第一依頼者 脅える兄ちゃんとその彼女(?)と大男+α
「お前かよ、最近ここらで有名になってるっていう〈頼まれ屋〉っていうのはよぉ」
急にそんな声が頭の上から降ってきた。何やらドスを利かそうとしているのだが、うまくいかず、素人っぽい感じになっており、逆にどこかコミカルな感じがしてしまうような口調であった。
「えっ!? あっ! あぁ……はい、そうです」
どうやら眠ってしまっていたらしい。
随分前の夢を見たな……
脳を起こすように頭を左右に振る。
「俺、いや私が〈頼まれ屋〉の逢坂真葛です」
眠い目を擦りながら座っていたコンクリートの階段から重い腰を上げると、丁寧に頭を下げる。
しかし、相手はその言葉を聞いても訝しげな視線を向けるだけで、何も言わない。仕方ないので、真葛は懐から自前の名刺を取り出すと、相手に渡した。
「そうかい。んならちょっと頼まれて欲しいんだけど」
どうやら納得してくれたようだが、態度が少し変わっていた。
先程は少し怯えが見えていた金髪のギャル男だったが、真葛の姿を見ると、しっかりとした(?)鷹揚な態度に変わっていた。
それもそうであろう。
肩までかかりそうな癖っ毛に黒縁眼鏡、その中にある顔はどうにも冴えない顔、体型も中肉中背で、完全にクラスの隅でボソッと何か面白いことを言うが、いつもは影の薄い存在という感じであった。少し変わったところと言えば、妙に細長い手足だろうか。
「わかりました、お話を聞きましょう」
そう言うと、目の前のギャル男は、しょうがねぇな、といった感じで話し始める。
それなら自分でやれって言うの!
とは言葉に出さない。
「あれは先週ぐらいだったかな……」
と話し始めたが、所々にそのときの感想や感情の動きについて、果てはそのとき、食ったコンビニのおにぎりの中身や味の感想に至るまで多種多様さまざまな無駄なことばかり言うので、全て聞き終わるのに二時間近くかかってしまった。一応、言っておくと、そのとき食べたおにぎりの具は明太梅チキン&シーチキンマヨネーズwith韓国のりというはちゃめちゃな物で、感想としては何でも入れればいいってもんじゃない、だそうだ。
「ということだから。わかったかよ」
「はい……だい、じょうぶ、です」
一日の体力の大半を使い果たし、やっとのことで話を聞き終えると、真葛は依頼者であるショウというギャル男の携帯番号を控えた後、
「わかりました。探してみます」
と言うと、ショウは「よろしくな」と言って、人波に消えていった。
今回の依頼をかいつまんで言うと、付き合っていた女が金を持って逃げだしたらしく、探して欲しいとのことであった。
こう言えば、数秒で終わるのに。
はぁ、と心中で呟きながらも行動を開始する。
♢
あの日からすぐに真葛は行動をした。
なぜ何でも屋もとい〈頼まれ屋〉をしたのか、実はよくわからない。あのとき、真葛は非日常を求めていたのかもしれない。そのとき、世界は現実的であるが、非日常の広がるその世界に憧れ、そしてそこに真葛の自由はあるのだと思ってしまった。
そして、身一つで繁華街に〈頼まれ屋 頼まれたことなら何でもやります〉ということを書いた段ボール一切れを持って、街中に立った。
最初は、自由になりたいと言いながらも昼間は学校に通い、夜に繁華街で
〈頼まれ屋〉をやっていた。
そのせいか仕事もほとんどなく、あってもゴミ拾いや片付けなどで、依頼の数よりもヤクザや不良、あるいは官憲の手先たちに追われる数の方が多かった。
そして、高校卒業。ほとんど勉強をしていなかった真葛はそのまま〈頼まれ屋〉を職業にした。
その頃からであろうか。
ゴミ拾いや片付けはもちろんのことだが、時々、殴られ役や運び役あるいは相談役などといった仕事も頼まれるようになってきた。
すると、そこから芋づる式に客が多くなり、〈頼まれ屋〉を始めてから一年ちょっとで巷では有名になっており、今回のように本来、真葛が話すこともないような人からも仕事を頼まれるようになっていた。そのうえ、最近ではヤクザや官憲も相手にするのが面倒になったのか、お目こぼしをしてもらっている次第であった。
調べるか。
と言っても、ショウが探しているという女がどこにいるかはほとんどわかっていた。
確か駅からそう遠くないマンションに住んでるミカミミカっていう人の家にいるって言ってたかな?
ショウがそう言っていた。ミとカだけで構成された名前を脳内に映し出す。
わかってるなら自分で行けって。
そう思ってしまう真葛であったが、ショウは「仕事があって忙しいんだよ」と言うだけ。何だかその瞳には恐れが秘められていた気がしたが、特に気に留めることはせず、疲労にかまけて聞こうともしなかった。
とぼとぼと歩き続けること一時間近く。目的のマンションにやっと辿り着いた。
「はぁ、疲れた」
腰を折り、痛む太ももを揉む。
「えっーと……」
少し疲れが取れたところでマンションの入り口にある戸別の郵便受けの集まる場所で名前を探してみる。
ミカミ、ミカミ、ミカミ……
心中でその名前を連呼しながら一〇一号室から見ていった。
『三上美香』
三〇三号室の郵便受けにそう書いてあった。
本当にあったよ……
真葛としてはミカミミカという名前を聞いても、何十戸もある部屋の中から探すのは、一苦労だと思っていた。最近は物騒だとか言って、表札も掲げない家もあるのだからマンションのそれも郵便受けに名前を掲げている家などあるはずがないと思っていたのだが、彼女はしっかりと掲げてしまっていた。不用心この上ない。
物騒だな……ん?
