計を拾って、弟のグレイにプレゼントするっていう素敵なことをな〉
ナオトは驚いたように目の玉だけを動かしてシオンを見た。
シオンは険しい顔つきで分身を睨み付けている。
〈グレイという奴は本当にすばらしいよ。毎日毎日グチグチぐちぐちと恨み辛みを鏡に向かって言い続けてるんだ。強い怨念のこもったコトノハを垂れ流し続けてくれたのさ。おかげで、負のエネルギーを秘めたコトノハの力が蓄積されて、オレ様にどんどん力を与えてくれた。そりゃそうだ。だってグレイはナオトを憎んでいたんだから。自分が生きるためにオレ様を見捨てたくせに、自分だけのうのうと生きているクソ野郎が大嫌いなのはオレも一緒だ。志が同じモノなら、共振するのも当然だろう〉
かがみ込むようにして分身は、ナオトの首に右手をかけた。
そのまま左手を体にぶち込み『ドウタイ』のコトノハを搾り取った後、手を放した。
「ぐわっっ!」
胴体が透明になると同時に、上にのっていた頭だけがストンと地面に転がり落ちた。
分身は地面すれすれまでナオトの顔に近寄り、わざと見せつけるかのように『ドウタイ』のコトノハを飲み込んだ。
ナオトに残された色は頭と顔だけになった。
〈おかげでこうしてグレイも鏡に引き入れて、鏡がある場所なら自由に外に出ることができるまでに力をつけることができた。他の空曜日の住人を使って、いろいろ破壊工作の予行練習もできるようになったしね。本当に感謝しているよ。シオンのバカ王女様〉
シオンはつかみかかりたい衝動を抑えるのに必死のようだ。
もし殴りつけたとしても、ダメージを受けるのはナオト自身なのだ。
どうしようもなかった。
〈お礼にちょっとしたプレゼントでもさせてもらおうか〉
分身はシオンの頭に右手をかざした。
「うぅっ……ヤメろっ!」
頭を抱えて抵抗しようとするが、分身の右手には『イヤナオモイデ』と書かれたコトノハが煙のように吸い寄せられていった。
〈バカ王女の本当の正体とやらを、ナオトにもぜひ死ぬ前に知っておいてもらいたいからね〉
分身が『イヤナオモイデ』を握りつぶすと、辺りは闇に覆われ、ナオトは夢を見ているような感覚に襲われた。




