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第五十七話 無詠唱

 フィーリネが孤児院を去ってから一週間が経った。この一週間別れ際のやり取りを男子には冷やかされ、女子は興味津々と僕とフィーリネの関係について話を聞きたがった。男の子達はすぐに飽きたようだが、女の子達は結構しつこく聞いてきた。どうも現在の孤児院にはそのような恋愛話の対象がないらしく、僕とフィーリネの事が過剰に騒がれた。


 僕にはそのようなつもりはないんだけどね。フィーリネは好きだし、大切な存在だけど、それは妹の様な存在としてであり、好意のカテゴリーはジギスと同じだ。フィーリネは前世の日本に住む同年代の子供よりも聡明で大人びているけど、それでも僕は通算で二十歳を超えている。流石にフィーリネの事は子供にしか見えず恋愛対象にはなりえない。どちらかというとアニの方が……。


 ……いやいやいや。よくない。アニの事をそういう目で見るのは良くない。年齢丁度いいなとか思ってない。


 


 この一週間何も冷やかされていただけではない。僕のトラウマ克服のための訓練も始まっていた。やり方としてはバフィトさんという明らかな格上、かつ肉弾戦が得意な人につきっきりで組手をしてもらうという物だ。身体強化を使わない組手を行いながら、時折バフィトさんが通常の僕では反応できない攻撃を繰り出す。僕は本来対応出来ないその攻撃を身体強化を使う事で回避、または防御する。

 これはこの訓練を始めてから自覚した事なのだが、僕は意識的に身体強化状態で攻撃をする事が出来ないが、無意識的な行動で身体強化を使う事があり、その状態で相手の攻撃を捌く事ができる様だ。相手の攻撃を回避するならともかく、受ける場合は相手の体に触れる必要があるからね。

 そもそもバフィトさんが言うには本来身体強化は使える人間の多い魔術とは言え魔術は魔術、無意識に使ってしまう事なんてないというのだ。僕はジギスを叩いた時、咄嗟に身体強化を使ったわけだが、その事がおかしいというのだ。その話をした時に他の身体強化を使える人に聞いてみたが、みんな無意識に使ったことは無いという。

 これは僕が小さい頃から身体強化を使っていたことが原因なのかもしれない。


 そんなわけで、僕のトラウマの原因であるクセを使ってそのトラウマの克服をしようとしているわけだが……。ここで一つ問題が生まれた。

この練習にはバフィトさんの協力が不可欠であり、またバフィトさんは年長者であり、仕事も多い。つまりバフィトさんが僕の為に時間を作る事が難しいのである。


そこでバフィトさんの仕事の一部、僕でも可能な事を僕が肩代わりする事でバフィトさんに空き時間を作る事になったのだ。模擬戦の監修や森の見回りなんてのは僕にはできないからね。


僕が頼まれたのは普段僕がやっている様な畑仕事や薪割り、道具の修理等の雑務と小さな子への文字を教える事……つまり勉強の面倒を見る事だ。僕は前世を持つ事と、貴族であった事で同じ年の子よりも知識がある。簡単な事なら教える事もできるだろう。


最も勉強の面倒と言ってもここの子はロザリンドさんの書いた教科書を自分で読み学習するのでわからないところ、理解できないところを補足として教えると言った程度だ。




そんなわけで僕は今子供達の読み書きや算数の勉強を見ている。宙に指で文字を書きながら発音をしていたり、指を折り数を数えている子がいる。みんなしっかり勉強しているようだ。今日僕が面倒を見ている子たちは平均六歳位だが、みんな集中して勉強しているようだ。僕が前世でその位の歳だった頃なんてこんなに落ち着いていなかったなぁ。


特に問題もなさそうなので僕は自分用に持ってきた本へと目を落とす。それは書庫から見つけてきた本である。教科書は一通り目を通してみたが、どれも既に教わっていた事であった。魔術についての教科書もあったが、僕が使える身体強化や魔力を知覚する為の心構えの様な事で、こちらも既に知っている事だった。