三上美香の下にもう一つ名前が載っていた。
『三上美香・永見翔』
ん? この字は……カケル? あるいは……
何となくわかったような気がしたが、真葛はその考えを振り払うことにした。
実際は中央寄りに永見翔という名があり、その上に無理矢理三上美香という名前が付け加えられているように見えたが、それも見なかったことにした。
偶然。うん、偶然だね。
そう念じ続けながらエレベーターに乗り、三〇三号室へと向かった。
チャイムに手を伸ばし、一思いに押す。
ピンポーン。
軽快な音が空に響く。
三〇三号室の扉の前。真葛は深呼吸を一つした後に、
「すいませーん、美香さんいらっしゃいますか?」
中に聞こえるように大きな声で呼んでみた。
ショウは金を持ち出していった女の名前を言わず、その女の知り合いが三上美香だと言っていたが、おそらくいや絶対、同一人物であろうことは郵便受けを見てから察していた。
「いらっしゃいますか?」
もう一度、呼んでみる。
いないのかな?
見える筈がないのだが、何となく覗き穴を覗いてみた。と同時に、
「ショウさんの……」
依頼で、と言おうとしたが、言い切る前にいきなり開け放たれたドアに遮られてしまった。
「うべほっ!?」
「ショウ!?」
そのうえ、そのドアは見事に真葛の顔面全てを満面なく潰してくれたために真葛は奇声を上げてしまった。
「ショウ! ショウ! どこにいるの、ショウ!」
痛みに苦悶の表情を浮かべる真葛を尻目に美香と思われる女性はショウの姿を探すように周囲をキョロキョロと見回している。
「ねぇっ! どこにいるの、ショウは! どこ、どこ、どこ!」
ガシッと真葛の肩を掴むと、前後に揺さぶり始める。
どこ、どこ、ドこ、ドこ――
高速で揺さぶられ続け、だんだんと目眩がしてきた。
ドコドコドコ――
何だかその声が祭りか何かの太鼓の音のように聞こえてきてしまう。
ヤバいかも……
太鼓の音が真葛の気分をより一層悪化させる。
「ちょっ、ちょっと……待って……」
吐き気がしてきた。
どうにか止めようとしたが、聞き入れてくれない。ただただ「ショウはどこ?」と言い続けるだけ。
ヤバい!?
「おっ、うぉえ」
ブツは出てこなかったが、嘔吐く。
「いやっ!?」
揺さぶっておきながら嘔吐き始めた真葛から美香は嫌がるように離れる。
それって何なんだよ……
嫌がる美香に少し苛立ちを覚えながら真葛は深呼吸を何度かして息を整える。それをゴミでも見るかのような視線でジッと警戒しながら美香は見てくる。誰のせいだと思っているのだろうか。同じことやってやろうか。
「ふぅ」
少しは気持ちがよくなってきた。
よしっ。
「あの、ショウさんの依頼で……」
がしっ。
襟を掴まれる。恐怖が蘇る。
またかい……
「ショウはどこ? ショウはどこにいるの、ねぇ!」
そして、再びめくるめく高速のメリーゴーランド。ただし廻るのではなく、前後のみ動くだけだが。たしかこういうアトラクションをバイキングとか何とか言うんじゃなかったか。まぁ、どうでもいいけど。
「やめ、やめて、やめてください!」
無情にも美香は機械的に真葛を揺さぶり続けながらショウの名を叫ぶだけであった。
三〇分後。
「うぉぉぉえぇぇぇ」
「大丈夫?」
やっと落ち着いてくれた美香にどうにか説明をすると、我慢できずに真葛はトイレを借りて一思いに出した。
「え、えぇ、落ち着きました」
水でうがいをして、口内を少しは綺麗にすると、2LDKの結構な広さの部屋のリビングで座る美香の前に立つ。「どうぞ」と座るように勧められたが、長居をするつもりはないので丁重に断った。
「それでショウさんからの依頼なんですけど」
「はい」
しっかりと真葛の目を見ながら気持ちいいぐらいの返事をする。
「お金を返して欲しいとのことなんですが」
「返しません」
速かった。お金……と言ったぐらいで美香の口はかの字を紡ぎだそうと動いていたに違いない。
「ショウさんは自分のお金をあなたが勝手に持って行ってしまったと言っていますので素直に返してくれませんか?」
聞けば必ず拒否されるとわかっていても真葛はもう一度、丁寧に尋ねる。
「嫌です」
かなり強情のようである。
「ショウ自身が来ればいいじゃないですか」
ムスッとした顔で美香はそう言う。
よくよく見てみれば結構、可愛らしい顔であった。丸顔だが、大きくはなく、その中にこれまた丸い瞳に丸い唇、ウェーブのかかった髪の毛が肩まで伸びている。身体も全体的に丸みを帯びているので、何となく優しく、守ってあげたい印象を受けるが、先程の経験から真葛は騙されない。
そう言われても……
「何かと忙しいようで」
おそらく理由は別にあるだろうが。一応、上辺だけの理由を述べておく。
「私に会いたくないだけじゃないですか」
正解。
