第9話:夜間営業(闇仕事)は特別料金よ?
王宮財務省の眼鏡監査官をハーブローション一本で撃退してから数日。
『よろず屋オネェ』の昼の営業は今日も平和に、そして美しく幕を閉じた。
午後18時ちょうど。
ピピッ、ピピッというアラームと同時に、アタシは頭のシュシュをパッと外した。
前髪がハラリと落ち、華やかだったオネェのオーラが霧散する。目つきは一瞬で冷徹な男のものになり、声のトーンがぐっと低くなった。
「桃瀬だ。18時過ぎたから今日の業務はここまで。ガイル、ニア、戸締り頼んだぞ。ルミナ、お前はもう寝ろ」
「はーい、お疲れ様、桃瀬のボス! 今日も居酒屋?」
「うむ、桃瀬どの、夜道はお気をつけて!」
カウンターの下から「チェッ、ケチ桃瀬め。私はエリーちゃんが置いていった高級クッキーでも夜中にこっそり食べるもんね……」と呟くルミナを無視して、俺はジャケットを羽織り、気だるげに店の裏口の鍵を開けた。
――だが、その一歩を踏み出すより早く、夜の闇に紛れていた「影」が、滑り込むように裏口から店内に転がり込んできた。
「た、頼む……! 助けてくれ……!」
ドサリと床に倒れ込んだのは、全身黒装束に身を包んだ、まだ若い青年。
その脇腹からはドクドクと鮮血が溢れ、床の絨毯を汚していく。ニアちゃんが本能的にナイフを構え、ガイルが青年を遮るように一歩前に出た。
「……ッ、こいつ、王宮の隠密(密偵)の服を着てる。ボス、外に追っ手の気配が3人!」
ニアちゃんが鋭く窓の外を睨みつける。
俺はハァ……と深い、深いため息をついた。
バシッと腕時計を見る。現在の時刻、午後18時03分。
「(最悪だ。定時を3分もオーバーしてやがる……)」
俺はポケットからタバコを取り出して火をつけると、気だるげに煙を吐き出し、冷徹な目で倒れた青年を見下ろした。
「おい、お前。俺のルールを教えてやる。俺の定時は18時だ。それ以降の労働は……『夜間特別残業手当』として、基本料金の5倍を申し受ける。……払えるか?」
「くっ……! これ、これを……! バルサス伯爵が、隣国と通じて……王都に魔獣を解き放つ計画の証拠だ……! エレオノーラ王女殿下に……届けてくれれば、国から幾らでも……っ!」
青年は血まみれのスクロール(巻物)を俺に差し出し、そのままガクリと意識を失った。
「バルサス伯爵……! まだ懲りずにそんな大逆罪を……!」
ガイルさんが怒りに拳を震わせる。床のルミナちゃんも「ひえぇ! 王都崩壊とか笑えないんだけど! 私のタルトの供給源が絶たれちゃう!」と頭を抱えた。
「チッ、バルサスのクソ親父、あの時もっと贅肉を削ぎ落としておけば良かったな……」
俺はタバコを床に踏み消すと、ジャケットの袖を無造作にまくり上げた。
「ニア、ルミナ。その怪我人を奥の部屋へ運んで止血しろ。ガイル、お前はここで待機。……外のネズミは、俺が30秒で間引いてくる」
俺は裏口の扉を静かに開け、夜の路地裏へと足を踏み入れた。
不気味な静寂の中、暗殺者特有の殺気を放つ3人の影が、音もなく俺を取り囲む。
「……『よろず屋オネェ』の店主だな。密偵の男を引き渡せ。さもなければ、お前もここで死ぬことになる」
中央の男が、毒の塗られた短剣をギラつかせる。
俺は一切の構えをとらず、ただ気だるげに、冷たい視線を男たちに向けた。
「お前ら、大きな勘違いをしてるぞ」
「あ?」
「昼間の『レンちゃん』なら、まだ話し合いの余地もあったかもしれない。だが……今の俺は『桃瀬』だ。定時を過ぎて機嫌が悪い男に、話しかけるんじゃねぇよ」
予備動作はゼロ。
次の瞬間、俺の姿は男たちの視界から完全に消えた。
「なっ――どこに――」
驚愕する暗殺者の背後に、俺は一瞬で回り込んでいた。
前世のSP(要人警護)として、そして裏の世界で何百人ものプロを葬ってきた本物の近接格闘術(CQC)。
ドンッ! と一人目の後頭部に強烈な肘打ちを叩き込む。脳震盪を起こした男が、声も出せずに崩れ落ちた。
「貴様ぁッ!」
左右から同時に襲いかかる二人。彼らの刺突を、俺は紙一重のステップで躱しながら、二人の手首を同時に掴み取る。そのまま肉体強化の魔力を指先に集中させ、鋼鉄の握力で手首の骨を握り潰した。
「ぎゃあああぁぁぁッ!?」
悲鳴を上げる暇も与えず、二人の頭を正面から激しく衝突させる。ゴガッという鈍い音と共に、残る二人も白目を剥いて地面に転がった。
時計を見る。
裏口を出てから、ちょうど25秒。
「……ふぅ。これで3人か」
俺は衣服の乱れを軽く整え、気絶した暗殺者たちの懐から財布と身分証を器用に抜き取ると、そのまま路地裏のゴミ箱へと放り込んだ。
◇ ◇ ◇
店内に戻ると、ニアが手際よく密偵の青年の包帯を巻き終えたところだった。
「ボス、お帰り。……って、早っ! もう片付けたの?」
「あぁ。雑魚だった。それより、その巻物を見せろ」
俺は血まみれのスクロールを開き、バルサス伯爵のサインが書かれた魔獣召喚の計画書に目を通した。
「(なるほどな。明後日の建国記念パレードの最中に、王都の中央広場で大規模な魔獣テロを起こす気か……。エリーが狙われる可能性が高いな)」
俺は巻物をパタンと閉じると、ガイルの肩を叩いた。
「ガイル。明日、朝一番でこれを王宮のエリー(王女殿下)に届けてこい。お前なら顔が利くだろ。……テロの阻止は王宮騎士団の仕事だ。俺たち民間人には関係ねぇ」
「しかし、桃瀬どの! バルサス伯爵が裏で動いているとなれば、この店もタダでは済まぬぞ!」
「あぁ、分かってる」
俺はフッと口角を上げ、冷酷な暗殺者の目を光らせた。
「もしあのデブが、明日の営業時間中に仕掛けてくるなら、昼の『レンちゃん』が華やかに狂い咲いてやる。……だが、もし定時(18時)を過ぎても小細工を仕掛けてくるようなら……その時は、俺が直々にバルサス伯爵領まで出向いて、奴の息の根を物理的に『仕分け』してやるよ」
その凄まじい殺気に、ルミナちゃんは「ひ、ひぃぃん! 夜の桃瀬マジで怖いー! 明日からちゃんとお手伝いするから命だけは助けてぇー!」と涙目で床に平伏していた。
俺はジャケットの襟を立て、今度こそ裏口から外へと歩き出した。
「じゃ、俺は居酒屋行くから。残業代の計算はニア、お前に任せたぞ」
「へいへい、了解。特別深夜手当、しっかり金貨で請求書作っておくね、桃瀬のボス♡」
ニアちゃんの頼もしい声を聞き流しながら、俺は夜の王都へと消えていく。
バルサス伯爵との因縁、そして王都を揺るがす大事件の幕が、ついに定時後に上がろうとしていた。




