皆既月食を見よう 真美1
side 真美
「あぁ、悔しいぃ!!」
部屋に戻った私はすぐにクッションを壁に投げていた。
「どうせ、寄せて集めてBカップですよ!!」
もう一度クッションを投げた。バスンといい音がする。
「あぁ、私だけ…どうしてこんなに貧弱なんだろう…全く…」
私は大きくため息をついた。通っている学校の制服はセーラー服。
胸が大きい子は更に大きく、小さい子は更に小さく見えてしまう。
もちろん…私は後者で中学生みたいに真っ平らだ。。
器械体操をやっていた時はその体で良かったと思ったこともある。
けれども、最後の試合で怪我をして引退してからはコンプレックスでしかない。
牛乳飲んだり、キャベツ食べたり、マッサージしたり、大胸筋鍛えたり…
涙ぐましい努力をしているのに…効果はまだ…ない。
お母さんもお姉ちゃんも…世間的には巨乳と言われる位あるのに…。私もなりたい。
「真美?お昼はどうする?」
階下でお母さんが私を呼ぶ。お母さんのパートの時間が近いはず。
「自分でするから。帰ってくるまで寝てるから起こしてね」
「はいはい、今夜はお父さんがいないからピザでもいいかな?」
「いいよ。私は凄く嬉しい。楽しみに待ってるね」
父はピザが嫌いというか、チーズが嫌いだからいないときは夕飯がピザになる。
ちなみにお母さんのパート先は学校のそばのパン屋だったりする。
「そういえば…哲君から電話あったわよ。うちで皆既月食見るんだって?」
「うん、うちのベランダ目当てなのかな?南向きだから」
「そう言われればそうね。お姉ちゃんの部屋に寝てもらえばいいかしら?」
「…なんでそこを確認する訳?」
「付き合っているのなら同じ部屋の方がいいでしょう?」
「お母さん!!何言っているの?」
「そろそろ色気のある話が聞けてもいいじゃない?哲君なら大歓迎よ」
無責任なことを言ってお母さんはパートに行ってしまった。
子供の頃の恋愛だったら、こんなに悩まなかったかもしれない。
今は…好きなだけじゃ物足りない。傍にいたい。触れていたい。
それだけじゃない。哲に触れてもらいたい。
こんなに独占欲の強い私を哲は好きでいてくれるんだろうか?
受け入れてくれるんだろうか?
子供の頃の約束は今でも有効なんだろうか?
私は急に眠気に誘われるように目を閉じた。
戻れるなら、幼い頃のあの頃に戻りたい。
「真美ちゃんは大きくなったら何になりたい?」
「真美は…哲君とずっと一緒がいい」
「僕は体操の先生になりたいんだ」
「だったら真美も哲君と一緒に先生になる」
「約束だよ」
「うん、約束」
「真美?起きれそう?」
「うぅん、お帰り。お母さん」
ボーっとする頭で頭によぎった事を聞いてみた。
「ねぇ、なんで哲は私がやめたのと同時に体操をやめたの?」
「それは、お母さんに聞くより哲君に聞いたら?それより進路どうするの?」
「そうだよねぇ。夢は叶えるものだよね?」
「真美の夢にもよるけどね。肉体的に無理なら止めなさいね」
お母さんは心配そうに私を見ていた。
「大丈夫。多分叶えられるんじゃないかな。一度先生に相談してみる」
「まだ…捨て切れてなかったのね。あの夢」
「うん、その前にまずは勉強しないと。でもご飯食べよう」
私とお母さんは部屋から出た。まずは脳に栄養をあげないと。
「競技に戻りたい?」
「違う。コーチか体育の先生になりたいの」
「その前にテストはどう?」
「まあまあよ。ある程度しっかりやらないとクラス分けにかかってくるから」
「じゃあ、しっかりやりなさい。もしなれなかったら…どうするの?」
「そうしたら、英文科に行こうかな。翻訳ができる所に行きたいなぁ」
「そういえば、英検の結果ってそろそろ出るわよね」
「多分ね」
お母さんがテーブルにおいたマルガリータを1切れ食べる。
このとろけてるチーズがおいしいのにね。お父さんってなんかもったいない
気がする。本当は食べず嫌いなのかな?
「その結果を見てからでもいいんじゃない?」
お母さんの言いたい意味が分かる。私の夢は極端だからどちらに進んでも
いいように考えろってことだろう。
「明日もテストでしょう?無茶しないのよ」
「分かってるよ」
私は食事を切り上げて自分の部屋に戻った。
机に座って、教科書を広げてはいるけれども、全く集中できない。
進路分けに関わる大切な試験なのにも係らず、自分の気持ちがどうしても
おさめることができない。どうしていいのかもわからない。
気がついたら…ノートの上には私の涙で水玉模様ができていた。
もう、今のぬるま湯ではいられない。そろそろ決断しないといけない。
いつまでも夢見る少女のままではいられない。タイムリミットは…
すぐそこまで迫っている。自分の為にも。哲の為にも。
決断を誤ってはいけないというプレッシャーが私にのしかかる。
彼の手を取って束縛すべきか、彼の手を離して、幼少時の呪縛から
解放してあげるべきか。どちらも選ぶことができなくなっていた。
だって…好きって言葉では処理できない位に好きだから。
一生をかけてでも、側にいたい。そこまで思いつめている私が
どれだけ重たいか自覚していたから。
私は勉強することを放棄してベッドに横になった。
今更詰め込んだって、こんな精神状態だったら頭に残らない事は
一番自分が分かっていたから。
いつもの様に試験を受ければ、いつもと同じ結果になるはずだ。
たまたま入学してからずっと主席なだけだ。勉強は嫌いじゃないし、
少しだけ記憶力がいいだけだ。それなりに普段から努力している。
今…必死にやらなくても今までの貯金があるはず。
努力は人を裏切らないんだから。もういい。勉強しない。
私は珍しく早期撤退を決め込んで布団を被った。