カツアキのように指パッチンをしたい気分であったが、それ以上に美香の
勘が鋭さに真葛は少したじろいでしまった。
「やっぱり」
それを見逃さなかった美香が頷く。
鋭過ぎる女性というのも考えものだな、とふと思ってしまう真葛だった。
「どこにいるんですか、ショウは」
ガバッとテーブルに両手をつくと、身を乗り出して聞いてくる。
「いや、本当に忙しいみたいで……」
思わず身を引いてしまった。
「まさかこの前の人に追われているのかも……もしかしたら! もう捕まってしまって暴力を振るわれてるかも!」
急に身を引くと、両手を合わせ、心配そうに美香は言う。
「だからそんな遠まわしに私との繋がりを……」
いやいや、そんな都合のよい解釈なわけが。
否定の意味で手の平を振りたくなったが、〈頼まれ屋〉としてそれはやめておくことにした。一応は依頼で来ているのだからしっかりとしなくてはならないという気持ちが理性に力を与えてくれていた。
しかし、コロコロとよく変わる顔だなぁ。
出会ってから一時間近く、切羽詰まった表象から嫌な表情、疑る表情に突き刺すような表情、そして心配そうな表情と結構なレパートリーを見てしまったような気がする。
でも、この前の人って……
美香の言っていた言葉の中に現れたそんな単語が気になってしまう。
「この前の人っていうのは?」
聞いてしまった。すぐに余計なことをしてしまったと後悔するが、後の祭りであった。
「この前の人って言うのはね! その言葉通り、この前、ショウと一緒にいるときに会った人なんだけど……」
話す相手を見つけて、嬉しそうな表情を浮かべ、美香は話し始める。やは
りよく変わる。というかその前説いらないから。
♢
「ねぇ、ショウ待ってよ」
「いや、待たないから」
そそくさと人の波をうまくかわしながら歩いてくショウ。その後を美香は
その波に揉まれながらついていく。
見失わないようにするが、騒々しい人波は激しく波打ち、ショウの姿を飲み込んでいってしまう。
「ショウ! ちょっと……」
掻き分ける人たちから無遠慮な視線を受けながらも美香はどうにか追いつこうと身体全体を使って、波に逆らう。
「もう! ちょっと!」
周囲に文句を言っていると、急に視界からショウの姿がなくなった。慌てて視線を左右に動かすと、人の波から外れ、脇道に入っていくショウの影を見つけた。美香も後を追うことにする。
「待ってよ、ショウ」
「いや、ついてくんなって」
そう言いながらショウはどんどん先に進んでいってしまう。その後を美香は無理に人を分けて、追った。
♢
「ホントにショウったらいけずなんだから」
頬を赤らめながら美香はそんなことを言う。そのときの気持ちを思い出したのであろうが、その瞳は真実とはほど遠い幻想ばかりを見つめているように思えた。
いや、完全に嫌がってるでしょ……
嘆息しながらそう思うが、口には絶対出せなかった。いや、出してはいけない。おそらくまた揺さぶられるだろうし、最悪、咽喉に手が伸びてくる恐れもある。まだこの世界を見ていたいのならば黙っていることが一番大事なことである。
そういう感じか……
今、やっとショウと美香の関係がわかった気がした。
簡単に言えば、歪な関係というものか。
そんな真葛の思いも知らずに美香は話を続ける。
「それでね……」
♢
脇道に入ると、先程とは打って変わって人っ子一人おらず、先を進むショウの背中だけが見えた。
「待って」
その姿を確認した美香はその背中を目指して走り出した。
ドン。
急に視界が暗くなった。
「痛い!」
急にショウが止まったので、美香は止まることができず、背中に思いっきりぶつかってしまった。
「どうしたの、ショウ?」
思わず尻餅をついてしまった美香は立ち上がると、スカートの裾を払った。
しかし、ショウから答えは返ってこない。
「おい、ショウさんよ。探したぜ」
代わりに暗がりからそんな時代錯誤な台詞が聞こえてきた。
「な、何ですか?」
恐怖に引き攣る表情と震える声。ショウは呆然と立ち尽くしたまま声のし
た方を見つめていた。
「何ですかはないだろ、なぁ、ショウさんよ」
「誰?」
ズイッと闇から姿を現した背の高い男を見て尋ねる美香。しかし、その問いにショウは何も答えない。
「あれ? 彼女さんか?」
ショウの身体に隠れるようにいた美香を覗きこむように大男が聞いてきた。
「彼女さんは知ってるわけ?」
黒いサングラスがちらりと美香を見た後、ショウに視線を突きさす。絵に描いたようなヤクザ風な男であった。
「な、何を……」
「あれ? まだしらばっくれるわけかい。図太い奴だなぁ、お前さんは」
男がショウの襟首を掴もうと手を伸ばす。ショウは無様に「あぁぁ」と嫌がる素振りを見せるだけで、何か反撃をしようとも思っていないらしい。
ショウだけは。
バシッ!