なので暇つぶしに物語でも読もうかと思い書庫を漁っていたのだが、その時一冊の教科書を見つけたのだ。書庫においてある本はほぼ全てが一般に販売されている本であり、しっかりした背表紙がついている。しかし教科書――ロザリンドさんの書いた本は全て紙の束を紐で閉じただけの簡単な構成である。なので一目でそれがロザリンドさんの書いた本だという事がわかった。

他の教科書は全部学習部屋にまとめて置いてあったのにどうしてだろうと思い、僕はその本を手に取り確認する。その内容は無詠唱魔法について書かれていた。無詠唱魔法とはざっくりいえば魔法名を言わずに魔法を放つ技術である。僕がクリス先生に貰った本には無詠唱についての記述が少なく、僕もほとんど知らないのでこれはいいと思いその本を持ってきたわけだ。


 で実際にその本を読んでみたわけだが……。最初に無詠唱魔法とはどのような物なのかが書かれていた。無詠唱魔法とは本来の魔法であると書かれていた。どういう事なのかというとそもそも昔は魔法名を言う事で魔法を使う事は出来なかったらしい。ではどうやっていたのかというと魔力の操作によって現象を起こしていたようだ。つまり身体強化の様に魔法を発動していたようだ。


 ではなぜ今の様な形の魔法の発動の仕方に変わったかというと、それは魔法を誰でも使える物にするためだ。現在では簡単な魔法、例えば着火の魔法である「イグニッション」や、水を出す「クリエイトウォーター」風を起こす「クリエイトウィンド」は誰でも――と言っても子供は使えない事も多いが――使う事が出来る。それこそ魔力を知覚できていない人間でも使える程だ。以前スラムで襲われた時、僕はイグニッションを使った。その際魔力を放出してから変換という行程を経たが、その魔力がスラムのゴロツキ達には見えていなかった。それは魔力の知覚が出来ていないということであるが、そんなゴロツキでもイグニッションの様な魔法は使う事が出来るだろう。


しかし詠唱が発明される前、現在で言うところの魔法はごくごく限られた者にしか使えない技術だったらしい。それこそ貴族や王族、天才や英雄と呼ばれる様な人間にしか扱える人間がいなかったらしい。

その魔法を誰でも簡単に扱える様にしたのが今の詠唱魔法であるようだ。発明者の試みは成功し、現在の様に魔法は民衆に広まった。しかし、魔法を簡易的に発動できるようになった事で、本来の魔法よりも出力、精度、操作性が損なわれてしまったようである。


 だから無詠唱魔法というのは難しい反面、威力も高いようなのだ。


 ではどのようにして無詠唱魔法を使うのか、僕がページをめくろうとした所で僕の服の裾を誰かが引っ張った。


「わからないところがあるの」


 声をかけてきたのはイザッコ君、四歳の子供だ。


「どこがわからないの?」

「えっとね、こことね、ここと、ここと……あれ? どれがわかんないんだっけ……」


 僕は読んでいた本を閉じ、机の上に置いた。どうやらイザッコ君はわからないところが多いようだ。それにまだ説明も上手くできず、要領を得ない。……これは大変だぞ。


「ええと、それじゃあまずここから、ここはね……」


 そうやって勉強を教えている内に子供達の勉強時間は過ぎ、終わりを迎えた。


 それから僕に元々割り振られていた仕事を終えた時には日が傾き始め、夕方になっていた。疲れた体を引きずり、僕は訓練場へ向かう。


「おう、来たなアルノルト」


 そこにはバフィトさんがいた。バフィトさんは少しでも時間を作ろうとしてくれいている。今日だって練習は午前中だけの予定だったのに、午後森の見回りを終えてから僕の相手をしてくれいている。

