49話 温室育ちの魔王
マルベスがウェルシーダの町を出発して2日。 アベイルの町の警備を強化し、自らが選抜した部隊200名を率いてルーツ山脈へと足を踏み入れた。
ズズーン……
頂上付近に差し掛かった時、突如聞こえた地響きと揺れに、マルベスは進軍を中断する。
「ヘレン…… 無事でいてくれ! 全軍前進! 」
マルベスは焦っていた。 普段なら状況確認の斥候を出す慎重な男が、自らが先陣を切って峠道を進んでいく。 マルベスをよく知る配下達は、マルベスの行動に戸惑いながらも命令に従った。
発端はカーラーンからの援軍が遅れたことにあった。 ウェルシーダの警備を中央軍部隊長クリスに引き継ぐも、クリスはおっとり型の優男。 何度も聞き返されては答える事を繰り返し、マルベスがアベイルに到着したのは予定より丸1日遅れたのだ。
「ヘレン…… ヘレン! 」
思わず走り出すマルベスの頭の中は、必死に手を伸ばして助けを求めるヘレンの姿。 そのヘレンは暗闇の中に引きずり込まれ、やがてぼんやりと浮かび上がったニヤリと笑うエンデヴァルドに、手ごめにされていったのだった。
「おのれエンデヴァルドぉぉぉ!! 」
パリパリと稲光がマルベスの体を這い、周囲の岩へと放電していく。
「お止め下さいマルベスさ…… ぎゃああ! 」
妄想全開で周りが見えなくなったマルベスは、怒りに任せて雷撃魔法を前方に放ち、数人の騎兵を巻き込んだ。
「急げ! 全軍前し…… 」
やがて見えてきた下り坂の先を見て、マルベスは絶句する。
「…… なんなのだ、これは…… 」
バッサリと切られたように道はなくなり、底の見えない崖が口を開けていた。 崖の向こう側は高い絶壁。 足場をかける場所など見当たらない。
「なぜ…… 大地まで私の行く手を阻むのか…… 」
マルベスはその場に膝から崩れ、絶望に打ちひしがれるのだった。
「うぎゃああぁ! 」
マルベスの後ろから部下の断末魔の叫び。 振り返ると、何匹もの巨大な蜘蛛が騎兵に襲いかかっていた。
「フフ…… フフフ…… フハハハ! 」
マルベスは狂ったように笑い、両手を蜘蛛に向けて手のひらを広げる。
「我が怒りをその身に刻め! エル・ヴォルティクス! 」
ありったけの怒りを込めてマルベスは雷撃魔法を放つ。 雷撃を浴びた蜘蛛は圧力に耐えきれず、鋭利な足をバタつかせて木端微塵に弾けた。 マルベスの怒りは止まらず、次々に蜘蛛を雷撃魔法の餌食にしていく。
「待っていろエンデヴァルド…… 次は貴様だ 」
影が落ちたマルベスの目には、薄ら笑いを浮かべるエンデヴァルドの残像が見えていたのだった。
「んご! うーん…… くかー…… 」
峠道を封鎖した帰り道、エンデヴァルドは体力を使い果たして馬車の中で眠りに落ちていた。 セレスの膝枕で眠るエンデヴァルドは、時折悪寒に顔を歪めて体をプルプルと震わせる。
「誰かさんに殺される夢でも見てるのかしら 」
エンデヴァルドの頭を撫でるセレスは、御者台で馬を操るリュウに悪戯な目線を向ける。
「そんな目で見ないで下さい、僕だって必死だったんですから 」
苦笑いで答えるリュウに、セレスは柔らかい笑みを向ける。
「お強いのねリュウ様。 この人と対等に打ち合うなんて 」
「まさか。 エンデヴァルドさんは手加減してくれていたのでしょう、僕が敵う人じゃありません 」
「そう? あんなに焦っていたエバ様は久々に見たけど。 でもそれだけの強さを持っていたのならと思うと、尚更悔しいわ…… 」
リュウは前を向いたまま何も答えなかった。 少し意地悪が過ぎた…… セレスが謝ろうと振り向くと、リュウが『ごめんなさい』と口を開いた。
「僕は、出来れば人を傷つけたくはない…… 誠心誠意話せばわかり合えるんじゃないかと、そう思っています 」
寂しげな表情のリュウをセレスはじっと見つめる。
「僕にはセレスさんが言ったような経験がありません…… 温室育ちの軟弱者と言われれば、その通りです 」
セレスに振り向いて、リュウは再び苦笑いをした。
「でも、エンデヴァルドさんと戦って教えられました。 他人を傷つけてでも守れるものがあるのなら…… 違う、力で抑え込んででも守れるものがあるのなら…… ううん違う、上手く言葉に出来ません 」
リュウは首を振って言葉を整理し組み立てようとする。 セレスは口を開きかけたが、黙ってリュウの次の言葉を待った。
「抑え込むのではなく、力で語る…… ですかね? エンデヴァルドさんは僕にそれを言いたかったんじゃないかなって感じたんです 」
「…… 」
「あれ? 僕…… 的外れな事言っちゃいましたか? 」
「…… この腐れ勇者様には言わない方がいいわよ? 頭に乗ってしまうわ 」
「ムニャ…… 誰が腐れ勇…… シャだこるぁ…… ムニャムニャ…… 」
セレスとリュウは顔を見合わせてクスッと笑う。
「そんな大層なものじゃないわよ、この人は 」
セレスは大口を開けていびきをかきながら眠るエンデヴァルドの頭を優しく撫でる。
「気に入らない者を叩くだけ…… この人にとって気に入らないというのは、力を誇示して虐げようとする者。 弱者ではなく強者を叩く…… ただそれだけなのよ 」
撫でられたエンデヴァルドは、いびきから静かな寝息に変わる。 寝ている姿は無垢で純真な男の子の姿だった。
「それだけなんだけど…… 私ね、いずれこの人はこの国を変えてくれるんじゃないかって思ってるの。 種族なんて関係なく、ダークエルフも笑って暮らせるような…… ね。 だから私はここまでついてきた…… 」
静かな寝息を立てているエンデヴァルドを撫でながら、セレスはリュウに向かって微笑んだ。
「お礼を言うのを忘れていたわ。 ありがとうリュウ様。 ベアウルフ達に言った一言、とても嬉しかった 」
頭を下げるセレスに、リュウはあたふたとして手綱を振り回し、馬車を止めてしまう。 『代わるわ』とセレスは膝からエンデヴァルドを下ろして御者台にに上り、リュウから手綱を奪い取ってゆっくりと馬車を進ませた。
「…… リュウ様、お願いがあるのだけど 」
「はい、なんでしょう? 」
「…… 」
前を見たまま言い淀むセレスに、リュウはフワッと微笑む。
「エンデヴァルドさんを助けるのですね? はなからそのつもりですよ 」
「…… 驚いた。 本当に心を読む力を持っているのね 」
「ありませんよ。 小さな頃からのクセ、でしょうか。 大人の顔色を窺う機会は沢山ありましたから 」
にこやかに答えるリュウに対して、セレスの表情は重たい。
「エバ様がこれから喧嘩を売ろうとしているのは国王フェアブールトよ? とても危険な旅になる…… 」
「言わないで下さいセレスさん。 エンデヴァルドさんが『やめた』と言っても、僕はフェアブールトさんを殴りに行きます。 まぁ…… エンデヴァルドさんは『やめた』とは言わないでしょうけど 」
重たかったセレスの表情が徐々に緩む。
「ありがとう、リュウ様 」
ー 温室育ちの魔王が仲間になった ー