「何だこのアマ!」
美香はその手を叩いた。キッと男が美香を睨む。
「触らないでください」
と言うと、今度は何の躊躇いもなしに男の頬に平手打ちをかます。
「この糞……グハァ!?」
掴みかかろうとしてきた男に今度は右ローキック。ハイヒールを履いているはずなのだが、その蹴りは見事に男の脇腹にめり込んだ。誰が見ても絶賛するであろう、うまく重心の乗ったいい蹴りであった。
「やめてください」
冷たい声で言い放ちながら返す刀でくの字に曲がった男の腹に左足でのフロントキック。これまたお見事としか言えないものであった。
「オグェ!?」
「やめてください」
その足をそのまま上に持っていくと、スカートの中が見えるのも構わず、とは言っても男の方は見る暇もなかったが、天を突くように真っ直ぐ左足を上げると、思いっきり踵を落とした。
「ガホォエッ!?」
その言葉を最後に男はコンクリートの上に伸びた。その隣には冷めた視線を倒れる男に向ける美香の姿だけがいた。
その一連の動作は流れるようで、見る者はもちろんのこと、やられた相手に対しても感嘆の情を引き起こさせるほどのものであった。さながら北欧のファンタジーに出てくる戦乙女であろうか。
♢
「怖かった……」
そのときのことを思い出したのか、美香は自分の胸をかき抱くように両手を交差させると、恐怖に顔を顰めた。
いや、キミの方が怖いから。
その姿を想像してしまった真葛は自然と身体が震えた。
悪魔だわ……ご愁傷様です……
犠牲となった男の無事を祈るように手を合わせる。
「で、周りを見たらショウったらどこかに行っちゃって……だからここにお金を取りに来れないのよ」
と、断言する。
それはまた都合のよい……
呆れた表情で美香の方を見る。当の本人は「大丈夫かしら」と呟きながら本当に心配そうな表情を浮かべている。
こりゃ、だめかな。
ポリポリと頭をかく。すると、どこかにいる筈であろうショウの姿を探すようにキョロキョロと動かしていた美香の視線が再び真葛の方へと向けられたと思ったら丸い唇が動き始めた。
「だ・か・ら!」
パッとまた美香の表情が変わる。
ホントに大変だな。
「ショウが本当に頼みたかったことを私があなた……ええと……」
「逢坂ですが……」
「そう! 逢坂さんに頼むわ!」
急展開。
何となく流れで名前を伝えることはできたが、その後がいきなりのことで真葛は対応しきれなかった。
その場から立ち上がると、美香はビシッと人差し指を真葛に向ける。何だ
か探偵が真犯人を見つけたかのようなシーンであった。一応、言っておくと、目立った犯罪はおそらくやっていないので、犯人として名指しされることは至って心外である。
なんですか、これ?
もう呆れるしかなかった。
「その男に話をつけてもらって!」
と言うと、早く早くと言いながら真葛をまるで埃を外に出すかのように部
屋から追い立てた。
心に傷が増えてくる……
「あっ、はい、はい」
下手なことをしたら先程の話に出てきた男と同じ運命を辿るような気がしたので、真葛はそれに素直に従うしかなかった。
「じゃあよろしくね!」
と、扉の隙間から笑顔でそう言うと、バタンと扉を閉めてしまった。
怖いわ……
心の奥に潜む鋭利な影などないのではないかと思わせる気持ちいいくらいの笑顔であったが、自覚はしていないと思うが、本人から真実が語られてしまうと、その笑顔はただただ有無を言わせぬ表情であった。
「しょうがない……」
取り付く島がないというのはこういうことを言うのであろう。
何の情報もなしに探せって……どうしろって言うんだよ……
はぁ、と溜め息をつくと、肩を落としながらいつもの場所へと戻ることにした。
どうにかするか……
♢
「どうにもならんね……」
いつもの場所で看板を掲げながら考えたが、美香の依頼をこなす糸口が全然見つからなかった。ただただ時間と人の波だけが目の前を通り過ぎていくだけ。
やっぱり情報が少な過ぎるな……
美香の話から考えると、背の高い人で黒スーツ、黒のサングラスに何とな
くヤクザ臭い人だということしかわからなかった。
こういうときになぁ。
いつもならこういうときにこの街の情報屋に聞く真葛であったのだが、残念ながらそれができなかった。
金がないなんて……
一つの情報につき、いくらいくらと情報には当然のように金がかかり、仕事が増えたとは言ってもいろいろと出費、特に最近はそれこそその情報料のせいで、真葛の懐具合は火の車で、生活するために最小限必要な金しか持っておらず、現状ではそちらに回す金がなかった。
安くしてくれないかな、深雪さん。
この街の情報屋である深雪の艶やかな姿を思い出す。真葛の豊富な妄想力が創り出すその顔には艶然とした表情を浮かべながらもダメと書いてあった。
駄目ですか……
「すんません」
頭を抱える真葛の上からそんな声が降ってきた。
しかし、思い悩む真葛には聞こえていなかったようで、八方塞がりのこの状況にただただ嘆息するだけに集中していた。
「おい、聞いてるんかい、兄ちゃん?」
ガシッと肩を掴まれた。
「痛っ!?」
痛みに真葛はパッと顔を上げた。
「あっ! 依頼ですか?」
コンクリートに座る真葛に覆い被さるように立つ男に慌てて商売顔に戻るが、少し遅かったようである。
「お前か、〈頼まれ屋〉って言うんわ」
不機嫌そうに男が聞いてくる。
失敗したな、と思いながら笑顔を崩さず、真葛は「はい、そうです」と頷
く。天辺に昇った太陽の光で姿はよく見えないが、背が高いらしい。
「頼まれて欲しいことがあるんだけど」
キラリと黒いサングラスが光る。
あれ?