 正直僕も疲れているが、バフィトさんの好意を無駄にするわけにはいかない。僕は拳を構え、バフィトさんと向き合う。


「うっし、それじゃあ行くぞ!」





 それから練習を終えた僕らはお風呂へと向かった。丁度他の男の子達が風呂から上がった所で、風呂の後片付けを頼まれた。

 僕とバフィトさんは体を洗った後浴槽へと浸かった。



「はぁ~」


 一日の疲れがどっと溢れてくる。


「はっ、随分疲れんてんなぁアルノルト。俺の分の仕事もやるのはきついか」

「……ええ、まあ。子供に勉強を教えるのって大変なんですね」

「あぁそうだな。特にアルノルトは頭がいいから何でわからないのかわかんねぇだろ」

「まぁ……」

「そういう時は辛抱強く待って、わからねぇって言っている奴にどこが、どんな風にわかんねぇか説明させんだよ。自分の口でな。んでもってできるだけそいつ自身に解かせる」

「……わからないって言ってるのに教えないんですか?」

「教えるって言ってもな、色々あるんだよ。知識を身に付けるんなら教えてやる必要がある。知らねぇ事はできっこねぇからな。だが、わからねぇ、知っているけど出来ねぇって時に簡単に教えちゃいけねぇんだよ。そいつ自身の考える力が身に付かねぇ。つってもだからってずっと見守るだけも駄目だ。それでわからない状態が続くと今度はわかる楽しさを知らずにわからねぇ辛さを覚えちまう。そうっすと勉強が嫌いになっちまうからな」

「それじゃあどうしたらいいんですかね」

「教える奴一人一人の性格を把握する。頑張るのは得意な奴か、苦手な奴かとかな。アルノルトはまだうちに来て短けぇから個性の把握も大変だろうな」


 僕は全然子供達の事を見てなかった。みんな勉強している様に見えたからそれで良しとしていたが、どのような姿勢で取り組んでいるかも見なければいけないのか。……これは本なんて読んでいる暇はないんじゃないか?


「そう……なんですね。そうしたら今日の僕は駄目でしたね」

「何でだ?」

「みんなが勉強していると思って自分も本を読んでいたんです。バフィトさんの言う観察を怠ってました」

「はん、そんなの気にすんなよ。アルノルトだって教えるのは初めてなんだ、これから教えていけるようになればいいんだよ。俺だってもう面倒みるガキ共の事わかってるとはいえ本読んだりしってっしな」


 そうだな、今日の失敗を悔やんでもしょうがない。今言われた事を意識して取り組みなおせばいいんだ。


「ところでよ、何読んだんだ? 書庫にある物語でも読んでたのか?」

「いえ、無詠唱魔法について書かれた本があったのでそれを」

「あーあれなー。お前はあれ読んだ後実際に試してみたか?」

「いえ、まだ始めの方しか読めてないので」

「そうか……。あればっかは俺も面倒見てやれねぇなぁ」

「そうなんですか?」

「俺無詠唱魔法使えねぇんだよ」


 それは意外だった。確かに今までバフィトさんが無詠唱魔法を使っているところを見た事がなかったが、バフィトさんはこう見えて頭がいい。さっきの人に教える姿勢の話をした時もそうだが、口は悪いが真面目だし、面倒見がいい。孤児院に来て一番僕の事を気にかけてくれているのもバフィトさんだ。


 模擬戦でもルークさんとバフィトさんのツートップの様に感じるし、全体的に何でもできる人という印象を抱いていた。


「つーかうちで無詠唱魔法できんの婆さんとベラだけだからな。……あールークも少しできっか。あいつらは天才だ天才」

「やっぱり難しいんですか?」

「ああ、そうだな。俺はてんで駄目だった。だから何かアドバイスが欲しかったらそいつらのとこいけや、まぁアドバイスでできる様になるもんじゃねぇと思うけどな」


 そう言うとバフィトさんは浴槽から上がり、桶や椅子を端に寄せ始めた。


「俺はもう上がるわ、アルノルトはどうする?」

「僕ももう上がります」


 僕らは風呂を上がった。


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