名前の値段
翌朝、裏通りに足を向けた。
朝市には寄らなかった。魚は昨日の白身が残っている。酒蒸しにする暇がなかった。偽造鑑定書のせいだ。
デルガの裏通りは、表通りの賑わいから一本奥に入っただけで空気が変わる。石畳が途切れ、剥き出しの土が湿っている。日当たりが悪く、建物の壁に苔が這い、魔石灯も数が減る。だが遺物を扱う人間にとっては、こっちの方が実入りのいい場所だ。ギルドの管轄が緩い分、表に出せない品も流れてくる。
路地の奥まった一角に、看板も出していない店がある。扉の横に積まれた空の木箱だけが、ここが商売をしている場所だと示している。
扉を叩くと、中からくぐもった声がした。
「開いてる」
店内は薄暗い。棚に並んだ遺物の断片、金属片、石板の欠片。カウンターの奥で、白髪交じりの痩せた男が魔石灯の下で何かを磨いていた。
「ゴルツ」
「おう、ノル。珍しいな、お前から来るのは」
ゴルツが手を止めずに言った。革の上着の肩に埃が積もっている。相変わらずだ。
「聞きたいことがある」
「鑑定書だろ」
おれは足を止めた。ゴルツが磨いていた部品をカウンターに置き、ようやくこちらを見た。深い皺の刻まれた顔に、皮肉っぽい笑みが浮かんでいる。
「知ってるのか」
「知ってるも何も、お前の名前が入った鑑定書、最近よく見るぜ。裏通りでも三枚は確認した。表も入れりゃ、もっとだろう」
三枚。裏通りだけで三枚。おれが昨日見つけたのは一枚だ。
「どんな品に付いてた」
「全部バラバラだ。歯車、金属板、継ぎ手。ただ——」
ゴルツが指を立てた。
「全部、中層出土の金属遺物だ。石器もないし、深層の品もない。誰が仕入れたか知らんが、品揃えに偏りがある」
中層出土の金属遺物。つまり、市場価値がそこそこあり、かつ真贋の判定が難しい層の品だ。浅層の品は安すぎて偽造の手間に合わない。深層の品は出土数が少なく、偽造すればすぐにバレる。中層がちょうどいい——そういう計算が見える。
「いつ頃からだ」
「おれが最初に気づいたのは十日前だ。ただ、流通してた期間はもう少し長いかもしれん。偽造だって気づいてない奴も多いだろうからな」
十日前。おれが気づいたのは昨日。十日もの間、おれの名前で偽の鑑定書が出回っていた。
腹の底に冷たいものが沈んだ。怒りじゃない。自分の知らないところで、自分の名前が勝手に動いている感覚だ。
「他に何か気づいたことは」
「港の方に流れてる。裏通りだけじゃなく、港沿いの遺物商にも出回ってるらしい。おれの知り合いが二人、騙されかけた」
港。やはり港か。
「悪いな、ゴルツ。助かった」
「おう。——おい、ノル」
振り返ると、ゴルツが磨き布を手に持ったまま、妙に真面目な顔をしていた。
「お前の鑑定書は、この街じゃ銀貨と同じだ。それが偽造されてるってことは、お前だけの問題じゃねえぞ」
「わかってる」
「わかってるならいい。——魚の煮込み、食堂のがまだ残ってるぞ。昼時に行っとけ」
裏通りを出て、坂道を上った。頭の中でゴルツの情報を整理する。五枚以上。中層出土の金属遺物。港方面への流通。十日以上前から。
規模が思っていたより大きい。一人の犯行か、組織的なものか。
工房に戻ると、扉の前にリタが座っていた。リュックを背もたれにして、石段に腰掛けている。
「ノルさん! 遅いですよ、朝から来てたんですけど」
「鍵は閉めてある」
「知ってます。だから待ってました」
鍵を開けて工房に入る。リタが後ろからついてきた。
「ノルさん、聞いてください。昨日の偽造鑑定書の件、わたしも調べたんです」
「……お前が?」
「冒険者仲間に聞いて回ったんです。偽造鑑定書付きの遺物を買ったことがある人、いないかって」
おれはエプロンを着けながらリタを見た。こいつ、自分から動いたのか。
「三人見つけました。カルドって槍使いと、ミーネっていう薬草採りと、あともう一人名前忘れちゃったんですけど——それで、三人とも同じこと言ってたんです」