ふと、その姿が脳内に作り出していた姿にかぶる。確認しようと立ち上がろうとするが、それは男に抑えられてしまった。
「立たんでいいから座ったままで聞いてくれ」
「は、はぁ……」
逆光に目を瞬きながら真葛は頷く。
「男から金を取り返してきて欲しいんだ」
どこかで聞いたような話であった。
「お金……」
「黙って聞けや」
その言葉に真葛は黙って頷く。
「組、いやウチに相当な金があったんだ。重要な金でな、預かってたんだ」
徐々に声色が厳しく、鋭くなってくる。
「ちゃんとしっかり守らんといけなかったんだ。でもな、それを、それをな、あの、あのふざけたガキが、盗んでいきやがってぇぇぇ!」
ダンと勢いよく地面を踏みつける。
それに恥ずかしながら真葛はビクンと反応してしまった。羞恥心から少し顔を赤く染める。
すると、それを見た男がニヤッと口元を歪めながらも「すまんな」と謝ってきた。
面白がってるな。
「あれは俺がちゃんと持ってないといけなかったんだからな。見つけ出さねぇと」
男は手刀のような形にした右手を首に持っていく。
「飛んじまうわ」
シュッと男から見て、左から右へと手首から上だけを動かす。
うっ……
何が飛ぶかは考えたくなかった。
「だから頼むわ」
今までの真剣な表情から一変、豪快な笑顔となると、男はその金を持っていったという男の姿形と名前を告げた。
「わかりました、できるだけ探してみます」
「おぅ、よろしくな。あ、あと、俺の名前はリョウだから覚えておけよ」
フルフルと手を軽く動かすと、面倒臭そうにリョウは人の波の中に消えていった。
その男の特徴って……
髪の色は金髪。
全体的にチャラチャラしている。
今時の若者。
もうここら辺でその目的の人物が誰だかをわかっていたが、その次の情報は決定的だった。
名前はショウと言う。
完全に奴じゃないか!
誰かに突っ込みたくなってしまった。思いっきり誰かの腹部あるいは頭部をパチンと叩きたい。随分、気持ちのよいものになるだろうに。
それにリョウって人も……
背が高く、黒のサングラスに黒のスーツ、全体的な雰囲気と時折、漏れ聞こえてきた言葉からヤクザ風な感じ。
想像通りだわ。
美香が言っていた人と完全一致。
こんな偶然ってあるのか?
何だか寒気がしてきてしまった。
話が出来過ぎてる。誰だこの脚本を書いた素人作家は?
真葛は目に見えない誰かさんに先程の気持ちを乗せて、叩きたくなってきてしまった。
ノリでほっ、ほっ、とツッコミの練習をしていると、
「大変そうだな、真葛」
と言う声と共にポンと肩を叩かれた。
「何ですか、夙さん」
真葛にはその声の主が誰かなど振り向かずともわかったので、練習を続ける。
「何ですかとは酷い言い草だな」
黒のワンピースに黒の帽子という夢にでも出てきそうな魔女ルックで現れたのは年齢、職業不詳の夙さんであった。夏でもその姿だというのだから感心ものである。そして、魔女ルックに包まれたその姿は綺麗で、クールビューティーと言うべき存在であった。
ただ、残念なところが一つ。
頭に被っている帽子がキャップなのである。
キャップ……
いつもそれを見て、真葛はなぜだか悔しくなってしまう。
キャップって……
と思っていても真葛は口に出さない。以前に言い出そうとしたら鋭い目で制されてからやめておこうと決めている。
「久しぶりに面倒事そうだな?」
「大丈夫ですよ」
ゆらりと隣に座る夙に顔を向けずに真葛は答える。夙に当たったら事なのでツッコミの練習は終いにしておく。
絶対、面白そうだからって関わらせろとか言うんだろうな。
「面白そうだな」
「駄目です」
やっぱり言った。
普段、何を考えているのかわからないが、こういうときだけは真葛でも夙が何を言おうとしているのかわかる。
「まだ何も言っていないのに拒否をするなんて……真葛は私のことを知り尽くしているのだな」
とおそらく恥ずかしそうに微笑を向ける。おそらくと付いたのはその微笑が普通のものより温度的に何度か低めな印象を受けたからである。
「いや、その感情はたぶん妄想ですから」
早めに正しておくことが重要だ。別に真葛としては夙が本当にそう思っているとは考えていない。考えていないのだが、美香の例があるので一応は否定しておかなければ後々大変なことになってからでは遅いのでそうしているだけである。真葛自身、自分に魅力はないと思っているが、万が一あるかもしれないから。
必死だな、自分……
「早いな」
感心したように夙が頷く。
「やはり真葛は……」
「ハイハイ……そうですね」
普段はいろいろと夙の妄想に乗っかってあげている真葛だが、今はいろいろと面倒なことになっているので、相手にしていられなかった。
