98話 夜更けのキッチン
皆が寝静まった深夜、エンデヴァルドはベッドの上で目を覚ました。 スリープの魔法によって一度も起きることなく眠ったおかげか、ずっと続いていた頭痛は解消していた。 代わりに体が重く気だるい。
「ロリ魔導士の野郎…… おもいっきりスリープかけやがって 」
ろうそくの光が薄暗く差す天井を見ながら、彼はボソッと呟く。
「貧乳で悪かったですね 」
その声に横を見ると、マリアが本を片手にジト目を向けていた。
「…… なんだいたのかよ。 存在感ねぇな 」
「静かにしていただけです。 体は少しは落ち着きましたか? 」
「…… どのくらい寝てた? 」
彼女の問いには答えず、エンデヴァルドは再び天井に視線を戻した。
「質問に質問で返さないで下さい 」
「めんどくせぇな…… すこぶる良好! んで、オレはどのくらい寝てたんだよ? 」
「丸三日です。 心配しなくても情勢はあまり変わっていませんよ 」
『そうか』とベッドから起き上がろうとした彼を、彼女はベッドの縁に移動してその頭を押し倒した。
「なにしやがる 」
「こんな夜遅くに何をしようと? イケメンは寝る時間です。 大人しくベッドに横になっていて下さい 」
「腹減ったんだよ! 」
彼女は白けた目で見下ろす。
「本当ですか? 」
「何でだよ! 腹減った! ションベン漏れる! 」
駄々をこねる子供のような彼に、彼女はあきれた顔でベッドから腰を上げた。
「なんで監視されなきゃなんねーんだよ 」
トイレを済ませ、キッチンへと足を運んだエンデヴァルドに、終始マリアがついて回った。
「また抜け出されて事態があらぬ方向に行っても困ります 」
「抜け出さねーよ! ガキじゃあるまいし 」
「ガキ以下ですよ、勇者サマは 」
食事の用意をしながら彼女は呟く。 彼の為に用意したのは、数こそ多いもののやはり魚の目刺しだった。
「…… 肉食わせろよ 」
「みんなやりくりして凌いでいるんです。 栄養価は高いですから問題ありません、要らないなら私が食べます 」
手を伸ばした彼女から引ったくるように皿を抱え、彼はブツブツ文句を言いながら少し焦げた目刺しを頬張った。
「カナイはどうした? 」
「ホセに戻りました。 結果は仲間と話し合ってからだそうです 」
「ルイスベルはどうした? 」
「ハミル副隊長に連れられてエレンへと向かいました。 北方面軍の応援があるまで、ここの防衛を頼むと言伝を預かってます 」
「セレスは? 」
「あなたには付き合いきれないと出て行きました 」
エンデヴァルドは口から目刺しの尻尾を出したまま、『そうかよ』と静かに笑う。
「嘘です。 あなたが寝ている間、少しでも何か出来ないかとフォーレイアに向いました 」
彼は『わかった』と席を立ち、マリアに背を向ける。
「それであなたは、これからどうするのです? 」
背中にかかるマリアの声を無視し、彼がキッチンを出て行こうとしたその時だった。
「いい加減にして下さい! 」
彼女の怒声が静かな廊下に響き渡った。 本気の叫びに、エンデヴァルドも驚いて振り返る。
「おい…… 何を怒って…… 」
「そうやってなんでも抱え込んで勝手なことして! そんなに私達が気に食わないんですか!? 信用できないんですか!? 」
垂れた前髪に隠れて彼女の表情は見えなかったが、怒鳴るその声は震えていた。
「自分だけがツライ思いをすれば満足ですか!? なんでもその手で終わらせないと気が済みませんか!? 」
「…… 勇者一族としての責任があんだよ 」
「責任ってなんですか! 全てを悟ったようなセリフを言ったって全然わかりません! 」
「ああ、見たんだよオレは。 魔王グリザイアの記憶をな 」
「えっ…… 」
顔を上げたマリアの頬には、一筋の涙が伝っていた。 それを見た彼は目線を逸らして頭を掻き、『しゃーねぇな』と引き返してくる。 そのまま彼女の頭にポンと手を乗せて、グリグリと撫で始めた。
「子供じゃありません。 ごまかさないでください 」
「泣いてんじゃねぇよ、ロリ魔導士 」
彼女は頬の涙を乱暴に拭って、『泣いてません』と彼を睨む。 頭に置かれた手は、振り払うことはしなかった。
「死にかけたあの時、夢を見たんだよ。 500年前の大戦の夢…… あれは恐らく、イメージグローブの継承と一緒に受け継がれてきた奴の記憶だ 」
エンデヴァルドはマリアから離れ、目刺しを頬張った椅子に座り直して『一杯よこせ』と優しく言う。 呆けていた彼女はハッと我に返り、ジョッキにワインを注いで彼に手渡す。
「今しがたも同じ夢を見た…… 」
彼は夢の内容を、見たそのままに彼女に話す。
良好とまではいかないまでも、両族は争う事はなかった事。
エターニアの私欲が大戦を引き起こした事。
そのきっかけが、飴玉事件と状況が似ている事。
「…… 繰り返していたんですね。 勇者と呼ばれるものが陽の目を浴びるように 」
愕然とするマリアに、彼は『そうかもな』と添えた。
「だから勇者一族が支配する国をオレはぶっ潰す。 オレがこの国の悪にならなきゃならねぇ 」
「どうしてそうなるんです! こんな国にした悪の根元と言うならば、国王フェアブールトであり、ヴェクスターらでしょう! 」
「そいつらに何十年何百年と支配されてきた国民は、奴等を悪だと思えるか? 」
興奮するマリアに対して、エンデヴァルドは冷静だった。
「インパクトが必要なんだよ。 ましてや次期国王はダークエルフだ…… 両族が力を合わせて、勇者を討たなきゃならねぇ 」
「だから? あなたは勇者一族として死ぬつもりですか? 」
彼は彼女の目を見たまま、何も答えなかった。
「バカげてます! そんな結末は間違ってます! 戦争の火種は勇者エターニアだったと、皆に訴えればいいじゃないですか! 」
「グリザイアの記憶なんて誰が信じる? それに連中は既に動き出してる。 時間がねぇ 」
淡々と語る彼を前に、彼女はワナワナと肩を震わせていた。
「…… 短絡的過ぎます。 バカの一言です。 単細胞にも程があります 」
「そうだな。 でもこれが一番効果的だ 」
「…… 『うるせぇよ』とか、『めんどくせぇな』とか、言わないんですね 」
「ああ? 言って欲しいのかよ? 」
彼女は彼に背を向けて、頬の涙を拭った。
「勝手にすればいいです。 私は、私がのうのうと生きていけるようになればそれで満足ですから 」
もう何を言っても聞かない…… そう感じた彼女が、キッチンから立ち去ろうとしたその時だった。 一つの影が、彼女の前に音もなく現れたのだ。
「…… ファーウェル姉様? 」
「御主人様がお亡くなりになりました 」
キッチンから漏れる光に照らされたファーウェルは無表情で、その両手には拳大のレンゼクリスタルが握られていた。