「同じこと?」
「全員、朝市の遺物商じゃなくて、港の方の店で買ってます」
足が止まった。
港の方の店。ゴルツも同じことを言っていた。裏通りと冒険者ルート、別々の経路から同じ結論が出ている。
「リタ。それ、誰に頼まれた」
「え? 誰にも。自分で聞いただけですけど」
リタが首を傾げている。椅子に座った。こいつは聞き込みの才能があるのかもしれない。人懐っこさが武器だ。冒険者同士の横の繋がりは、ギルドの公式ルートより速い。
「……悪くない動きだ」
「え! 今、褒めました?」
「事実を言った」
「褒めてますよそれ!」
うるさい。
昼前に工房を出て、食堂に向かった。リタも付いてきた。追い払おうとしたが、「わたしもお腹空きました」と言われると断る理由がない。
海沿いの食堂。いつもの席。窓から港が見える。魚介煮込みを二つ頼んだ。
煮込みが来るまでの間、リタの情報を整理した。三人とも購入時期が近い。十日から二週間の間に集中している。偶然ではなく、同じ供給元から短期間に流れた品だろう。
「ノルさん、それってつまり——」
リタが何か言いかけたとき、食堂の主人がカウンターから顔を出した。
「ノル、ちょっといいか」
「何だ」
「いやさ、昨日な——」
食堂の主人がカウンターの布巾で手を拭きながら、ちらりとこちらを見て、また目を逸らした。
「客に聞かれたんだよ。『ノルの鑑定書って信用できるのか?』って」
スプーンを持つ手が止まった。
「……何だと」
「おれは信用してるよ、もちろん。でもさ、そういうこと聞く奴が出てきたってことだろ? 前はそんなこと聞く奴、一人もいなかったぜ」
食堂の主人は気遣うように言って、カウンターに戻っていった。リタがこちらを見ている。おれは煮込みの中の白身魚を崩した。
信用できるのか。
おれの鑑定書が、おれの腕が、疑われている。偽造鑑定書が出回ったせいで、本物の鑑定書まで疑いの目で見られ始めている。
偽造者が狙っているのは、遺物の売買だけじゃない。おれの信用そのものだ。
煮込みの味は、いつもと同じだった。白身魚がほろりと崩れ、根菜の甘みと魚介の出汁が混ざっている。旨い。旨いが、今日は少し塩辛く感じた。
午後、工房に戻った。リタは冒険者ギルドに寄ると言って別れた。
遺物商のフランが持ち込んだ品の鑑定を引き受ける。小型の歯車。親指の爪ほどの大きさで、歯の一本一本が精密に刻まれている。
ルーペを当てた。歯車の断面を見る。
金属の結晶構造。鋳造か鍛造かは、結晶の粒度でわかる。この歯車は鋳造だ。粒が均一で、方向性がない。だが——歯の先端だけ結晶が潰れている。後から圧力をかけて硬度を上げている。
つまり、精密な仕上げ工程を経ている。量産品ではない。
歯の摩耗パターンを確認した。一方向に偏った減りがある。一定の速度で長期間回り続けた歯車だ。時計か、それに類する定速駆動の装置の一部。
「中層第三層、定速駆動系の部品。加工年代はプレ・ナノマシン期の後半。状態は良好。銀貨六枚」
鑑定書に書き込み、署名した。自分の名前を書く。「鑑定士ノル」。いつもと同じ三文字。
だが今日は、ペンを置いた後も指先に力が残っていた。この署名が、どこかで別の誰かに真似されている。おれの知らない紙の上に、おれの名前が並んでいる。
フランが鑑定書を受け取って帰った後、工房で一人になった。
窓の外は暮れかけている。港に夕陽が落ちて、海面がオレンジ色に光っている。
おれの名前の値段が、おれの知らないところで動いている。
港の方の店。中層出土の金属遺物。外から入ってきたルート。
リタの情報とゴルツの情報が重なっている。偶然じゃない。流通に方向性がある。
窓から港を見下ろした。夕方の港は朝より魚臭い。干物と潮と、船底の油の匂いが混ざっている。その中に、見慣れない大型の商船が一隻、停泊していた。