「冷たいな」
ムスッとした表情でこちらを睨んでくる。と思ったら「どうだ可愛いだろ?」と聞いてくる。
「いやいや可愛くないですから。何を言っているんですか、あなたは」
「欲情しないのか?」
「そんなことはしませんし、そんなことを女性が言わないでください」
切なる願いであったが、「それは男女差別……か?」と言ってきたので、真葛は「ではないです。貞操の問題です」とだけ伝えておくことにした。
「で、この後はどうするのだ?」
ついてくる気満々で夙が尋ねてくる。
何なんだよ、この人は。
初めて会ったとき、そのときは夙がいろいろと問題に巻き込まれ、その事態の収拾を真葛に頼んできた依頼者だった、からこんな感じで、そのまま、言い方が悪いが、懐かれてしまった。
こんな美人に纏わりつかれ満更でもなかったが、それと同時に言い知れぬ不安があったので、以前に何でこんな、自分で言うのは何だが、冴えない俺
に関わってくるんですか、と聞いたことがあった。
すると、夙は「何となく真葛は面白いから」という答えが返ってきた。別に真葛はTVに出てくるお笑い芸人のように面白いことは言えないのでそれはどういうことだと思い、「じゃあどこが面白い?」と立て続けに聞くと、
「あのときに、な」と返してきた。続けてあのときって、どのときですかと聞こうとしたら夙は急に立ち上がり、帰ってしまったのでそのままその答えは有耶無耶になってしまった。真葛としては聞きたかったが、何だか面倒になってきたので今では特に気にしていなかった。
会った日に何かあったかな?
ふと、そのときのことを思い出し、真葛は首を傾げるが、昨日のことすら忘れてしまうので、二、三年前のことなど覚えている筈もなかった。
まぁ、いいか。
ここで頭を切り替える。
「よしっ」
真葛は気合を入れると、パシンと夙のキャップのつばを指で弾き、立ちあがった。
「何をするのだ、真葛」
少し不機嫌そうな口調ではあったが、その表情はなぜか薄らと綻んでいるように見えたのは真葛の気のせいか。
「まぁ、何とかするさ」
真葛は陰ってきた陽を睨みつけながらポケットから携帯電話を取り出した。
♢
「えー、お集まりの皆さまこんにちは。いやこんな時間だとこんばんわ、かな?」
夕闇迫った公園。
高いビルたちの中にひっそりと存在するその公園には本来使用すべき子どもたちはおらず、青年たちがたむろしていた。
「何でこいつらがいるんだよ!」
ギャル男が女性と中年を交互に指して、奇声を上げる。
「おい、話が違うだろ!」
大男が女性を指して、叱声を出す。
「ちょっと! 何でこいつがいるわけ?」
女性が大男を指して、金切り声を立てる。
「まぁまぁ、人それぞれ意見はあると思いますが、落ち着いてください」
真葛は三人、今にも逃げようとするショウと前にやられた記憶から顔を引きつかせるリョウ、それにリョウに噛み付きながらショウに抱きつこうとする美香、をどうにか宥めようとする。
「えー、落ち着いたところで少しおさらいを」
クイッと格好をつけて眼鏡を持ち上げるが、不評のようで美香から一言
「寒い」と言われてしまった。
「んっ、うん!」
その言葉で傷付いた心をなかったことだと無視して、咽喉を鳴らし、仕切り直す。
「では、お話をさせていただきますよ」
と言うと、睨みあう三人に近付くように一歩踏み出す。
「まずショウさんから私は依頼を受けました。金を持ち逃げした女性からお金を取り返してきて欲しい、と」
ですよね、と視線でショウに尋ねる。
「あぁ、そうだ」
「その金……!」
「まぁ、お待ちくださいリョウさん」
ショウに飛びかかろうとしたリョウを言葉で引き止める。
危ない、危ない。
踏み止まってくれたリョウに感謝しながら話を続ける。
「そして、私がその女性宅に行くと、あなた、美香さんがいらっしゃり、そのお金を返して欲しいと言うと、嫌だと答え、それよりもショウさんのことを追いかける大男を追っ払って欲しい、と頼まれましたね」
美香に視線を向ける。
「そうよ!」
美香はずっとリョウに殺気を乗せた視線を送り続けている。
それに対して、リョウはそっぽを向いて、知らん顔をしていた。だいぶあのことが堪えているようであった。
「それで、今度はリョウさん、あなたがやってきて、自分の金を持ち逃げした男を捕まえてきて欲しい、と頼んできました」
なぜ真葛のところに来たのか、そのことは聞かなかったが、おそらく金庫番だったリョウは結構な額の金を持ち歩いていたところをショウに取られたのであろう。それで、その金を持ち歩いていたこととそれを取られてしまったということがバレるのを恐れて、一介の〈頼まれ屋〉如き真葛に頼んだというのが真実であろう。
「あぁ、そうだ」
イラついた感じでリョウは答える。組んだ腕の上で忙しなく指が肌を叩き続けていた。
「じゃあ簡単じゃないですか!」
できるだけ明るい声を出し、真葛はパンと両手を叩く。静かな街中によく響く。
「「「何が?」」」
三人が同時に言う。
ショウは焦るように、リョウは訝しげに、美香はつまらなそうに。
「ショウさんはお金が欲しい」
パチンと指を鳴らし、ショウを指差す。
「美香さんはショウさんを追うリョウさんを追っ払って欲しい」
同じように美香にも。
「リョウさんはショウさんに取られたお金を返して欲しい」
同じくリョウにも。
「……ですよね?」
全体を見て、三人に問いかける。
「そうよ!」
美香が答える。
「まぁ、そうだな」
リョウも答える。
「……」
しかし、ショウは何も言わない。
無言でいるショウに真葛は近付き、耳元で囁く。
「お金なんていいでしょ。そのまま持ってたら彼女に加えて、この人からもずっと追われることになるよ」
と。すると、俯いたショウの顔色が変わった気がした。
まぁ、これで大丈夫かな、と思った真葛はショウから離れ、皆に聞こえる
ように言う。
「ショウさん! お金を返しましょう!」
バッと両手を左右に開く。まるでマジシャンが種明かしをするかのように。しかし、それはマジックのタネのように高等なものではなく、何とも根本的で誰もが思いつく回答であった。
「ねっ! ショウさん、返しましょう!」
呆然とするショウに向かって、真葛はにこやかな笑顔を向ける。周りの二人もこいつアホかと言った具合で真葛のことを見ている、気がした。
ハハハッ、これ、もう自棄でしょ。
自分でもそう思ってしまうが、それしか思いつかなかった。〈頼まれ屋〉なんて大層な看板を掲げているが、真葛自身は至って普通の人間であるから何か物凄い解決策など思いつくほどの知識は持ち合わせていなかった。いつも行き当たりばったりである。
「い…だ……」
「えっ!? 何?」
「いや…だ……」
「んっ?」
「金は返さない!」
ガバッと顔を上げると、断言した。
なので、やはりこういうことになってしまう。
「そうよ、返さないわ!」
それに同調するように美香が言う。
「お前は来るな!」
視線から美香の姿を払うようにショウは右手を振る。
「もういけずなんだから」
にへらと恥ずかしそうに笑う美香。
「馬鹿かお前は! 気持ち悪い!」
とショウが勇気を出して言ったにもかかわらず、美香は意に介さないように「カッコいい、ショウ!」と言い放つ。残念ながらショウの本音は聞こえていないようであった。
「んなことどうでもいいだろ! てめぇ、金返せよ!」
リョウがその二人に割って入る。
「返さない! 絶対、返さない!」
子供のように駄々をこねるショウ。それを見た美香が今度は「可愛
い……」と先程のコメントと矛盾したことを言う。
「ふざけるな! バカップルが!」
リョウがそれを聞いて、叫ぶ。
それ正解。
思わず拍手をしたくなったが、そんなことをしている場合ではなかった。後半部分はおそらく無意識のうちであろう。
こりゃあ、ヤバいな……
やはりうまくいかなかった。
「返せ!」
「嫌だ!」
「可愛い……」
その三重奏が暗くなった公園内で不協和音として響き渡る。
最初は耳障りであったが、何だか次第に心地よくなってきてしまったのは、真葛の思い過ごしか?
どうしよう……
と思いながらも何の解決策も見つからないまま何もせずにその場を見ていると、当然のように口論は次第にヒート・アップしていき、その先に辿り着くもの、例のことが起こりそうな雰囲気になってきた。
「てめぇ!」
「嫌だ!」
「ショウのことをそう言わないで!」
「五月蠅い、ストーカー女!」
「あんたぁぁぁ!」
「何だぁぁぁ!」
「嫌だぁぁぁ!」
三者の怒りのゲージが頂点に達したようである。何かを溜めるかのように三人が叫ぶ。実際には聞こえてこなかったが、ブチンとそれぞれの堪忍袋の緒が切れた音が想像できる瞬間であった。
「がたがたぬかすと……!」
「もうお前なんか……!」
「あんたがいるから……!」
三者三様、構えに入る。
これはヤバい!
「やっちまうぞぉぉぉぉ!」
「いなくなれぇぇぇぇ!」
「消えてぇぇぇぇ!」
シュッと三人それぞれの目標。
ショウは美香へ、美香はリョウへ、リョウはショウへとそれぞれに向けられた右ストレートがほぼ同時に放たれた。
「危ない!」
と言うと、なぜか真葛は足を踏み出してしまった。
バキッ!
何だか危険な音が公園内に響き渡った後に続いて、奇声が上がる。
「うごほっおぇ!?」
全ての右ストレートが綺麗に真葛の顔、三方面から入った。
見事な連携……
徐々に意識が朦朧とする。
あぁ……あぁ……
足はふらつき、上半身が勝手に踊る。
これは……阿修羅観音も避けられないね……
と思った瞬間、ぐらぐらと揺れながらも外の風景をかろうじて移していた真葛の視界は急にブラック・アウトすると、崩れるように真葛はその場に倒れてしまった。
意識の遠くからうろたえるショウと「やっちまったな」と後悔するリョウ、「あらこの人弱いのね、やっぱり」と純粋な批評を述べた美香の声がさまざまな方向から聞こえてきた。
美香さんって意外と辛口だね……
それが真葛が意識を失う直前に思ったことであった。
♢
「はっ!?」
真葛はベッドの上で目を覚ました。
「あれ?」
顔には湿布やら包帯やらが巻かれている。
「おぉ、起きたか小僧」
一瞬、ポカンとするが、すぐに事態を理解する。
「あっ……あぁ、そういうことか」
声のした方に目を向けると、長くて白い顎鬚を生やした老人がほとんど歯の抜けた口を開けながら笑っていた。
「お前は本当に忙しい奴じゃな」
ドスドスと布団越しではあるが、かなり強く真葛の腹部を叩いた。
「ゴン爺、やめてくれよ」
叩きまくる爺さんの腕を掴む。
「そ、そうです。真葛さんがこ、困っています」
隣に看護師として働く早苗さんが緊張した面持ちだが、心配そうにそう言ってくれた。
「何じゃ、お前、頬を赤くしおって」
からかうようにゴン爺が言うと、早苗はおとなしそうな顔を耳の先まで真っ赤にして「し、失礼します!」と声を裏返しながら出ていってしまった。
「からかうのはよしてくださいよ、こんなところに来てくれる一人しかいない看護師何だから」
それに対し、ゴン爺はガハハッ、と豪快に笑う。
「まぁ、そうじゃな。こんなところに、な」
そう言うと、ゴン爺は病室の中を眺め回す。
所々、壁や天井が傷んでいるが、ここは一応、病院であった。
一通りの器具も揃っており、大体の手術はできた。またこんな飄々とした
感じだが、ゴン爺は腕のよい医者だった。
そう、ゴン爺は医者だった。
以前はちゃんと医師免許を持っていたらしいのだが、何か事件を引き起こしてしまったらしく取り上げられてしまったらしい。しかし、それでも医者をやりたいと思ったゴン爺は裏でやることにした。
そうしてできたのが、看板は掲げてないがここ『山本病院』であった。そう、ここは残念ながら正規の病院ではない。俗に言う闇医者であった。
銃弾を受けて、重傷のヤクザから売春などでかかってしまった病気を治すためにやってくる違法入国の外国人など普通の病院にかかることのできないさまざまな患者がここには毎日のようにやってきていた。
そして、真葛はこんな仕事をしているために、ここの常連であった。
おそらくいろいろなことを鑑みて、リョウがここに連れてきたのであろう。
素性は詳しく言わなかったが、リョウの風貌からして真葛はそう推測した。
それにしても嫌だね、病院の、それも闇医者の常連って言うのは……
首を左右に振りながら嘆息する。
「あっ!?」
それよりも重大なことを思い出した。
あの後、大丈夫だったかな?
「あぁ、それよりも……」
急に何かを思い出したのか、ゴン爺がポンと手を叩く。
「お前を連れてきた男がもう依頼は済んだと言っておったぞ」
ちょうど聞きたかったことを言ってくれた。
どうやら終わったようである。
しかし、リョウが言う『済んだ』とはどういう意味なのだろうか。真葛は背筋が凍るような気がした。
まさか……
しかし、それも一瞬のことであった。
「ちゃんと金は返してもらって、あの男もお前の顔、そのとき、そやつ笑いおったが、お前の顔に免じて許してやるとのことだ」
大丈夫だったようである。
「よかった……」
「それと依頼料はそれで帳消し、だそうじゃ」
よくなかった……
ガクッと頭を項垂れる。
「あぁ、あと、それにえらく別嬪な可愛らしい女を連れた顔色の悪い男が見舞いに来たが……」
リョウさんと美香さんかな?
「……奴なら大丈夫だと言ってやったらよかったって言って、そのまま女に引っ張られていくように出ていってしまったが、よかったのか? お前よりもあの男の方が病院にかかった方がいい気がしたがの……」
それについては同意見です。
うんうん、と真葛は頷いた。
それにしても駄目だったか……頑張れ、ショウさん!
遠くを見るような眼で真葛は手を合わせた。と思ったら、
そして、おめでとう美香さん!
と、合わせた手の平をパンと一度だけ叩いた。
まぁ、これぐらいでいいかな。
「お前の関わる奴らは面白い奴ばかりだな」
バシバシと真葛の背中を叩きつつ楽しそうにゴン爺は言うが、真葛は頷けなかった。
そういうあんたもその『奴ら』に含まれていると思うんですけど……
「お前、何か変なことを考えたじゃろ」
叩く音が止むと、ゴン爺がキッと細い目で睨んできた。こんな仕事をしているのだからいろいろと修羅場をくぐったとわかるような鋭い視線であった。
うっ!?
「いや、何でもありません」
と言うと、真葛は即座に勢いよく掛け布団を顔までかけて、その視線から隠れた。
「全く……」
そう言うが、その声は先程の視線とは異なり、温かい感じがした。
そんな言葉に顔をニヤつかせながら真葛は「ふぅ」と息をつく。鼻にかかる前髪がふわりと揺れる。
あぁ、今日も……
大欠伸を漏らす。
ホントに疲れたわ。




